奏でる過去と未来から 05
なんだこの状況は。
湯気を立ち昇らせながらぐつぐつと煮込まれる食材を見ながら思う。
今自分は菜箸を持ったまま鍋の前に立ち、迷惑な来客一人はうわー歴史遺産だわーとか言いながらテレビのリモコンをいじっている。もう一人は得体のしれないその機械から出る音と映像が恐ろしいのか、こわばった表情で姿勢正しく正座したままじっと動かないでいる。
何がどうしてこんな怪しいメンバーで食事を共にすることになったのか。
自分でも理解できないまま、豆腐が魅力的に煮込まれた所で留衣の意識は現実に戻った。
「いただきまっすと」
「い、いただき、ます」
「…いただきます」
リビングのテーブルに置かれた土鍋を前に、食事前の挨拶だけは悲しいかな揃っていた。同じ言葉でありながら三つすべての感情が違ってはいたが。
「うまそー。やっぱいつの時代も肉だな肉」
あぐらをかきながら嬉々として箸を突っこむ男からは憎たらしさが消えていて、興味はテレビから鍋へと移り変わっていた。
「勝手に押しかけといてせめて手伝うくらいしたらいのに」
「材料買ってきてやっただろ」
「それは、そうだけど」
「あと俺料理作れねー」
「あーそうそうはいはい」
先ほどから留衣はすっかりくだけた口調に戻っていた。
被害者である自分が、敬う部分もない相手に敬語を使うのもおかしい、と大根を切っている時に思い始め、牛肉を放り込んだ時に決定した。
横目でちらりと村下少年を伺うと、箸や器の使い方は問題ないようだが大量の食材や調味料に困惑している様子で、一心不乱に鍋と手元の器とを往復している男の手を見つめては同じように箸を動かしている。
慣れないその様子がおかしくて、ナイフとフォークじゃないし江戸時代とそんな変わらないメニューじゃないかな、と思う自分に、またしても二人の手の込んだ作り話を信じそうになっていた事に慌てる。
留衣自身も空腹には勝てず、生でも食べられそうな上質な肉を頬張ると、滅多にやってくることのない高級品に腹が踊りながら喜んでいるのを感じる。
一人暮らしを始める際、必要でしょ?と母から半ば押し付ける形で渡された土鍋セット・大の方を使う日が来るとは思っていなかった。
おそらく友人同士で集まった時に、といった理由なのかもしれないが、残念ながら今の所そんな予定はなく、こんなことになってますお母さん。と脳内で語り掛けていた。
「あー。えーっとあーっと…」
「なんだよ急に気持ち悪いな」
黙々と食べ続けていた中突如唸りだした留衣に、豆腐をよそいながら男が言う。
食べている時は静かなのに口を開くと苛立つ言い方しかできないのか。
軽くにらみをきかすと、留衣は反対側へ首を振り質問を再開した。
「村下くん、えー、昨日?あーあの後…っていうかうちに来た後、ど、どうしてたの?」
「どうしてた?とは…」
質問の意図が掴みかねないといった様子で、村下は箸をおくと両手を膝の上に揃え、留衣に向き合う。
「えっとその、私が寝ちゃった?後どうしてたのかなとか、そうだその服!とか、江戸時代にはそんなのないでしょー」
「ああこれは朱彦さんに頂戴いたしました」
「あけひこさん?」
初めて聞く人の名前らしきものにぽかんとしていると、少し明るい顔色になった村下が自分の向かい側へと顔を向ける。
「ん。俺だけど」
汁を飲み干して満足したのか、後ろ手をつきながらテレビを見ていた男が反応する。
「いや初めて知りましたけど!」
「いや言ってねーし」
「聞かれずとも名乗れば?!ほぼ犯罪で人の家押しかけてんだから住所氏名年齢職業名乗れば!?」
胸倉でも掴みそうな勢いの留衣に、自分の発言に問題があったのかと勘違いした村下が「申し訳ございません」と嘆きながら頭を何度も下げている。
面倒そうに半目でそれを眺めると、勢い負けした男はため息をついた。
「朱彦でーっす。どうもーよろしくー」
「自己紹介で馬鹿にされてる気がするように感じるのは初めてだわ。苗字は?」
