第一話:七章
「櫛髪結衣」
燈に突き付けられた用紙、赤丸に囲われた四文字を、ラプンツェルは復唱した。
「どう? この名前、やっぱ変かなぁ」
「いいえ、そんな事はないですよ燈さん。日本で名乗るのに適切かつ、品位を感じる名前かと」
「そ、そこまで言われると……ほら、こういう感じで、人間として活動するなら、名前があると便利だと思って」
学校内の多目的室、部屋には燈とラプンツェル、息遣いは二人だけ。日頃使わない教室なぞ、校内中に点在している。
「気に入って、もらえた感じ?」
「ええ、それはもう」
「そっか、よかった。でも実は、意外と自信あったんだよね。私、キャラクターエディットには定評があって」
「きゃらくたー、えでぃっと」
「あ、いや、ゲームの話……ははは」
失言を愛想ではぐらかし、燈は短く咳払う。
「それじゃ、始めようよ、結衣」
黒い髪のラプンツェル――結衣は普段の微笑を湛え、燈の言葉に首肯した。
ここ数日の出来事と、容疑者四人の情報を、更には小さな違和感も、この場で擦り合わせようというのだ。
というのも、結衣曰く、既に犯人の背中を捉えている段階だと言うのである。
勿論、燈は未だに霧の中。だからこそ、それを払い退けるべく、こうして昼休みを割いたのだ。
「ええ、始めましょう燈さん。と、その前に」
結衣は室内の片隅へ行くと、滑車付きのホワイトボードを引っ張って来た。そして板面を強く叩くと、ぐるりとボードを反転させる。
すると、ホワイトボードの表側には、既に事件の当日から、今日までの顛末が掲示されていた。
そう、これはまるで――
「刑事ドラマで、よく見るやつ!」
事件を詳しく教えてくれる、視聴者配慮そのものだった。これで燈も安心である。
「これはフィクションの技法であって、実際の捜査では用いられないそうですが、情報精査の一環として……もとい、一度やってみたかったので、用意しました」
「まぁ、気持ちはわからなくもない、かも」
四月十二日、木曜日。事件発生、御影榧が謎のアルター『ガーゴイル』によって殺害される。殺害現場には、藤咲燈、社葵、宮皐月の他、アルター『ドリアン・グレイ』が居合わせる。
十三日、金曜日。藤咲燈、下校途中に襲われる。しかしアルター『ラプンツェル』の活躍により、敵尖兵を退ける。この間、『ドリアン・グレイ』と『ガーゴイル』による当人同士の協定が締結される。
十四日、土曜日。藤咲燈、ラプンツェルと共に宮皐月を尾行。結論として、宮皐月と事件を結び付ける証拠は得られなかったが、出先で『ドリアン・グレイ』と再会。これを容赦無く潰す。
十五日、日曜日。藤咲燈、自室待機。
十六日、月曜日。現在、多目的室ミーティング。
「怒濤の五日間だ……でも、意外と日曜とか怖かったかも。何事も無かったから良かったけど、部屋に一日引き篭もってて、もし襲われたら、家族まで……」
そうあり得たかもしれない未来は、訪れなかったにも関わらず、藤咲燈を身震いさせた。
「相手とて、我々の手の内は知りません。本拠地へ出向くにはお互いに、周到ではないという事です。しかし、そうですねぇ……よく頑張っていますよ、燈さん。さて、次に此方を」
燈は視線を隣りへ移すと、今度はカラーの写真が数枚、磁石でボードへ固定されていた。
桐山千春、社葵、宮皐月、藍原菘、学生生活を切り抜いた、容疑者各々の生写真だ。
と、それは別に良いのだが、授業中の居眠り、お茶を零して慌てる姿、果ては更衣室での着替え途中など、盗撮臭が尋常じゃない。
「……これ、後で絶対処分しといてね。それと、今回限りにしといて」
「勿論。と言うより、事件が無事に解決すれば、自ずと消えて無くなりますよ。それでは燈さん、これから彼女達について、貴女の知っている事を、私に出来うる限り教えて下さい」
