第一話:十章
第一ラウンド、決着。時間、一分十八秒。決め手は鳥カメレオンの角による、見事な急所への一撃。悪魔の彫刻の鳩尾を、深々貫き始末した。
「スゴい、勝った!」
燈は水に浸った制服を、引き摺りプールを這い上がる。すると使役者に気が付いた様で、翼の生えたカメレオンは、燈へ近寄り傅いた。
「え、えーっと……よしよーし、勝って偉いぞ、ありがと〜」
直径一メートル程もある頭を優しく数回撫でてあげると、鳥カメレオンは身体を揺すり、喜んでいるように思えた。
「そうだ、鳥カメレオン君! 私、これから学校に戻らなくちゃいけないの。よければ私を学校のプールまで、空から運んでくれないかな? あ、もしかして日本語じゃ通じない? ん〜、アイル・ビー・バック、ハイスクール?」
身振り手振りで踊る燈に、しゅるりと再び嫌な気配が。見ると鳥カメレオンの長い尻尾が、燈の腰に巻き付いていた。
「いや、うん、運んで欲しいんだけど、出来れば背中にぃやあ―――――!」
三分後、ヘリポートへの着陸の様に、鳥カメレオンはプールサイドへ。梟の羽を羽撃かせ、ゆっくりと不時着を果たした。
燈は尻尾が解かれるや否、口を抑えて膝を折る。
やばい、ちょっと戻しそう。
絶叫系は苦手だが、乗れないという訳じゃない。因みに、一番無理なのは回転系。昔、一度だけコーヒーカップに蛍と乗り込みチャレンジしたが、その後一日動けなくなり、結果はどっちらけであった。
「うぅ……あ、あった!」
苦悶を心に仕舞い込み、燈は第二のトークンを発見。やはりプールの中央に、殆ど同型の彫刻がある。
つまり、鎮座する悪魔も。
「ごめん鳥カメレオン君、またお願い!」
燈の声に頷くと、聞き慣れぬ叫びをゴングに代えて、鳥カメレオンは羽を開くと、悪魔の彫刻へと突っ込んだ。
葵は騒ぎに紛れるよう、既に学校を抜け出していた。騒ぎの渦中を離れれば、意外と周囲は平常運転、薄気味悪い程に普通だ。それでも、人目を憚るように、葵は裏道を歩いた。
ガーゴイルから話は聞いていたものの、霊魔同士の戦闘なぞ、当然生まれて初めてだ。
「ガーゴイル、どこ行ったのよ。ちゃんと始末したのよね……?」
ただ、騒ぎの収集や事態の揺り戻しなど、鎮静された様子は無い。つまりまだ、騒乱の最中だ。
「おや、無用心ですよぉ、葵さん」
ぎょっとして後ろを振り向くが、瞬間、黒髪に巻き取られ、葵の自由は奪われた。
そこに立っていたのはそう、敵である“髪結い”の姿であった。
「急がば回れ、奇縁ですねぇ。では失礼しますよ葵さん」
制服のポケット、カバンの中身と、結衣は素早く髪を侍らせた。が、その結果は不服そのものだった。
「葵さん、ダイスは所持していないんですか?」
「ダイス? ええそうだけど、何か悪いの? ガーゴイルを呼ぶぐらいしか、使い道なんて無いじゃない!」
その時、風が静かに巻き起こった。続けて、地域住民の驚嘆と悲鳴。再び結衣にガーゴイルが、王手を掛けて詰め寄った。が、葵の存在を見るや否、悪魔の仮面が狼狽える。
「葵、何故こんな所に? 私の彫刻と備えて待つよう、先程言い含めた筈ですが」
「煩いわ、指図しないで! そもそも貴方の処理が遅いから、こんな面倒になったんじゃない!?」
「ふふっ、形成逆転ですねぇ」
険悪なムードに水を差し、結衣が大鋏を構えた。そして刃は葵の喉へ、いつでもやれるという事だ。
