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アルターダイス  作者: リム
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第一話:五章

 燈はソファーを飛び起きた。同時に、姉の突飛な起き様に、弟は僅か肝を冷す。

「……落とし穴まで……あるなんて……」

 荒い息遣い、奇妙な呟き。ふと、燈は自分の制服姿と、部屋の様子に目を丸くした。

「……あれ、居間?」

「ねーちゃん、どうした……」

 姉より幾らか高い身長と、まだ幼さの残る相貌。長めの髪を指で掻き、藤咲(ほたる)はやや引き気味に、姉の顔を覗き込んだ。

「蛍……私、そっか、帰って来てすぐに……」

「ソファーを一人で独占だよ。晩飯も食わずに爆睡とか、大丈夫か。ここ最近、顔色悪いぞ」

 やれやれといった表情で、コップに注いだ麦茶を飲み干す。それからテレビの電源を入れ、今度はマグカップを出した。

「お茶でいい?」

「あ、うん。ありがとう……蛍、ちょっと変な事訊いていい?私がこの部屋に罠を仕掛けて、これから蛍を始末します」

「朝から」

 蛍の顔が、怪訝に曇る。

「椅子がロケットみたいに飛んだり、床が落とし穴だったりします。じゃあこの部屋の中で、一番安全な場所はどこだと思う?」

「ねーちゃんの側」

「……採用」

 流石、一家の秀才である。

「いや朝から変なコト言わせんなよな! ほら、昨日の晩飯あるから。それに今日は休日――」

「! そうだ、今日って土曜日じゃん!」

 テレビ画面の左上側に九時二分の表示を見つけ、燈は脱衣場へと向かった。

「蛍ごめん! 私、十一時に待ち合わせしてるから、代わりにそれ食べて!」

「え、いやこれ昨日も食べた――って最後まで聞けよっ!」

 学校へいくら遅刻し掛けても、こんなに急いだ事は無いだろう。燈は早急に浴室を済ませ、今度は自室へ駆け込んだ。シャツにネクタイ、下はスカートと、外行き用の正装(しふく)に着替え、続けて散らかった机の上で、私用カバンの中身を揃える。

