問題のある新入社員7 (SIDE:哲郎)
「やだなぁ、そんな情けない顔しないでよ、鴻。そんなに嫌なら、逃げられる方法教えてあげようか?」
田上の言葉に驚いて見返すと、苦笑を浮かべていた。
「そんなにたいしたことじゃないから聞いたら何だって思うだろうけど、嫌なら嫌だとはっきり言ってやれば良いんだ。それを更に無理強いしてくるようなら、その証拠をキッチリ取ってしっかり保存しろ。
そうすれば、いざという時はパワハラってことで総務部へ相談に来い。協力してあげるよ?」
「……それって大丈夫なのか?」
「どういう意味で?」
「確かに俺はそういう政争とかゴタゴタしたことに巻き込まれたくはないけど、だからと言って課長の立場を悪くするようなこともしたいとは思ってない。
今の仕事、キツいこともあるけど好きだから続けていたいと思っているし、同僚達とも上手く行っているからできれば現状維持したいと思ってる」
「つまり、小清水課長の立場を慮って大事にはしたくないから、最悪泣き寝入りまたは我慢して流されるって言いたいの? それって鴻らしくないよね」
「俺らしいって何だよ。そんなこと考えて行動したことなんかねぇよ」
「だよね。だから現状こうなってるんだし。でもいい加減大人なんだから、真面目に考えて慎重に言動した方が良いよ? 僕は一応忠告したからね、鴻は自分の望むようにすれば良いよ。
自分で決めたんなら、僕に見捨てるのかとか文句言ったりできないよね。だって、僕は僕が知る限りの知識や情報を元に助言したんだから。
それができないなら、鴻が自身で他の方法を見つけないといけないよね?」
畳み掛けるように言われて、グッと詰まった。確かにそうだ。
「……今は何も思いつかないけど、その内自分で何とかするよ。色々教えてくれて有り難う、田上」
俺がそう返すと、田上はふーんと天井を仰いだ。
「まぁ、鴻がそうしたいなら仕方ないね。でも、泣きつきたいことがあったら愚痴くらいは聞いてあげるから感謝してね。仕事が忙しい時とカスミちゃんとのデートの約束がある時以外に限るけど」
そう言った田上の言葉に、なんだか笑みが溢れた。
「うん、有り難う。まぁ、あれだ、なるべく自力で頑張ってみるけど、挫折したり諦めた時は飲みに付き合ってくれ」
「なら、その時はキャバクラデビューしてみる?」
「しねぇよ、お前はどうしてそこまで俺を連れて行こうとするんだよ。毎回行かねぇって答えてるだろうが」
こいつなりの慰め方なのかも知れないけど、本当ドン引きしかしないからやめて欲しい。
「一度行けばハマるかもよ?」
「そんなこと聞いたら余計恐ぇよ」
社会人になって必要に迫られた今だからこそ女の子が単体もしくは固まっていなければ何とか直視できるようになったけど、気の強そうなあるいは口達者そうな女の子が視界内に一度に五人以上入ったりしたら、中学時代のトラウマが甦りそうで恐い。
俺はもう色々と諦めているから良いんだ。どうせモテないし、第一印象で恐がられたり逃げられたりするし。
決して女性が嫌いなわけではないが、集団である程度以上距離を詰められると不安に駆られる。
自分には良く理解できない理由で相手に嫌われるのも恐いが、どうしようもないことで泣かれるのも、それをどうにかしろと詰め寄られるのも、それらを一方的に批難されるのも恐い。
同じ男相手なら、そう気構えることもないし楽なんだが。……そう言えば中学二年の時のあの女の子、見た目だけなら結構好みだったんだよな。
色恋以前に、こちらが相手を認識する前の段階で向こうに拒絶されていたわけだが。
もしかしてあれかな、彼女のトイレ立ち籠もり事件がなければ、あれが俺の初恋とかになっていたのかな──なんて空しい想像はやめよう。
起こらなかった、何も生まれなかった過去の思い出に、妄想で構成された付属物を後から付け加えるとか、気色悪い。
俺みたいな図体デカイむさ苦しい男がナーバスになってもちっとも絵にならないんだから、無駄なだけで考えたってどうしようもないことを考えるのはやめよう。
でも、俺がイケメンで優男だったら、たぶん泣かれたりはしなかったんだろうなと思うと胸が痛い。うちの家系で俺がイケメンになることは絶対有り得ないので、考えるだけ無駄なことだが。
