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問題のある新入社員1 (SIDE:哲郎)

「今年システム開発課に配属予定の新入社員の教育係を君に任せたいと考えているのですが、引き受けて貰えますか、(おおとり)くん」


 直属の上司である小清水(こしみず)課長が俺一人だけミーティングルームに呼び出した時、そうなるだろうと予測はしていたものの、やはりかと思った。

 今のところ大きな案件は抱えていないし、それまでにも二人の後輩の教育係を経験している。大きなミスはしていないし、後輩達も手が掛からなくなって相談されることも少なくなった。


 手が空いていると言えばその通りで、何故かどうでもいいPCトラブルでも俺を指名してくるどこぞの係長とかいうのもいたりするが、現在の状況では通常業務に加えて仕事が多少増えても問題なくこなせるだろう。


「はい、わかりました。お受けします」


 そろそろ今まで一度も教育係をしたことのない連中にやらせても良い気がしなくもないが、課長の判断だ。彼が俺が担当した方が良いと考えるのなら、そうするだけの思惑や根拠があるのだろう。


「はい、君なら引き受けてくれると思っていました。見込み通りで良かったです。では、これがその新入社員の履歴書です」


 そう言って課長が一枚の履歴書を提示した。


 その履歴書に張られた写真は小さなもので胸から上しか映っておらず、映っている女の子は真顔で正面を向いているという、良くある普通の証明写真だった。


 可愛い。一目見た瞬間、理想の女の子だと思った。そしてその隣に手書きで『音無澪』と書かれているのに気付き、こんな可愛い子のことをあいつは普通に可愛いだとか抜かしやがったのか、とも思った。


 高坂某の顔写真を見た時からいけ好かないと思っていたのが、もっと嫌いになった。絶対俺とは相容れない存在だ。

 自信過剰で女泣かせのイケメン優男とか、全員滅びれば良いのに。……おっと、そんな場合じゃなかった。


 見れば見るほど、何故また我が社みたいなたいした業績もない中小企業に、という経歴である。女性だから院は受けずに卒業して就職するという選択肢を選ぶのはわからなくもない。

 しかし、通っていた大学からそこそこ近い──車で四十分くらいの距離である──とは言え、生物学とは全く関係ないうちの二次募集に応募してきたというのが良くわからない。


 添付されているW○rdで記述されたと思しきエントリーシートの志望動機は、要約すると『御社製品に感銘を受けたため』ということのようだが、うちの社で扱うスポーツ用品を取り扱っている小売店はそれほど多くはない。

 例として出されている店名は確かに我が社の取引先で、該当商品も卸している。現在は別会社となった旧子会社と共同開発された女性や子供向けのトレッキングポールと水筒、シュラフである。


「記載されている型番からすると小柄なんですか?」


「今時の若い子は発育が良いから小柄なのかもしれませんね。補足するなら、身長と比較しても手は小さめだったように思います」


 なるほど、ならば軽量で小柄な人向けに作られた商品は好まれるかもしれない。


「それにしてもシュラフ? 登山やキャンプが趣味なのか」


「違いますよ、鴻くん。最後まで読めばわかると思いますが、彼女はフィールドワークでそれらを使用して研究対象を観察したのです」


「フィールドワーク?」


「生物学科で爬虫類、特に国内に生息するトカゲ類について研究していたようです」


「ずいぶん異色な経歴ですね。それがどうしてうちみたいなところへ?」


「鴻くん、君の周囲や知人・友人に生物学を専攻した経験のある人、もしくはその経験を生かした職に就いている人はいますか?」


「どちらもいません。課長もご存知の通り、我が家は数学好きやIT系が多くて友人・知人もだいたい皆そのどちらかなので、純粋な理系の知り合いは皆無です」


「では生物学専攻の学生が就職するとしたらどんな職種だと思いますか? この場合、学者や研究者は除きます」


 そんなことを突然聞かれても困るんだがとっさに思いつくものといったら、


「えっと……動物園とかペットショップ、ですかね?」


「では、ペットショップで四年生の国立大学を卒業した学生を雇うと思いますか?」


 ペットショップは犬を飼っていることもあって割と良く行く方だと思うが、儲かっているところは少ないと思う。アルバイト学生は多くても、果たして卒業した彼らを正社員として雇いたがる店がどれだけあるか。

