星のアリカ
今でも覚えている。遠い昔に見た冬の夜空を母と二人で見に行ったこと。
「あれは?」と5歳の少年は母に聞く。
「あれはポルックスよ、ふたご座の一等星ね」と優しい声で言う母。
「じゃあその横のあれは?」
「カストルね、とても綺麗でしょう。」
「うん、かあさんはどの星が好きなの?」
「私は………そうね、私は初めてあなたのお父さんに教えてもらったおとめ座のスピカが一番好きよ、ほら、あのオリオンの線をなぞって行くと見つかるわ。」
僕は言われた通り望遠鏡で春の大曲線をなぞった。スピカはその先にあった。その輝きは他の星より少し明るく大きくみえた。
「あなたはどの星が好きなの?」と母は聞いてみた。
「僕あれが好き」と迷わず僕はすぐに指をその星に向けた。
「おおぐま座?かしら」
「違うよその下!」
母がそこに視線をやるとそこには見たこともない赤い光を放った星が確かにあった。
「!?あれは…」
母の顔は真っ青になっていきハッと気がついたように、急いでどこかに電話しに行ってしまった。僕は物陰の少女と目を合わせてクスクス笑いあった。
それは僕だけが知る秘密、僕自身が忘れてしまった秘密。
その点滅しているようで、もう消えてしまいそうに揺らいでいるその赤い星の。
2
友邦町の東には、町のシンボルとも言える木漏れ日山という山があった。頂上には峰高神社があり、夏祭りや年越しには友邦町の東に住む人達は大体この本殿から中腹にある拝殿にかけての階段に隙間なく人がせめぎ合っている。しかし、逆に言うとその2つの行事ごと以外に、ここに来るものはほとんどいなかった。なんせ山頂まではまず緩やかな石造りの階段を2キロほどすすんで拝殿につく、それから本殿まで急な階段を2キロほど登らなければならないからだ。こんな急な山を誰もハイキングコースにするわけがなく、年に二回登るのがちょうどいいくらいだ。しかし、それは僕、隅木隆二にとって、人が滅多に来ず視界がひらけている拝殿は天体観測に最適で絶好のスポットだった。「今年もいないのかぁ…」と隆二は落胆していた。
あの時の赤い星は、ただの夢か何かだったんだろうか。幼くてほとんど覚えていないが、あの星を見たのはその一回だけになる。もうそこから冬を8回ほど繰り返して、僕はもう17になる。天体望遠鏡を覗くのをやめて、1つため息をついた隆二は天体望遠鏡をかじかむ手で片付けて、階段を降り始めた。夜の1時半に山奥に街灯が設置されているはずもなく、真っ暗な石階段を懐中電灯で照らしながらポケット手を突っ込んで中の小銭をいじりながら降りていく。
母は天文学者だったが、あの日赤い星を発表したことで、他の学者たちに嘘つきだと貶された。なぜならあの星はもう現れなかったから。母は立場をなくして天文学から身を引いた。僕が赤い星を見つけたいのは、もちろん母の為でもあるが、一番はただもう一度あの綺麗な星を見たいと思ったからだった。もう僕はあの星に魅了されて他の星では物足りなくなっていたのだ。階段の中腹まできて、また星を見上げながら階段を降りた。星を見ている時だけは、僕がこの世の中で生きる時にできた不平や不満を忘れて、純粋な気持ちでいられる気がしたからだ。
「ん!?」
視界の外で光が動いたのが見えて、隆二はそっちを向く。流れ星だ。僕はなおさら上に意識を集中した。子供の頃はよく見とれながら歩いてコケたものだ。そんなことを思い出して隆二は少し頬を緩ませて下を向いた。
どん!
