「タイクツ」の終わり
初めての投稿です。私なりに丹精込めて書きましたので、彼女たちの行く末を温かく見守っていただければと思います。
この世界はタイクツだ。そんなことを考えながら、今日も夕暮れの空を見上げて、いつも通りの帰路につく。消えかけの赤い光に照らされて、私の影は伸びてゆく、どこまでも、どこまでも、私の背はいつまで経っても伸びないとゆうに生意気なんじゃないだろうか?
私の名前は雛鳥輝世(ひなどり、きよ)。人よりちょっと背の低い、どこにでもいる女子高生。低いと言っても、身長順に並べば大体3~4番目、一番小さいわけじゃない。だのに雛鳥なんて苗字のせいで、どこにいっても子ども扱いされまくる。名前の方なら親に怒ってみてもいい、しかし苗字なものでそれもできない。誰にも悪気はないものだから、私の怒りの矛先は路頭に迷って行方不明、しまいに幅広おでこにクセっ毛交じりのショートヘア―な私の容姿を合わせてみれば、ひよこちゃんなる不名誉なあだ名を学年中に広めるまでに、そう時間はかからなかった。でも、問題なんてそれだけだ。成績そこそこ、家族仲は良好で、友達だってちゃんといる。つつがなく、日々は過ぎていく。毎日がただ安寧で、毎日がただ消えていく。それはきっと幸せなこと。だけど私はそんな「いつも」がタイクツで、そんな私が大嫌い。夕日が空に沈むころ、私の心も真っ暗だった。
心が暗く沈みこむ、そんな夜には決まって「あの子」を思い出す。自室のベッドで横になり、心は「あの日」に飛んでった。テレビの向こうで笑うあの子は、いつもみんなのあこがれだった。同じクラスのヒカリちゃん。私がまだ小学生の頃、クラスの主役はあの子だった。誰から見ても文句なしの美少女で、テレビにも出てる天才子役。そんな子が同じクラスにいたら人気にならないわけがない。もちろん私もあこがれていた。だけど私は、教室の隅で彼女を見つめるだけだった。いつもみんなに囲まれて、にこやかに笑う彼女には、きっと世界はキラキラで、さぞ綺麗に写るだろう。私が物欲しそうに手を伸ばしても、彼女は私の手を取って、はじけるようなその笑顔を振りまいてくれたのだと思う。だけどあの時の私にはどうしてもそれが出来なかった。うらやましさもあったと思う。私よりもたくさんの、宝ものを持ってるあの子。同じクラスの教室の中、伸ばせば届くその距離で、私はただ、見つめていたんだ。だけど心地の良いその距離を、彼女の方が破壊した。あの日、彼女が声をかけてきた。「あなたキヨちゃん?ていうの?、とってもかわいいお名前ね。」そう言って微笑みかける彼女に、「わたしこの名前キライ!かわいいなんて言わないで、」そう言って私は、その場から逃げ出した。あの時の私には、あの子がとっても眩しくて、まっすぐ向き合えなかったんだ。本当はうれしかったのに。その日の夜、風邪をひいて、次の日一日学校を休んだ。風邪が治って学校に行くと彼女はいなくなっていた。転校したって聞いたけど、私が追い出したような気がして、私は私が嫌いになった。
その日の夜、夢を見た。私が母に名前のことを聞いている。「どうしてキヨってなまえなの?」幼稚園からの帰り道、母に手を引かれながらそんなことを聞いてみた。「輝世ちゃんは自分の名前、好きじゃない?」私の不安が伝わったのか、母は心配そうに聞き返す。「ううん、でもね、みんながみじかくてヘンていってくるの」小さい手をめいっぱい広げて、私はみんなが言ったと示してみせた。すると母は歩みを止め、視線を私の高さに合わせて、名前の由来をゆっくりと語り始めた。「あなたの名前はね、漢字だと輝く世界と書いて、きよと読むのよ」漢字はもう分かるわよね?と続ける母に、私はもう月も日も感じで読めると自慢して見せる。