第二話 「届かない主張」
かの有名な文豪、芥川龍之介は死ぬ前にドッペルゲンガーを見たらしい。
ゲーテも同様に。
私は彼らと違う。
ドッペルゲンガーだと思ったのは、人間だった。
そして、人間を殺した。
一晩中泣き喚いて、疲れて寝てしまったのか、気づけば朝になっていた。
私は起き上がって、テーブルに頭をぶつけた。
疲れ果てて床で寝ていたようだ。
「あなたは『影鬼』だ」
頭に響いた声を思い出し、掌を見る。
夢なんてことはなく、べったりと赤い血が付いていた。
「ははっ、そんな訳……ないよね……」
自虐的に笑って、私は髪をかき上げた。
昨夜と同じように、また涙が出そうになる。
「シャワーでも……浴びよっか」
服を洗濯機に入れて、私はシャワーを浴びる。
熱いお湯が頭と体を目覚めさせると同時に、心の疲れを少し洗い流してくれた。
「とりあえず、大学に行かないと……」
『天守物語』は読めなかったが、大体の話は覚えてる。
講義中にこっそり読むことにしよう。
体を洗い終えた私はバスタオルで体を拭き、大学に行く服装に着替えた。
忘れずに髪の毛をドライヤーで乾かす。
「私が『影鬼』なんて、戯言だ。
戯言なんか気にする必要ないんだ」
自分に言い聞かせて、髪を乾かし終えた。
ブラッシングも欠かさずに行う。
私は極力いつも通りの日常を演じようとした。
「今、何時なんだろう?」
ゆっくりと朝ごはんを用意しながら、スマートフォンで時刻を見る。
「ちょうど、一時限目が始まったところか……」
尾崎教授の講義は三時限目から。
朝ごはんを食べたら、家を出よう。
テレビをつけながら、朝ごはんを食べる。
この時間帯だと、テレビはニュースを報道していた。
「昨夜七時頃、台東区元浅草で『影鬼』が人を殺したとの情報が入りました。
特徴は黒髪セミロングの若い女性で、身長が162cm程度とのことです。
見つけた方はすぐに警視庁防影部に通報してください」
私は持っていたお茶碗を落とした。
黒髪セミロング、身長162cm、若い女性。
そして、昨日人を殺した。
「これ……私のことだ……!」
安心したのも束の間、私はパニックになってしまった。
「違う、違う違う!
私は『影鬼』なんかじゃないっ!」
私はみんなと同じ人間だ!
テレビを消して、頭を抱えた。
耳を塞ぎ、目を閉じて何も知らないでいようとした。
「ほらほら、世間がお前のことを探してる」
頭の中に自分の声が響く。
「私を殺したのが何よりの証拠だろ?
現実から目を背けるのはやめにしたら?」
「うるさい!黙ってよ!」
自分の頭を自分で殴って、耳をくしゃくしゃに塞ぐ。
馬鹿にするように、もう一人の『私』は嗤った。
「お前は人間じゃないから、この世界は生きることを許しちゃくれないんだよ。
聞こえてこない?
