第一話:十三章 (終)
四月十三日。授業合間の休憩時間に、各教室が騒ぎ出す。
声が犇めくそんな一角に、とある女子高生達が。
御影榧、社葵、宮皐月、藍原菘、それに桐山千春を加えた、五人組の姿であった。
そこへ、フリスビーを咥えて戻る愛犬が如き様相で、燈は堪らず駆け込んで行った。
「御影さん!」
「っ、な、何!?」
「よかった、ホントによかった! ホントに、本当に……!」
「は? な、何が?」
「社さん!」
「は、はい」
「悪魔っぽい彫刻とか、プールに無いよね!? 勉強とか習い事とか、もう絶対に無理しないでね。勝ち負けだけが全てじゃないから! 私でよければ相談乗るから!」
「え、ええ、ありがとう……?」
清々しさすら感じる燈に、本人以外が恐怖した時、次の授業のチャイムが鳴った。退散して行く榧からは、「キモっ……」の一言が漏れ出していた。
「……キモいって、言われちゃった。ハハ、ハハハ……」
『燈さん、やはり貴女は――愉快ですねぇ』
「ボクの調べたところでは――」
と、味付き煮卵を頬張る燈と、隣りで相伴に預かる結衣へ、グレイは静かに切り出した。
「って、聞いてるのかキミ達は」
あれから三日後。昼休みの屋上、快晴の空。各生徒が昼食を摂る中で、燈は一際高い位置に居た。生徒の登頂は禁止なのだが、燈は塔屋の上で独り、否、人間一人とアルター二人で、ランチタイムを過ごしているのだ。
「ん、ごめんグレイ君。そうそう、グレイ君の分も買って来たから、はい」
燈は購買で買った煮卵を、袋事グレイへ差し出した。
「フン、それでアルターを懐柔出来るとでも?」
「私はもうされました。半熟でとても美味しいですよ」
尖ったグレイの態度を他所に、結衣は口元の汚れを拭うと、今度はメロンパンを食べ始めた。
「……何なんだ、全く」
グレイは少々ぶっきらぼうに、燈から煮卵を受け取った。
そんなグレイの話によると、ガーゴイルの消した人間は、他にも四人はいたという。
ある日の事、葵は家政婦と諸事情で揉め、相手に酷く立腹していた。それこそ、消してやりたい程に。
「あの人を消したい――本当に出来るの?」、その発言が当人にとっても、悲劇の引き金となってしまった。
翌日、腹の立つ家政婦は消えて、代わりに別の家政婦が、さも当然のように炊事をしていた。悪魔が主の願いを聞き入れ、アルターの力を奮ったのだ。
しかし新しい家政婦は、力を手にした葵の眼鏡に適う事は出来なかった。
それから暫くの間、社家の家政婦は日替わりだった。
それは家族にも気付かれず、淡々と四人を抹殺し、漸く得心したのであった。
「それじゃ、御影さん以外の人達は――」
「安心しろ。家政婦は最初の人に戻ってた、全員無事だ」
安堵の息を吐く燈に、グレイは軽く鼻を鳴らすと、味付き煮卵を齧った。
「本当に、終わったんだね。思えば、同級生の娘を容疑者扱いなんて、随分な事しちゃったな……宮さんに至っては、先輩と付き合いたいからなんて、冤罪で尾行した訳だし……」
「ええ。……ところで燈さん、その軽音楽部の先輩には、未だ恋心など、お持ちでしょうか?」
「え……うん、それはまぁ。でも御影さんから奪おうなんて、そんな事は考えて無いから。あー、でも、もし万が一別れちゃったら、その時はワンチャン……ぐらいで」
「なる程……その事ですがね燈さん、実は少々、面妖な事になりました」
「めんよう?」
「はい。肖像さん、例のブツは」
「バッチリさ」
と、妙な歯切れの良さで出たのは、二十枚程の写真であった。
その一枚目は、御影榧と先輩が、喫茶店で逢瀬する姿――なのだが、何故か二枚目の写真では、宮皐月と先輩が、それもいつぞやと同じ風采で、デートと洒落込んでいるのである。
「え……なにコレ、どういう、こと?」
「私から説明しましょう、燈さん。ズバリこの先輩は、御影榧と宮皐月で、二股を掛けているんですよ」
「…………マジ?」
「本当でした。つまり、我々が尾行したデートというのは、御影榧の有無に関わらず、執り行われていたという事になりますねぇ」