母は頭をなでながらひとしきり私を褒めた後、名前に込めた願いのことを話してくれた。「輝世、あなたにはね、この世界で宝ものをいっぱい見つけて、キラキラ輝く世界の中でめいっぱい生きて欲しいって思ったの。だからあなたに輝世って名前を付けたのよ」そう言うと母は変な名前じゃなかったでしょ?と笑って見せた。「わたしにもみつけられるかな?」期待も不安もいっぱいな、私の言葉に、「あなたはもういっぱい見つけているわ」と母は微笑みかけてくれた。一呼吸おいて母は続ける「あなたの友達や、好きなもの、楽しいものや嬉しいものはみんなステキな宝ものなの、輝世にもいっぱいあるわよね?」そう聞かれると私は指折り数えて答え始める。「みのりちゃんに、ゆうかちゃんに……あと!なつはスイカがすき、あと、あとはね、ひよこもとってもすきなんだ!だってすごくかわいいの」まだまだあると言わんばかりに、あとね、あとねと言葉を紡ぐが、両手の指を折りきって、もう数えられないとしょげてしまった。それじゃあ続きはおうちで聞かせてね、と母に促され、帰り道を歩き出す。あの日の道は日の光に照らされて、宝石みたいに光ってた。きっとこの日の思いでは、今でも大事な宝もの。
ピ…ピピピ……ピピピ…ピピ………。けたたましい音にゆすられて、私はシブシブ目を覚ます。ちなみにこの音、目覚ましの音なんかじゃない。自室の窓の外側に大きめの木が生えていて、毎朝、毎朝、起き抜けの時間にヒヨドリたちが鳴いていく。私の部屋は2階にあって、ますます音が近くなる。そんなこんなでヒヨドリたちのコーラスが今日も鋭く耳を刺す。自然の音色も過ぎればただの騒音だ。「嫌な音」私は昨日の沈んだ気分を引きずったまま、とぼとぼ下へ降りてった。1階に降りてリビングに出ると、新聞に目を通しつつ、朝食をとる父が居た。焼きたてのトーストとコーヒーの香りが鼻をくすぐる。トーストの上には目玉焼き、一見おしゃれな組み合わせだが、目玉焼きにはしょうゆがたっぷりついていた。父は降りてきた私に気づき、おはよう、と声をかけつつこちらに振りむく。ちょっと皺のある幅広おでこがあらわになった。私と同じ幅広おでこ、許すまじ血の力。朝から父のおでこのせいで、すこぶる機嫌を害されたので、「…うん」とぶっきらぼうに返事を返すが父は意にも介さなかった。ともあれ早く着替えなければ。私は手早く顔を洗うと制服に着替えて食卓についた。かためのトーストを噛みちぎり、他愛もない会話を父とした後、父より早く家を出る。そんないつも通りのルーティーン。ふと、昨日は家のカギが開けっ放しだったと思いだした。私は玄関の前で靴を履きつつ廊下の方に振り返り、「カギ、閉めといてね」と言い放つ。すると父のいるリビングからわかってるよーと気の抜けた声が返ってきた。これでカギが開けっ放しでも、私にもう責任はない。いってきますと言い残し、返事も聞かずに外に出た。今日もタイクツな一日が始まる。
この日、クラスはざわついていた。転校生が来るらしい。タレントだとか美少女だとか、出自不明の噂話で今朝からずっともちきりだった。顔も知らない相手のことなど何もわかりはしないのに、何がそんなに面白いのか、私には到底分からなかった。とはいえ、特にやることもなく、ぼーっと空を眺めていると、担任が来てHRが始まった。さっきの喧騒が嘘のように静まり返る。基本的にこのクラスは真面目なのだ。種々の連絡事項を終えて、今日の本題へと移る。「転校生を紹介するぞ、分からないことも多いだろうからみんな手を貸してやるように」そういうと先生は扉の向こうで出番を待つ転校生に入るよう促した。みな言葉には出さないが転校生への期待に胸が膨らむのをどこかで感じ取っていた。