問題のある新入社員4 (SIDE:哲郎)
これまで服なんて穴が空いてたり目立つ汚れがなければ何でも良いなどと考えていたせいで、私服も職場に着ていく服もろくなものがない。
別にどうでもいいと思っていたのは、つまり周囲が男ばかりで異性にどう思われるかなんて意識する必要がなかったからだ。
嫌われても敬遠されても疎まれても、俺には関係ないと思っていたから。
「聞いても良いかな、鴻って小中学校時代は着る服は全部母親任せで、自分では買いに行かないタイプだった?」
「その通りだよ。良くわかったな」
俺がそう言うと、田上は溜息をついた。
「いや、誰にだってわかるよ、見たままじゃないか。じゃあ、高専時代は? やっぱり母親任せ?」
「だって勉強と趣味と遊びで忙しくてそれどころじゃなかったし」
「で、就職してからもそのままってわけだ。いや、もっと酷いよな。だってまともに着る服がないとか、それって就職したんだから自分で買えって言われても動かなかったってことじゃないの?
お前、貰った給料はいったい何に使ってるんだよ」
「毎月家に五万入れて保険に三万掛けて、あとは数万残してだいたい貯金かな」
「僕と同じだから今年五年目だろ? あれ、ちょっと待って、ボーナスはどうしてるんだよ、それ」
「全額定期預金」
そう答えると、田上はうわぁと声を上げた。
「……堅実なのは、お前じゃなくてお前の母さんかな」
「今は通勤に姉のお下がりの軽四乗ってるけど、一千二百万ちょいあるから買おうと思えば新車を買えるな。今のところ不自由はしてないから現状維持だけど」
「あのさ、お前の年齢でその貯金額はそうないよ。どれだけ貯めてるんだよ」
「これでもIT関連書籍やPCや周辺機器買ったりして色々使ってるんだが、やっぱり一番は実家暮らしで月五万入れるだけで三食食べられて、家賃や光熱費払わなくても良いって点じゃないか。
買った書籍の半分くらいは経費で落ちてるのもある」
「ああ、僕は一人暮らししてるからなぁ。できるだけ自炊頑張ってるけど、なかなかきびしいんだよね。家賃が六万、食費が三~四万掛かってて、なんやかんやで毎月生活費で十六万前後出て行くから」
「いやそれもあるだろうけど、お前の場合はキャバクラ通いをやめるのが一番節約になるだろう、確実に」
「それは有り得ないよ。仕事の疲れを可愛い女の子に癒して貰えなきゃ、心が死んじゃうよ~」
「俺は家族親戚と店員以外の女の子と会話しなくても、ちゃんと元気に生きてるぞ」
「ごめん、鴻。僕は鴻ほど枯れてないから、そんな生活干からびちゃう。カスミちゃんに頑張ったねって頭撫でて貰えなきゃ絶対死んじゃう自信がある」
そんなこと言われて、どう反応すれば良いんだ。正直、田上のこの手の話題は何度聞いてもドン引きしてしまうんだが。
これって十分依存だよな。カスミちゃんとやらが引退したらどうするんだ。ああ、でもカスミちゃんの前はユリカちゃんだったから、大丈夫か。
ユリカちゃんからカスミちゃんに変わるまでの間に何度か飲みに付き合わされたけど、そんなことで気が紛れるならきっと問題ない。
「……そうか、まぁ人の価値観なんて人それぞれだもんな。あと、これだけは言っておくけど枯れてはないから。色々諦めてるだけだから。
それでさ田上、もう一つ相談なんだがお前同僚や後輩の女の子とどう接してる? やっぱり男相手と同じように接するのはまずいよな」
「やっぱりそういうのは女の子に実地で教えて貰うのが一番だよ。今からキャバ行く?」
「だから行かねぇよ、どんだけ行きたいんだよ」
本当ドン引きだって。
「キャバクラが恐いなら、ガールズバーとかにする?」
「それ、いったい何が違うんだよ」
「女の子がカウンター越しにお酒作ってくれて会話するだけ。デートも接触もなし。一番の違いは払う金額かな。スナックに近いけど、ちょっと違う。若い女の子がバーテンしてる感じ?
