奏でる過去と未来から 02
扉を開いたその先にいたのは、CMでよく見るダークグリーンの制服に身を包んだ男だった。
揃いのキャップ帽もよく似合う背の高いその人物は、爽やかそうな外見を持ちながら、肝心の荷物を持っていなかった。両手をポケットに突っこんでふんぞり返り立つその姿で、先ほどの発言。留衣は半開きにした口を閉じることなく、掴んだ取っ手を押し開けた姿勢そのまま、
扉を閉めた。
「っおい、なに閉めてんだよ」
「ちょっちょっ、と」
男は不機嫌そうに言うと、閉じかけたドアに足を割り入れてきた。思いのほか早い動作でスペースを確保すると、手も差し込んで身を入れてくる。
留衣はまたしても身の危険を感じ、渾身の力を込めて抵抗するが、力の差にはあらがえず、扉は気持ちとは反対の方向へ向かっていってしまった。
「っ……!………!!!」
声にならない声を出しながら、部屋に上がり込んでくる男から後ずさる。怖い。怖すぎる。強盗だ、もしかしてさっきの子の仲間かもしれない。出てくるのを見張ってたのかもしれない。やばい、死ぬ。今度こそ死ぬ。
よたよたとふらつきながら、留衣は後ろ歩きで部屋へたどり着いた。最後はベランダから飛び降りるしかない、二階だから足を痛めるくらいだなんとかなると思っていると、律儀に靴を脱いで上がってくる男の姿が見えた。
物珍しそうにあたりを見まわすその表情は好奇心むき出しで、興奮もなく悠然としたものだった。
「わー狭。ま~でもこんなもんなのか。きっついなー」
部屋の中央までやってきた男は、癖なのかまたしても両手をポケットにつっこみ、天井から床から興味深そうに眺めて感想を述べた。
改めて蛍光灯の下で見てもその姿は女性が好みそうなすっきりとした外見だし、清潔感すら感じられる。ただその口からは人を苛立たせる言葉しか出てこず、何より不法侵入者かつ強盗犯であることを思い出し、留衣は決死の思いでたどり着いたベランダの窓を背にその男に言い放つ。
「っけ、けいさつ!警察呼びます!」
「え?なんで?」
「なんっ…、あっ、あなたが強盗だからでしょ、その子も仲間で!」
言いたいことが上手く文章になって出てこないが、力強く腕を伸ばし倒れている子供を指差す。
「うわびっくりした、え、何こいつ。ぼろぼろじゃん」
「え」
留衣の指す方向を見た男は、虚を突かれたのか小さく体を震わせると心底そう思ったような声で言った。まるでそこに人がいるとは思わなかったというように。
てっきり何か行動をしてくると思った留衣は拍子抜けし、警戒しながらもそろそろと子供に近づく男を眺めていた。
「え、つーかガキじゃん。え?嘘あんたもしかしてこういう趣味…」
「違うわ!」
何か自分にとって良くない印象を持たれそうだったので、勢いよく否定する。
男は怪訝そうな表情のまま上半身だけのけ反らせながら、うつぶせになっている子供を足でつつき、ひっくり返した。
「えええ何なに…怖いんだけど。まさか死んでんの?」
「えっ」
仰向けになった事であらわになったその顔立ちはやはりどう見ても幼く、近所の小中学校にいるのが似合いそうな少年のそのものだった。
柔らかそうな頬に擦ったような跡があるものの、まさか死んでいるとは思えない。思いたくなかった。自分の家にどこの誰とも知らない死体があったなんて、気持ちが悪すぎる。
「ま、さかだって。さっき、さっき喋ってた!喋ってたから!」
「あんたまじかよ…洒落になんねーぞコレ…」
「だから違うって!」
不遜な態度を持ち続けていた男もさすがにこの状況に危機感を持ったのか、引きつった顔で留衣を見る。
今日の自分がとてつもない立場に置かれていることにまたしても種類の違う恐怖を感じ、一気に嫌な汗が噴き出す。何におびえていたのかもすっかり忘れ、留衣は少年のそばにしゃがみ込むと口元に耳を寄せる。
静かだが、しっかりと息があった。
ほっと安堵の息をつきながら、ふと頭が冷静になる。そして、斜め上を見上げ柱に寄りかかっている男を見る。