カラカラ、と扉が開く、姿を見せたのは腰ほどまでにまっすぐ伸びる長い黒髪を携えた、見まごう事なき美少女だった。少女は教室に入り、軽く会釈をすると、教卓の横まで歩み出る、コツコツと軽快な音を立てる彼女の歩みに合わせて、フワフワと髪が浮き上がる。ピンと伸びた背筋、ブレのない脚運び、その一つ一つが彼女の魅力を引き立たせていた。教室にいる全員が見とれていたのではないか。自分の名前を黒板に書き終えて、こちら側に向き直る。ついに彼女が言葉を発した。「みなさん、初めまして、前原ヒカリと申します。これから皆さんと一緒に多くのことを学んでいきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。」
良く通る綺麗な声で、彼女がそう言い終えると、歓迎の拍手が巻き起こる。そして私は「アーッ」と声をあげ、勢いのまま立ち上がり、彼女に指を突き立てていた。これは決して私が空気を読まないバカだとかそういうことでは決してない。そう、だって、私は彼女を知っている。彼女の名前はヒカリちゃん、小学校の同級生で、テレビにも出てた人気者。私が私を嫌いになった最初に理由になった子だ。
「アー、あー…。明日の日直私だっけ。」と華麗にあの場を収めた私だったが、なぜか先生に怒られた。私が何をしたと言うのだ。いや、わかってる。問題を棚に上げている。先生に怒られたことなどどうでもいい。問題なのはヒカリちゃんが転校してきたことだ。あの時彼女は私の顔を見ても特段驚いてはいなかった。いや、叫んだことには驚いていたが、とにかくあの様子なら私のことは覚えていない。考えてみれば当然だろう。小学校で一度声をかけただけの子など覚えているわけがない。だがしかし、万一思い出されてしまったら、気まずいなんてもんじゃない。そこで私は、今日一日中、ヒカリちゃんと顔を合わせないよう立ち回った。教室ではダンゴムシのごとく縮こまり、教室から出るときも集団に紛れて可能な限り存在感を消すよう努めた。それでも廊下で何度か鉢合いそうになったが、そのたびに最寄りのトイレや教卓の裏、掃除用具入れの中などあらゆる場所に逃げ込んで、スマートにやり過ごして見せた。途中、「ひよこちゃん、なんでこんな所に?」と奇妙な目で見られたが「大丈夫、好きでやってることだから」と言っておいたので大丈夫だろう。ともあれ命がけのかくれんぼを終えて、無事学校を脱出する。こうなるともうすっかり油断していた。校門を出ていつもと変わらぬ空を見上げる。タイクツこそしなかったけど、こんな思いはこりごりだ、と思っていたとき、「ねえ、一緒に帰らない?」と声をかけられた。ビクッと体がこわばって、全身がさび付いたように固まった。これはやってしまったか、壊れたブリキのおもちゃのように、ギギギと音を立てながら、恐る恐る振り返ってみると、声の主は前原ヒカリその人だった。(まずい、マズイ、このままでは私はとって食われてしまう)などと意味不明なことを考えながら、慌てて周囲を見回してみるが、校門の前で逃げ場などあろうはずもない。「今から逃げても意味ないんじゃない?」と目前の敵に言われる始末だ。(あれ?待てよ?この言い方だと、私が逃げてたのを知っている?) バカな、今日はずっと、目立たず騒がず隠れ切ったはずなのに。「な、なんで逃げてたって知ってるの?」思わずそう聞いてしまった。これでは、逃げているのを認めているようなものだ。もう言い訳は通じない。身構えていない時ほど、往々にして人は墓穴を掘るものだ。
