優しくしないで
「昨日、歯医者だったんだ」
学校に着いてすぐに友人の誠悟を見つけて話しかける。これは話さずにいられない。歯医者の帰り道からずっと、早く誠悟に話したいと思っていた。
「ふうん」
相変わらずのそっけない返事。
「いつもどおり優しくて、あの先生大好き」
おかげで今日は気分がいい。その気分のよさを共有したかったのに、誠悟は大きなため息をつき、俺の額を指でぐりぐりと押してくる。
「またそれか」
「いいじゃん」
額を押す指を握り、ぽいっとして離させる。
「越志は優しくされるとすぐ好きになるだろ」
あきれ顔で俺を見る誠悟の目が冷たい。そんな目で見なくたっていいじゃん、と思うけれど、誠悟はいつもこうだ。
「だってすごく優しいんだよ、好きになっちゃうって」
俺の言葉に誠悟がもう一回ため息をつく。はぁああ、とすごく大きなため息。
「それに比べて誠悟は優しくないよね。いつも厳しいことばっかり」
「現実を言ってんだよ。ついでに言えば、医者が優しいのは仕事だからだ」
またそういう意地悪なことを言う。
「そんなのわかってるよ」
「わかってないだろ」
「……」
それに歯医者の先生は優しいだけじゃなくて恰好いいんだから、と言おうとしてやめる。誠悟に言ったところで、「だから?」と返ってきそうだ。自分の顔で美形は見慣れている誠悟には、平凡な俺の感覚なんて理解できないだろうし。
まるで俺の頭の中を覗いたように誠悟が冷めた目で見てくる。
「先月は風邪でかかった内科の先生が好きって言ってただろ。その前は越志が定期落としたのを拾ってくれたサラリーマン」
「よく覚えてるね。あの先生も、拾ってくれた人も優しかったんだ」
内科の先生は丁寧に話を聞いてくれて、笑顔まで優しかった。熱が高くてつらそうだね、と声をかけられたらぽうっとなってしまった。翌日には熱が下がったから、薬よりもあの笑顔が効いたに違いない。
定期を拾ってくれた男性はお礼を言ったら、気をつけてね、と声をかけてくれた。優しくて好きになった。
「軽すぎ」
「違うよ。ちょっと惚れっぽいだけ」
「自分でわかってんのかよ……」
ますます手に負えない、と誠悟がまたため息をつく。ため息のつきすぎで空気が抜けてぺったんこになるんじゃないか。
確かに優しくされたからって好きになるなんて軽いかもしれないけど、それで相手に固執するわけではないんだからいいじゃないか。ただいつでも幸せな気持ちでいたいんだ――なんて、誠悟に言っても通じないだろうけれど。
「……ずっと気になってたんだけど」
誠悟が真剣な表情をするので、なんだ、と身構える。こういう顔をするときはなにか怖いことを言うときだ。
「な、なに?」
「優しくされたら誰でも好きになんの?」
なんだ、そんなことか。だったら怖い顔をすることないのに。
「そういうわけじゃないけど、でも優しい人は好き」
真実そのままを答える。言ってから、いつものように「頭の中お花畑」とか言われるかもしれないと思ってもう一度身構えると、誠悟が引き結んでいた唇をゆっくり開く。
「じゃあ、俺もおまえに優しくする」
「え?」
どういうこと、と誠悟の顔をじっと見る。整った顔で真剣な表情をされると気迫がすごい。
「とことん優しくしてやるから、俺を好きになれ」
授業中、あれはなんだったんだろう、と誠悟の言葉を思い返す。俺を好きになれ、って、誠悟は意地悪だから無理だ。でも優しくするって言っていた……いや、元が意地悪で厳しいんだからできるわけがない。高一で知り合って一年以上経つけれど、いつも厳しいことばかり言うんだ。それでも誠悟は根がいい奴だから一緒にいて楽しい……恰好よくてモテるくせに俺とばかりいるのは不思議だけど。
でも恋愛的に好きかって聞かれたら違う。だって俺は優しい人が好き。