桐山千春。人懐っこくて明るい性格、怨み嫉みとは無縁に見える。人殺しという犯人像から、最も遠い存在と思う。
「動物に例えるなら、犬、ポメラニアン」
「私は好きですよ、燈さんのそういう突拍子も無いところ」
社葵。どこか気品ある言葉や所作は、親が資産家故のステータス。成績もかなり優秀で、学年で十本の指に入る程。誰かを殺してまで得るモノは、既に十分持っている。
「廊下で立ち聞きしたんだけど、この学校に通ってるのは、家から近いからなんだって。何でも、ホントに“お屋敷”って家で、プールとか付いてる豪邸らしいの」
「おや、それでは徒歩十五分程にある迎賓館ばりの門構えは、やはり社葵さんの邸宅でしたか」
「うん。後この学校の土地だって、社さんの親の所有地なんだ……って、そんなとこまで出歩いてたの!?」
宮皐月。友達と恋愛を語ったり、流行り物には敏感だったり。容疑者面々の中では、一番女子高生らしい生態系。また、御影榧の消えた現代では、その恋人と恋仲である。先日は何も掴めなかったが、まだ馬脚を現していないだけという可能性も。
「それと、確かテニス部だった。後は……そうだ、私も知らなかったんだけど、宮さんの弟君と、蛍は時々一緒に遊んでるみたい。でも流石にそれは関係無いよね……?」
「いえ、ここで決め付けるのは早計ですよ、燈さん」
「そう、だよね……私、この件に蛍は絶対巻き込みたくなくて……」
「ええ。その為にも、もう少しだけ頑張りましょう、燈さん」
藍原菘。体躯は小柄で、割と物静かなタイプ。正直、殆ど話した事も無いので、それ以上はわからない。ただ、親が考古学者という、少々珍しい肩書きを持っている事は確か。
「去年の夏休み、課題で自由研究のレポートを出したんだけど、藍原さんのは自分で発掘した古代文明の何とかで、良く出来てるからって、父親の職業と一緒に学校のホームページで紹介されたの」
「博学的で、素晴らしい事だと思いますよ」
「それが、内容が変に独り歩きしちゃって、休日は父親とアンモナイト掘ってるって……うん、結果的に公開処刑だね」
御影榧。少し、否、かなり冷めた態度の女の子だ。明るい髪色と鋭い眼付きから、正当な意味合いで不良と言えなくもない。顔立ちも美人に出来ている為、より一層クールな印象が強いのだろう。が、実は彼女も学業成績優秀者だったりする。
「御影さんの事なんだけど、言う程の事は知らないんだよね。私に対して、ちょっと特別冷たいかな、って勝手に思ってるぐらい」
「しかし、彼女を救いたい。この気持ちに、変わりはありませんね燈さん」
「――うん」
藤咲燈の瞳を覗く。有り触れた日本人の色彩と、しかし金剛石にも劣らず、輝きを放つかの如き意志。
自らの彗眼を褒め称え、結衣はまた、少し笑った。
「やはり、貴女は良い人ですねぇ燈さん。そして、私はそれに応えます」
また髪の中から取り出したのか、結衣は五センチ程度の小瓶を、自らの目線の高さへ示した。目線の高さは偶然か、二人の視線は小瓶を挟んで、全く同じ、一直線上へ重なる。
小瓶の中には透明な、かつ少量の液体が揺れていた。
「これは先触れの彫刻を破壊した際、その亀裂から漏れ出したモノです」
「え、でも襲われた事実って無くなったんじゃ……」
「幸い、あの場は被害がごく僅かでしたので、少々余ったリソースを、私物として頂きました。さて、それより注目ですよ燈さん」
掴みの手品を見せるよう、燈の興味を小瓶へ向けると、すかさず空きの左手で、次の小道具を取り出した。付箋紙の様な、青色の紙だ。
「それ、リトマス試験紙? なんかタイムリー、この前授業で使ったばっかり」
「ええ、同じ物ですから」
「……ちょろまかしたの?」
「必要経費でした。さぁ燈さん、このリトマス試験紙に、小瓶の液体を落とします。するとほら、変化が表れました」
確かにリトマス紙の青が、僅かにピンク色へと変わった。