何かにぶつかって、下を向いた時にはもう空が見えるほど後ろにすっ転んでいた。幸い打ち所がよくうまく尻餅程度で済んだが、痛いのに変わりはない。
「いって!なんだ一体?!」そう言って前を向くとそこにいたのは僕と同じ歳くらいの少女だった。
「ごめんなさい」
とだけ無愛想に言ってまた歩き出した。通り過ぎる彼女は白のマフラーと帽子でで鮮やかな赤色の髪を隠していて、鼻は高く凛としていた。しかし、それに似合わず目はどこか眠たそうだった。「外国人……」僕は思わず口に出す。しかし、外国人がいくら日本の治安がいいと聞いていても、夜中の2時頃になって明かりもなしに神社に行くなんてとても不自然だ。足を止めない彼女に、僕は何故だか声がかけたくなった。
「待って!何しに行くの?えぇっとウェーアーアーユーゴーイング?」
粗末な英語で語りかけると、彼女の足は止まった。そしてマフラーから少し出た赤色の髪をなびかせて振り向いた。
「星をプレゼントしに行くの」
「は?」
3
透き通ったその声は、なんだか耳から入ってくるより、からだ全身で聞いているようで心地が良かった。しかし、彼女がいった言葉は流暢な日本語で、文法はあっているものの意味合いが全くわからなかった。
「もしかして星が見たいの?」
僕はなんとなく興味が湧いて聞いてみた。星を好きな人は少ない、この外国人の彼女はもしかしたら星が好きなんじゃないかと思ったからだ。だとすると肉眼で星を見ようとしているのだろうか?
それならと
「望遠鏡あるけど、見せようか?」
それに彼女はコクリと頷いたので僕は望遠鏡を貸すため、彼女と拝殿へ引き返すことにした。静かに石階段を上る二人。
長い長い階段は気まずさを登るたびに大きくさせて、とうとう僕がしびれを切らして話題を振った。
「……どこから来たの?」
「家」
「うぅ…そりゃそうだけど…」調子が狂うなぁ。
「あっ!そういえば名前は?僕は隅木隆二って言うんだけど。」と気を取り直して聞いた。
「アリカ…」
アリカ…どっかで聞いたな…,
僕は何かを思い出しそうになったが、それは途中でアリカに遮られた。
「人を探してるの…」そう彼女はマフラーに顔をうずめて静かに答えた。
「だったらなんでこんな山奥に?」
「星を…見るの」
なんだか言いにくそうなので、あまり深入りしないでおこうと僕は相槌だけ打ってそこからは沈黙になった。
しばらくして拝殿についた僕は早速もう一度望遠鏡を組み立てて、アリカはそれをじっとみていた。
出来上がった望遠鏡を見てアリカはゆっくり近づいて撫でるように触った。まるで懐かしいものでも触るかのように。もう時計は2時を回っていて、眠気が限界に達していた僕は大きなあくびをしながらキャンプを立て始めた。普通はいけないことだが、僕は神社の関係者と親しくしていたので特別にテントを立てることは許可されていた。キャンプを建て終わった後も、アリカは星ではなく、なぜか望遠鏡をじっと見ていた。
「使い方がわからないの?」
「わからない」
僕は黙って彼女の側へ寄って、レンズを覗き春の大曲線にハンドルを合わせようとした。しかし、レンズに映ったのは赤色をした彼女の大きな瞳だった。「アリカさん……何してるの?」
呆れる僕はレンズから目を離して直接アリカを見る。
しかしそれと同時に遠い記憶の断片がフラッシュバックした。
こんなことが前にもあった気が…。
「どうしたの?」と首をかしげるアリカ。
「いや…なんでもない」とだけ答えた僕は何か大事な事を忘れているような気分になりながも、星を見せるため、レンズを手っ取り早くスピカに合わせて見せた。それをゆっくりと覗き込むアリカはなんだか可愛いとか綺麗とかではなく、美しいと芸術品のようでまるで人間ではないような気がした。僕はそんなことを思ったが声には出さなかった。しかし、スピカを覗き見たアリカはそれを見たと同時に少し険しい表情になった。
「違う、クマさんの下」
「クマさんって、おおぐま座?」
「うん」
この時、僕は眠気のせいかそれがなんの場所かも考えずそこに望遠鏡を向けた。
「ぁ…」驚くよりも先に
すっと涙が頬に流れた。
ーーーそこにはあった、8年追いかけた星が赤く美しく輝いていた。
それを横で見ていたアリカは「…見ていてね、忘れないで」と呟いてどこかへ行こうとする。
僕は興奮のあまり手を取って彼女を引き止めた。アリカの手は震えていたような気がしたが、僕は寒さのせいだと思った。