誠悟も優しくするって言っていたから、俺は誠悟を好きになる? ――ううん、ならない。なるはずない。それに誠悟はもともとが意地悪なんだからそう簡単に優しくなんてできないに決まっている。
……授業に全然集中できない。
お昼休みになり、パンを買いに購買に行こうとすると誠悟に呼び止められた。
「もう買ってある。越志はいつも同じパン食べるからそれ買ってきたけど、合ってるよな?」
「そうだけど……急にどうしたの? そんなのしてくれたことないじゃん」
問いかけると優しい微笑みを向けられた。
「優しくするって言っただろ? だから――」
「……『だから』……」
誠悟の言葉は続かなかったけれど、朝の言葉を思い出す。授業中にも何回も思い出した言葉。
――俺を好きになれ。
かあっと頬が熱くなり、誠悟の微笑みから目を逸らす。
「こんなの反則」
「正攻法だ」
文句を言うと誠悟はちょっと意地悪に笑い、その笑顔を見てほっとした。このほうが誠悟らしい。でも優しい誠悟も悪くない……かも。どきどきしながら俺の席で二人でパンを食べ始めると、女子が三人寄ってきた。
「誠悟くん、ちょっといい? 話があるんだけど……」
三人のうちの一人が頬を赤く染めて誠悟に声をかける。あ、これは告白パターンだ、とぼんやりその様子を見ながら、かわいそうなことに誠悟は冷たくあしらうんだよな、と見慣れた光景を想像する。
「せっかく声をかけてくれたけど、ごめん。もう食べ始めちゃったから」
「!」
誠悟が優しく接している……。その微笑みに女子三人がぽうっと赤くなり、それから「こっちこそごめんね」とぱたぱた去って行く。告白はいいんだろうか。……いや、この微笑みに「それでも!」と言う勇気がなかったんだろう。ある意味かわいそうだ。
「どうした?」
「え?」
「食欲ないのか?」
パンを食べずに誠悟を見ていたら心配そうな表情で聞かれ、優しくされているのにちくりと胸が痛む。
「そんなことない。……食べるよ」
でもなんだかお腹が食べ物を受けつけない。もやもやするし、なにかがおかしい。それでも無理矢理食べると味がしない。
「越志、口元にソースついてる」
「え、どこ?」
指で拭おうとしたら、誠悟がこちらに手を伸ばしてきた。
「ここ」
唇の端を指で優しく拭われ、心臓が大きく跳ねて頬がどんどん熱くなっていく。少し俯いたら誠悟がちょっと笑うのを感じた。
「……こんな王道な手には引っかからない」
「そういうとこ、すごくかわいい」
「反則反則反則!」
誠悟の微笑みに俺がわめくと頭をぽんぽんと撫でられて、また鼓動が速くなる。
「ほんとにかわいいな」
「っ……」
なんだよ、これ誰だ……。優しさにどきどきしながら違和感を覚える。一緒にいるのが誠悟じゃないみたいで、胸になにかが詰まったような感覚に苦しくなった。
下校のときも誠悟は優しくて、俺は違和感を拭えない。駅で別れるときも「気をつけてな」なんて言われたりして。そんなこと、今まで一度も言ってくれたことはない。どきどきするのに、なにかが違う。
夜、勇気を出して誠悟にメッセージを送る。
『もう優しくするのやめて』
はあ、と一つため息をつき、今日一日の誠悟を思い返す。とても優しくて、誰もがぽうっとなってしまう、まるで王子様のようだった。俺以外の人にも優しく接していて、その微笑みにみんな――男子まで頬を赤くしていた。でもそんなの誠悟じゃない。
スマホの通知音が鳴る。
『越志に好きになってもらいたいからやめない』
え、と思ったら続けてメッセージが届いた。
『なんでやめて欲しいの?』
なんで……考えて納得する。俺は優しい誠悟じゃだめなんだ。
『誠悟じゃないみたいだから』
送信。
そう、誠悟は意地悪で、現実的なことばかり言う。優しくされるのは好きだけど、誠悟には優しくされたくない。いつもどおりでいて欲しい。