期待なんかしたら駄目だ。うっかり希望なんてものを持ったら駄目だ。卑屈になってもウザいと思われるだけだし、グジグジウジウジするのはみっともない。
目を閉じてふーっと深く息を吐いて、ゆっくり十数える。
「……なぁ、田上。俺みたいに図体のデカイ男が、女の子の集団が恐いって言ったら笑うか?」
そう尋ねると、田上は何言ってんだこいつとでも言いたげな顔で眉を顰めた。
「別に。思春期をずっと男所帯で過ごしたやつには良くある話だろ。そうでなくても、過去に何かあって女が恐くなる男ってのもいるし、人それぞれなんじゃないの。
僕だって、実は極度の女性不信で、キャバ嬢に入れあげて溺れ込んでるバカな男を演じて見せているだけかもしれないじゃない?」
「……え?」
思わずきょとんとしてしまった。一瞬、何を言われたのか考えて、いや仮定の話かと安心しかけて、そしてふと気付いた。田上が無理矢理笑みを作ってるみたいな、苦しそうな表情をしているということに。
「何、その苦虫を噛み潰したような顔。たとえの話だよ、ただの。お前がそんな顔するような話をした覚えはないよ。まぁ、僕は女の子が大好きだけど、仕事とか忙しくてマメに口説いてる暇ないんだよ。
で、仮に付き合えることになっても忙しい時はちっともまともにデートできなかったりするもんだから、その間に相手が別の男見つけて離れて行っちゃったりするんだよね。
だけどそんなことに気付かずに連絡したら、冷たく振られちゃうってわけ。だいたいこう言われるんだ、『どうせあなたは私のことそんなに好きでもなかったわよね』って。
僕、そんなに器用なタイプじゃないんだよね。仕事していたら、目の前のことに没頭しちゃって他に気が回らなくなるんだ。たぶん僕みたいなタイプは彼女とかそういうの作っちゃダメなんだと思うよ」
それについては、俺も似たようなもんだな。これまで彼女がまともにできたことなんて一度もないが。
「あー、田上、前に言ってた合コンの話だけど、あれ、なかったことにしてくれ」
「急に何だよ、鴻。あれ、一応うちの林さんとかにもう話回してるよ? まだ返事は来てないけど、同級生何人かに声掛けてみるって言われたから、早ければ今週中くらいには日時決められそうな感じなんだけど」
「いや、あの時はああ言ったけど、やっぱりいいよ、そういうの。今は仕事の方が楽しいし、たぶん俺も田上じゃないけど、休みの日にデートする代わりに仕事して振られそう」
そう言ったら声を上げて笑われた。
「バーカ、鴻のくせに人にそんな風な気の回し方するなよ。それはそれ、これはこれだろ? だいたいそっちから頼んで来たくせに前言翻すなよ。
僕、学生時代も今も良く合コン頼まれて何度も幹事やってるから。僕って恋愛対象にはなりにくいけど人に警戒され難い愛されキャラで、異性同性問わずそこそこ仲の良い顔見知りはわりと多いからね」
いつもだったら、何が愛されキャラだよとか返していたけど。何となく気まずくて、黙って頷いた。
「ところで鴻はさ、どういうタイプの女の子が好き?」
「……ちっちゃくて可愛くて女の子っぽくて、間違っても野外でヘビを捌いて食おうとかしない子」
そう答えたら、田上は弾けるような笑い声を上げて笑った。
「ぶっは、あははっ、ちょっ、荷物運んでる時に本気で笑わさせないでよ、お腹痛くなる……っ! よりによってそれって……! いや、ないよ、普通にないよ、そもそもヘビ食べようって発想が普通はないってば! あはははははっ……!」
楽しそうに笑いやがって、田上のやつ。
「もしかしたら何処かに他にいるかもしれないだろう。とにかく俺は爬虫類も両生類も、食肉用に育てられた家畜以外は絶対食わないから。衛生管理に不安のある肉とか死んでも口にしないと決めてるんだ」
「でもさ、鴻、そういう女の子ってわざわざ捜さなくても普通にその辺にいると思うけど?」
「普通で良いんだよ、普通で。俺以外の基準で美人でなくても、可愛いと思われなくても、俺が可愛いと思う子であれば、どこにでもいる普通の女の子で良いんだよ。
あと、俺を見ても逃げ出してトイレの個室に籠もって目が腫れるまで一人で泣いたりしなければそれで良い」
「……ふーん? 逆にそういうことする女の子を見つける方が難しいと思うけど、一応その条件は林さんに伝えておくよ。週末か休日、たぶん土曜の夜とかになるけど、人数集まったら連絡するよ」
「わかった」