お前を殺すためにやってきた者たちの足音が!」
「…………っ!?」
『私』の言う通り、アパートの階段を登る二つの足音が聞こえる。
やがて、それは私の部屋の前で止まった。
コンコンコンコンと四回ノックの音がする。
「環鏡花さんはいらっしゃいますか。
私、防影部の川端と申す者なんですが、いらっしゃったら少しお時間よろしいでしょうか?」
男性の声がする。
優しい口調だが、拒否権はないような意味合いが込められてる気がした。
「早く出ないと。
お客さんはお招き入れるものでしょうが。
私は人間ですって主張できるチャンスだろ」
「黙って……!」
「大人しく出た方が身のためなのにな。
けど、もう手遅れ。
向こうはもう待てないみたいだ」
『私』がそう言ったと同時に、ドアが防影部の二人によって破られてしまった。
一人は短髪で眼鏡をかけていて、もう一人は高校生ぐらいの男子だった。
「おやおや、いるじゃないですか。
いるならいると返事をしていただけないと。
ねぇ、『影鬼』の環鏡花さん」
短髪の眼鏡、おそらく川端という男が卑らしく笑った。
手には銀色に光る槍が握られている。
「川端さん。早く討伐してしまいましょう」
ミディアムヘアの優しそうな青年が言う。
青年の手にも銀の剣が握られていた。
「待て待て。落ち着くんだ、赤座くん。
我々防影部はこいつら『影鬼』に罪の重さを自覚させなきゃならないのだよ」
「そういうもんなんですか?」
「先輩の私が言うことに間違いは無い」
二人が呑気に話してる隙に、私は勢いよく外へ飛び出した。
「何で、何で私が殺されるの?」
意味が分からない。
ただ、普通に暮らしているだけで、別にそれ以上の事は望んでいない。
暖かな家庭で育って、友達はいないけど、それなりに楽しく日々を送ってた。
私は何を間違えたのだろうか。
「はい、そこまで〜〜!」
川端の声がして、急に腹に激痛が走った。
恐る恐る見ると、銀の槍が私の腹を貫いていた。
「あなたに逃げるなんて選択肢はないですよ。
黙って死ぬか話して死ぬかの二択です。
どっちにしろ結局死ぬしかないんですよね!」
ニヤニヤ笑いながら私を見下ろしてきた。
そして、腹から槍を引っこ抜く。
「ガフっ!」
血を閉じ込めていた蓋が抜け、出血がひどくなった。
腹が灼けるように熱い。
「私も慈悲の心ぐらいは持ち合わせてますからねぇ。
最後に遺言くらいは聞いてあげますよ」
はい、どーぞと私にマイクの手を向けてきた。
私、死ぬのかな。
後悔はたくさんある。
まだ読みたかった本があるし、もっと多くの本を読みたかった。
もっと贅沢を言うなら、友達が欲しかった。
何で、死ぬ間際になって色々願望が出てくるんだろう。
いや、
何で、私がこんな目に遭ってるんだ?
「私は……人間……です」
かろうじて声を出す。
言いたいことを必死に考えて、言葉を紡ぐ。
「でも、どうやら私は……人間じゃないみたいで……そう思ってたのは私だけだったようです……」
言葉を発するたびに涙を流してしまう。
信じられないほど感情が昂っている。
「人間として……生きてきたつもりでした。
私が『影鬼』だなんて微塵も知りませんでした……」
この人たちはどんな気持ちで聞いてるのだろう。
早く終わってくれとか何を馬鹿なことをとか思ってそうだ。
「知らずに生きて……殺されるのは間違ってる!
私は、何も……何も殺されるような事はやってないっ!
殺されるのは理不尽だっ!!」
感情が溢れ出し、嘆き、叫んだ。
とても醜い様だ。
「聞くに耐えませんなぁ。
あなたは現に人を殺しているし、そもそもこの国では『影鬼』として生きてるだけで殺す理由になるんですよ。
ご理解いただけましたなら、今すぐ死んでもらいましょう!」
川端が素早く銀の槍を下ろした。
走馬灯が見えて、死んだと思った。
脳がフラッシュバックした。
死んだ。
だが、
死なないばかりか、一向に激痛も走らない。
何が起きたの?
「私たちは確かに罪を犯している。
だが、それは人間も同じ。
人間も気づかないだけで、数え切れないほどの罪を犯している」
目の前には知らない女性が立っていて、銀の槍を受け止めていた。
ショートボブの薄緑の髪と水色の瞳をした、私の背丈より少し高い美人だ。
「ほう、仲間がいたとは意外ですね!
この女だけでは殺し甲斐がなかったもので!
殺れ、赤座くん!」
はいと返事をし、赤座もその美人に襲いかかった。
その美人は二人の攻撃を簡単にいなすと、私を抱えて退いた。
「私は不必要に命を奪う事はしない。
だが、身を守るための殺傷は別に躊躇しない。
どうか、二人共帰ってほしい」
美人は振り向いてそう忠告し、私を連れてこの場から離れた。
死んだと思ったのに……、また私は生き延びた。
それよりも、この人物は私をどうするつもりなのだろう。
訊ねようとしたが、私は気を失ってしまった。
そのため、その人物が言ったことを聞き逃してしまった。
「これから、あなたを『地下の家』に連れて行く」




