第一話:六章
「ここは……?」
燈は両目を二度擦る。
四畳半よりはやや広く、日光の少ない正方形。第一印象は、その程度だった。
おまけに家具や壁面には、色とりどりの絵の具汚れが。お世辞にも綺麗とは言えず、散らかり方は物臭のそれだ。
ただ、壁や室内のイーゼルには、何とも美麗な絵画が数点。華やかに飾り立てられていた。
「アトリエ、作業場ですね」
隣に並ぶラプンツェルも、同じ空間を観察していた。と、
『キミ達は、何なんだ?』
観測も束の間、部屋に少年の声が谺する。
すると突然、室内の豪華な額縁が一枚、回転を持って飛び上がる。それが部屋の中心へ来ると、そこへ絵描かれた少年が、額縁を潜って実写化したのだ。
そして少年は――不機嫌だった。
「……美少年だ」
「はい?」
衣服の裾を引っ張ると、燈はラプンツェルへ耳打ちをした。
「今まで気付かなかったけど、こんな綺麗な顔の男の子、初めて会った……女の子みたいじゃない? テレビとかでは時々見るけど、実際会うって滅多に無いよ……!」
「はぁ、それは……」
と、ラプンツェルは少年の顔へ 、四方視線を廻らせる。
東洋と西洋のハーフを思わせる、中性的な顔立ちに、やや黒の混じり合った白髪、年齢は十二程度に見えた。資産家の子息かと匂わせる、気品漂う服装に、ベレー帽も似合っている。
「……そうですねぇ、美少年だと思いますよ、燈さん」
「でしょ? でしょ?」
囁きながら少年を見やる。しかし、睨みで返された。
いや、ここで圧し負けては話が進まない。
「あの――」
燈は固く意を決し、アルターの少年へと言葉を発す。が、
「キミ達の耳は模造品で、陳腐な贋作と同じなのか?」
怒られた。
「いや、その、違うケド」
「それじゃあボクの話も聴かずに、よくもやってくれたな」
燈とラプンツェルは互いに、共通の見解を疎通すると、代表の燈が口を濁した。
「ごめん、全然聞こえなかった……」
「あっそう。許してやるから気を付けろ」
「……燈さん、こちら口だけ悪いですね」
「ね、言いたく無いけどクソガキだよクソガキ。美少年なのにクソガキだよ」
「キミ達、いい加減にしろよ……で、ボクに何の要件だ。ダイスまで入って来たんだから、何か重要な案件なんだろ」
燈と少年、二人の視線が交わりあった。
「うん、和解しに来たの」
「和解? へぇ、続けて」
「まずは……ごめんなさい! 私、勘違いしてた。キミがあの、大きな翼を出したから……」
「ああ、あれね。ボクの造ったイミテーションだ、脚色なんかするもんじゃないな」
少年は再び翼を出したが、何やら指で中空を掻くと、模造品の片翼は、音も立てずに消え去った。
「今、ボクの力は弱い。誰にも依ってないからな。あんな大業な外套も、水を撃ち出す力も無い。……そっちの方は気付いてたんだろ?」
ラプンツェルの緩やかな笑みに、少年の眼光が突き刺さる。
「まぁ、対峙すれば。でも『ぶっ飛ばして』との指示でしたから」
「あ、言ったのは私……共犯って事で、お願いします……」
燈は指をもじもじと、ばつが悪そうに動かした。
「そうか。それで、ボクも何か謝罪をするのか? “和解”だからな」
「それは、うん。御影さんに、謝って!」
燈は少年の双眸を見つめ、その語気を強くした。
「ミカゲ……誰だ?」
「キミが私のスマホで撮った、あの女の子……今はいないから、代わりに私が聴く事にした」
すると少年は、小首を傾げた。
「一体、何に謝罪するんだ? 彼女を殺したのはボクじゃないだろ」
「……解んないの?」
その時、燈にスイッチが入った。
「死んだ女の子を記念みたいに、悪戯に撮っていいハズないでしょ! それをネットに上げるのも! それに助けも呼んでない! ああいう事は、やっちゃダメなの! いけない事なの! いい? 解った!? 解っているの――」
「燈さん」
「何!?」
「お姉ちゃんに、なっています」
「…………」
一同、沈黙。
「……そうか。現代に生きるキミ達は、一つの死を尊ぶ事が出来るんだな」
少年は軽く息を吐くと、
「ごめん、悪かったよ」
そのまま小さく頭を垂れた。
「解ってくれたなら、私はそれで……」
燈はほんの少しだけ、気恥ずかしさにむず痒くなった。
「さあ、襟元を正されたところで、改めて自己紹介を。ボクは“肖像”、『ドリアン・グレイ』。日本じゃ外套の通りが良くないんだけど、知ってる?」
「……十九世紀の長編小説、『ドリアン・グレイの肖像』において、主役の同名人物ですね」
初耳であった燈に代わり、ラプンツェルが相手出た。
「美青年と肖像画、その数奇な運命の物語だったかと」
「そう、今必要なワードは出たね。尤も、この身体は少し歳若いけど。後はキミ達お得意の、ネット検索やらで調べておいてよ。よろしくね、お姉ちゃん」
グレイの悪戯っぽい顔に、燈は身体の火照りを感じた。
「あの、ふ、藤咲燈です。燈って呼んでも、もしアレだったら、その、お姉ちゃんでも……なんて、ははは」
「“髪結い”、『ラプンツェル』を拝借しています。ところで、わざわざ燈さんに接触した理由を、今お訊きしても?」
「ああ、でも目的はもう済んだんだ。ボクはボクを叱責した、燈と話がしたかったから」