「あーいいよ多分覚えらんないし」
「覚える気ないからいいよ。何で、長いの?」
「じゃ何で聞くんだよ。なげーし発音しづらいからいい。後なんだっけ?」
まだ完全ではないが、そこまで重要な情報でないかと大人になって堪える。
「…じゃあ年は」
「…」
口を開いたものの、なかなか言おうとしない朱彦を不思議に思うがここは確かめておきたい所だ。
「そんな照れるとこ?若く見えるけど実は未来技術で若作りしてるおじさんとか?」
「…う」
「え?」
「…十九」
なんだ、年相応じゃないか。何がそんなに言いづらかったのかしらないが、怒りや戸惑いではない照れにも見えるその答え方の意味が分からず、顔を背けてしまった朱彦にこっちが困惑してしまう。
村下といえば名前以外知らなかったのか、新たな朱彦の情報に控えめながら興味を持って聞いていた。
「えーと、じゃあ職業とか学生か。もし大学とかが二百年後にもあればだけどー」
年齢も思っていた通り年下だと判明し、気持ち的にも年長者として余裕が出てきた気がして、
多少嫌味っぽく聞いてみる。
すぐに言い返してくるかと思った朱彦の顔が、急に真顔を見せてきて思わずびくりとする。
それは勝手な要求を突き付けてきた、昨日と似ているものだった。
「博物館」
「え」
「博物館…みたいな所にいる」
「へ、へーそうなんだ。あーだから江戸時代とか歴史詳しいんだ」
「違う。俺はお…」
「お?」
「おっ………」
急に喉がつまったような、それ以上言葉を続けなくなったまま俯くと、数回激しく咳こんだ。
「ちょ、ちょっと、大丈夫?」
気管を痛めるような咳の連続にさすがに心配になり、思わず手を伸ばす。
「俺の事はまあいいとして」
けろっとした様子で朱彦が態勢を元に戻し、留衣の手がピタリと止まる。
もしかして都合の悪い質問をごまかそうとむせたフリをしたのではという考えまで及び、
やはり好きになれない相手だと拳を握りしめる。
「村下に聞きたい事あんだろ」
「聞きたいことって」
改めて言われると何を聞いたらいいのか戸惑ってしまう。
そもそも江戸時代からタイムスリップしてきたなんて特殊な状況の相手と何を話せばいいのか。
未来から来たと抜かす怪しい男についてもまだ解決していないというのに。
「えっと……村下くん」
「は、はい!」
話しかけられた事で真っ直ぐな姿勢が反るほどに伸びた。なんでもこい、といった覚悟さえも伺える緊張した真剣な面持ちに、留衣の方が押されてしまう。
力強い瞳は健在で、自分の目を真っ直ぐに捉えようとする少年になんとか語り掛ける。
「……今は、ちょっとは落ち着いた、のかな?」
「…」
真っ先に浮かんだのは自分の状況に絶望し、青ざめた昨日の表情だった。
今こうして食事を共にし、様子を見た限りでは緊張や戸惑いは感じるものの、あの時のような絶望はないように思えた。
「…今も、信じられてはいません、が……受け入れる、しか、できないのかと、思うように、しています」
きつく握りしめられた両手が白くなっているのが見える。
途切れながらも凛とした声で発せられたそれは、留衣に話すというより自分に言い聞かせるためのものであるようだった。
絶望している。今のこの状況は夢だと思っている。
ただそれを周りに見せないようにしているのが感じ取れる村下の姿は、昨日とはまた別の意味で留衣の心を締め付けた。
「その、えーっと江戸っていうか、自分が元いた所の事とかは、覚えてるの?」
村下の覚悟に下手な口出しをしないよう、留衣はまた別の問いを投げかける。
「はい…。風景と言いますか過ごしておりました町の事は、記憶には」
「そっか」
「今私がおりますこの場とは、全く似ても似つかないもので」
後半苦笑混じりになった声は、眉を下げ諦めの入った表情から告げられた。
「はっきりとしているのは、師匠が修理に出しておりました撥を受け取るよう申し付けられており、それを受け取った後だったという事です。急ぎ届けねばと足を走らせていたとは思うのですが、ですがその、あの…」
