輝世のテニス見学(前編)
晴れやかな青空の下、夢と希望を追いかけて、ラケットが空を裂く、部員たちのかけ声が、コート中に響く中、白く照りつく太陽は、汗もボールもラケットも、土煙さえ輝かせ、それらすべてを青春の色に染め上げていた。
そんなことより、
「すごいわあ! これが部活動なのね!」
あつい
「みんなキラキラ輝いて、まるで映画の中みたい!!」
アツイ
「ワタシ、見学にきてよかったわ!!!」
暑いのだ。
今日は土曜日、雲一つない晴天の中、お隣さんのヒカリちゃんに連れられて、私こと雛鳥輝世はテニス部の練習を見学していた。太陽の…いや、青春の光に照らされて、テニスコートは燃え上がる。選手を煽る声援とアスファルトから立ち上る熱に浮かされ、私の意識は「さよなら」と手を振っていた。
(どうしてこうなってしまったのだろう)
いや、考えるまでもない。事の起こりは3日前、お昼代を忘れた私のお腹は哀れな悲鳴を上げていた。その様子を見かねて、親友の友恵と、そしてヒカリちゃんは私にお弁当を分けてくれたのだ。
購買部で貰った紙皿の上に一つ、また一つとおかずが並べられていく。無機質な紙皿が小さな宝石箱に早変わりした。ヒカリちゃんからは塩味がしっかり効きつつも、とろりと溶けて甘みを感じられる卵焼き、そして新鮮なミニトマト、友恵からはお米とお弁当の定番、唐揚げを、あとポテトサラダとレタスも少々いただいておいた。・・・・・・友恵から取り過ぎの気もするが、多分気のせいだと思う。思わぬ豪勢なお昼に舌鼓を打つ私を余所に、二人は部活動の話で盛り上がり、見学のこともその時に話していた・・・らしい。らしいと言うのは、私には二人の会話は全く覚えがないからである。その時の私は、目の前の二人の会話が聞こえないほど、ご飯に夢中だったのだ。雛鳥輝世一生の不覚である。あの時、話を聞いておけば・・・
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「すごい! それじゃあ、只野さんはテニス部のエースなのね!」
あたしから見た前原さんの印象は、天真爛漫で好奇心旺盛な少女だ。どんな話題にも食いついてきて、何にでも興味を示す。たまに自己主張の強い時もあるが、こちらが話の流れを合わせていれば、与しやすい相手と言える。すべてを見透かされているようだと怯える輝世の話を聞いて、どんなやつかと思っていたが、なんてことない普通の人だ。どうして輝世が避けたがっているのか、あたしにはよくわからない。ともかく、今は彼女の誤解を解いておこう。
「エースなんて立派なもんじゃないよ、たしかに大会には出るけど・・・」
本当は別の人が出る予定で、と言い切る前に前原さんは食い気味にいいえ、と言葉を返す。
「あなたの頑張りをみんなが認めてくれたんだから、胸を張っているべきよ。」
そう言って自分が胸を張る。真剣な表情の後、ね?と笑う朗らかな笑顔が印象的だ。会って間もない相手に対して、自分のことのように誇らしげな彼女の姿は、なるほど確かに、人を引き込む魅力があった。元タレントという噂も多分本当なのだろう。
(でも、この押しの強さじゃ、輝世はあんまり話せてないな)
本人は避けたがっているが、輝世はたぶん前原さんと仲良くなりたいんじゃないかと思う。輝世はときどき、大切なものを遠ざける。今回の前原さんへの反応もそれとよく似たものだった。輝世に前原さんと仲よさそうだと言ったのも、輝世に自覚させるためだが、今回の輝世はいつにも増して頑なだった。さて、どうしたものか。
「憧れちゃうわ、みんなで汗を流して目標に向かう・・・なんだかとっても楽しそう。」