 学生の方もいくら動物好きだったとしても、正規雇用でペットショップで働きたいと考えるだろうか。


「そういうことです。しかも第四学年になってからの二次募集となると、おそらく当初志望していたところは全て落ちてしまったのでしょう。

 そして、その時期になっても就職先が決まっていないということは、大学の教授や講師の人達などの支援が受けられなかったということです」


 しかし学業成績は決して悪くはない。


「これです」


「比較的軽度ではあるもののASDの傾向が見られる……ASD?」


「アスペルガー症候群という方が有名ですね。軽度と書かれているので集団生活に致命的な障害があるわけではないのでしょうが、一般的には他人の情緒を理解することが苦手だったり言われたことを額面通りに受け取ってしまったり、チームで業務を行うのが苦手な人が多いというイメージがありますね。

 逆に言うと、単独での作業を好む人が多いということになりますが、この症例に効果的な治療薬はないようです。


 私が購入した書籍を信頼すると、実際の作業や業務を始める前にその業務の指示を明確に行い、締め切りや細々とした注意事項や段取りをきちんと説明して、疑問や独断専行の余地が生まれないように指導してあげると良いようですね。

 ああ、これが私が参考資料として購入した書籍です。本人や他の社員の目にはなるべく触れないよう、業務時間外に目を通しておいて下さい。


 そういうわけで、鴻くんが引き受けてくれて本当に助かりました。我が課が発足して初めての女性社員ですし大変だとは思いますが、君なら問題なく指導して適切に対応してくれると私は信じています。

 本当に有り難う、実に助かりました」


 にっこり笑って告げる課長の言葉に、俺は思わず軽い眩暈を覚えた。


「……小清水課長」


「何でしょうか」


「まさかと思いますが、俺をハメましたか?」


「嫌な表現ですね、不適切です。これからは女性の後輩が増えるのですから、下品で低俗なセクハラ行為と扱われかねない言動は一切厳禁です。

 そうですね、セクハラについて参考になりそうな書籍があれば、購入してレシートまたは領収書を提出して下さい。

 ついでに他の社員に対してセクハラ防止のためのマニュアルを作成して貰えるとなお助かります。


 なお、同様のものは既に総務部の方で、参考資料および全社員を対象としたマニュアルが策定されているようなので、そちらにも目を通しておくと良いかもしれません」


「……課長、それってつまり、俺に残業か休出しろと言いたいんですね? っていうかどうして一週間前に話してくれなかったんですか!」


「ふむ、そう聞こえましたか。いけませんね、これではパワハラと言われてしまうでしょうか。ハラスメントの防止および対策は実に難しいですね。

 私も色々勉強しておく必要があるようです。あと先週話さなかったのは、鴻くんが研修の手伝いに行くという話を聞いたからです。

 前日と初日はともかく最終日はニアミスする可能性がありましたから、事前に知らない方が良いかと思ったもので」


「別にその情報を知ったからってそれを悪用したり、彼女に接触しようとしたりはしませんでしたよ。常識的にそんなことしたら俺は最悪の場合通報されますから、主に見た目が原因で。

 あと先に言っておきますけど、パワハラ用のマニュアルは期待しないで下さいね」


「それは残念です。鴻くんの手が入ったマニュアルは評判が良いのですよ。何せ、同じ事柄に対して対象別にわかりやすく具体例を挙げて解説してくれるので。

 ついでに君に絵心があれば適切で明快な図解なども期待できたのでしょうが、神は二物を与えてはくれなかったようですね」


 一応褒めてくれてるんだろうけど、見た目についてのフォローはしてくれないのかよ。あと絵心なくて悪かったなって言いたい! ……言えないけど。


「あの、課長。俺にも忍耐力や許容量の限界があるので、もうちょっと手加減と配慮をして貰えると有り難いんですが。

 もしかしたら俺が残業や休出好きだと思われているのかもしれないですけど、そんなことはないですからね? 俺の休日の一番の楽しみは昼近くまで寝過ごすことなので」


「いけないとは思うのですが、仕事熱心な真面目な部下がいるとつい色々仕事を回してあげたくなるのですよね。

 勿論、能力あるいは性格的にできない仕事を回すのは気の毒なので、確実にやれると踏んだもの以外は回したりしませんが、そうするとどうしても偏ってしまうようで、その点については申し訳ないと思っています。