「……」
「……なんだよ」
「………!!」
そうだ、この男は強盗だった。
留衣はすばやく立ち上がり距離をとると、窓際へ立ち戻り数秒前の続きを始める。
「っじゃあ!警察!呼びます!」
「はあー?だからなんでだよ挙動不審だな」
「あんたに言われたくない、っ変態、強盗!」
「へんた、強盗…はっ、俺?」
男が呆れたように自分を指さす。そしてその呆れ顔のまま言う。
「お前さ、俺ここ来て何分かたつけど強盗だったらこんな悠長にしてると思う?そもそもこんな貧相な安アパートに入るか?こんな一家団欒の時間に?」
何個か的を得ているのが悔しい。
「し、るかそんなの!ご…強盗じゃないにしてもあれだ、ほら、……不法侵入!不審者!」
許可なく人の家に上がり込んだ時点でもうアウトだ。ぶすっと不機嫌そうな顔で立つ男の反論は聞かず、今度こそSOSを求める番号を押しベランダのカギを開け、外に出る。
瞬間に、いつの間にか背後に迫っていた男が高い位置からするりと携帯を奪い、コール音が鳴る前に切るとキッチンの方向へ放り投げた。
プラスチックのケースに入ったそれは、うるさく落ちた後もくるくると何回かその姿を回す。
終わった。と青ざめる留衣に、至近距離のまま男は苛立った様子で告げる。
「だーかーらー、俺はお前がギターを弾いてくれりゃそれでいいっつってんだろ」
まるで子供のように、なぜそんな簡単な事が分からないのだと言いたげに男はむくれる。
なにを言ってるのだこの男は。どうして、なぜ自分が。
ギターを弾ける事を知っているのか。
意味が分からない。目をそらし、そう言おうとした時だった。
「………う…」
うめき声と共に布が擦れる音がして、向かい合っていた二人は同時いそちらへ顔を向ける。
かすかな呼吸をしていただけの少年が、腕で体を支えながら上体を起こしていた。
危なっかしいゆっくりとした動作を見かねて、そして目の前の男の強い視線から逃れたくて、留衣は意識を取り戻した少年の所へ近づいた。
「あ、あの…だ、だいじょう、ぶ…?」
「!!」
起き上がり、うつろな目で座っていたその子供は、留衣の声で初めて目が見えたというように大きく反応した。
意志の強そうな瞳を大きく見開くと、留衣と奥にいる男と、部屋全体を激しく見まわす。
一日でこんなに人に部屋をじろじろ見られたのは初めてだと思いながら、留衣は少年の言葉を待った。自分より動揺している人を見ると、なぜか自分の焦りは薄くなっていくから不思議だ。
「こ…」
「こ?」
あらかた自分の周囲の空間を把握したのか、かぼそい声が聞こえ、留衣は耳を澄ます。
「ここ、は……なんでございます、か……?」
わーベタだなー。
と思っても口にはせず、出てきた少年の丁寧な言葉遣いに少し感心する。やはり武道の世界は礼儀がしっかりしているんだなとまで考える。
「えーと、ここは私のうち、なんだけど…」
「うち……」
「えーとえーと…君、は、どうしたのかな?そこの二中の中学生?小学生じゃないよね?」
「にちゅう……しょうがくせい…?」
「……うー-ん」
まさか厄介な事に記憶喪失にでもなっているのか。恐る恐る聞く質問一つにも全く理解できないといった様子で、少年はたくましい太眉を寄せるだけだった。
その様子を、立ったまま壁に寄りかかる黒川運輸らしきの男は腕を組んで眺めていた。
「あー、えー、っとね、状況を言っちゃうと君が、あなたがここから急に落ちてきたんだけど」
開きっぱなしになっている襖を指さすと、少年はつられるように素直にそちらへ顔を向ける。
「落ちて…?まさか。こんな所から人は出てきませんよ」
「うん。だから私もおかしいと思ってるんだけどね」
この様子じゃ何を聞いてもダメかもしれない、と早々に諦め、留衣はため息をつきしゃがんで目線を合わせる。
「あー…まあ悪いけど、とりあえずどうにもならないし警察いこっか…。お父さんとか。お母さん呼べる?」