「どうしたの?こんなに綺麗だ。見てみなよ!」
「うん…」とだけ言って、
少し迷ったような仕草をしたアリカだったが、しばらくして隆二のそばにちょこんと座った。
毛布を持ってきた僕はアリカにそれをかけてその隣に座り込んだ。なんだかそうするのが自然だと隆二は思ったから。そうして星を眺めていると、彼女は思い出したようにゴソゴソと真っ白なコートの下から何かを取り出した。
「はい、これ。…受け取って…」 それは、小さな赤い星の形のガラスだった。
なんだか不安そうな顔をしていたので、僕は何も深く聞かずに相槌だけ打ってそれを受け取ってポケットにしまった。
「ありがとう!アリカみたいで綺麗だ」ん?僕今…。
アリカは嬉しそうに頬を緩ませて、僕にも毛布を分けてくれた。それがとても愛らしく見えた僕は耳が熱くなってして視線を逸らした。そうして二人は黙って空に1つだけの赤色に輝く星を、いつまでも見ていた。
4
「んっ…」寝てしまっていた僕は目をこすりながら、半分寝ながら入ったであろうキャンプの外へ出た。外はもう朝だった、外にはそのまま望遠鏡が残されていて、周囲を見ても彼女の姿はどこにもなかった。
ーあの子はちゃんと帰れただろうかー
とそんな事を思った。
蹴伸びをして、ふと下を見た。それは拙くて汚かったが、大きな字でたしかに「ありがとう、さようなら」と地面に書かれていた。
直後。
頭に記憶が溢れてきた。「あ!あ…あぁあ!」一瞬にして脳に後悔と自己嫌悪の記憶が、ドボドボ溢れ、あまりの吐き気とめまいに我慢できなくなって倒れてしまった。
数年前
それは雪の降った12月の寒い冬だった。一人ポツンと雪の積もった公園の中で、雪が積もるのをじっと見つめる少女の姿があった。頭や肩には少し雪が積もっていて、足が雪ではなくしっかり地面についていることからずっとそこにいるのがわかった。
「どうしたんだ?ずっとそんなとこにいて、大丈夫なのか?」と僕は何の気なしに声をかけた。
少女はハッとなってマフラーとニット帽の間から僕の方を見た。「…だれ?」
警戒したような声で、静かに少女はそう言う。「俺は隆二、君は?」名前を聞いたが、彼女は答えに困っているのか俯いてしまった。
「何してたんだ?」僕は何か事情があるのだろうと考えて、別の話題を振ることにした。
「星……見たい」とゆっくりと答える。
「星?!星って空にある星だろ?」
「うん」とだけ彼女は呟いた。
僕はそれがとても嬉しかったのを覚えている。
学校や外には、両親以外に星を見る人はいなかったからだ。それと同時に僕は、この少女が本当に星が好きか試してみたい気分にもなって質問を続けた。
「どの星が好きなんだ?スピカ?シリウス?」
彼女は少し下を向いて考えていた。ひとしきり考えた彼女は、こちらを向いて僕の目をじっと見つめるその真っ赤な?見たものをそこから離さないような目。僕は目の美しさに見とれて、呆気にとられてずっとその目を見つめ返していた。
しかしその時、彼女の瞳の中で何か黒い粒が円を描いて一周したのが見えて、それと同時に彼女は口を開いた。
「…あれ」
と言って指さす、それがなんなのか、気のせいなのか気になりながらも指差す方向を見上げると、そこにあったのは、すごい光を放つ、赤い色をした星がおおぐま座の下側にポツリと浮かんでいた。初めて見るその星は、どの星よりも綺麗だった。今まで見た綺麗な景色が全て束になっても、その輝きには到底太刀打ちできないと思うほどに。
「あの星は…初めて見た。」と、僕は感動のあまり涙声になる。
「アリカ…」
彼女はそう呟いた。僕は話すのを忘れて、彼女とその星を見続けた。
そこからしばらくして、僕と少女はほぼ毎日遊ぶようになった。
天体観測をしたし、普通にかくれんぼや鬼ごっこもした。
しかし出来事としてそれを覚えていても、深く内容を思い出そうとしても思い出せない。楽しい記憶は何が楽しかったかではなく楽しい気分になったから覚えているだけだ。
しかし、悲しかったり、自分の心に傷がついた時のことは鮮明に覚えている。なぜ傷ついたのか、どうして悲しいのかを考えるからだ。
だから、僕の追想はすぐにその場面にたどり着いた。
それは2月最後の雪の日だった。アリカは僕と僕の母と僕の部屋の天井に星を飾ろうと、黒色のシートに星を丁寧に貼り付けていた。アリカとは知り合ってから二ヶ月たったが、僕は彼女について、家や、名前、年についても全くわからなかったから、名前だけは「アリカ」と勝手に呼んでいた。