 と、妙な感覚が頭を掠めた。それからすぐに、

『聞こえますか燈さん』

 ラプンツェルの声が耳奥に響く。

「ウソ、どこいるの……?」

『ああ、漸く繋がったようですね。勿論、ダイスの内からです。これは立派な電波塔ですよ』

 上着へ入れた賽子に触れると、微かに熱を帯びていた。

『これでいつでも会話可能ですね。燈さん、思念通話(テレパシー)ですよ。思念通話(テレパシー)を想像してご覧なさい』

『……あーあー、本日は晴天なり』

『素晴らしい』

 すると慌てた支度の所作で、燈は乱雑な机の上から、学生カバンをはたき落とした。開けたままの広い口から、ファイルとプリント類が流れる。

 悪魔彫刻の頭から、燈の身体を護り抜いた盾。そこへプリント類を戻すだけ、今やったって楽勝だ。

「あれ……」

 拾ったプリントの一枚に、燈は小さな違和感を覚えた。クラス替えの際に配られた、在席中の教員名簿だ。新年度が始まる時には、決まって生徒へ配布されている。

 でも確か、日本史の担任は――。

『……遅刻しますよ』

「! いってきます!」

 今日の燈は計画通り。最寄りの駅から電車を乗り継ぎ、改札前の喫茶店へ。ここは待ち合わせ場所として、この駅のベターな選択肢なのだ。

 ところが、近過ぎず、遠過ぎず、何故か燈はこそこそと、人目を忍んで振る舞った。

『おや、燈さん、あちらの女性は』

 喫茶店の前に立つのは、私服姿の宮皐月だった。皐月は携帯端末で、しきりに時刻を気に掛けている。

 それから五分と掛からぬ内に、今度は別の方角から、見知った男が現れた。

 燈が意識し、榧が得た――否、榧の()()()と言えるのだろうか。

『あれは軽音楽部の、』

「先輩。……はぁぁ」

 ここぞと燈の嘆息が映える。

『つまり燈さん、貴女の言う動機というのは、痴情関係という訳ですね』

 そう、目障りな榧を排除して、皐月が密かな思い人を、先輩をその手中に納めたのであろう。これが燈の見解だ。

『昨日、二人の会話を立ち聞きしちゃったんだけど、それってラッキーだったかも』

『確かに、恋愛感情は劇薬ですね。さて、何かいいものが出てくるといいですねぇ、燈さん』

 数十メートルは距離を置き、見よう見まねで尾行を始める。

 完全に素人行儀なのだが、これが存外覚られない。五感を逆上(のぼ)せ上がらせる、色恋沙汰に感謝だろうか。

 繁華街を抜け、海を望み、燈は景色に目もくれず。そして十七時に差し掛かり、皐月は彼氏と珍客と、漸く食事処へ着いた。

「うぁ、ムダに高い……ドリンクだけにしよ」

『ねぇ燈さん、このまま一日見ていたところで、悪魔の尻尾を掴めると、本当にお考えですか』

『それは、わからないけど……』

 燈はチラリと視線を配る。

「実は、部活で今悩んでて……」皐月が真摯に話す度、先輩は首肯と同情で返す。

 私の抱える爆弾も、この悩みも聞いてほしい!

 周囲へ声が聞こえぬ様、燈は小さく口をすぼめた。

「いいなぁ……私も、悩み事相談したい。ストレスで、禿げそう……」

『ふむ……ちょっと待って』

 一分後、

「お待たせしました」

 女性用の厠のドアから、ラプンツェルが現れた。

「……そんな事出来るの?」

「まぁちょっと。あ、私はアレが飲みたいですねぇ。ロイヤルミルクティー、タピオカ入り」

 しかし結局メニューに無く、値段も安価な紅茶を二つ。テーブル上に出揃うと、二人は皐月を隙見した。

「……ごめん。思い違い、だったかも」

 切り出したのは、燈であった。

「一生懸命照れ隠しして、頑張って手繋いで……なんか、宮さんは違う気がする。ううん、私が違うって思いたい……のかも」

「難しい心情ですね、燈さん。とてもとても、難しい。しかし残念ながら、人は心に悪魔を飼います。例えそれが聖職者でも、飼わずにはいられない」

「そう、だよね……ホントごめん、私、逆によくわからなくなっちゃった……宮さんが御影さんを消したなら、そうやって好きな人を奪って、それで、ホントに楽しいのかな……」

 燈の眉間に皺が寄り、声音は忽ち枯渇した。

「そうですね……それでは少々、批評の時間を設けましょう」

「ひひょう?」

「ええそうです、燈さん。私は今日、宮皐月を見張ると同時に、別の事へと注力していました。実は、少々立腹するかもしれませんが、最初から決定的な証拠や機会は、大して期待していませんでした。寧ろ、私にとって今日一日は、貴女の観察だったんです」

「私の……?」

「勿論、今日だけではありませんが。さて、貴女は自分が摩耗する事に、慣れています。それから自身の事よりも、他人(あいて)の事を思ってしまう。自分は皆の邪魔になるからと、そんなに距離を取る必要は無いんですよ。それと、ここ最近の貴女は、それこそ死別に直面してから、あまりにも身を削っている。今日、何を食べましたか?」

「え、っと、繁華街で、菓子パンだけ……」

 腹の虫が騒ぎ出すのを、燈は猛烈に感じ取っていた。

「私の知っている『女性』というのは、胃袋の中身が空っぽでは、そう、駄目なんです。今日は自宅に戻ったら、食事と入浴、それからベッド。私から、この三つを処方しておきます。ちゃんと服用する様に。お願いしますよ、燈さん」

