奏でる過去と未来から 04
「よー。お疲れさん」
それが自分に向けられた言葉だと理解するのに数秒かかった。
我が家の玄関前に座り込み、背をもたれかけさせている時点で来客だと分かるが、まさか昨日夢だと処理をした人物が再び何のためらいもなく現れるとは信じられなかった。
「…!……!!………!!!」
「なんだよやたら遅いと思ったら寄り道かー?こっちは長らく待ってやってるっつーのに」
驚愕のあまり留衣が階段を登れないまま固まっているのもおかまいなしに、昨日黒川運輸の配達員だった男は、レンタルショップの袋を見て不機嫌そうに言い放つ。
今はベージュのチノパンにチェックのシャツ、黒いダウンベストを身に着けており、足元はスポーツブランドのスニーカーだ。
外見の良さも相まって一見爽やかな大学生風に見えるが、傍若無人な一連の態度を思い返すと、恐怖と腹立たしさしか出てこない。
留衣は男を見つめたまま半開きになっていた口を閉じ、なんとか唾を飲み込む。
「…な、ど、なにしにっ……!!」
「やーだからギターを聞きに」
「警察呼びます!!」
「…」
反射的に叫んだ留衣の言葉に、整った眉根を寄せて男はいらつきを表現していた。
世の中の女性の大半が好みそうなむっとしたその表情は「かわいい(ハートマーク付き)」と言われてもおかしくはなさそうだったが、顔で世の中渡っていける理解してる男なんてろくなもんじゃないですよ、と留衣はいもしないどこかの女性達に演説をしていた。
「あーそしたらこいつも一緒に帰すけど?」
言い返す男が隣を指さす。
「えっ…」
そこには体育座りで不安そうにうつむく、
あの少年がいた。
「あ、きのう、の」
男の長身で遮られて見えていなかったようだ。
そうでなくとも小さめの体をより縮こまらせていた少年は、留衣の声に首だけ少しひねると、お辞儀なのか僅かに頭を下げた。
どんな時でもしっかりしているなと場違いな事を思いながら、少年も昨日とは違う服装をしていることに気が付いた。
上着はロングTシャツに、袴はジーンズに、草履はスニーカーへと変わっていて、すっかり近所の中学生に紛れていてもおかしくない姿になっていた。
これではそこら辺歩いてても分からないなあと感じながらも、まとっている凛々しい雰囲気はやはり他の子供とは違うような気もしていた。
「村下くん、だっけ?えっと…」
「…」
「えっと、お父さんとか、お母さんには、会えた…のかな?」
「…」
男に近づくことになるのは避けたかったが、異常な状況を共にした者としては気になった。
留衣は階段を昇りきり背を屈めて問いかけるが、村下は神妙な顔つきなままコンクリートの床をじっと見つめるだけだった。
「お前気遣いとかデリカシーねえんだな」
「は?あなたにだけは言われたくないんですけど」
「こいつが昨日どんだけショック受けてたか見てただろ。なのに親の事とか聞くのかよ。
お前が気持ちよく寝てる間も飯食ってる間も、こいつは自分の事でいっぱいいっぱいだったっつーのに」
言われて気付く事が悔しい。気付かされる事が悔しいが、男が言っている内容は間違いなく正しい。
タイムスリップだとか江戸時代とか話していたのは映画みたいな作り話だとしても、この村下という少年が受けていた絶望は偽れないほど本物だった。
昨日はそれを間近に見て確かに自分も苦しくなったはずなのに、思いやりもない発言をしてしまったことに、恥ずかしさでかっと熱くなる。
「…ごめんね、村下くん。失礼なこと言った」
「いえ」
留衣の言葉に反応してくれた村下だったが、表情は固いままだった。
律儀な性格がそうさせたのかと思うと、留衣は余計に自分が情けなくなった。
「よっし、じゃー取りあえず鍋でも食うか」
「うん………うん???」
気まずい数秒の沈黙を破った声に反射的に返事をしてしまった。
意味不明なその発言が理解できない。