それについて本人は何も言わなかったし、髪と目も綺麗な赤色があの星を連想させたので、そう呼ぶことにしたのだ。
「よし」
と最後の星を天井に貼り付けた母は、つづけて、ー完成ー
と言おうとしたが、二人の不満な顔を見てそれは途中で止まった。
「どうしたの?これで全部よ」
「違うよ!まだアリカがないじゃないか!」
と僕は怒り気味に言う。
母は不思議そうな顔をして
少し考え込んで笑い出した。
「うっふふ、りゅうちゃんはアレンジしたいのね、わかったわもう」と言っているが、そうではない。
アリカは隆二の袖を引っ張って首を横に振る。
「見えないの」僕にはそれが何を言っているのかわからなかった。
アリカはすぐに母の方へ向き、じっと母を見つめる。「どうしたの?アリカちゃん」あっと思いついて母は続けた。「星の名前にするなんてなかなか粋なことする子よねぇ」とアリカに言う。
そうか、あの星は僕とアリカにしか見えないのかもしれない。
アリカは黙って母を見ていた。今思うと、少し言葉足らずな彼女の行動の全てには、無駄や無意味な事は1つもなかったのだ。天井に星を飾り終えたその直後だった。
母の携帯から、BUNPOF CHICKENのプラネタリウムがかかっていた。それは母の着信音だ。
「誰かしら?」と言う母、
非通知からのようで、母は少し考えて通話ボタンをゆっくり押した。
「もしもし」と母が言ったと同時に、間を取るでもなくすかさず電話から声が聞こえた。
「もしもし、私は警察署の田宮といいます。隅木さんのお宅で間違い無いでしょうか?」
母は警察という言葉に戸惑っていて、空返事でハイと答えた。
「その、えー」と警察官は少し言うのをためらってそれからこう続けた。
「隅木 誠司さんが事故に遭いまして」
即死だったと言う。
父の車はスリップした大型トラックの下敷きになり、もう車とは呼べない鉄の残骸になっていたそうだ。電話の後、母は崩れ落ちるように足から力を失ってその場に座り込んだ。そんな事知るわけがなく、心配になった当時の僕は声をかけた。
「何かあったの?母さん?」母は黙ってうつむいたまま、振り返らなかった。
そして涙をこらえながら、アリカを帰らせるよう僕に言った。「アリカ、ごめんだけどちょっと用事ができたからまた明日にしよう。」
しかしアリカは不満げだ。しかし「わかった」というと、
静かに「星が足りない、明日持ってくる。」と言った。
「あぁ、アリカのことか、わかった。じゃあまた明日。」と言ってアリカを帰らせた。
玄関からリビングへ戻ると、静かに泣き崩れる母がいた。それから僕は父の事故について聞いた。
全く現実感が無くて、ただただ呆然とすることしかできなかったが、病院の空気と母の死人のような顔が、父が死んだことを僕にわからせた。僕は朝までずっとずっと泣いて、僕は泣き疲れて気絶するように眠った。
心の整理がつかず、ただ起きても天井の星を見上げるだけだった。
しかし、やはりインターホンはなった。
彼女が来たのだ。ドアを開けて「…何?」と、少しイライラして僕は言った。彼女に当たっても仕方ないことなど、この時のバカな僕には分からなかったから。
「遊びに来た…」
大きなため息をして「今日は帰ってくれ」と続ける。僕は、何も知らないでそう言う彼女にイライラが高まってそう言った。
「…星あげたい」
抑え気味にそういった彼女に我慢できなくなって、僕は彼女に怒鳴りつけた。
「いらねぇよ!そんなもん!……帰ってくれ…」
彼女がびっくりいて、怯えて手が震えているのを見て、自分が何をしたのか理解した僕の言葉は徐々に縮まっていった。
彼女は涙をいっぱいにためて、赤い髪を振り乱して走ってどこかへ消えてしまった。
本当言うと、僕はうつむいて彼女の顔は見なかった。ただ視界の端で赤い髪が揺れるのと、地面に落ちる涙を見てそれがわかった。そして追いかけなかった。
それからアリカは、星と一緒に消えてしまった。
止まらぬ後悔の涙を深呼吸で押し殺しながら、目の上に置いた手を退けて起き上がった。体はとてもだるく、泣きじゃくった後のような疲れがからだにどっしりとあった。
外はもう夕方に差し掛かっていて、神社を夕日が神々しく照らしていた。
アリカを探さなければ、でも探してどうする?