もう一つ息を吐き出すと同時に通知音が鳴る。
『いつもの俺だと、越志は好きになってくれないだろ?』
そんなに俺に好かれたいのかと驚き、なんと返信しようか悩んでいたらスマホが鳴った。通知音ではなくて、着信。画面を見ると誠悟から。
「どうしたの?」
『越志はいつもの俺じゃ好きになってくれないだろ? 俺は越志に好きになってもらいたいから優しくする』
一言めからそんなことを言われ、頬が火照り一瞬口ごもる。
「……そんなのおかしいよ。誠悟は意地悪なんだよ」
『なんだそれ。俺だって優しくできる』
「優しくできるのは今日で充分わかった。でも俺は、意地悪で現実的なことを言う誠悟じゃないと嫌だ」
確かに今日一日、誠悟はすごく優しかった、けど……違う。心にある思いをそのまま伝えると、誠悟が無言になった。
『……どういう意味?』
緊張しているような声に、俺も背筋を伸ばす。
「そのままの誠悟がいい」
ちょっと声が震えてしまい恥ずかしくなる。でもこれが嘘偽りのない本心。優しい人は好きだけど、誠悟は優しくないほうがいい。
『それはそのままの俺が好きってこと?』
どくんと心臓が大きく高鳴った。
「えっと……」
好き? 誠悟を? かあっと頬が熱くなり、誠悟が目の前にいるわけでもないのにものすごく恥ずかしくて、スマホを放り投げて逃げ出したくなる。
「は、恥ずかしいよ……」
『は?』
「……好きなんて、そんな……」
『誰でもすぐ好きになる越志が言う言葉か』
確かにそのとおりなんだけど、これは違う……誰でもすぐ好きになるとかそういうことじゃなくて。
「だって、誠悟を好きなんて……そんなの……いや、嫌いじゃないんだけど……」
『つまり好きってこと?』
「それは……」
恥ずかしくて顔から火が出そうだ。ビデオ通話じゃないのに誠悟にこんな状態の自分がばれているのではないかと思うとどんどん頬が熱くなり、耳まで熱くなってどきどきも加速する。誠悟は意地悪だから好きになるはずがない、そう思っていた。
『俺のこと、好き?』
「……そんなのわかんないよ」
嘘だ、わかっている。こんなにどきどきしているのをごまかせるわけがない。恰好よくて意地悪で、俺に現実ばかり見せて……それが誠悟。俺はそんな誠悟が――。
「ちょっと……待って」
わかっているけれど、まだきちんと理解できていない。こんな感情……おかしくなりそうなどきどきも、頬が燃えそうなくらいに熱いのも心がそわそわするのも、今まで経験した「好き」と全然違う。
『どのくらい?』
「え?」
どのくらい、って……こういうときは「気持ちの整理ができるまで待つよ」とか「急がないでいいよ」とか言うものじゃないの? 漫画ではそうだ。
『俺は一年の頃から越志の気持ちが俺に向くのを待ってた。あとどのくらい待てばいいんだ?』
そんなに前から誠悟は俺のことを……? どきどきが止まらず、意味もなく部屋中を見回してしまう。
「……明日、話す」
『明日?』
「こ、こういうことは、きちんと顔を見て言いたいから……」
心臓が壊れそうな勢いで脈打っていて、頬の熱さにぼうっとしてくる。部屋の暖房が暑い。
『わかった。じゃあ明日な』
「う、うん」
『楽しみにしてる』
「……」
通話を終えて、楽しみにされてしまった、とスマホの画面を見つめる。メッセージアプリに表示されている文字を目で追ったら緊張してきた。
『越志に好きになってもらいたいからやめない』
明日は優しい誠悟じゃないといいな。いつもの意地悪な笑顔を思い浮かべたら緊張がとけて自然と口元が緩んだ。誰に言うでもなく、おやすみなさい、と呟いてベッドに入る。眠りの世界に旅立つまで誠悟のことと明日のことを考えた。ちゃんと言えるかな、言わなくちゃ。
その夜、誠悟の夢を見た。
俺の隣で幸せそうに微笑む姿に、俺も幸せな気持ちになった。
END