人滅6:ハーフエルフ
謁見の翌日、メルフィーナは魔法具研究所を訪れていた。
エルフ族は魔法力では悪魔族に劣るものの、魔法具の作成技術では全種族で最も優れた技術を有している。この研究所はその魔法具を研究、開発するための専門機関で、メルフィーナも研究員として名を連ねていた。
「おはようございます、システィーナさん。アリシアはもう来ていますか?」
システィーナはもともと宮殿で女官として働いていたが、メルフィーナの推薦でこの研究所に入ったという、少し変わった経歴の研究員であった。そういった経緯もあってか、メルフィーナのことをよく慕っている様子だった。
「メルフィーナ様、お帰りになられていたのですね。アリシアはメルフィーナ様が連合会議に出立されてから、ずっと研究室に籠っております」
ハァ……と小さくため息をつくメルフィーナ。
「いつものことですね。誰かが止めなかったら、ずっと研究室から出ないんじゃないかしら、あの子」
「メルフィーナ様がいらっしゃらない時はいつもこの調子です。研究所に来た当時のことを思えば、食事をとるようになっただけでも進歩したと言えるかもしれませんが……相変わらず湯浴みはしていないようなので、少し臭うかもしれません」
「……いつものことですね」
苦笑交じりにメルフィーナがそう言うと、システィーナも苦笑いでそれに応えた。
「それでは、私はアリシアのところへ向かいます。少し込み入った話があるので、研究室には誰も入らないようにと伝えておいていただけますか?」
「かしこまりました」
メルフィーナはシスティーナと別れて、アリシアのいる研究室へと向かった。
アリシアの研究室についたメルフィーナはトンットンッと扉をノックしてから中にいるであろうアリシアに呼び掛けた。
「アリシア、います―――」
「メル姉さまっ!」
呼び掛けが終わる前に、銀髪の小さなエルフは扉を勢い良く開けて、メルフィーナの胸に飛び込んだ。このエルフこそ人間族とのハーフ、アリシアである。
本来、エルフは美しい金色の髪をしており、生涯その色が変わることはない。しかし、人間族の血の影響なのかアリシアの髪は年と共に少しずつ色を失い、齢百を数える前に今のような銀色となったのだった。しかし、特徴的な尖った耳や体の成長速度、魔力を有している点など、髪の色以外は彼女は普通のエルフと何ら変わりなかった。髪を隠せば、彼女が純粋なエルフでないと気付く者はいないだろう。
もし、彼女に突出した魔法具研究の才がなければ、ハーフであるということも大きな話題になることはなかったかもしれない。しかし、才能が見出され、齢百そこらの若いエルフとしては異例の魔法具研究所の研究員となってからは、ハーフであるということは悪い方向に噂されるようになってしまった。その時に彼女を支えたのがメルフィーナだった。噂はアリシアの実力が知られるようになって止んだものの、それ以来、彼女はメルフィーナを実の姉のように慕うようになったのである。
メルフィーナはアリシアの頭を優しく撫でながら語りかけた。
「ただいま、アリシア。今日はあなたに大事なお話があって……」
べとついた感触に気付いたメルフィーナはいったん言葉を切った。そして、頭を撫でていた手を少し嗅いで、目をパチクリさせてから続けた。
「……来たのですけれど、まずはお風呂に入りましょうか?」
「やったー! メル姉さまとおっ風呂、おっ風呂」
メルフィーナは手慣れた様子で無邪気にはしゃぐアリシアの手を取って、彼女を研究所内の大浴場へと連れていった。
大浴場は研究員なら誰でもいつでも利用できるようになっていたが、まだ昼前ということもあり他に利用者はいないようだった。メルフィーナはアリシアの全身を念入りに洗ってから、2人で湯船に浸かった。
「メル姉さま、さっき言ってた大事なお話ってなーに?」
「それは研究室に戻ってから話そうと思っていましたが、幸い誰もいませんし、ここの方が都合が良いかもしれませんね。少し待っていてください」
そう言うとメルフィーナは一度、湯船から上がり誓約の指輪を取って戻ってきた。
「この指輪が何かは知っていますね?」
「知ってるー! 誓約の指輪、別名『結婚指輪にしたら絶対に後悔する指輪』でしょ?」
「……その別名は初めて聞きましたけど、それです。下町ではそう呼ばれているのですか?」
「私がそう呼んでるの!」
人差し指を立てて小刻みに振りながら得意そうな顔で話を続けるアリシア。
「これに結婚の誓いなんてしたら、それはもう呪いよね!」
「アリシアの発想はとても参考になります。その自由な発想が次々に新しい魔法具を発明する原動力なのかもしれませんね」
「えへへー、褒められちゃった」
人差し指で鼻下を掻きながら嬉しそうな表情を見せるアリシア。
アリシアが姉のようにメルフィーナを慕うように、メルフィーナも自分とは正反対に自由で表情豊かなアリシアを妹のように特別に思っていた。しかし、彼女はアリシアの類稀な魔法具の才に対して、畏敬の念も同時に抱いているようだった。
メルフィーナは自分が身に着けている誓約の指輪をアリシアに指し示して話を続けた。
「私が身に着けているこれと同じ内容が、この指輪にも刻まれています。これはとあるプロジェクトの参加者が着けることになっていて、我が国だけでなく、世界にとって大事な事案です。同時にあなたにとってはおそらく辛い内容が含まれています。今はこれだけしか話せませんが、着けてくれますか?」
「私はメル姉さまを信じてる。もちろん着けるよ!」
曇りのない純粋な眼差しを向けられ、自分の狡さと残酷さを実感したメルフィーナは彼女と目を合わせていることができずに視線を逸らした。
(これで本当に良いの? 彼女はこの先、どれほどの業を背負うことになる? あれほど慕っていた父親の種族の滅亡に手を貸させるなんて、いくら何でも……いや、アリシアの協力がなくともプロジェクトEの達成は必須。アリシアならその先を見据えることができる、だからこそ協力が必要なんじゃない。覚悟が足りていなかったのは私自身ね)
メルフィーナは決意をしたように真剣な眼差しでアリシアと再び目を合わせた。
「……メル姉さま?」
「アリシア、何があっても私はあなたの味方ですよ」
メルフィーナはアリシアから一切目を逸らさずに、彼女の指に誓約の指輪をはめた。
瞬間、誓約の指輪に刻まれた内容がアリシアの頭の中に入ってきた。
「……人間を滅亡させる、か。私が作ったおもちゃで何回やっても人間はダメなことしちゃってたもんね。仕方……ないよ」
悲しげな表情で語るアリシア。
メルフィーナはそんな彼女を優しく抱きしめた。
「アリシア、辛い役目を負わせてしまってごめんなさい」
「メル姉さま……私、姉さまがいればきっとなんだって乗り越えられる。必要なお手伝いならなんだってする。だから……だから……」
アリシアはメルフィーナに強く抱きついて、振り絞るように言った。
「ちょっとだけ泣いてもいい……?」
メルフィーナが頭を撫でると、アリシアは堰を切ったようにわんわんと泣き出した。