「……ダイスは私の手の内に。例え葵を得たとして、この樋嘴を組み伏せ無力化したとは、些かの早計ですね」
「そうでしょうか? 貴方にとってダイスより、この社葵さんこそが、重要な存在と見えますが」
背丈も倍程は違うが、“髪結い”と“樋嘴”の関係は、今拮抗しているかに思えた。
だがまた刹那、新しい風が吹き込んで来た。
間の抜けた悲鳴に空を仰ぐと、小さく珍妙な影が一組。翼の生えたカメレオンと、その尻尾に巻かれた燈の姿だ。真っ直ぐ学校のプールへ向かって、梟の羽で羽撃いている。
それを見て、悪魔が嗤った。
「貴女のダイスを所持しているのは、藤咲燈の方でしたね」
「ええ、ですが――させません!」
その反応を見るや否、結衣は葵を巻いた黒髪に、力を強く流動させた。瞬間、燈が向かった全くの逆へ、葵の五体をぶん投げたのだ。
アクセルを踏み込んだダンプカーのよう、ガーゴイルは葵の落下地点へ、脇目も振らずに速急行。それとは丁度行き交う形で、結衣は学校の校門へ、一目散に駆け出した。
蛍が学校へ踵を返すと、既に大きな人集りが。マスコミか保護者かよくわからないが、それらは別にどうでもいい。
気掛かりなのは、燈の安否だ。
「SNS見た感じだと、かなりヤバそうだったけど……って言うか、怪物って何だよな。今、西暦何年だと思ってんだよ……」
と、携帯端末を手に取り、燈宛に通話を繋いだ。
次の瞬間――
「お借りします!」
長い黒髪の少女に、携帯端末を引っ手繰られた。
「え――お、おい!」
「燈さんは無事です、私が保証します!」
尋常ならざる驚異の速度で、少女は校門を走り抜けると、あっという間に見えなくなった。
後にはただ、喧騒を唄う事をやめた、民集が呆然とするだけだった。
「もしもし、私です、結衣です」
『え、結衣? 蛍は!?』
「無事です、携帯端末を借りただけです。それより燈さん、今どこにいますか?」
『今? 丁度、プールで封筒の中身を撒き終わったとこだけど』
その言葉尻から数秒、校庭側の壁を飛び越えて、結衣がプールサイドへ着地。周囲を常に警戒しながら、燈の手を引き校舎へ入った。
「ちょ、ちょっと結衣どこ行くの!?」
「すみませんが、急いでプールの側を離れます。敵が此方の仕掛けた髪に、気付く恐れがあるからです。今、我々を追ってガーゴイルが、此方へ向かって来ています」
「えぇっ、それじゃ撃退しないと!」
「いえ、ここで始末します」
そして、何度目かの破壊音。校舎二階の廊下途中で、格子ごと窓を突き破る、悪魔の巨躯と正面衝突――を、既の所で燈を抱え、首の皮一枚回避する。
ガーゴイルが、重い拳を振り上げた。そのタイミングを見計らい、結衣は左右から髪を伸ばす。が、突然小型の悪魔が飛び込み、髪の軌道へと割り込んだ。当然、本丸には届かない。
結衣が、一撃を被った。
燈の短い悲鳴も一緒に、纏めて飛ばされ倒れる二人。意外にも、先に起きたのは結衣だった。
「燈さん、怪我は無いですか?」
「私は平気……それより――結衣、血が、血みたいなのが出てる!」
燈を気遣うその顔に、深い赤ワインのような液体が、頭の方から流れ出ていた。
「アルターの血は、人間に比べ色が濃いんです。傷はそこまでのものではないので、大丈夫ですよ燈さん」
でも、頭から血が出てる――。
燈は言い得ぬ怖さを感じ、思わず自分の身を抱き締めた。