その瞬間、少年の表情が変化した。自らの失態を思い出したというように、分かりやすく青ざめてしまった。
留衣が声をかける間もなく、少年は自分の周囲を素早く見回し、そして更に先ほどまでの動きづらそうな様子を一ミリも感じさせず立ち上がると、自分が落ちてきたと言われた押し入れに頭を突っこみ何かを探し始めた。ついに泥棒の本性を発揮したかと、留衣は必死の形相で漁りだす少年を慌てて止めに入る。
「ちょっちょっちょっ、なになになに!」
「しまった……、やってしまいました!ああもう~~もー!」
「だから何っ、なにが!」
「撥を!師匠からお預かりした大切な撥が無いのです!まさか失くした…?ああ~~」
狼狽している少年の勢いに半ば押されながら、"ばち"とはなんぞやと、引き離す手がゆるまる。一拍置いてから「師匠」「撥」と変換するが、慌てているからと言って人の家を勝手に漁られてはたまったものじゃない。
「わ、わかった、わかったから、探す。私も一緒に探すからそれよりまず親と警察にね、」
「急いでいたのは記憶にあるのですが、懐に入れてしっかり抱えていたはずなのです!それをなくしてしまうなどおおお~~」
「わあーそれそのバック高かったんだからそんな雑に持たないでー!」
「おいお前」
狭いところで騒がしく動いていた二人に向かい、それまで静観していた男が声をかけた。
静かなのによく通る声色に、どちらに対して呼びかけられたものかもわからず、留衣と少年は手を止めて振り返る。
「お前さ、どっから来た?」
「え」
問う目は真っ直ぐに少年の方を向いていて、そのなんとも言えない力に疑問を発することができない。
「だからそれはさっきから聞いてるから…」
「あんたに聞いてんじゃねえよ」
留衣が口を挟むが、乱暴な口調のまま言い止められる。押し黙る留衣のこめかみに青筋がたったのは言うまでもない。
「どっから…とは、生まれは、という、事でございましょうか?」
「そうそう、その年の割に物わかり早いな」
「はあ…」
男の偉そうな態度も少年には通じていないようで、間違えてはいけないと真面目な顔で答える。
「私は江戸の生まれ、三味線方見習いの村下玄四郎と申します」
江戸って!
どこまで懐古主義なのだこの子は、と留衣は徹底したキャラづくりに感心すら覚えるが、三味線という渋い習い事の影響かと納得する。この丁寧な言葉遣いも、お師匠さんやら伝統芸能の世界ならではなのかと繋がったが、男は表情を変えることなく続ける。
「そーか…なあ村下、そういや今年って何年だったかな?」
「「は?」」
村下という少年と打ち合わせたかのような揃った声が出た。
この男はやっぱり本格的におかしい人なんだ。かわいそうなものに出会ってしまったと、なんともやるせない気持ちになる。
少年も留衣と同じように感じたのか、恐れよりも可哀想な人だという同情を含んで答える。
「ええと…どうかされたのでございますか?本年は享保二年でございますが…」
「「は?」」
今度は男と揃って声が出てしまった。聞き覚えがあるようなないような年号に懐かしささえ覚えるが、本格的にあぶない人は二人もいらない。
しかしこれも彼の徹底したキャラ作りの為なのかと、ここまでくると呆れてしまう。
「はー………すげえなエドジダイってやつか。うわーすげえ感動」
「…なに言ってんのかわいそうに。ていうかそっちもさっき未来から来たとかアホな事言ってたでしょうが」
「まあ本当だからな」
「はあ?」
腕組みから手をほどいて、男はにやっと口元を緩めながら少年を指さす。
「なあ、こいつに今が何年か教えてやれよ」
「なんなの。ほんとにもういいかげんにして…」
「いーからいーから」
こちらの疲労など意に介さず、留衣の発言を待っている。まったくこれだけ人を腹立たせる才能に長けている人を初めて見たかもしれない。
「平成ですけど。平成三十年。なに、年賀状でも書くの」
「へいせい…?」
