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第三章 始まりの音

翌朝、広場に戻った。

 夜のざわめきが嘘のように、街は静かだった。

 昨日のあの拍手も、熱気も、もう跡形もない。

 けれど、心の中には確かに残っていた。

 あの音と、あの再会の余韻が。


 ベンチに腰を下ろし、ギターケースを開く。

 冷たい金属の弦に指を滑らせると、昨日の震えが戻ってきた。

 “音で生きていたい”――遥の言葉が頭をよぎる。


 そのとき、背後から声がした。

 「やっぱり来てた。」


 振り向くと、遥が立っていた。

 白いシャツの袖をまくり、手には缶のコーヒーを二つ。

 「朝、君がここにいそうな気がしたんだ。……ほら、ブラックで合ってる?」

 「よく覚えてるな。」

 「中学の頃、いつも無糖だったと思って。」


 俺は笑い、コーヒーを受け取った。

 こうして隣に並ぶと、あの頃と何も変わらない気がした。

 でも、確実に違うのは――

 俺たちはもう、音でしか言葉を交わせない気がしていた。


 「昨日の演奏、まだ頭に残ってるよ。」

 僕は少し目を細めて言った。

 「不思議だった。あんな音、今まで聴いたことなかった。

  数学者の弾くギターって、こんなに“感情的”なんだね。」

 「……褒めてるのか?」

 「もちろん。」

 遥は小さく笑った。


 沈黙が流れた。

 風が髪を揺らし、遠くで鳥が鳴いた。

 その静けさの中で、俺は自然と口を開いていた。


 「お前、ピアノ……今も弾いてるんだよな。」

 「うん。家に古いアップライトがあってね。

  鍵盤が少し黄ばんでるけど、まだ現役だよ。」

 「聴いてみたいな。」

 「じゃあ、次は君が聴く番だね。」


 遥は近くのベンチに腰を下ろし、指で空をなぞるように鍵盤の動きをした。

 目を閉じると、まるで音が見えるような表情をしていた。

 その仕草だけで、音楽をやってきた年月が伝わる。


 「……なぁ。」

 俺は思わず声をかけた。

 「お前の音と、俺のギター。混ぜたら、どんな風になるんだろうな。」

 「それ、僕も考えてた。」

 遥は微笑み、ギターのケースを指さした。

 「弾いてみようか。」


 俺は頷き、ギターを取り出した。

 静かな朝の広場に、弦の音が落ちる。

 遥はその横で、指を空気の中で動かしてリズムを刻んでいた。

 まだピアノはない。けれど、遥の動きに合わせて音を重ねると、

 まるでそこに“もう一つの音”が存在しているように感じた。


 音が重なるたびに、空気が変わっていく。

 呼吸のリズムまでが合っていく。

 まるで、最初から一緒に演奏してきたような自然さだった。


 「……すごいね。」

 遥が小さく呟いた。

 「言葉がなくても、伝わるんだ。」


 その言葉に、俺は弦から手を離した。

 朝の光が、ギターの水色のボディに反射して輝いている。


 ――ああ、きっとこれが始まりだ。


 音が、俺をもう一度世界に繋ぎとめた。

 そしてその隣で、俺と同じ方向を見ている“遥”がいる。

 それだけで十分だった。


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