そんな事をぼーっと考えていると、僕の背後から突然声が聞こえた。
「起きましたか」
振り返って見ると、そこには駅で見かけるような中年のサラリーマンのような人がいた。しかし、目に生気がなく、完全に無表情だ。気味が悪いし
いったいこんなところで何をしているのか気になったが、そんな事をしている場合ではないと少し迷惑そうな顔を作って「なんでもないです。じゃあ」と言ってその場を立ち去ろうとした。
しかし、
「アリカとは、会ったんですね。」
と聞いた時、その足は止まり、もう一度振り返った。
「…あなた…誰です?」
そんな単純な疑問を投げかけた。
「あなたにそれを言っても全く理解できないでしょう。周波数や次元が異なった意思疎通の行為でしか我々を説明することはできない。」
驚いた。何を言っているんだこの人はと思ったが、サラリーマン風の人は表情1つ動かさずにまた淡々と喋り出した。
「アリカはもう地球時間での20時間程度しか生きられません。」
それを聞いて衝撃を受けた僕の額に深いシワがよる。
「なんだって…」
ふざけるな、やっと思い出して…話すことがたくさんあるのに…僕が苛立っていても、構わずサラリーマンは躊躇なく
「死ぬでしょう、爆発でも合っています。」と眉一つ動かさずそう言う。
「じゃあやっぱり彼女は…」僕が言い切る前に男はまた1つの感情の破片すら見せない喋りでいう。
「ええ、惑星です。」
なんとなく予想していたから、僕は男の話を半信半疑といえど最後まで聞いていたのだと気づく。それは脳の端での考えだったから、
いざ人口から聞くとそれはとても現実味を帯び出していた。
残酷だ。
ずっとあの広いなんて言葉じゃ足りないような宇宙の中で、彼女は何光年も一人だったのだ。寂しさは誰にも想像がつかないほど膨れ上がっていただろう。そしてその中で最後にあんなことをした僕に会いに来てくれたのだ。
「彼女は今どこに?」
「彼女は公園で、大人しく消えるのを待っています。迎えの場所にちょっと手違いが発生したので20時間までに彼女をここに連れてきてください。」
僕はそれを聞いたと同時に駆け出して
「わかりました。ありがとうございます。」
とお礼を言って階段を一段飛ばしの猛スピードで降り始めた。
腕時計を見るとちょうど午後5時ごろだった。怪我の心配など今はしている場合じゃない、あの子がどれだけあの時傷ついたか、それを考えただけで自分のことなどどうでもよくなった。
下に止めてある自転車に乗り込んで僕は公園まで猛スピードで飛ばした。
「アリカ!」
公園に着いた僕はその名前を呼んだ、彼女は公園の青いベンチにポツリと座っていた。
その時が来るのを静かに待っているようで、僕の心はじりじりと痛めつけられた。僕の方を見たアリカはベンチからゆっくりと立ち上がり、一歩一歩確かに近づいてくる。
しかし
僕はなんと言えばいい?彼女を傷つけそしてそれを忘れて…彼女の前に来て何を言いだせばいいかわからない。もう彼女の顔もまともに見れずに、僕は下を向いてしまって顔を上げられなかった。
「大丈夫」
といつのまにかすぐそばまで来ていたアリカはそう言った。
「……ごめん、ごめんアリカ」
僕は何度も何度も泣きじゃくってその言葉を壊れたラジオのように繰り返した。
アリカが更に近づく足音がした。
暖かい感触に包まれ、気がつけばアリカはぼくを抱き締めてくれていた。
あぁ…僕の記憶にあった赤い星への渇望は、本当は母の研究ではなく彼女に会いたいと言う希望から成り立っていたのだ。その瞬間初めて僕はそれに気が付いた。
雪のような白い手も、拙い喋り方も。その全てがすごく愛おしく感じた。ただ…僕は彼女を傷つけた。それもとても自分勝手な理由で。だからこの恋心は見せるべきではないと、いまはただ柔らかく抱き返すことしかできなかった。
2
ひとしきり泣いたあと、ベンチに座って二人でコーヒーを飲みながら、残り少ない時間をどう使うか相談することにした。
「アリカは何がしたいんだ?」軽い口調でそうは言ったが、彼女のためならなんだって残りの時間でやってやると言う固く強い意志が僕にはあった。