真っ先にその言葉に反応したのは男ではなく少年の方だった。先ほどまで男の方に向けていた不安と心配の目線を留衣に向けていることに気づき、そしてその表情が偽りのないものに感じられ、留衣は初めておや、と思った。
「だって。今平成三十年。お前がいたのがキョウホウ?二年。タイムスリップでもしてきちゃったんじゃねえの?」
「はあああ?」
留衣は心底呆れた声を出す。
「タイムスリップとか言っても分かんねーか。時代移動?時間移動っつーの?」
小説や映画の中でしか聞かないような単語を聞き、なぜか聞いている留依の方が恥ずかしさを覚える。不法侵入を逃れようとした苦し紛れの冗談なのか、面白くもない冗談に大人しくしているのも限界だった。
だが、言われた当の本人が顔を固めたまま動かないでいるのを見て、それを咎める声が出せなくなる。
「へいせい?なんですかそれは…聞いたことがありませんが」
「まあ見てみろよ。この景色どうだ?」
男はカーテンを雑に開き、日が沈む暗がりの町を露わにする。
そこには面白くもない、古ぼけたアパートや個性のない住宅、家賃の高そうなマンション、アーケードの商店街など見飽きた景色がいつもの通りに存在している。
それなのに少年は、瞬間で目を見開いて固まった。そして表情を変えないまま、重そうな一歩一歩を窓際へと運ぶ。少しだけ、体が震えているように見えた。
「……そ、んな。そんなこと……おかしい。おかしい………」
ぶつぶつ呟く声はすべてが聞き取れない。
数歩の距離を歩くのが大層長く感じられると、少年は窓にそっと両手を沿わせ、瞳だけで、その風景を眺めた。
「…しかしそんな、そんな事が…だって私は撥をお預かりして、修理のために急いでいただけで……」
窓ガラスに近づきすぎているのか、彼の口元にある部分が白く曇っては消えていく。
もう冗談はやめよう、と言い出せない緊張感と切迫感に、留衣は知らず自身も息をひそめていた。人が絶望している姿というものを初めて見た気がする。しかもそれが自分より年下の小さな子供だということに、当然気分はよくない。
「ま、それはそれとして」
沈黙を気にすることなく破った男の声に、はっと意識が戻る。
「俺はお前がギター弾いてもらえりゃそれでいいからさ、ほら。持ってんだろギター?」
「な、ちょ、ちょっと…」
呆然とする少年の事など目に入らないかのように、目的のものを探すため寝室の方へ頭をのぞかせる男に、留衣は慌てて止めに入る。
「い、いい加減やめてください!さっきから変な事ばっか言って…あの子もなんかすごくショック受けちゃってるし」
「親切に教えてやっただけだろ」
「あ…、あなたやっぱおかしいんじゃないですか?江戸時代とかタイムスリップとかそんな」
「はー-しつけーなあ…そんな疑うんだなこの時代の人って」
長身から見下ろしてくるその顔には、あからさまに面倒くさいと書いてあった。自分よりも若そうに見えるのに妙な威圧感が漂い、正しいはずの自分が屈してしまいそうになる。
「あいつさっき言ってたじゃねえか、江戸とかキョーホーとか。良かったな昔の人間と会えて。良い記念になっただろ」
「は…何それ……。まさか本気で言ってるんですか?あるわけないでしょそんな映画みたいな話」
「じゃああいつの事はどう説明すんだよ。あれ見ても長い冗談だと思うのか?」
男が顎で指す先には、その場にくたりと座り込む少年の姿があった。
その顔はすっかり闇に溶けた町並みに向けられていたものの、瞳には何も映っていなかった。目覚めた彼と最初に向き合った時にあった力強い輝きは消え、迷子に更に喪失感を加えたようなその姿は、見るだけで苦しくなる。
「まあほっとけよ、お前がどうこうできることじゃなさそうだしな」
「……!」
散々この場を混乱させておきながら、自己中心的な発言をする男に怒りが沸点に達する。
「…あの子の、事は別としても!あなたも、大概おかしいですからね、未来から来たとかまた変な事ばっかり…!」
