問題のある新入社員2 (SIDE:哲郎)
つまり、ASD持ちで専務の同窓かつ恩人の姪で色々な意味で配慮が必要、要するに下手な扱いはできないけれど彼女の資質は未知数で必ずしもシステム開発課に向いているとは限らない、そして他の部署に配属されたとしても部課長クラスの人達にとっては腫れ物扱い、今のところ海の物とも山の物ともつかない、玉となるか石となるかは皆目見当が付かない、と。
「単に配慮が必要ってだけじゃなくて、専務の意向も含めて丁重に扱えってことですか?」
「そこまでは言いませんけど、彼女のことで何かあると恩人に良い顔したい専務がしゃしゃり出てくる可能性は十分ありますね」
「それって大川専務ですよね。思い付きで、クラウド化がどういうものなのかわからないのに我が社もクラウド化しようとか言い出した」
「そうですね、あの時の資料は大変助かりました。君の作ってくれた資料のおかげでようやく皆様に納得して現状維持でと同意していただけましたから。
私も努力してみたのですが、専務は専門的な話をされてもわからないなどと言われて逃げられるので、その度に説明と説得を試みたのですが、これがまたなかなか大変で。
最終的には例の会議の前々日に手土産持参でご自宅までお邪魔して、とにかく話だけでも良いので聞いていただきたいとお願いに上がりました。
ええ、お暇する直前にはようやくご理解していただけて、とても素直に涙を流して感動して下さいましたよ。鴻くんのお手柄ですね。
余談ですが専務の奥様とお嬢様はとてもお綺麗な方で、私の手土産のマカロンと紅茶を大変気に入って下さいました。今後も使えそうなので後で鴻くんにも教えてあげますね」
それは絶対俺の手柄ではないと思う。そして課長は、専務当人を攻めるよりも奥さんと娘を先に陥落させる作戦に出たのか。将を射んと欲すればまず馬を射よ、だな。
手土産って言うから、てっきりブランデーやウイスキー、あるいは焼酎を持って行ったのかと思えば。良く考えたら紅茶とマカロンならどれだけ高くても酒を買うよりは安上がりだよな。
課長のことだからそういった点も考慮して選んだのだろうけど、実にエグイ。その他の話術・交渉術もすごいとは思うが、精神的嫌がらせやプレッシャーを掛ける手腕に関してはピカイチだ。
本丸を落とすより先に攻めやすい方を攻めて攻略した方が良いと頭ではわかっていても、それを実行するのはなかなか容易いことではないと思う。
本人が愛妻家で一人娘を可愛がっているからこそ思い付く手段だとは思うけれど、自分がされて嫌なことを上司にやる辺り、度胸があるというか思い切りが良いというか、性格が悪いというか意地が悪い。
同族経営の会社で恐い物知らずだとは思うけれど、確か課長の奥さんは常務の娘さんだったはずだから、それなりに勝算があったんだろうな。
課長にすごくイイ笑顔で、水曜日の午後になって
『鴻くん、今週金曜の十五時までにうちの業務内容について、大まかで良いのでわかりやすく解説した資料を作ってくれませんか。
経済専門で機械音痴のおじさんでも理解できるものをお願いします。
彼は私達が知っていて当然だと思ってしまう用語の大半が聞き慣れない摩訶不思議な言語に聞こえるようなので、その辺考慮して小学生でも理解できるレベルでお願いします』
などと言われた時は鬼だと思ったが。
ちなみに大川専務は曾我社長の妹の息子、つまり甥である。彼の父は八年前から入院しており、それを期に他社から我が社へと移ってきたらしい。ちなみに常務は社長の父方の従兄弟である。
社長と専務の関係がどんな感じなのかは知らないけれど、常務は社長の釣り仲間でもあるそうなので、多少無理しても行けると踏んだのだろうか。
俺は出世する気は皆無なので、できれば上の方の生臭い話はノーサンキューなのだが、こうやって時折楽しげにぶちまけて来るのはどういう意味や意図があるのか。
正直あまり深入りしたくないし、理解もしたくない。
課長はこの調子で全方位に喧嘩売りまくっているくせにおそらく出世する気であるようだが、小清水課長以外の人がシステム開発課の課長になる未来が全く想像付かない。
