表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/31

第二部・第九章 声が落ちた

 ライブ当日のSOLEILは、いつもより静かな熱気で満ちていた。

 階段の上まで伸びた列。そのざわめきが狭い地下に響き、空気が微かに震えている。

 顔を出さない三人組──その噂が、思っていた以上に人を集めていた。


 控え室の古いソファに、俺と遥と瑠美の三人は並んで座っていた。


 「……今日、人、多くない?」

 瑠美は落ち着かず、ベースのネックを握りしめていた。


 「階段の外まで並んでたよ。」

 遥は穏やかな声で言ったが、机を叩く指がわずかに早い。

 遥自身も緊張しているのが分かる。


 「蓮くんは?」

 瑠美が心配そうにこちらを見る。


 「大丈夫。……ちょっと、緊張してるけど。」

 俺はそう答えた。


 そのとき、隣の遥と目が合う。

 遥は、小さく、本当に小さく頷いた。

 その瞬間、胸の奥で熱がふっと立ち上がる。


 今日、俺は歌を歌う。

 曲名は『息吹』──俺が最近作った新曲だ。

 メロディは瑠美も知っている。

 でも、“歌詞がある”ことはまだ誰も知らない。

 この世界で知っているのは、遥だけだ。


 喉の奥が、まだ熱を持っていた。


 開演時間になると、ステージの灯りがゆっくり落ちた。

 顔は影に溶け、ギターとピアノとベースだけが光に浮かぶ。


 遥が鍵盤に指を置く。

 静かで透明な前奏が、空気をすっと震わせる。


 瑠美の低音が寄り添い、

 俺はギターでやわらかく重ね、この曲の“入り口”を形づくった。


 客席のざわめきがぴたりと止まる。

 音が空間を支配し始めた。


 曲の中盤、

 伴奏がふっと薄くなっていく。


 遥がこちらをちらりと見る。

 言葉はないのに、はっきりと分かった。


 ――ここからだよ。


 喉が熱を帯びる。

 呼吸がひとつ深くなる。


 そして俺は、初めてマイクに声を落とした。


 声が生まれた瞬間、SOLEILの空気が変わった。


 歌詞は優しく、まっすぐで、

 迷いも弱さも抱きしめながら、それでも前へ進もうとする曲。


 自分自身に向けた言葉でもあった。

 アメリカで一人だった夜、

 何度も言い聞かせた思いを、旋律に埋め込んだ新曲だった。


 瑠美が驚いたように俺を見た。

 でも、震える指でベースを弾き続ける。


 遥は微笑みを浮かべ、

 俺の声を包み込むように鍵盤を揺らす。


 三つの音が、初めて“歌”を中心にひとつになった。


 客席は誰も動かない。

 誰も息を乱さない。

 ただ、音だけがそこにあった。


 最後のフレーズを歌い終えた瞬間、

 店内には深い沈黙が訪れた。


 泣き声でもなく、歓声でもなく、拍手でもない。

 ただ、その余韻が体温のように空気の中に残り続けていた。


 そして、やっとひとつの拍手が鳴る。

 ぽつ、ぽつ、と増え、やがて大きな波になっていく。


 叫びではなく、

 胸を震わせた誰かの手の音だった。


 ステージ裏に戻ると、瑠美が涙を浮かべて駆け寄ってきた。


 「……蓮くん……いまの……」

 震える声。涙を落とす音が聞こえそうだった。


 「なんで……言ってくれなかったの……

  こんな……歌詞があるなんて……

  そんな声……反則……ずるいよ……」


 遥がそっと肩に手を置き、微笑んだ。

 「ね、泣くって言ったでしょ。」


 「うるさい……」

 瑠美は目元を乱暴に拭う。

 けれど、またすぐに涙が溢れてきた。


 「蓮くん……歌ってくれて……ありがとう……!」


 俺は少し照れながらも、しっかりとその気持ちを受け止めて言った。


 「……こっちこそありがとう。

   この曲、一緒に鳴らしてくれて。」


 そして最後に、自然と言葉が落ちた。


 「今日から、本当のユメトセツナだ。」


 瑠美は涙を浮かべながら、何度も頷いた。

 遥も静かに笑う。


 「うん。やっと三人になった。」


 その瞬間、

 ユメトセツナという名前に、ようやく“息”が宿った気がした。


 今夜の音は、確かに始まりの音だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