「あぁ……私?」
何だ、『燈』呼びなのか。
「そう、キミがあれほど怒った理由。記憶はボクのダイスを振らせて、呼び戻すつもりだったんだ。先客なんて考えもしなかった」
燈は上着のポケットから、第二のダイスを取り出した。
木目調の色合いに、やや大きめの点が打たれているが、その全てと同じ色は無く、二十一色が宛がわれている。
「振る? 振らない?」
グレイはその身を屈めると、上目遣いで燈へ問うた。
「っと、とりあえず……保留で」
「そう。まぁ入り用になったら振ってよ、ははっ」
「あ、うん……そうだそれより、あの悪魔みたいなアルターについて、知ってる事があったら教えて! 何としても、倒さなくちゃいけないの」
「アルター? ああ、キミ達はそう呼ぶのか。悪いけど、大した事は言えないよ。ボクはあいつと旧知だし、昨日、停戦を結んだばっかりなんだ、それも面と向かってね。余計な干渉は無しさ」
「では、あのアルターについて、答え合わせをするというのは、どうでしょう」
『答え合わせ』という言葉に、燈は疑問符を浮かべながら、会話の行く手を見守る。
「推論か、聞かせてよ」
「それでは、もう既に燈さんが目鼻を付けているので、拝聴を」
「……ん?」
ラプンツェルからパスを受けたが、当人は困惑の一方で。
「いやちょっと待って、私全然聞いてないんだけど……」
「言ってませんから。でも、答えられます。さあ燈さん、あの翼、体躯、角、牙、尻尾に魔獣の顔面と、彫刻品の悪魔ときたら!」
「え…………ガーゴイル?」
「何だ、解ってるじゃないか」
燈の微かな回答に、グレイは花丸を付けた。
「解っているのに何故訊いた、髪結い」
「いいえ、燈さんは当てずっぽうです。しかし、彼女には簡単でした。何故なら、あのアルター『ガーゴイル』が、剰りにもガーゴイルに忠実だったからですよ。貴方はまだ、現代の娯楽や趣味趣向、そういったものに疎いのではありませんか?」
「んー、そうだね。現代に目覚めてから一ヶ月ってところかな。日本の芸術、自然や気候、一ヶ月足らずじゃ全く足りない」
「ええ、それには同意しますよ。しかし、今回は別の要素が重要なんです。ねぇ燈さん、ガーゴイルという知名度は、日本的にどれ程ですか」
「日本的に……それはやっぱり、趣味とか年齢にもよるけど、意外と若い人は知ってるかも。特にゲームとか、漫画とかアニメにも出てくるし、私みたいなオタクっぽい人なら、特に。ネットで検索すれば、元ネタとかも出てくるし」
「へぇ、地理と制約に悩めるあいつも、今やすっかり有名人か。ゲーム、漫画、アニメ……どこから始めたらいいかな?」
「手取り足取り教えます」
「燈さん、それはまた今度にしましょう。しかし私が注目したのは、水を吐き出したという事実。燈さんの知る創作物では馴染み薄いかもしれませんが、本来、ガーゴイルとは雨樋。水を口から撃ち出す姿は、実にらしい方法でした」
「一つ、ボクから補足する。あの外套と水撃は、あいつ独自のスタイルだ。それこそ、あのノートルダム大聖堂より、ずっとずっと前からね。つまり、ガーゴイルの姿が後世に伝わり、あの雨樋が出来たんだ。ところで、大聖堂を観た事は? ボクは古書堂の本で読んだけど、実物はまだ観ていないんだ」
その問いに、燈は少し目を逸らす。
「あー、ノートルダム大聖堂は、確か大規模火災があって……」
「……何だって?」
グレイが驚愕したところで、ラプンツェルは両手を打ち鳴らした。
「さて、この辺りでお開きです。またお会いしましょう。ああ、最後に一つだけお訊きしたいのですが」
人差し指を一つ立て、ラプンツェルはグレイへと。
「ガーゴイルの撃つ水流、あれは特別なものではなく、ごく普通の水でした。あれだけの水を扱うには、何か絡繰りがあると踏んでいるのですが、如何でしょうか」
「さあ? 言っただろ、余計な干渉は無しさ。それとも、もしかしてキミは、もう解っているんじゃないのか?」
「……わかりました。では、またお会いしましょう、肖像さん」
互いに、何か一物を抱えた様な、含みを孕んだ別れであった。
部屋に一つだけ備え付けられた、木製の扉から出ると、その周囲には暗闇が。向こうに、ぼんやりと光も見えた。
「明かりに向かって進めばいい」と、グレイに言われて歩き出す、その道中。
「事件の輪郭が見えてきましたね」
そのラプンツェルの言葉には、燈の同意は難しかった。
「そうかな……敵がガーゴイルって事はわかったけど、誰がダイスを持ってるのか、御影さんを襲った動機も、まだ不明なまんまだし……」
「そうですね。でも解った事ならもう一つ。停戦の取り決めの時、彼は『それも面と向かって』と言いましたね」
「そう言われれば、そう言ってたかも」
「ええ、言っていましたよ。そしてそれが、燈さんを襲うのに、敵が先触れしか寄越さなかった理由です。他のアルターとの協定なんて、自分が行くしかないでしょう」
「なる程、そっか……じゃあ私があの程度で済んだのって――」
「奇しくも、ドリアン・グレイの行動が、我々の有利と働いていたんですねぇ」
奇縁に些か驚きながらも、燈はラプンツェルと二人で、同じ明かりを目指した。