「だからそれも本当だって」
「んな事あるわけない!絶対ない!もしあったとしてもタイムスリップした人と出会うなんて一人の所につき一人って決まってんの!定員一名!二人もいらない!!」
「なんだそれ」
「物語のセオリーだよセオリー!」
今までになかった留衣の勢いに押されたのか、男は鼻から息を吐くとしぶしぶといった口調で語り始めた。
「あー…俺は今から…えーっと………二百年後?くらいから来て~」
「何で自分で言ってて疑問形なの、はいアウト!」
「あんま詳しい事言えねえんだよ、分かるだろこういうの。この時代にもよくあるSF話と一緒だよ、未来の事は喋れねえってやつ。あれほんとにそうなんだもんなーよく考えてるよこの時代のやつらも」
「逸らすな!まず二百年後から来ましたっつって『あ、そーなんですかまあ遠いところからはるばるとお疲れでしょうー』って言える奴いないから!」
「……お前段々口悪くなってきたな…」
なぜか息が切れてきた留衣だが、続けて男の足元に視線を落とし、そろそろと見回しながら続ける。
「それに、なんなのその格好!宅配のお兄さんの服が二百年後では流行ってんの?」
「あー、これはこの時代来る時浮きすぎないよう真似てみて。これ着てた方が大抵の人間家来ても不審に思わねえだろ」
「犯罪者としての才能がありすぎる」
計算しての衣装だったという事か、悔しいながら男からはやはり頭の回転の良さを感じられてしまう。
大人しく話を聞く様子でいる男をどうにかしなければと気持ちが焦り、先ほどから自分でも分かるくらい呼吸が荒い。同時に頭痛もしてきたが、それに構っている場合ではない。
「…ん、お前、なんか変だぞ?大丈夫か?」
不自然に思った男が声をかけてくるが、心配してるふりをして油断させようという考えだろう。見え見えだ。留衣は一定の距離を保ちながら言った。
「さっきの…ギターを弾けって…なんなの、なんでそんな事言うの」
「ああ。最初っから言ってるけど。
俺はお前がギターを弾けばいいんだよ。その為に来たんだ」
その時だけは真っ直ぐに、間違ったことなど何もないような真摯な目で見られ、一層鼓動が早まった。
「なに、…なんで?なんなのそれ?意味分かんないんですけど」
「いいだろちょっとくらい。持ってるだろ?軽くでいいからさ」
ふざけてギターを弾くような動作をすると、男は再び部屋の奥へ入ろうと背を向けた。
「ちょ、やめて、やめてよ」
ためらいなく入ろうとする男に焦って近づき、そのつなぎ姿の背を掴んだ。
「ギターなんてない、そんなの、私にはもう弾けない!関係ないから!」
「んなわけあるか、俺がどんだけ調べてここまで来たか……ってお前、大丈夫かよ?汗やべ」
「そんなのどうでもいいから!もう出てってこの変態……!」
渾身の力を込めて引っ張る。肉も一緒に掴んでいるような気もするが、気にしてる場合ではなかった。
「いって、いてーな分かったから離せって。とりあえず入んねーからじゃあ話…」
留衣の形相に圧倒され、限界まで伸び切った生地を男が慌てて自分の方に引き寄せると、反動で手を離した留衣がそのまま、
勢いよく背中から転んだ。
「…っ!やば、…!」
敷物のないフローリングに響いた激しい音に、男は焦った様子で振り返る。
「っおい、悪い!大丈夫か?おい!」
「ううう……かえれ…。きえろー…このへんたい……」
「俺は変態でも強盗でもねえ!」
男はその長身をかがめて覗き込んでくるようだったが、留衣には段々とその表情が見えなくなってきた。暑いんだか寒いんだか息苦しいんだかわからない自分の視界が、段々と薄暗くなっていくことだけはっきりとしていた。
狭まる意識の中、視界の端にあの少年の姿が映った。倒れた留依に驚き眉を下げて慌てる表情が見える。自分だって人生最大の危機なくせにこちらを心配するなんて、良い子なんだろうなあーとぼんやり考えながら、
意識を手放した。