第二部・第二章 灯りの下で
その夜、ライブバー「SOLEIL」は、いつもより少しだけ賑やかだった。
SNSで話題になった“正体不明の二人組”が出演するという噂が、
街のあちこちに広まっていた。
照明は落とされ、ステージの奥だけが淡く光っている。
そこに、黒いフードを被ったギタリストと、帽子を目深にかぶったピアニスト。
誰も顔を知らない。
けれど、誰もがその“音”を知っていた。
「……行くよ。」
遥が囁いた。
「うん。」
俺はギターの弦を軽く弾いた。
その一音で、空気が変わった。
ざわめきが消える。
息をする音すら遠のいた。
ピアノが響き始める。
遥の指が鍵盤の上を滑り、旋律が広がる。
その上に、俺のギターが重なった。
ふたりの音が、光と影のように交差していく。
ステージには、顔を照らすスポットライトはない。
ただ、ギターとピアノの位置だけを照らす小さな灯り。
それだけで十分だった。
音が、すべてを語ってくれるから。
曲の終盤、俺はゆっくりと息を吸い込んだ。
ギターソロだ。
遙のピアノが止み、俺の音だけが店内に響く。
その瞬間、客席の誰かが小さく息を呑んだ。
それが伝わって、店全体が静止したように感じた。
ギターの音。
光の中で、それだけが存在していた。
弾き終えたあと、沈黙。
長い長い、沈黙。
やがて――拍手が起こった。
それは歓声ではなかった。
何かを包み込むような、優しい拍手だった。
俺と遥は顔を見合わせ……いや、正確には、
互いの顔は見えなかった。
でも、視線だけで分かった。
“やっとここまで来たんだな”――と。
ステージを降りると、店の外は夜風が心地よかった。
街の灯りが滲んで見える。
「ねぇ蓮。」
「ん?」
「顔を出さないって、不思議だね。」
「不安か?」
「ううん。逆に、自由。」
遥が笑った。
「姿を隠すと、音だけが残る。
でも、僕たちの“音”って、結局そういうものなんだと思う。」
俺は頷いた。
風が通り抜け、ギターの弦をかすかに鳴らした。
「……音が風になるって、こういうことかもな。」
「じゃあ、今日の風は、ちゃんと届いたかな。」
「届いたさ。誰よりも強く。」
ふたりの笑い声が、夜の空気に溶けていった。
その姿は、誰にも見えなかった。
けれど、“ユメトセツナ”の音だけが、確かにそこにあった。