「――うん……!」

 自分の言いたい事柄を、自分じゃ言えない事がある。ましてや代弁されたのは、燈にとっては初めてだった。

「あの、今度は私から質問なんだけど、ずっと気になっていた事で……」

 燈はひ弱におずおずと、ラプンツェルへと問い掛けた。

「どうして貴女は、私の事を選んだの? 私、特別何も無いんだけど。それと、貴女はその、特別な力で何かしようって、そういう考えは無いの?」

「燈さんの選考理由、それこそ単純明快でしょう。貴女が、とても良い人だからです」

「……えーっと、それだけ?」

「これ以上はありませんよ。そして二つ目の質問ですが、答えは “ノー”、私は何もしません。超越された力を以て、人々を支配せしめる風潮。私はそれが苔むしていると、現代に目覚めてすぐ気付きました。我々は、もう歴史を廻す必要が無い。寧ろ、史実に瑕を付ける事こそ、この時代の生命に対する、この上無い冒涜ですよ。……これで大丈夫ですか?」

「う、うん、バッチリ。こう、思ったよりも壮大で、ちょっとびっくり……」

 そのスケールの採寸ときたら、紅茶を飲み干したばかりなのに、何故かもう喉が乾いてきた。

「それはまた、光栄です。ああ、もう出て行く様ですよ」

 宵闇が色を濃くすると、追う者としては優位となる。しかし食事を終えた恋人達の追跡は、紅茶を二杯だけ注文し、内一杯奢りとなった燈には、とても空腹な出来事だった。言ってしまうと、超ツラい。

「うくッ――」

 物陰に通る、腑抜けた音色。思わず燈は声を洩らした。

 燈の腹の虫達が、三度目の警笛を鳴らしたのだ。シャツと拘りのネクタイじゃ、腹の音の遮蔽は許されない。

『燈さん、バッグの内ポケットです』

 言われたままに確認すると、見た事の無いデザインのカードが、栞の様に挟まっていた。

「これってもしかして」

『アルターに用いる、使い捨ての道具(アイテム)です。それは瞬間的な距離移動、“ポート”と呼んでいるカードです。対象は私限定で、ダイスに翳し、使用を念じれば効果が発揮されます』

『使い捨て……あー、うん、解った』

『何か、腑に落ちない点でも』

『いやぁ……私、使い捨てのアイテムとかって、勿体無くて使えないタイプなんだよね。道具は温存して、スキルとかで遣り繰りするの』

『……私はこれから、単独で宮皐月を追います。燈さんは帰宅して、ゆっくり滋養して下さい。ただ、ダイス本体から離れると、徐々にアルターは弱体化します。万が一、敵に襲われた時は、』

『ポートカードで呼び寄せる』

『その通り。ちゃんと使って下さいね、御守りではありませんよ燈さん』

『大丈夫、大丈夫! いざとなったら――』

「ねえ」

 ドキリと一つ、心臓が高鳴る。

 声の方向に身構えると、そこには一人の少年が。背丈は燈と同じ程度で、頭に斜めのベレー帽。顔は明確に視認出来ないが、白髪だけは目に焼き付いた。

「えっと、何か用――」

 いや、そうだ。この少年は――。

「……やっぱり、忘れちゃったの? ボクの事」

 少年は一つ、嘆息した。

「それじゃあ、こんなのは?」

 ゆっくりと、大きな片翼が伸びた。

 それは、嗚呼、あの時の――降りた悪魔の片翼だ!

「それって――」

「興味が湧いた? それなら――」

「ラプンツェル!」

 燈は既に順応していた。相手へ向けてダイスを投げると、漆喰が如き黒髪は、先手必勝と触髪を廻らせ、少年の四肢を絡め取った。

「! なんだ、髪――!?」

「燈さん、指示を」

「ぶっ飛ばして!」

「いやちょっと待――」

 ラプンツェルの動きに合わせ、髪は豪快に立ち回る。暗がりを少年の身体で殴打し、これを衝撃で身震いさせると、白髪を闇のアスファルトに向け、急転直下で振り下ろす。

 無慈悲なまでの、電光石火。轟音に周囲が気付いた時には、既に決着は着いていた。

 そして滑らかな表面の剥げた、少年の着弾地点にあるのは――。

「ダイス……!」

 野次馬の視線も何のその。燈はその場に駆け寄ると、戦利品をその手の中へ。

「燈さん、それは――」

「……うん!」

 その脚は軽く、路面を蹴って。

 それこそ人目を憚らず、燈はラプンツェルを抱き寄せて、固く、勝利を握り締めた。

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