第三部 第一章 小さな朝と、大きな気配
第三部へようこそ。
ここから物語は、
小さなライブバーから、ゆっくりと外の世界へ広がっていきます。
蓮、遥、瑠美。
顔も出さず、名前も明かさず、
ただ音だけを武器に立ち上がった三人。
第二部のラスト――
蓮の“声”が三人をひとつにしたあの夜。
この瞬間を境に、
世界のどこかで、静かな波が確かに動き始めました。
誰かが動画を見つけ、
誰かが友人に共有し、
誰かがもう一度、もう一度と再生する。
小さな波紋は、まだ誰も気づかない大きなうねりになる。
けれど三人はまだ知らない。
自分たちの音が“誰かの人生の扉”を叩き始めていることを。
蓮は歌いながら、
数学者としての仕事を密かに続けている。
遥は蓮の過去を知りつつも、それ以上を聞こうとしない。
瑠美は二人の内側にある“まだ語られていない物語”を知らないまま、
ただ音に向き合っている。
三人はまだ、
“自分たちがどこへ向かっているのか”も分からない。
でも、音を鳴らした以上、
もう止まることはできない。
そして――
彼らの音は、
まだ見ぬ“誰か”の人生にも触れようとしていた。
四人目。
まだ名前も知らなければ、存在すら知らない少女。
幼い頃に蓮と交差し、
大人になった今、再び音が引き合わせようとしている。
奇跡の縁は、
すでにそっと動き出している。
第三部は、
三人が初めて“世界に見つかる瞬間”であり、
そして後に“ユメトセツナ”という伝説が
四人で描かれる運命の最初の一歩でもある。
どうか、この第三部も
三人と、これから出会う一人の少女と、
その奇跡の瞬間を見守るように読んでください。
物語は、ここから加速していきます――。
ライブが終わった翌朝、
部屋のカーテンの隙間から淡い光が差し込んでいた。
昨日の音が、まだ胸の奥でかすかに震えている。
瑠美の涙、遥の息遣い、
そして――自分の声が空気にほどけていく感覚。
あの瞬間が現実だったのか、
まだ判断できずにいた。
ぼんやりした頭のまま、スマホを手に取る。
画面には見慣れない通知が、ずらりと並んでいた。
《#謎の三人組》
《#正体不明のバンド》
《#この声だれ?》
《#ユメトセツナ(?)》
「……なんだ、これ。」
誰かが昨日の演奏を撮って、SNSに投稿していたのだろう。
顔は映っていない。
スポットライトに浮かぶギターとピアノとベースだけ。
それでも、音だけで十分すぎるほど反響が広がっている。
再生数は一万を越えていた。
無名の三人の演奏が、たった一晩で。
そのとき、着信音が鳴った。
「……蓮?」
遥だった。
「起きてたんだ。動画、見た?」
「今ちょうど。……すごいな、これ。」
「うん。僕も朝から通知地獄。」
遥は少し笑って、
けれど次の言葉だけは静かに落とした。
「でもさ……始まったんだと思う。」
その声には、不安よりも希望の匂いがあった。
「瑠美ちゃん、朝からずっとコメント読んでたよ。
“こんなの初めて”って。」
「そうか……」
歌ったときに浮かんだ瑠美の涙が脳裏に蘇る。
あれは確かに、昨日の続きとして胸に残っていた。
ふいに遥が言った。
「そうだ、SOLEILの店長から連絡きた。」
「店長から?」
「うん。
“昨日の三人の演奏、店でも話題になってる。
もっと合わせたいなら、いつでも使っていいよ”
……ってさ。」
遥の声が、ほんの少し弾んだ。
歓迎されている。
その感覚が自然と伝わってくる言葉だった。
深く息を吸うと、
胸の奥で昨日の震えがまたそっと動き出した。
「蓮。」
遥が静かに言う。
「僕ら、ここからだよ。」
短いけれど確かな言葉が、
朝の空気に沈んでいく。
スマホの画面には、
見知らぬ誰かが残したコメントが次々と流れていた。
《昨日の三人、鳥肌たった》
《声、反則じゃない?》
《顔出してないのにプロ級ってどういうこと》
《次いつ聴けるの?》
読んでいると、自然と笑ってしまった。
まだ何者でもない三人。
だけど、その“何者でもなさ”が今の強さだった。
そのとき、画面に新たな通知が一つだけ増えた。
《店長:今日時間ある?話したいことがある。》
――話したいこと?
胸の奥に、静かな予感が灯る。
昨日の音が、
俺たちをどこかへ連れていこうとしている。
その気配だけは、確かにあった。