「因みに、ボクも補足しよう。この男は一年生にも一人、ガールフレンドを匿っている。しかも自分の彼女に対し、自販機で煙草を買わせたりする、低俗な飯事が趣向な奴だ」
軽く開いた口の上で、燈の瞳が点になる。
「……クズじゃん」
「残念ながら。ねぇ、肖像さん?」
「『珍しく気が合う』って台詞は、こういう時に使うんだろうな。ぷっ、ははははっ!」
人の不幸は、蜜の味。
「ついでに、こいつの正面アングルを撮ったブロマイド写真もあるけれど、これももう不要かな?」
「……ううん、違うよグレイ君。それと結衣、鋏貸して」
徐に、燈はブロマイド写真を置くと、渡された大きな鋏を構えた。そして躊躇う事も無く、尖端を写真へ振り下ろし、そのキメ顔に大きな風穴をぶち開けた。
燈が鋏を引き抜くと、丁度お誂え向きに、春の突風が吹き込んだ。浮気の証拠は風に乗り、そうして写真は一枚残らず、校庭の生徒へ流布された。
「よかったんですか燈さん? これで修羅場は確実ですが」
「うん、絶対リセットしないで。三股男は滅びるべき、袋叩きに合えばいい」
威風堂々、金言である。
「ふふふっ、今の言葉、【藤咲燈】の扉に是非。……さて、ではそろそろ、私はお暇する事にしましょう」
「あ、結衣戻るの? それじゃ、また後で」
「いいえ、燈さん。名残惜しいですが、お別れです」
「え――」
突然、世界が真っ白になった。
真っ白の中にもっと白い、純白のワンピースをはためかせた、結衣の姿のみ切り取られたと、燈は錯覚を起こした。が、すぐに情景が取り戻されると、結衣の眼を見つめ吐息を漏らす。
「そっか、もう行くんだね、結衣」
「……ええ。事件一連の関係者は、全員無事に生きています。“樋嘴”、『ガーゴイル』の介入する、それ以前の世界を取り戻しました。ありがとうございます、燈さん」
「ありがとうなんて、そんな……お礼を言うのは、私だよ。本当にありがとう、結衣……」
ちょっとずつ、燈は自分の声が滲むのを、どうする事も出来なかった。
「ねぇ結衣、私、なんとなくこうなる気がしてた。結衣にはまだ、何かやる事があるんでしょ……?」
「はい。“髪結い”、“肖像”、“樋嘴”。現代で三人のアルターが、集い、鎬を削り合いました。この狭い地域でダイスが三つ、何かの前触れかもしれません。そこで私は、この日本を警戒する事にしました。地球の網羅は不可能ですが、警邏を日本と限定するなら、私にも出来るかもしれません」
「そう、なんだ。なんか、ちょっと安心したかも。同じ国の空の下って、遠いけれど、近い気がする」
「ええ、そうですね。ふふっ、ちょっとした旅ですねぇ。まずは北の方へ向かって、日本を知ろうと思います」
「それいいかも、これからもっと暖かくなるし。ところでじゃあ、グレイ君も行っちゃうの?」
「ボクは髪結いの友達じゃない、当然だけどキミともだ。ボクの行き先は、ボクの自由だ」
グレイはそれだけ言い残し、塔屋の端から飛び降りた。着地の音も響かせず、グレイの姿は掻き消されていた。
「……今日グレイ君が出て来たのって、きっと最後だからだよね。……それじゃあ、結衣、元気でね」
「はい、燈さんも。あぁ、最後に一つだけ。燈さん、貴女は気付いてないかもしれませんが、貴女はこの短い期間で、素晴らしい成長を遂げました。難解に立ち向かう勇気を、貴女らしさを誇って下さい」
「えっ、いや、そんな事無いって……」
「謙遜ですねぇ、燈さん。貴女は交渉を度外視していた私に示してくれました。それこそ、あのクマのキャラクターペンは、見事なブラフでしたよぉ?」
ここへきて、やや悪戯っ子のような表情を、結衣は燈へと露呈した。意外な結衣の一面に、燈の口元が綻ぶ。
「あ、ありがとう。うん、あのペンは目を引くアイテムだったし、揺さ振りに使えると思った。冷静に考えれば、私が御影さんのペンなんて、知ってる訳も無いのにね」
「それを信じさせる気迫が、貴女にあったという事ですよ。それでは燈さん、時間です。明日こそ、誰か他の人を探して、一緒に昼食を食べて下さいね?」