できればあと十年くらいは課長でいて欲しいが、きっとそうもいかないんだろうな。
思わず溜息をついてしまう。
「どうです、鴻くん。辞退したくなりましたか? でも、本来は君のような平社員には決して見せない書類や資料に事情を全部あらかたぶちまけたので、できれば断って欲しくないのですが」
にっこり笑う顔が恐ろしい。
「ほら、鴻くんも知っての通り彼女の正式な辞令は明々後日の月曜にある入社式には出てしまいますし、その後のオリエンテーションと懇親会には教育係となる人物も連れて行って紹介したいのですよね。
これからまた更に誰かを捕まえて根回しと説得をしなくてはならないとなると、ちょっと骨が折れますからね。
少なくとも浦谷くんはそういった配慮ができる人ではありませんし、加野上くんは逆にナイーブ過ぎて専務のような人に絡まれたら泣いてしまいそうですし。
崎山くんは真面目ですが内向的でプレッシャーに弱くてパニクると固まって動けなくなってしまいますし、石田くんはどう話を向けても途中で逃げられますし下手すると出勤拒否しかねませんし、下村くん太田くん小田くんはようやく独り立ちしたところで、人を任せるにはまだ少し早過ぎますからね」
「諦めて観念しろと仰りたいんですよね」
「鴻くんに断られると困るのでできればお願いしたいなと思っていますよ。何でしたら、今夜一緒に飲みに行きましょうか? もちろん私の奢りで」
「……いや、そんなことしなくても受けますってば。一度引き受けると言って了承していますし、今更翻したりしませんから安心して下さい」
「そう言って貰えると助かります。でも、気にせず奢られてくれても良いんですよ?」
「いや、やめておきます、後が恐いので。それにやりたいことも色々ありますし」
「そうですか。なんだかかえって申し訳ない気になりますね。ところで鴻くん、タイミングは君の自由意志に任せますが、そろそろ昇格試験を受けませんか?
主任試験に合格すると、今よりお給料が月二万円上がりますよ」
「主任になっても特に待遇は変わらないですよね? だったら俺はヒラの方が良いんですけど」
「鴻くんは欲がないですね」
そう言って肩をすくめる課長に、首を左右に振って答えた。
「俺は自分の身が可愛いので、これ以上面倒なことは引き受けたくないんですよね」
「その割には、自分で他所から色々面倒臭そうな仕事拾って来ますよね、鴻くんは。
私の知る限り、逃げたアルバイトの代わりのピンチヒッターとして新入社員研修会の設営の手伝いをしたシステム開発課の社員は君だけですよ。
まぁ、君が拾って来た仕事ですけど、おかげで総務部部長に恩を売れたので個人的にはお礼をしてあげたいのですが」
「……課長、今度は何やらかしたんですか?」
「やらかすだなんて酷いですね、鴻くん。大丈夫、心配しなくても田上くんの面子を潰すようなことはしていませんよ。ただ、私が困った時は助けて下さいとお願いして来ただけですから。
ふふっ、すごく嫌そうな顔をしていました、笹倉部長。いや、彼は私と同じ大学の先輩なんですけど、昔から何故か嫌われているんですよね。
私には全く心当たりがないんですけど、どうしてでしょうね。とりあえず会議の時とかにたまに私だけお茶がないとかいった地味な嫌がらせするのはやめて下さいねと言っておきました。
そういうわけで、また今度総務部のお手伝いすることがあったら、是非言って下さいね。あとできれば営業部とマーケティング部と経理部にも恩を売って来てくれると有り難いんですけど」
うわぁ、笑いながら言ってるけどそれ、実は結構根に持ってたんじゃないだろうか。っていうか、本当にそれ、大丈夫なのか? 後で田上のところへ顔を出して来よう。
「営業部はともかくマーケティング部には顔見知りも同期もいないので無理ですよ。というか俺に期待しないでご自分で恩を売ってきた方が手っ取り早いんじゃないですか?」
「そうですね、マーケティング部に何か売り込みに行って来ましょうか。鴻くんには暫く教育係に専念して貰うので、最近一つ仕事を仕上げて暇そうにしている浦谷くんにプロジェクトリーダーを任せることにしましょう。