言葉を止め、外された視線と共に次の言葉を迷う村下の姿を見て察する。
「あ、そっか。私自分の名前言ってなかったんだ。川崎留衣です。よろしくお願いします」
言い終わり、軽く礼をする。あまりにも今更に思えて、少し笑ってしまう。
「えっと、かわさき様の」
「あはは、私も留衣の方でいいよ。苗字じゃ会社みたい」
「かいしゃ?」
「あ、ごめんなんでもない続けて」
一つ一つの単語を説明しながら返す村下とではなかなか話が進まないと理解した留衣が先を促す。
「はい、留衣様の…あの棚から出てきたというのは、私にもさっぱり何のことやら分からないものでして」
「まあそりゃそうだよねえ…」
申し訳ございませんと深々と頭を下げる村下を止めながら、留衣は頭を人生で使ったことのない速度で回転させていた。
もし、万が一、そうと信じるわけでは決してないけれど。
もしこの少年の言っている事が本当だとしたら自分に何ができるのだろうか。
困っている人がいるから助けたいという無償の親切心は一部。
正直なところ、大半を占めるのはこのままではこの少年の面倒を見るのは自分になるのではないかという焦りだった。
警察に届け出た所でまともに対応してくれるとは思えない。児童相談所も同じだ。
今までの自分に経験のない状況の為、考え付くのはドラマで出てくるような場所しかないが、
ネットで調べれば手を差し伸べてくれるところがあるのだろうか。
< 子供 保護 タイムスリップ 江戸時代 >
ない。いくら間に半角スペースを入れて検索したからって解決するはずがないこんなもの。
まずなぜ自分の家の押し入れから出てきたのか。そもそもが分からない。
彼の走っていたという場所が現代の自分の部屋の場所に当たるとかそんな単純なことしか思いつかない。
それかこの少年が実は自分のご先祖様で子孫である自分の元へやってきた…とかそんなどこかのSFマンガみたいな。
大人として取るべき行動を悶々と考えている中、一番聞いておきたかった質問が思い出され、声を小さくして村下に近寄る。
「あと…」
「はい」
「絶対ないと思うから確認として聞くんだけど、そんなことあるわけないだろうから一応聞くんだけど、まさかあいつとグルじゃないよね?もしそうだとしても何か弱みを握られてるんだよね?大人の嫌な力を使って付き合いたくもないのに仕方なく一緒にいるんだよね?」
「聞こえてるぞ」
後ろ手に体重をかけた先ほどまでの状態から更に低くなり、片手で頭を支えながら横向きに寝そべりテレビを眺めている。自宅でくつろいでいるかのような姿だ。
手で塞がれていない片耳は確認以外の意味を含む留衣の言葉をしっかり拾っていたようだ。
「いえいえとんでもございません、朱彦様は大変お優しいお方です!この着物もここで動きやすいように、と私をお気遣いいただいたのですよ」
「あーそういえば…」
体を乗り出して力説する村下の朱彦に対する信頼は厚いようで、口調と違い子供らしい明るい顔が輝いた。
今の姿が自然なせいで忘れていたが、昨日の汚れた道着姿のままでは普通に外を歩くのは難しいだろう。シンプルだが快適そうな洋服は村下に似合っていた。
よく見ると顔にあったような擦り傷も薄くなっていて、まさか手当までするような優しさがあったのかと疑い半ばで留衣が話を聞いていると、村下が続ける。
「それに昨日も」
「昨日も?」
「過呼吸?というもので倒れてしまった留衣様を寝床まで運ばれたのも朱彦様ですし、呆然としている私に暖かい鍋をお出しいただいたのもあけ」
村下が話し終わる前に、突如部屋全体に大音量の音が流れ出す。
「うるさっ!なに!?…って勝手に何やってんの!」
人間の鼓膜と近所への迷惑を考えない爆音に目をやると、横向きからうつぶせになってテレビ下のCDラックを漁っていた朱彦がいつの間にかプレーヤーを起動していた。