軽妙な冗談を混じえつつ、結衣は三度、手を差し出した。
「うん、約束する」
別れの握手を、今ここに――と、不意に燈が、右手を戻した。
「……ごめん。多分、私、その手を取ったら、私、涙で授業、出られなく、なっちゃうと思う……!」
一粒だけ、頬を伝った。
「……ええ、それでは右手は、再会の時に交わしましょう。いつか、必ず会いに来ますよ」
「……うん……!」
昼休み終了のチャイムと共に、次の突風が吹き込んだ。燈が顔を覆った刹那、結衣がその身を翻し、塔屋から飛び降りた気がした。
そうして瞼を開いた時には、もう、燈しか居なかった。
ブレザーの左ポケットには、何も入ってはいない。
「……結衣、また今度」
それから「よしっ」と呟くと、荷物を纏めて屋上を抜けた。
四月十六日、五時限目。燈は二年生になってから、初めて授業に出遅れた。
おまけ:四月十七日の蛍
落下にも似た感覚を受け、蛍の身体はびくりと反応。徐に壁の時計を見ると、授業の四時限目が終わっていた。どうやら、寝過ごしてしまったらしい。
ぼうっと、頭を揺り起こす。
「腹減った……」
カバンの中から弁当を取って、友人を昼食に誘おうとした――その時だ。
「おい藤咲っ」と、友人の宮から声を掛けられた。
探す手間が省けたと、蛍は弁当を掲げたが、どうやらそうではないらしい。
二年生から、お呼び出しだぞ! しかも女子、女子だぞぅ!
美人が六割、可愛い四割。お前の彼女か、違うのか。違うと言うなら紹介しやがれ!
周囲に集まる友人達から、囃し立てられ辟易とする。廊下で待っている女性について、蛍にはもう、何もかも検討がついていた。
半ば尻を叩かれて、蛍は渋々廊下へと出る。
そう、そこに待っていたのは――
「あ、蛍っ!」
実の姉、藤咲燈の姿であった。
「あのさ、学校ではこっち来んなって、いつも家で言ってるだろっ」
「ゴメンゴメン。実は今日、ちょっと蛍にお願いがあって……」
「? 変な用事じゃないだろな」
「大丈夫。あのね蛍、今日の昼ご飯、お姉ちゃんと一緒に食べよう」
「…………」
何を、一緒に、食べるって?
「やだ」
「うえっ、どうして!? 家では一緒に食べてるじゃん!」
「ばっ、こ、声が大きいっ! やめろ、シスコンに思われるだろ。新一年生を殺す気かっ」
「大袈裟だなぁー。いや実は私、今日は一人じゃご飯食べない、誰かと食べるって約束があって」
「何だそりゃ。てかねーちゃん、ぼっちなの……?」
「憐れむ様な目はヤメテ……それで、他の娘に声を掛けようと思ってたんだけど――」
「もたもたしてたら逃げられたのか」
「ハイ……もう、最後の希望は蛍だけなの。今日だけ、ね? ね? ね?」
グイグイ懇願してくる燈の、毎日拝んでいる瞳には、底知れぬ変な気迫があった。
「あーもう……ちょっと待ってろ」
蛍は友人の輪に戻るや否、急用が出来たと詫びを挟んで、足早に自分のクラスを離れた。
羨ましいぞ、クソったれ!
後日、釈明を問われるだろう。何と説明したものか。
「それで、場所は?」
「ありがと蛍! 屋上で食べよう、天気も良いし」
「ん、わかった。ところでねーちゃん、弁当は?」
「あ、うん、家に忘れた……」
「どんくさ……それじゃ購買に行ってからだな」
「うん……それがその、実はお財布も忘れてしまい……」
「ねーちゃん、学生手帳の中。いつも緊急用とか言って、お札挟んで持ってるだろ」
「……天才」
長い廊下を購買へ、歩く姉弟の並んだ背中。
蛍は少々面映かったが、何故だか幸せそうな燈には、結局負けてしまうのであった。
ここまで読んで下さって、本当にありがとうございました!
楽しんで頂けたでしょうか?
お家時間が長いご時世、自粛へ貢献出来たなら、自粛じゃなくても楽しめたなら、冥利に尽きるというものです。
続きをどうするのか、まだわかりませんが、感想や評価(ポイント?)をして頂けますと、また頑張れます☆
改めて、本当にありがとうございました!