「鍋?」
立ち上がり伸びをしている男に恐る恐る問いかける。
「おう、鍋」
「うちで?」
「おう、お前んちで」
「さ、三人で?」
「おい村下仲間外れにするとかお前大人として最低だな」
「するか!するとしたらあんただわ。っていうかそもそも鍋食べないから!」
「なんだ夜食わないとかダイエットか?」
「そういう意味じゃなくて!」
会話のキャッチボールがこんなにも難しいと感じたのは初めてかもしれない。さすが未来人。
と思ったところで男の言っていることを受け入れてしまいそうになっている事に気づき、急いでその考えを振り払う。
「安心しろ。材料ならある」
なぜか自慢するように下を指さすと、蹲る村下の更に横に袋いっぱいに詰め込まれた野菜や肉が見えた。
「だからそういう問題じゃないって……うっ」
「ん、どーした」
食材が詰め込まれた袋にプリントされた文字を発見し、思わず声が出てしまった。
金城岩井。誰もが憧れる高級スーパーの名前がそこにはあった。
日本のみならず外国からの高級食材も販売していることで有名なその店は、留衣のような薄給独身OLでは到底利用することはなく、いつも眺めるだけの客として訪れるだけだった。
滅多な事ではお目にかかれないその店のつやつやと眩しい新鮮野菜と、美しさと厚みとが金額に比例したパック肉が目に入り、一瞬心が揺れ動く自分が悲しい。
「はっだめだだめだ、騙されるな…」
「独り言はもっと小せー声で言えよ」
整った外見に加え財産まで持ち合わせているとは。
男に対する憎らしさが倍になった所で、理性を取り戻した留衣は身の安全が第一、と警察を呼ぶことを決意し男を睨みつける。
「………あの……」
決意したところで、思ってもみなかった場所から声をかけられ、留衣は驚いて振り返った。
「あの……だ、だいじょうぶですか?」
アニメキャラのような特徴的な声でぼそぼそと喋る言葉をなんとか聞き取る。
扉から半身だけ覗かせ、怯えたようにこちらを伺っているのは、隣に住む女性だった。
確か専門学校に通う学生だったか。
「す、すみません!うるさかったですね!」
「い、いえ…」
女性はおどおどとしながらも気になるのか、ちらりと来客を見る。
しかしニヤッと笑った男と目が合うと、鳥の鳴き声のような小さな悲鳴をあげてすぐに扉を閉めてしまった。
大人しそうな女の子を怯えさせてしまったことにため息をつくが、ふと恐ろしい想像に行き着き確認する。
「あの…聞くけどいつからここで待ってた?」
「覚えてないけど、さっきの女が帰ってきたとこは見たかな」
「うそでしょ」
学生の彼女が帰宅する時間から今まで、一体何時間だろうか。それだけ自分の家の玄関前で座り込まれていた事になる。
それだけの時間、いったい何人がこの訳ありそうな二人を見たのだろうか。しかも自分に用があること確実な場所で。
世間体に思いを巡らせている留衣に、男はさも面白いといった風に言う。
「さっきの女も階段上がってきて俺ら見た時すげー怪しがってる顔してたなー。
ろくに聞かないで行っちまって、お前までやべー奴だと思われてんじゃねえの?」
このままジャンプしてそのニヤついた顔に頭突きをくらわしてやりたい。と思う。思うのに。
「…入って」
いつも以上に重く感じる鍵を開けると、友人の家に遊びに来たような気軽さで男は玄関に上がった。
おじゃましまーすという気の抜けた言葉にも怒りしか湧いてこない。
一方で、ただならぬオーラを漂わせる留衣に怯えているのか、
立ち上がったもののなかなか歩みを進めない村下に、毒素が抜かれた留衣は先を促す。
「…いいよ、村下、くんも。ちょっと話そう」
「…失礼いたします」
ビニール袋を両手で持ちながら、申し訳なさそうに頭を下げる少年に、
このありえない状況を和らげるかわいらしさを感じ、少しだけ自分の中の尖りが和らいだ。