輝世に減らされたお弁当を早々に食べ終わり、部活でのことを話していた際、ふと前原さんがそんなことを口にした。憧れ、人から憧れられる立場だったろう彼女から、その言葉が出たときは、ああ、やっぱり前原さんも普通の人なんだと、親近感を覚えたものだ。しかし、彼女の語る憧れは、どこか遠く、夢を見ているような、妙な印象が感じられるものだった。
(たぶん、この人は憧れるだけで何もしない)
彼女の目を見た時、ふと、直感的に、でも確信を持って気づいてしまった。
昔、輝世もそうだったから。いつもみんなの輪に入りたがっていたのに、自分には入れないと近づこうとしなかった。あの日、憧れと諦めの目でみんなを見つめる輝世の手を引いた時、ぎこちない顔で笑う輝世の姿は、今でもよく覚えてる。
(しょうがない、何か手を打ってみるか)
気づいてしまったのだからしょうがない。あのときのように、今度はこの笑顔の上手な前原さんの手を引いてみよう。輝世も嫌がっているようで前原さんのことは嫌いではないはずだ。転校したてでまだ部活も決まってないようだし、部活決めにかこつけて、前原さんの暴走に輝世を巻き込めば、輝世も少しは前に進めるだろう。
「前原さん、よかったらテニス部の練習見学してみる?」
見学者は2人までokだから、ひよこのことも誘ってみたら?とダメ押しに付け加え、誘い文句を完成させる。私からの提案を、前原さんは目をキラキラさせて快諾し、その日のうちに見学の手続きをしようとしていた・・・まあ今日はテニス部の顧問はいなかったんだけど。この行動力は輝世にも少し見習ってほしい。
露骨に残念そうな前原さんの様子にも気づかず、挙動不審な様子で前原さんと帰る輝世。漫才みたいな二人を見送り、あたしは放課後の部活に参加する。・・・部活中、お腹が鳴って先輩に笑われた。明日は輝世にパフェでも奢って貰おう、乙女に恥をかかせた罪は重いのだ。
「・・・と言うわけで週末にテニス部の見学に行くことになったから。明日あたり、前原さんから声かかると思うよ。」
などと意味のわからないことを言っているのは我が友、友恵だ。財布忘れ事件から一夜明け、持ち物の3重確認の後、満を持して登校した私は教科書を忘れた以外は滞りなく一日を過ごしたが、友恵に連行されたファミレスで、残り少ない小遣いからパフェを奢らされていた。帰りにヒカリちゃんと帰らなくてすんだのは好都合だったが、私の今の懐事情では奢りは少々きつかった。急な奢りについて異議を申し立ててみたものの、
「急じゃない、あたしの弁当小分けにしたより多くとったろ」
とあっさり棄却されてしまう。気づいてたのか、いや、言われてみれば、どちらがお裾分けか分からないくらいお弁当が減ってた気がする。
「ああ、そうだったかも」
と手をぽんと叩き一人納得していると、繊細なんだか図太いんだかとあきれ顔の友恵がこぼす。図太いなんてとんでもない、私の心はガラス細工のように繊細なのだ。友恵以外にそんなことはしないだろう。
「あたしはねえ、アンタにごはんとられたせいで、部活中お腹鳴りっぱなしで、えらく恥かいたんだからな!」
めずらしく声を荒げる友恵、今日はひどくご立腹だ。
「は、恥なら私だってかいたし・・・」
悪いなあと思いつつも、ついつい反論してしまう。
「アンタのは自爆だろうがーー!!」
言葉の勢いに任せて、友恵は私の髪をもみくちゃにしてくる。私も負けじとやり返す。そんなことをしていたら、店員さんに叱られた。
「ごめんなさい」と二人で謝る。それから一瞬、間を置いて、二人で顔を見合わせる。どちらからともなく、笑いが起こった。下らないことで張り合って、どうでもいい話をして、友恵といるとき、そんな時間が一番楽しい。怒られちゃったじゃん、ごめんってば、なんてとりとめのないことを言い合って、放課後は過ぎていく。傾く夕日も、迫ってくる暗がりも、今日は私を沈めない。いつもと同じ帰り道もなんだか少し明るく感じた。