彼女がどうして気づいていたのか、理由は至極単純だった。「朝から叫んで叱られて、そんな人が急にこそこそしだしたら、逆に目立ってしょうがないわよ?」彼女は笑顔でそう告げる。言われてみればその通り。奇声を上げて指をさし、その後はこそこそ逃げ回る。これでは私はまるっきり、不審人物ではないか。そんなの悪目立ちして当然だ。「ごめんなさい」もはや今の私には、うなだれて、謝ることしかできなかった。ヒカリちゃんはと言うと、なんで謝るの?ときょとんと首を傾げた後に、私の気持ちなどお構いなしに、グイと距離を詰めてきた。「あなた、噂のひよこちゃんよね?私も帰りこっちなの、良かったら一緒に帰りながら、あなたやこの町のこと教えてくれるとうれしいわ!」矢継ぎ早に言葉を紡ぎ、さらにグイグイ詰め寄ってくる。これはもう逃げられそうもない。私がシブシブ了承すると、彼女は嬉しそうに笑って見せた。
「私ね、ここに来る前は東京に住んでたの。ほら、東京ってどこに行くにも電車じゃない?だから、1時間も電車が来なかったとき、事故でもあったんじゃないかってすごいドキドキしちゃったのよね!それでね、駅員さんに聞きに行ったらその間に電車が行っちゃって、あっ、そうそう電車と言えばね、この町に来る電車ってボタンを押すまで中からはドアが開かないのよね、私、人が少ないときに乗ったんだけど、何で開かないのか分からなくって、閉じ込められたんじゃないかってすごい焦っちゃってね、もうその時は怖くて怖くて…――」
驚いた。ヒカリちゃんてこんなにしゃべる人だったのか。あまりの饒舌ぶりに私は取りつく暇もない。さっきからもうずっと相槌だけを打っている。彼女は私のことを聞きたかったはずなのに、私はまだ名前すら言ってない。しかしまあ、それは不幸中の幸いだったかもしれない。私の名前をひよこだと思っているうちは、昔のことも思い出しはしないだろう。しかし、彼女はいつまでついてくるつもりだろうか、私の家はもうすぐそこだがヒカリちゃんはぴったり横についたまま、離れようとしない。と言うか話が止まらない、そんな何でもないことを、よくもそんなに話せるものだ。あの!と強めに言葉を断ち切って、どうにか話を切り出せた。「私、ここの角を曲がったら家なので、一緒に帰れるのはここまでです。」一刻も早く離れたい、心まで離れたがっているのか、ついつい敬語になってしまう。「わあ、すごい偶然ね!私の家もあそこの角を曲がった先にあるの!」…想定外の回答だった。(そんな!?離れられると思ってたのに!)。そんな心の叫びを飲み込みながら、じゃあ一緒に行きますか?と平静を装って(まだだ、あせるな、家は私よりずっと先かもしれないじゃないか)と淡い期待を抱きつつ、速足で家へと向かう。家の前で別れたら、それでもうおしまいだ。登下校の時間をずらせば、鉢合わせたりもしないだろう。これですべてが丸く収まるはずだ。私の家は、角を曲がって100mもいかない所、路地を挟んだ反対側に少し古ぼけたマンションがあり、場所はとても分かりやすい。角を曲がって数秒後、ヒカリちゃんはおもむろに一つの建物を指さした。「私、あのマンションに住んでるの」大きくてわかりやすいでしょう?と満面の笑みで振り返る。ああ…なんかもう頭が痛い、変な夢でも見てるんじゃないか?「私の家、向かい側」私が頭を抱えたまま、とりあえずそう答えると、さすがに彼女も驚いたようで、「冗談でしょう?」と返してきた。冗談じゃない‼と叫びたいのはやまやまだが、ここでは近所迷惑だ。「それじゃあ、私たちお向かいさんね!明日一緒に登校しましょう?」その提案を断る理由はきっとたくさんあるはずだ、だけど今は何も思いつけない。こうなればもう、今日限りで無関係は決め込めない。またねー、とマンションの前で手を振る彼女に、私は引きつった笑顔で手を振り返すことしかできなかった。
以上短いですが第一話となります。ご意見ご感想などお待ちしております。