「一緒にいたい…」彼女はすこし照れているのか、こっちを向かずに前を向いてそう言った。
その仕草に少し見惚れてしまったが、僕は咳払いをして提案を1つ出すことにした。
「天井の星、あれまだ未完成だよね?完成させようよ」僕がもらったこのガラスの赤い星はそのためにあるはずだから
僕はその完成形を彼女と一緒に見たかった。
彼女もそれに頷いて、僕達は少し急ぎ足で自宅へ向かった。
しかし、家の押入れを探して、見つけたのは触ると取れそうな星の残骸が張り付いているボロボロに破れた黒い布だった。
だから僕達はすぐまた新しく天井の星を作り直すことにした。
「どうしてみんなは星の方のアリカを見つけられないんだ?」僕は黙々と星を貼り付ける彼女に気になっていた事を聞くことにした。
彼女はこっちをじっと見て「目を合わせて」という。よくはわからないが、こっちを見るアリカの目を見てみる。その朝焼けのように綺麗で吸い込まれてしまいそうな瞳をじっと見る。
「見てて…」アリカはそういうとだんだん僕に近づいてその内拳1つ分の距離になっていた。照れて目をそらしそうになるがじっと耐える。
その時、彼女の瞳の中に瞳孔を中心に球体の黒いなにかが円を描いて一周した。
それと同時にアリカは体制を直して元に戻る。そして僕の望遠鏡を指差した。「私の目を見る、それと、私とつながりがあれば。」
なるほど、だから母には見えない時と見える時があったり、僕が今まで探していても見えなかったのか。
「これってそのままにできないの?」
せめてもだ、僕は光の関係で何年後かにしか見れないけど彼女の最後を見届けたいと思った。
「少しなら大丈夫だけど、長いと目が見えなくなる。」彼女は心配そうに僕を見つめる。
あぁ…余計に愛おしくなる、ずっと彼女といられたらどれだけ幸せだろう。
そんな事を考えると、もう迫っている時間は短すぎるように感じた。
「大丈夫、少しでも見ていたいんだ。」そういうと彼女は少し嬉しそうに微笑んだ。
3
やっとの思いで天井の星を完成させた頃にはもう
午後9時を回っていた。「電気消すよ」と僕が言って
アリカは天井の星を見ながら頷いた。
パチンッ
電気を消し、僕も上を見た。星のアリカは丁度部屋の中心にするため、リングライトの中心に付けられている。それは蛍光色で、灯りを消すと淡く赤色に光り出した。僕は中心で寝転がっているアリカのとなりに座り込む。
しかし、アリカが不満そうにしているのに気づいてすぐに僕も寝転んだ。
そこからひとしきりして、僕は達成感と共に口を開いた。
「完成にだいぶかかったなぁ」7時ごろから初めて2時間ほど作り続けていた。
「うん…八年かかった。」
そう言われてハッとなる。
「…ごめん」とついとっさに謝ってしまった。
「いいの…隆二がこうして覚えていてくれるなら、私は…それだけでいい。」
「絶対!、今度は絶対忘れないから!」
僕は気づけば彼女の手を取ってそう叫んでいた。
驚いて嬉しそうにする彼女を見て僕は思った。伝えたい気持ちをいえないまま、このまま彼女が消えたらと思うと怖くなった。きっと後悔する…言わなきゃだめだ。
僕は深呼吸ともいかないが、静かに息をいつもより多く吸って心を決めた。
「好きなんだ、アリカ。いつでもどんな場所にいても、雨が降って夜空が曇っても、絶対に君を忘れない。」もう緊張してまとまらない言葉を、一生懸命まとめて伝えた。
すると彼女の目に涙が溜まるのが見えた。僕は一気に不安になる。
「ごめん、突然。でも伝えなきゃって。嫌だった?」
彼女は大きく首を横に振ってついには声を出して泣き出した。
「ありがとう」と号泣する声のなかからなんども聞こえて、僕は嬉しくなって握ったままだったアリカの手をもう少し強く握った。
自然と僕にも鏡のように涙が写っていた。それを見た彼女は少し手をにぎりかえしてくれていた。
それだけでいい、僕はこのために生きてきたんだと、そう思えた。
疲れのせいもあって、僕たちはそのまま寝てしまっていた。
壁の時計を見るともう朝の5時だ。12時ほどまで二人で話をしていたから、僕たちは5時間失っていることになってしまう。
でも僕は時間が勿体無いとかそんなことを思ってはいない。