「今の攻撃、藤咲燈がいなければ受けずに済んだ傷でしょう。それにしても、漸く拳を一撃とは、とんだ曲者アルターですね。純粋な力は並ですが、頭脳と技術で補っている」
「それはまた……随分な過大評価ですね、樋嘴さん」
不安気な燈を背中にし、結衣はその脚で立ち上がる。
と、袖で流血を拭い去り、結衣は奇矯な行動に出た。
それは――「シュッ! シュッ!」という掛け声と共に、シャドーボクシングを始めたのだ。
「……何のつもりですか」
訝しい顔の燈だけじゃなく、ガーゴイルまでもが声音を濁す。
すると結衣は、不敵に笑った。
「見ての通りです。今から貴方を、ノックアウトしてみせます」
結衣の黒髪が動いた。
長い髪を床まで伸ばし、それを五等分すると、それぞれ両手両足へ、グルグル巻き付け出したのだ。
するとそれらは不思議な事に、結衣の皮膚へと馴染み込み、やがてタトゥーと化して溶け合った。
「下準備は完了です。それでは――行きます」
瞬間、疾風が如き一発が、ガーゴイルのボディを捉えていた。燈がその目を丸くする中、続けて一発、もう一発と、有無を云わせぬ連続攻撃。
結衣の拳は唸りを上げて、敵の外装が軋み出す。
「この威力、瞬発力は――ッ! 髪結い貴様、肉体強化か!」
「私の柄ではありませんがねぇ!」
結衣の猛攻に耐えかねて、悪魔が思わず距離を取る。
そして、結衣と燈を狙い、遂にその時が訪れた。
畏怖すべき猛獣の口から、水の奔流は流れ出ず。代わりに悪魔の歪んだ声と、堅牢な彫像の意匠から、髪の毛混じりの水が漏れ出して悶苦しんでいるではないか。
「燈さん、指示を」
「あいつを――あの悪魔を倒して! 結衣!」
目配せで御意を燈へ告げると、結衣はガーゴイルへ突進。がら空きの腹部へ数発入れると、水の漏れ出た鎧の隙間――脇腹へ大鋏を突き刺した。
そして鋏はそのままに、右足で悪魔を蹴り飛ばし、壊れた窓から校庭側へ、夕焼けの空へと追放した。更には、中空へ飛んだガーゴイルが、飛沫と破裂音を高らかに暴発を起こしたではないか。
それはまさしく、燈が待ち望んだ奇跡。“髪結い”の完全勝利であった。
「……私とした事が。思わず最後――足が出てしまいました。しかしまぁ、良いでしょう。ねぇ、燈さん」
「――結衣!」
ドリアン・グレイを屠った時とは比べ物にならないぐらい、燈は結衣の身体を強く、強く抱き締めるのであった。
校庭へ墜ちた悪魔の姿に、誰もが怯えきっていた。周囲にいたのは警察官だが、それでも恐怖の眼差しだった。朽ちたガーゴイルを中心に、半径十メートル以上、誰も近付く事はなく。それも無理の無い話であるが。
そんな中、颯爽と無人の領域へ、結衣と燈が踏み込んだ。
すると突然、倒れた身体を奮い立て、ガーゴイルが立ち上がったのだ。
「おや、まだ立ち上がりますか。しかし樋嘴さん、既に外装は亀裂が入り、水を撃つ力も無いでしょう。些か、往生際が悪いかと」
装飾の部位は欠けて落ち、外装中が罅割れ出しても、その悪魔の彫像は、「プッ」と口から髪の毛を吐く。
「いいや、まだです。まだ手はある」
挑戦的な言葉を残し、翼を広げた。そして雄叫びを上げると、まるで絨毯爆撃のような、別の轟音が校舎を揺らした。
「……な、なに、アレ」
燈が見上げた視線の先には、夕日を映す雲は無く。代わりに、校舎へ暗い影を落とす、巨大な悪魔の怪物が、空へ凄んでいるのであった。
「藤咲燈、そして髪結い。これが私から贈る、此度の最大傑作です」