「で、鴻。好奇心で聞いても良い? そのトイレの個室に籠もって目が腫れるまで一人で泣いた女の子って実在するの?」
……こいつは。思わず睨み付けると、「おぉ恐っ」と田上は大仰に肩をすくめた。
「そっか、お前、自分の見た目にものすごく劣等感持ってたんだな」
「うるさい」
「僕はそんなに悪くないと思うけどね、まぁその常に睨み付けているように見える三白眼は、慣れないと恐がる人もいるだろうけど、慣れると結構表情読みやすいよね、鴻は。
よし、鴻には僕の秘密を一つ教えてあげよう。僕ね、人に聞かれたら身長は百七十cmだって答えているけど、本当は〇.三ミリ足りないんだよね。
でも〇.三ミリくらいなら誤差の範疇じゃない。だから百七〇cmだって自称しても許されるよね」
そんなこと聞かされても、俺にどうしろって言うんだ。
「ほら、どうでも良いでしょ? 人のコンプレックスなんてその程度のもんだよ。だけど本人にとっては結構切実だよ。
百六十cm台と百七十cm台の間には例え〇コンマ数mmでも大きな差なんだ。だけど、身長測る時に背伸びしたり顎を上げたりするのは、プライドが許さないんだよね」
……なるほど。そう言えば、俺の身長が二m超えた後でも俺のことをやたら羨ましがってたやつがいたよな。何でそんなこと言うのか、あまり理解できなかったが。
「だけど石田は身長一六三cmだけど、それを気にしている様子は全くないぞ?」
「そういうのは人それぞれだからね。僕は気にしているから、今話した秘密は誰にも言わないでよ。もし口外したら二度と鴻とは話さないから」
「了解、誰にも言わないから安心しろ」
「うん、そう言ってくれると助かるよ」
こいつの言うことの大半は本気か嘘か判別つかないが、たまに絶対嘘だろとか思うようなところで実は本気だったりすることもあるから困惑する。
俺はそんなに器用な質じゃないし、絶対嘘だろうって思うことでもこいつが嘘ではないと言うなら信じようと思っている。こいつの態度で、明らかに嘘だとわかる時はともかく。
そして俺の勘ではこの身長の話、たぶん『本気』なんだよな。正直マジかとも思うけど本人が気にしていて誰にも知られたくないと本気で思っているのであれば、事実なのだろう。
俺はできれば百八十cm台前半で止まって欲しかった。靴のサイズも二十五.五cmから二十六cmくらいで良かった。三十cmもあると海外ブランドなら無い事もないけど、そうそう見つからない。
しかも甲高なので革靴は○ーガル、普段はスニーカーなどある程度調節の利くものを履くことにしている。
荷物を運び終え、入社式の受付用や終了後に使う書類申請手続き用の机を並べて、書類や冊子・リーフレットなどを並べ、筆記具や朱印・ゴムシートなどを必要箇所に配置する。
その他細々とした雑用や荷物運びやパーティションの設置などを終えたらお役御免となったので、貴重品を返して貰い上着を受け取って、会場へと向かった。
広報の連中がマイクの音声やBGMのテストを、同じく広報の別のチームが総務の誰かとカメラや三脚、撮影用LEDライトやアンブレラなどを配置する場所について、最終確認を行っている。
そう言えば、俺達の入社式も全く同じ会場だったな。飾られている花や椅子の配置などは異なるが、それ以外はだいたい同じだ。
なるべく邪魔にならないように、隅の後ろの方で立っていようかな。きっとその方が良いだろう。
会場へ向かう直前に田上に渡されたペットボトルのお茶を飲み干し外に出てゴミを捨てて、トイレの鏡の前でネクタイや襟などを確認して会場へ戻った。
数百m先に身長は百七十cmちょっとなのにやけに目立つ男がいた。いわゆるアッシュブラウンと呼ばれる明るい色のふわふわとした髪に、自前なのかカラコンなのか少し色素の薄い瞳。
外回りのくせに日焼け止めでも塗っているのかそれほど焼けていない肌、明るめのグレーのスーツにピンク色のシャツ、紺色の地に黒いキャラ絵が描かれたふざけたネクタイに、おそらくダイヤが一粒だけ付けられたネクタイピン。
総務部と思われる女の子数人に囲まれて楽しそうに会話している。あいつだ、東側階段で口喧嘩していた第二営業課の片割れ。
もう片方は、そんなイケメンチャラ男の手前の壁際で、他の同僚らしき男と会話しながら、苦虫を噛み潰したような顔で睨み付けていた。
何だかすごく嫌な予感がした。