溜まっていた思いを打ち明けてスッキリしていたし、お別れの時までしんみりしたくはないと思ったから、今日は泣かないと決めた。
神社まで僕はアリカを自転車の後ろに乗せて走った。錆び付いた車輪が、二人の重さに耐えきれずに悲鳴をあげながら明け方の空の中僕たちを運ぶ、僕の背中にアリカの温もりが寄りかかってくる。
「私も…好き…」と彼女が唐突にそう言った。
「あぁ、ありがとう」
その言葉しか今は思い浮かばなかった。
それでもそれは僕の生きてきた中でいちばんの感情がこもった言葉だ。そう断言できた。
自転車はあっという間に神社の登り口についてしまった。
自転車を降りた僕達は二人並んで雪の積もった石
階段に足跡をつけ始めた。
登り慣れている僕は彼女のペースに合わせてゆっくりと登っていく。だから出来るだけ時間をかけてアリカのいる景色を目に焼き付けていた。
アリカは手を息であっためようとしていたから、僕は彼女の冷えた左手を取って自分の右ポケットに一緒に入れた。「ありがと…」と小さく彼女はそう言う。「いえいえ」と僕も小さく返す。本当は別れたくないと、言いたい。その思いが言葉を短くさせていた。うっかり「離れたくない」と口から出そうになるのが嫌だった。
そんなことを言っても意味はないし、アリカを悲しませるだけだったから僕達は無言のまま登っていった。
もう境内が見えてくる階段はまるで絞首刑を受ける階段のように感じて、僕はなおさら一歩一歩を踏みしめて歩く。
そうして気づくと最後の1段を登りきってあっという間に到着していた。やはりあの男は立って待っていた。「時間通りです。さぁこっちへ」とついて早々に男はそう言う。
アリカはコクリと頷いて僕のポケットから手を出すと、ゆっくりと歩き出して離れていく。
その後ろ姿を僕は黙って見ていた。
すると突然彼女はクルッと振り返って僕の方へ走り出した。そう思った頃にはもう僕の頬に彼女の唇の感触があった。「ありがとう」と彼女はニコッとはにかんで走っていった。「では」と男はそういった途端
地面から眩しい光が見えて、僕は目を塞いだ。塞ぐ瞬間、
彼女の泣き顔が見えた気がした。
しばらくして光が消えると、僕はまだ現実感のなさに茫然としながら彼女の足跡のついた階段を降ていった。
ただ確実にわかっているのは、もう彼女はいないと言うことだけで、その事実を歩きながらゆっくりと受け入れていた。
さっきまで彼女と見ていた景色とは違って、なんだか木々や空にも色がない気がした。自転車をこぎ始めた頃には、町の商店街が賑わい出していろんな雑音がなり始めたが、世界に一人ぼっちになってしまったような気分で、家についてもそれは僕から離れなかった。
ふと、僕は家の天井を見上げた、そこには言わずもがな赤い星があって、僕はおもむろに手を伸ばした。背伸びをすると、簡単にその星に触れられた。その瞬間に風景に色が戻って、周りの喧騒がより大きく聞こえた。
もう触れることを諦めていたから、驚くほど容易く届いていて、僕の目からポツポツと涙が溢れ始めた。それは一瞬で土砂降りになり、アリカとの短すぎる出来事が鮮明にフラッシュバックしていった。
絶対に忘れない、絶対に。あの一番眩しいあの星の名前は、僕しか知らないのだから。
数十年後
その神社には、もうかつて賑わった夏祭りや新年の喧騒はなくなり。老朽化が進み、今年中に取り壊されるそうだ。
「あのおじさんまたいるよ。」と子供が言う。
「もう私が子供の時からずっとよ、冬になると毎日。すごいわねぇ」
と母親の声も聞こえる。何をしに来ているのか、天体観測かな?
と言われているだろう。
そんなことを考えて私はまた今日も木漏れ日山のベンチに座る。でもこれも今日が最後だ。
私は望遠鏡もなしに空を見る、そこにはアリカがいつもより大きく光を放って輝いていた。さよならの光だ。
星の爆発した光が地球に届くまでに50年ほどたった、正確にはアリカのおかげで右目だけ魔法をかけてもらっている私に見えるのに50年ほどかかったと言うことだ。
右目から見えるその絶景を堪能して、枯れてしまった声でヒゲをさすりながら小さく呟いた。
「アリカ…さよなら。」
終