でも鴻がそういう店に一度も行ったことがないなら、キャバクラの方が絶対良いよ。こっちから話しかけられなくても向こうから話しかけてくれるし、どんなにつまんないやくだらない話でもちゃんと聞いてくれる。
スナックもガールズバーもある程度コミュ力あるやつじゃないと、よっぽどフィーリングが合うとかじゃなきゃたぶん楽しめないから、女の子と何を話したら良いかわからないなら絶対キャバのがオススメだよ」
「お前が行きたいだけだろう、それ」
「それもある。折角の週末なんだから、むさ苦しい男と顔つき合わせて飲むより、可愛い女の子にお酌して慰めて貰って癒やされたいよ~」
「……じゃあ、早めにここ出て解散するか」
「ちょっと鴻、何だよ、その養豚場のブタでもみるかのように冷たい目は。ちょっとした軽い冗談だって」
別にそんな目はした覚えがない。ちょっとイラッとして、料理とかまだ残ってるけど、本気で帰りたくなったけれど。
「悪い、お前の冗談は俺には理解できないみたいだ。たぶん俺達は違う星に住んでる住人なんだよ、きっと」
こいつがどこまで本気でどこから冗談なのか、今年五年目の付き合いになるのにまだわからない。ふざけたやつだと思う。
「鴻はポーカーフェイスができないから反応面白くてついからかっちゃうけど、別にお前といるのがつまらないわけじゃないからな。
人間臭くて見ているだけで十分面白いから」
「あのなぁ、そういうの本当にやめろよ。人を試すような真似とか軽々しくするな。そういうのが一番人の心を傷付けるんだぞ。悪気はなかったとかいう言い訳は、この世で一番嫌いな言葉だ」
どうしてこいつはこんなに拗らせているのか。偽悪的な言動や痛々しい自虐とかもやたら多いし、本当に何がしたいのかちっとも理解できない。
でもまぁ、どうしようもないやつだとわかっていて、見捨てられないんだが。
「お前はもっと誠実になれ。真摯になって真面目に自分自身と向き合って、折り合い付けてから他の人にもちゃんと正面から向き合え。
嫌なことからは日常生活に支障が出ない程度に逃げても良いけど、いずれちゃんと向き合って真剣に考えないと、その内お前自身が後悔することになるだろう?
それが辛いって言うなら、話くらいは聞いてやるから」
まぁ、俺もたいがい人のこと言えるわけでもないけど。でも、少なくとも田上ほど酷くはないと思う。
「……鴻は本当に手厳しいな。自分と折り合いを付けろって言われてもそれが一番難しいんだけど、良くも言ってくれるよ。
しかしまぁ、鴻の天然っぷりは最強だよね。もう地雷とかそういうの気にせずグイグイ踏み込んで来るからちょっと恐いよ。だからこそ鴻らしいっちゃらしいんだけど、ちょっと不安にもなるよね。
自分の問題もダメなとこも十二分に理解できてるつもりだけど、だからといって開き直ることも、全部飲み込んで我慢することも、逆にぶちまけてスッキリすることもできないんだよ。
僕はただの道化で、どうしようもなく救いがたいバカで良いんだよ。だって、今まで築き上げてきたもの全部壊すことの方がずっと恐いからさ。
鴻は自分が強くて真摯で真面目だから周囲にいる他人にもそれを求めるんだろうけど、人はそんなに強くないよ。
愚痴を吐けるのは既にそれを消化したからで、現在進行形で本気で悩んでることはそうそう口に出したりできないよ。
何らかの方向性や自分がどうしたいか見つけた後じゃなきゃ、誰かに話して楽になりたいとは思えないから」
「じゃあ、それができて話したくなったらそう言え。でも、無理はするな」
良くわからないけど、俺はそんな風な悩み方とかした経験がないから共感とかはできそうにないけど、力になれるものならなってやりたいと思うし。
「鴻は僕より二歳年下なのに本当におっさん臭いよね。実は浪人とか留年とかして年齢詐称してない?」
「してねぇよ! 何のためにそんなことするんだよ!! 証明するのに戸籍謄本の写しがいるって言うなら取って来ようか? ほら、免許証だ、良く見ろ! これはそう簡単に偽造できないぞ」
「ゴールドだ、しかも髭がなくて髪が短い。あれ、これ就職してからだよな? 短い時ってあったっけ?」
「その時は誕生日直前に散髪屋に行ったんだ。二ヶ月半ほどで戻ったが」
「鴻って髭剃るとだいぶ若返るんだな。最近髭が標準装備になってて剃ってない状態しか見てないから忘れてた。そう言えば新入社員研修受けてた頃は、体格と太々しさは変わらないけど結構若く見えたな、確か」
「結構若く見えたんじゃなくて、本当に若かったんだよ。なにせ当時二十歳だからな」
「何しろ図体と態度がでかいから、初々しさは皆無だったけどね。すっごく目立ってたよ。そう言えばあの時普通のリクルートスーツだったよね。あれまだあるの?」
「ああ、あれからずっと放置してたけど、まだあるし何着か念のため腕を通してみたけど問題なかったぞ」
「なんだ、じゃあそれ活用しようよ。中のシャツとか変えたり、ジャケットやスラックスの組み合わせ変えるだけでも少しはマシになるよ。カジュアルっぽい方が良いんだよね?」
「そうだな。うちはお前も知っての通りカジュアルだったりラフ過ぎたりして、毎日スーツとネクタイな課長が浮くくらいだから」
「思ってたよりはだいぶマシな状況かも。一時はこいつ本当にどうしようとか思ったけど、貯金はあるみたいだからこの際高級ブランドもいけそうだけど」
「ちょっと待て。フォーマルは諦めるけど、カジュアルな服にうん十万も掛けたくないぞ。一枚九千円超える半袖シャツとか有り得ない」
「ああ、使用面積が多いから綿シャツとかでも物によっては、いい値段になるのか。そんなに安く済ませたいならお前いっそ、ジャケットの下はランニングとかにしたら?」
「さすがに冗談だよな?」
「ちょっと見てみたくはなったけど冗談だよ、一応。それはそれですごく似合いそうだけど、社内で見たら確実に笑う自信あるし」
「おい、やめろよ、お前の冗談は本気でつまらないんだよ。だいたい下着は人に見せるもんじゃないだろう」
「へぇ、じゃあ鴻は女の子がタンクトップとかキャミソール着てるのはダメなんだ?」
「えっ、それとこれは別だろう。だいたい男のランニングとか誰得だよ。女の子が着てるのは可愛いし似合ってるし目の保養になるけど、男が同じようなことしたらギャグになるか暑苦しいだけじゃないか」
「鴻はガタイが良いから、髪とか髭とか基本的なとこから全部身綺麗にすれば、サイズさえ合っていれば意外と何でも着られるんじゃないの?