つまり、これは――と、結衣に渡された回答権に、燈はこっそり目を泳がせた。
「えーっと、酸性かアルカリ性なのはわかるんだけど〜……」
「酸性です、それもごく弱い。そしてこの攻撃に使用された水は、至って普通の水でした。平凡でごく弱い酸性の水、つまりそう――雨水です」
「雨水……それじゃ、ガーゴイルは大量の雨水を撃って、攻撃してきたって事?」
「ええ、これもまた実にガーゴイルらしい趣向です。しかしでは、その多量の雨水は如何にして調達しているのか? これは私の経験上で知っていますが、あれは固有のトークンを設置し、そこから汲み上げ経由される仕組みです。そして主要な武器とするならば、やはり安定した供給が望ましいですねぇ。即ち、大量の雨水をストックしている人物を、ダイスの持ち主に選んだ可能性が高い。何かと都合もいいでしょうからねぇ」
「なる程。っていや、そんな女子高生いるの!?」
「います。正確には彼女自身の所有ではありませんが、季節柄、問題はありません」
「……ごめん、全然わかんない」
悪魔の彫像が選んだ相手は、雨水を貯めた女子高生。燈の頭を悩ませるには、十分過ぎる謎掛けだ。
「さて、既に推論は固まりましたが、更に詰めていきますよ。燈さん、貴女が先日気付いた違和感について、これから私に話して下さい」
「あ、うん。実はこのプリントなんだけど――」
と、燈は大判の一枚を、結衣へと畳んで手渡した。紙面には在校の教職員が、モノクロ写真で羅列されている。
「そこに載ってる日本史の先生に、“藤崎”って名前の人がいるでしょ。でも確か、藤崎って名前の教員は、保健の先生に一人いるだけで、後はいなかったハズなの。私、自分と同じ苗字の読み方は憶えてるから……」
でも、思い違いだったかも――。
そんな燈の表情を見ても、結衣は態度を崩さなかった。
「ふむ……此方の眼鏡を掛けた女性教師、その名前が変化した。変化前の名前はご存知ですか?」
「いや、ごめん。私、世界史専攻で、その先生の授業は受けた事無くて……名前も気にした事なんてない……」
「そうでしたか。ところで燈さん、昼休みは残り何分でしょう?」
「え、後……十二分ってとこだけど」
「では、まだ間に合いますね。行きましょう燈さん」
「えっ、ちょっ、どこに?」
「勿論、職員室ですよ。だって――気になるじゃないですか」
紺色の中に純白が咲けば、当然誰もが花を見る。ブレザー姿が行き交う校舎で、結衣のワンピースは目に付いた。それも美少女で間違い無い、そんな容貌なのだから。
「はい、お待たせしました」
燈と結衣、二人の前に現れたのは、噂の藤崎先生だった。歳は四十半ば程度か、燈の両親に近いと見える。胸ポケットから然りげ無く覗くクマのキャラクターペンに、ギャップ心が擽られた。
「えーと、藤咲燈さん? 先生と同じ読み方の苗字ね。それで、急な要件って何かしら?」
「えっと、その……」
「先生の旧姓を教えて下さい」
はにかむ燈を押し退けて、前に出たのは結衣である。
咄嗟に燈は結衣を掴むと、藤崎に背を向け声を窄めた。
「ちょ、ちょっと結衣!?」
「左手の薬指をご覧なさい、既婚者です。苗字が変化したとは言え、何の脈絡も無い苗字へ変わるのは、些か不自然かと思えたので」
「いや、そうじゃなくて……ううん、仕方無いか、続けて」
自分では埒が明かないだろうと、燈は結衣へと事態を委ねた。
「あのー、藤咲さんと、そのお友達? 外部の方?」
「ええ、外部のお友達です」
ここぞとばかりに来賓者カードを、結衣は藤崎へ見せ付けた。つい今し方、樹木の手入れに来ていた業者、その上着からくすねた物である。
「実は先生の旧姓が、少し珍しいお名前だと聞き及んだので、燈さんと確かめに来てしまいました。それとその名前によっては、少々失礼な詮索をしてしまうかもしれませんが――どうか、ご容赦下さいね」