第一話:三章
愕然とした。
翌日、皐月に訊いてみた。それから葵と菘にも、それぞれ同じく訊いてみた。
「御影さん、今日来てる?」
ところが全員、答えは一緒。
「御影さんって、誰?」
千春ですらも、そう返すのだ。多分、悪戯なんかじゃない。
「新一年生?」と皐月に返され、「どのクラスですか?」と葵に言われ、「いたっけ?」と菘はきょとんとし、「私も一緒に捜そうか」と千春には心配までさせて、いよいよ燈は打ちのめされた。
朦朧とする頭の中で、燈は嫌味な酷似に気付く。
以前、観ていたアニメでこんなのがあった。一致じゃないけど、よく似ている。
敵に殺された人間が、存在ごと抹消されるのだ。
「千春ーっ」
机に突っ伏したその顔を、燈は脊髄反射で上げる。
昼休み、教室へ千春を迎えに来たのは、小柄な菘の姿であった。菘は千春を迎え入れると、皐月と葵に合流し、仲良く並んで遠ざかる。
彼女達は四人のグループ、誰が見ても明らかだった。
もう、何も解らない。私に解るハズがない。
御影榧はどうなった、そもそもそんな人はいたのか。それに何故、自分だけが榧を覚えているのか――。
放課後、疲労を身体に背負い込み、燈の脚は重かった。それでも、引き摺るように歩みは止めない。
そうまでして、漸く。登下校では毎日通る、短い橋の中央へ。
そこでふと、冷たい視線に立ち止まる。
「…………」
昨日起こった悪夢のせいで、燈の五感は冴えていた。
燈は視線に気付かれまいと、知らぬ存ぜぬで振る舞う事に。学生カバンを漁ってみたり、携帯端末を弄ったり、牛歩で橋を進み出す。
遮蔽物は何も無い、すれ違う人も普通に見えた。
自分の背後、数十メートル後ろ――。
ある程度の安全を担保して、ゆっくり燈は首を傾けた。
橋の欄干が視界に入り、そこから徐々に角度をずらす。すると欄干端の彫刻が、燈の視線を釘付けにした。
サイズは小さく、膝を抱えて。あらゆる外的微細は違えど、その牙、その角、尻尾に翼!
あの悪魔によく似た彫刻が、静かに此方を見つめているのだ。そして燈は彫刻と――
「やばっ」
バッチリと目が合っていた。
悪魔は翼と体躯を開くと、金切り声を張り上げて、橋の宙空へと飛んだ。
更に付け加えてしまうと、橋というのは性質上、四隅が出来るという物だ。だから彫刻は四体あるし、ついでに言うと朝は無かった。
「き、来た!」
通行人の驚嘆を背に、四つの叫びが大気を揺らす。続き飛び回る一体が、燈を目掛けて突進して来た。驚く程の速度じゃないが、燈には避ける自信も無い。
燈は咄嗟に学生カバンで、悪魔の頭突きを受け止める。幸い、多量の課題と溜めたプリントが、鋭利な部位から燈を守った。
それでも、衝撃だけで十分なのだ。
燈の身体は低く飛び、鉄の欄干へ叩き付けられた。鈍痛は顔を苦渋に歪め、声を潰して滲ませる。
燈は堪えて身を乗り出すと、橋から下を見下ろした。川は薄黒く流れも不明、何より燈はカナヅチと、身投げもおおよそ甚だしい。
「私、詰んだ……」
固い欄干に身を預け、燈はその場でへたり込む。それでも悪魔は容赦せず、僅か時間差で隊列を組み、燈にとどめを刺し迫る。
走馬灯、とは大袈裟だが、思い出す事は山程あった。昨日の事は勿論であるが、やはり最期は家族の事で、熱い感情も込み上げて来る。
でも、これは、何なのだろう。記憶の中に燦然と、私は既に――。
「――知ってるじゃん」
もしくは、持っていると言うべきだろうか。
ブレザーの、左ポケット!
指先が六面を探り出す。どうやら、今日はちゃんと入れておいてくれたみたいだ。
「“髪結い”――『ラプンツェル』!」
愛らしい指を離れたダイスが、未知の力を解き放つ。
「私を、護って!」
刹那、黒い螺旋が撃ち出されると、小型な悪魔の口へと潜り、内から身体を弾き砕いた。
ラプンツェルは登場するや、急かさず他の二体へと、艶やかな髪を幾重に伸ばし、雁字搦めと捕縛する。
「燈さん、あれをご覧なさい」
見ると最後の悪魔が慌て、此方へ背を向け逃げ出していた。
「あれを逃がすと本丸に、我々を知られてしまいます。……チクられる、の方が解り易いですかねぇ?」
「いいから早くぅ!」
半泣きの燈にせがまれて、ラプンツェルは獲物を見やる。と、どんな原則で出したのか、反物の様に広げた髪から、巨大な鋏を取り出した。
大きさは有に一メートル、先端は実に凶器の鋭角。それを右手に構えると、少女は即座に目星を付けて、標的へ向けて撃ち放つ。
瞬間、投擲された金縁の鋏は、彫刻の身体を正確に、そして完璧に刺し貫いていた。
燈は聞いた事など無いが、これが悪魔の悲鳴であろうか。悪魔は一際高く嘶くと、たちまち身体が崩れていった。ラプンツェルはそれだけ見届け、捕らえた二体も破壊する。
二分も掛けてはいないだろう。こうして燈は一世一代を、無事に乗り越え切ったのだった。
ラプンツェルの、助けによって。
「あの、ありがとう……」
「いいえ、どういたしまして」
ラプンツェルの返した笑顔は、正しく救いの女神であった。一生心に刻まれるだろう。
それから外野の騒ぎ立てを背に、立ち上がろうとした矢先、ほんの僅かな時間であったが、燈は再び眩暈を覚えた。
この感覚は忘れない、だから、多分――。
「つまりあの『アルター』を倒せば、御影さんも戻るって事?」
希望の光が、燈に灯る。
もう三度目だ。テーブル、椅子、柔らかな表情。
しかし些か興奮気味に、燈はラプンツェルへと問うた。
「ええ。交渉に応じる要素は無いので、恐らく倒すしかないでしょう。アルターの変えた史実の歪みは、そのアルターの力でリセット出来ます。先程は、あの彫刻品を模した尖兵を始末したので、あの橋で襲われたという出来事を修正する事が出来ました。本来、あれは存在していなかったんですから」
「そっか、それがルールなんだ」
テーブルに置いた賽子を、燈は再び手に取った。手中の賽の“一の目”と、燈の瞳が見つめ合う。
「ねぇ燈さん、貴女と御影榧さんは、友人関係だったでしょうか」
「……ううん、違う」
藤咲燈と御影榧は、決して友人関係じゃない。
「それでは何故、榧さんを救いたいのでしょう。アルター同士の問題は、命の危険も孕みます。自分の命を賭けてまで、本当に成すべき事でしょうかねぇ」
何故。そう問われると、明確な輪郭を持つ回答を、燈は所持していなかった。
だから、自ずと答えは一つ。
「……ごめん、答えは無い。けど、誰かが誰かを助けるのって、元々理由とかないじゃん」
燈は危険は承知の上と、ラプンツェルへと話した上で、
「私は、当然の事がしたい」
自らの本心を語った。
その思いを聞き届け、髪結いの少女は口を綻ばせ、それでも最後に一つだけ、藤咲燈へ問い掛けた。
「今ならまだ、降りれますよ」
ラプンツェルの問い掛けに、しかし燈は首肯せず。
「ううん。俄然、やる気出てきた!」