身長と威圧感はあり過ぎるけど、アスリート体型だし。ほら、渡○謙とか参考にしてみたら?」
「バカ、世界的有名俳優の真似とかできるわけないだろう。だいたい収入が天と地くらいに差があるんだぞ。あっという間に所持金尽きるじゃないか」
「いや、全くそのまま真似しろとは言ってないよ。ああいう感じを意識して服を選んでみたらって話。だいたいその作業着とカーゴパンツ、何処で買っているの?
いくら作業着といったって、ちゃんとしたとこできちんと採寸して買えばもっと良いのいくらでもあると思うけど」
「ホームセンターだ。意外と色々なサイズが置いてあって、安くて丈夫で長持ちする」
「……鴻もたいがいだね。服にフィッティングや自分に似合うかどうかより、頑丈さと耐久性を重視するとか僕からしたら信じられないんだけど。
ちょっと頭が痛くなってきた。鴻、ファッションとか専門外の勉強もちょっとくらいした方が良いよ。世間から取り残されちゃうよ、そんなのだと。
好きで着ているのかと思えば、そんな予想も付かない理由だったなんて。僕ずっと鴻とは美的センスがだいぶ違うだけだと思ってたよ」
「そんなに酷いか?」
「あれ、酷い自覚があるから改めようと思ったんじゃないの?」
「……わかってるよ、わかってるけど、田上にもそう思われてたなら、もしかして俺、他の同期や同僚達にもあいつのセンスやべぇとか思われてたのか? 俺が気付かなかっただけで」
「ああ、それはあるかも。でもそういうセンスって人それぞれだから、生きていく分には特に支障ないし人のをとやかく言うのもなんだから、あまりにも群を抜いてるとかえって口にはしにくいよね」
「……マジか。俺って自分で自覚していた以上に相当やばかったのか。うわぁ、来週からいったいどんな顔して仕事すれば良いんだよ」
「いやさぁ、鴻の趣味が良くても悪くても、そんなものは鴻個人の価値にはたいして変動はないし、誰もそんなことを深くは気にしないから、鴻も気にしない方が良いよ。女性受けは雲泥かもしれないけど」
「でも、田上は酷いと思ってたんだろう?」
「それはそうだけど、別に僕は鴻がカッコ悪かろうと逆にめちゃくちゃカッコ良かろうと、そんなものはただの付属物であってもなくてもどうでも良いから、気にしないよ?
鴻だって女の子の水着姿は気になっても、男のそれはどうだって良いでしょ。そういうもんだから、深刻に悩む必要はないよ。
人間の外観や印象操作なんて誰でもちょっとしたことでいじれるけど、そういうのはその人の本質や資質とは全然関わりがないから。
何か影響があるとしたら、初対面の時の第一印象くらいじゃないかな。それ以外なら後からどうとでもなるし。人間って良くも悪くも慣れる生き物だから」
「フォローされているのか、貶されてるのかわかんねぇよ。でもまぁ、思ってたより相当やばいのはわかったから、これからは気を付けるよ。
でも本気で服やなんかの知識は皆無だからできれば色々教えて下さい、心入れ替えるから」
ちょっと泣きたい。
「鴻がそんなに動揺するのは初めて見るから、ちょっと新鮮だな。心配しなくても服を選ぶのとかは手伝ってやるから。大丈夫、鴻で遊んだりしないから安心して」
どうしよう、田上に安心してと言われても、どこまで安心して良いのかわからない。でもこういうことで頼れそうな友人が、他にいない。
俺ほど酷いのはいないとしても、たぶん世間一般からするとどんぐりの背比べレベルだし。
「面倒掛けるけど、どうか頼む」
だから、俺で遊ぶのは本気で勘弁して欲しい。でないと俺の心が死んでしまう。