 ですので、体調を崩しそうだと感じた時は事前に申し出てもらえると大変助かります」


「ちょっと待って下さい、課長! それって俺が体調崩す限界までは仕事を振るってことですか!?」


「そんなことにならないようできるだけ配慮したいと思っていますし、そう心掛けています。

 もう少し人を育てて更に人員を増やせたなら理想なのですが、うちの課の重要性を皆様方に理解していただくのは結構大変なのですよ。

 まぁ、大抵は私が二時間ほど解説して差し上げれば、ご理解いただけるようですが」


 それって理解させてるというよりは、穏やかに脅しを掛けているか、辟易されたり敬遠されてるんじゃないか、なんて本人には絶対言えないけど。


「それで今回彼女をうちで引き受けようと思った経緯に関してですが、聞きたいですか?」


 なんとなく嫌な予感がする。


「いや、厄介そうな話は正直なところ聞きたくないです」


「そうですか。まぁ、実際に何か問題が起こってからでも良い話ですからね」


「……不穏な前振りはいらないんですが、課長」


「おや、前振りだと思いましたか? そんなつもりは無かったのですが」


「俺が聞きたくないって言っても聞かせるつもりなんでしょう?」


「そうですね、その内君の耳に入るかもしれませんので、できれば今聞いておいた方がよろしいのではないかと思います」


「どうせ聞かなきゃいけないって言うなら今、聞きます。ろくでもない話っぽいですけど」


「鴻くんはこういう話には察しが良くて助かります。

 実は、専務が彼女の伯父さんと大学時代の同窓生らしくて、先方から『どうしても無理なら良いけど、できればうちの姪を入れられないかな』って話があったらしいのですよ。

 で、専務としては学生時代から現在に至るまで色々とお世話になっている御仁らしくて、できれば恩返ししたいそうなんですよね。


 でもほら、このASDって注意書きのせいで受け入れたがる人が他にいなくって。それで、私のところならそれほど問題なく受け入れられるんじゃないかって言われたのですよね。

 なので実際に本人を見てみないとわからないと返答したところ、うちは本来二次面接の後に最終面接をすることになっているのですが、急遽三次面接することになりましてね」


「ってことは、結構前から課長は彼女がうちに来ることを知っていたんですか?」


「鴻くんの言う結構前がどのくらいかはわかりませんけど、年内にはほぼ確定していましたね。落とすのであればできるだけ早めにというのが先方のご希望でしたので」


「と、いうことは課長のお眼鏡にかなったんですね」


 不穏なことをさんざん仄めかされた後なので、思わずホッとしてしまった。


「……うちの娘が、今年十七歳になるんですよね」


「はぁ?」


「受け答えの様子からすると、すごく良い子で。そりゃまぁ、覇気があるとかそういう感じではないのですが、この子を落とすのは可哀想だなとふと思ってしまったんですよね、不覚にも」


「……課長、まさかと思いますが、それって」


「この私がまさか初対面の見ず知らずのお嬢さんに同情してしまうとは、年を取ったんですかね。それなりに悩んだりもしたのですが、上手くいけばなかなか良い人材である可能性もあると考えました。

 そのために重要なのは、彼女の教育係です。そう考えた時、思い浮かべたのは君でした。まさに天啓というか、これ以外にないと直感しましてね。

 後はどうやって君に引き受けて貰おうかと考えましたが、直球で最初から全部ぶっちゃけてしまうのが一番良いだろうという結論に至りました」


 そう厳かに告げる課長は、これで全ての懸念が晴れたと言わんばかりのイイ笑顔だった。


 ちょっと泣いて良いかな、俺。

というわけで初っ端からフルスロットルな感じですが、鴻視点です。

何話くらいとか一応決めていますが、この分だと予想より文章量が増えそうです。

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