できれば再来月頭からスタートできるように準備と根回しをしておきたいですね」
……しまった、後で浦谷先輩に謝っておこう。うっかり課長をやる気にさせてしまったようだ。
彼がいったい何を企んでいるかはわからないが、はかりごとをしている時より楽しそうなのは良いことなのか悪いことなのか。
権謀術数もプログラミングも同じくらい好きそうなんだよな、この人。疲れるから設計はともかく自分で直接プログラムはあまり組みたくないとか前に言っていたけど。
システム開発課の社員を年齢順に並べると課長が筆頭の四十二歳で、その次が三十歳の浦谷先輩、そのまた次が加野上、崎山、石田、太田、小田、下村ときて俺になる。
キャリアで言うと俺が石田と同じ位置に入る他は同順だ。入社当時は加野上と崎山のことも先輩と呼んでいたのだけど、俺がリーダーをやった際に色々あって呼び捨てするようになった。
いや、二人がそれぞれ『もう面倒だから呼び捨てで良い』と言ってきたからであって特別何かがあったわけではないんだが、先輩呼びと共に丁寧語を使っていたからまどろっこしくなって簡潔に呼べってことになっただけかも知れない。
一度、浦谷先輩に『お前に丁寧語で話し掛けられると鳥肌立って気持ち悪い』とか『お前はこれまで見た中で一番不遜な後輩だ』だとか言われたので、それに近いことを思って言われた可能性もある。
俺としては正直、なんでそんなこと言われなきゃならないんだと返したいんだが。別にだからといって嫌われてるとか敬遠されているとかじゃないらしいので、そこはちょっと安心している。
……嫌われてないよな?
「では、そろそろ部屋に戻りましょうか。あ、鴻くん、先程渡したものは人目につくところでは袋から取り出さないようお願いします」
「了解しました」
それにしても今年こそは新人が来るというからずっと楽しみにしていたのに、だんだん気が重くなってきた。
可愛い女の子なのは色恋関係なく喜ばしいし嬉しくないこともないけど、この見た目でいきなり嫌われたり敬遠されたらどうしようとか、どういう風に扱えば良いのだろうか、とか。
そう言えば俺、高専卒業して以来、家族・親戚以外の独身女性とまともに話したことがない。しかも最後に話したのが担任教師だったような。
ああ、まずい。ASDもセクハラ防止対策も問題だが、俺自身が一番ヤバイ。田上は入社式には髭を剃って普通のスーツを着るようにと言ったが、それだけでは済まない。
普通の若い女の子、それも未就学児じゃない成人女性との適切な話し方・対応の仕方がわからない。これはマズイ。
なんてこった、俺のこれまでの全人生振り返っても、中学卒業後に同年代もしくは年齢差十歳以内の女の子と話した記憶が、店員と友人の家族くらいしかいない。
あれ、これってマジでヤバくないか? とりあえず当てになりそうもないけど、田上に相談しよう。きっとあいつは俺がついさっき知らされた事情全部知っているだろうし、ついでに女の子との話し方や接し方も聞いてこよう。
っていうか俺、実は持っている服も、清潔感とか爽やかさとかいうものとは雲泥な気が。髪も伸び放題になっているし少しカットしてきた方が良いよな、きっと。
ああ、でも街中で服を買うために着る服はどうしよう。いつもの作業着姿じゃどこの現場作業員だよって感じだよな。あとは休日に着ているTシャツとジーンズくらいか。
それしか無いよな。ランニングウェアとかジャージとか、ボルダリング用のハーフパンツとか登山服とかは論外だし。
今更だけど、どうせ俺なんか身綺麗にしてもたいして変わらないしとか思っていたツケがこんなところに来るなんて。準備期間は今日を入れてたった三日とか、思わず気が遠くなりそうだ。
田上が駄目だったら、兄嫁か姉を頼るしかないだろうな。母も祖母も一応女の部類だけど、今の俺を見ても何も言わない・感じないという辺りでもう当てになりそうにない。
とにかく早急に何とかしないとまずい。ただ、何をどうすれば良いか全く想像つかないんだが、どうしようか。
俺は思わず天を仰いで、両手で顔を覆ってしまった。




