第三部 第八章 名前を掲げる夜
SOLEILを出た夜、
街は春の気配をまとっていた。
聞き飽きたはずの風の音が、
今日は少し違って聞こえる。
三人で鳴らした音が、
店の外の世界に少しずつ届き始めている──
そんな確信のようなものがあった。
駅に向かって歩いていると、
遥がふいに口を開いた。
「……そろそろさ、
僕たちも“名乗る”べきじゃない?」
その声は静かだったけど、
何かを決めた人間の温度を帯びていた。
瑠美がぴたりと足を止め、
遥のほうへ振り返った。
「名乗るって……
公式に“ユメトセツナです”って言うってこと?」
遥はゆっくり頷く。
「うん。
噂だけで動くのも悪くないけど……
もう、向こうから音を見つけてもらってる。
だったら、僕たちからも歩き出していいと思う。」
その言葉に、
胸の奥が静かに熱くなるのを感じた。
俺は前に一歩踏み出し、
「……よし。
公式アカウント、作るか。」
と言った。
瑠美の目が少し揺れ、
でもすぐに柔らかく笑った。
「ついに……“外”に出るんだね。」
駅前の小さな公園へ移動し、
三人はベンチに並んで座った。
俺はスマホを取り出し、
Xの新規アカウント画面を開く。
遥が肩越しに覗き込む。
「アイコンどうする?
影の写真でもいいけど、
ロゴ作るって手もあるよね。」
瑠美が手を挙げた。
「あたしが作る!
デザイン好きだし、得意だよ。」
遥が意外そうに目を丸くする。
「え、そんな特技あったの?」
「うん。高校デザイン部だったの。
バンドロゴとか、めっちゃ描いてた。」
それを聞いた瞬間、
三人の音がまた少し繋がったような気がした。
アカウント名の入力画面。
俺はゆっくりと文字を打った。
@yumetosetsuna_official
画面にそれが表示された瞬間、
三人の間に静かな空気が流れた。
瑠美が小さく言う。
「……ほんとに始まったんだね。」
遥も息を吐くように笑う。
「噂の名前が、
僕たち自身の名前になったんだ。」
その言葉に頷き、
俺は作成ボタンを押した。
──アカウント作成完了。
真っさらな画面が、
逆に一番まぶしく見えた。
初投稿をどうするか。
三人で少し悩んだ。
遥が言う。
「僕ら、顔出ししてないから……
飾るより、シンプルにしたい。」
瑠美が続ける。
「でもちゃんと“自分たちの言葉”で名乗りたいよね。」
俺はスマホを持ち直し、
文字を打ち始めた。
【お知らせ】
影として音だけを届けていた三人です。
本日より“ユメトセツナ”として正式に名乗ります。
顔は出しません。
でも、音は全力で届けます。
よろしくお願いします。
三人で画面を見つめ、
息を合わせて投稿ボタンを押した。
投稿してすぐは静かだった。
でも──
十数分後。
通知が、爆発した。
《え、本物!?》
《影の二人組ほんまやん!!》
《三人になったってほんとだったのか》
《顔出しなし続けてくれるの嬉しすぎる》
《ユメトセツナって正式名……震えた》
《音だけで勝負するバンド、めっちゃ応援する》
瑠美が驚いた声を上げた。
「なにこれ……
めっちゃ反応きてる……!」
遥がスマホを見つめながら息を飲む。
「ほんとに……見つかったんだな、僕たち。」
俺はゆっくりと空を見上げた。
「今日、
俺たちは正式に“外”に出た。」
三人は言葉を失って、
ただ春の夜の空気を吸った。
名前を掲げた夜。
噂の二人組は、
本物の三人組になった。
そして世界は、
もう少しだけ俺たちに近づいていた。




