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第二部・第六章 夜明けのセッション

東京の夜は、春の匂いがしていた。

 ビルの間を抜ける風は少し冷たく、

 街灯の光が路面に淡く揺れている。

 東の空には、まだ夜の青が濃く残っていた。


 ライブバー「SOLEIL」。

 狭い階段を下りた先、

 控えめなネオンサインが灯るこの店から――

 俺たち“ユメトセツナ”は始まった。


 今夜、初めて三人でステージに立つ。


 「蓮、緊張してる?」

 控え室の隅で、遥が尋ねる。

 彼の指先は、鍵盤の位置を思い出すように空気をなぞっていた。


 「少し……だけど、不思議と怖くはない。」

 俺はギターをチューニングしながら答える。


 瑠美はベースを抱きしめたまま、

 「私、やばいかも。手がずっと震えてる。」

 と笑おうとしたが、その声は少しだけ震えていた。


 遥が優しく言う。

 「大丈夫。

  ここから始まるんだよ、僕たち。」


 ステージに出ると、

 SOLEILは前回よりもずっと多くの人で埋まっていた。


 顔を出さない三人組。

 “音だけで人を引き寄せる謎のバンド”。

 そんな噂がSNSで広まり、

 狭い店内は期待と静寂で満ちていた。


 照明がふっと落ちる。

 息すら止まる静けさ。


 遥のピアノが、夜の底で最初の一音を灯した。

 柔らかい光のような旋律が広がり、

 俺はその合図に導かれるように弦を鳴らす。


 ギターは風を描き、

 ピアノは光の粒を振りまく。


 そこに、瑠美のベースが静かに加わった。

 低音が床を這い、胸の奥を震わせ、

 三つの音が夜の空気を押し広げていく。


 まるで、

 東京の夜がゆっくりと明けていくようだった。


 誰も言葉を発さない。

 客席は息を呑んだまま動かない。

 ただ音だけが時間を進め、

 世界を少しずつ青へと染めていく。


 途中、瑠美のベースが軽く跳ねた。

 その一瞬の“遊び”に、遥が即座に応じる。

 ピアノが寄り添い、

 俺はコードの形を崩して絡ませる。


 即興のセッション。

 会話でも、視線でもなく、

 “音だけ”で心が通じ合っていく。


 ――ああ。

 これだ。

 これが“ユメトセツナ”の音だ。


 演奏が終わった瞬間、

 店内に温かい拍手が広がった。


 大きな歓声ではなく、

 誰かの胸の奥が震えた音。

 心が溢れた証拠のような拍手だった。


 ステージ裏に戻ると、

 三人とも黙ったまま、自然と笑っていた。


 「……夢みたいだった。」

 瑠美の声は震えていたが、その瞳は輝いていた。


 「違うよ。」遥が静かに笑う。

 「夢じゃない。ちゃんと現実。」


 俺はギターを抱えたまま、

 ふっと口を開いた。


 「音が教えてくれたんだ。」


 二人がこちらを見る。


 「何が?」と遥。


 俺はゆっくりと言った。


「“夢”も“刹那”も、実は同じ場所にあるって。」


 遥と瑠美の呼吸が揃う。


 「未来にあるはずの“夢”がさ、

  いま、この瞬間の中にあった気がした。

  夜の中で音を鳴らしただけで……

  その一瞬が、夢になっていった。」


 瑠美は胸に手を当て、静かに言う。

 「……だから心臓があんなに鳴ってたんだ。」


 遥も微笑む。

 「僕たち、夢を“追ってた”んじゃなくて……

  夢の中に“いた”んだね。」


 店を出ると、東京の空は薄い青へと変わり始めていた。

 街灯がひとつ、またひとつと消えていく。

 夜と朝の境界が、静かに滲んでいく。


 その青を見上げながら、

 俺は小さく呟いた。


 「始まったな。」


 遥が隣で言う。

 「うん。僕たちの夜明けだ。」


 瑠美が微笑む。

 「ユメトセツナの最初の朝だね。」


 その朝の色は、

 夢と刹那の境界線のように淡く、美しく広がっていた。

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