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問題のある新入社員12 (SIDE:哲郎)

 その日の始業後、音無さんにはシステム開発課内の設備およびサーバールームや書庫・備品庫などの簡単な説明をした後、比較的難易度の低い日常業務や雑用、電話応対などについて、昨夜作成した簡易マニュアルを見せながら教えた。


 ハードウェアに関しては実物を見せ、ソフトウェアやシステムに関しては実際に起動し操作させながら指導したのだが、彼女の表情からはそれらを理解できたのか否かがわかりにくいので、質問がないか尋ねたり実際に助言しつつ作業をやらせてみたりした。


 音無さんに「プロトコルって何ですか」と質問された時には、一瞬何をどれだけ説明するべきか考えたが、通信プロトコルについての定義について口頭で詳しく説明するとかえって混乱してしまいそうだし、説明が長くなることが目に見えていたため、「深く考えずに、そういうものがあるってことだけ覚えれば良いよ」と答えるだけに留めた。

 彼女がどうしても気になるのであれば、後日自分で調べるかもしれないし、再度質問されるだろうから、その際にどうするか考えれば良いだろう。


 今月いっぱいはだいたいの仕事の流れとその手順、必要最低限の知識と用語を覚えて貰うことに専念して貰おうと考えている。

 雑用や電話応対は最初は俺がやるのを見て貰って、実際に体験させてわからないことや疑問があれば、その都度指導することにした。


 音無さんの最初の電話応対の後で、その感想について尋ねてみたら不思議そうに首を傾げられた。

 どうやら『実際に電話応対した感想はどうだった?』などといった質問の仕方では、何について聞かれたのか、何を答えたら良いかわからないようだ。

 具体的にこういう感想とかはなかったかなど尋ねるとようやく返答があったので、当初考えていたよりも細かく丁寧に提示する必要があるらしいことが判明した。


 あと、曖昧な意味合いや複数の意味がある言葉は可能な限り排除した方が良いようだ。

 専門用語の略語などはなるべく使わないよう心掛けていたが、日常的に使う言葉は時折うっかり略してしまうことが時折あり、その度に彼女の眉が下がったり首を傾げられたりして反省した。


 しかし、彼女の帰宅時に『お疲れさま。気を付けて帰ってね』と言ったら、不思議そうな顔をされたのは何故だろうか。良くある定型句だと思うのだが、他に何か思うところがあったのだろうか。

 少し気になって『音無さん、大丈夫? 何かあった?』と尋ねたら『いえ、なんでもありません』と答えられたので、ちょっと困惑した。

 女の子相手でこれほど長く相手したのは初めてなので、色々不慣れな点とかあったのかもしれない。


「優しげな口調でゆっくり話す鴻とか初めて見た。お前でも若い年頃の女相手には、態度が変わるんだな。てっきりお前は三次元の女には興味ない硬派だと思っていたのに、見損なったぞ、鴻……っ!」


 石田にそんなことを言われて、なんだそりゃと思った。


「お前は、お前だけは、一生独身でいてくれるオレと同じ仲間だと思ってたのに!」


 何を言ってるんだ、この男は。


「そっ、そんな目でオレを見るな! うわあああぁあぁぁぁああぁんっ!!」


 そう叫んで、顔を真っ赤にして石田が部屋を飛び出して行った。


「おーい鴻ぃ、あんまり石田をいじめてやるなよ?」


 浦谷先輩にそんなことを言われた。心外だ。


「浦谷先輩、俺はそんなことしていません」


「あーあーわかってる、鴻は天然だから仕方ないよな。いや、あいつさぁ、お前にひどくなついてるからさ、自分が一生結婚する気がないからって、お前もそうだと思い込んでたんじゃねーの?

 そんなことに鴻が左右される必要はないけどな、あいつ根っこの部分がまだ子供で駄々っ子だから、あまり甘やかせ過ぎないで適当に突き放しつつ、適度にかまってフォローしてやれ。

 ほら、わがまま放題に育った子犬を躾けるような感覚で」


「……俺は人間の形をした犬を飼う趣味はないです、浦谷先輩」


「お前が拾ってきた犬なんだから、お前が面倒見てやれよ。おれは仕事上の面倒は見てやるけど、プライベートまで見てやる義理はない。

 動物を拾ったら最後まで面倒見てやれよ。だいたいアレ、お前以外の言うことはあまり熱心に聞かないから、お前が言うのが一番なんだよ。お前があいつのお守り役だろ?」


 マジか、浦谷先輩の中であいつってそういう扱いだったのか。っていうか俺はあいつのお守り役だと思われてたのか。


「でも、何をどう言えば良いんですか? 俺、そもそもなんであんなこと言われたのかも、石田が何を考えているのかもサッパリわからないんですが」


「んー? そうだな、お前にたとえ彼女や家族ができても、あいつと友人または同僚なのは変わらない、的な?」


「どうして疑問形なんですか」


「だっておれは石田のこと謎生物だと思ってるから、あいつの思考回路とか理解できねーもん。付き合いの長いお前が考えれば良いだろ? そんなことでおれに頼るな。

 お前がおれを頼って良いのは、業務上に関することだけだ」


「そう言えば浦谷先輩、週末の合コンは大丈夫なんですか?」


「……お前の目には大丈夫そうに見えるのか?」


 キーボードを叩いていた手を止めた浦谷先輩に、ジトリと睨まれた。


「すみません、先輩。手伝えることがあるなら手伝います」


 慌てて頭を下げて言うと、やれやれとばかりに浦谷先輩は首を左右に振った。


「締め切り間際で切羽詰まってるわけでもないのに、メンバーに入ってないお前に手伝って貰うわけにはいかないから、外で俺らの差し入れ買って来てくれ。ついでに石田見つけて引っ張って来い。

 それでチャラだ。ほら、行け」


 ぞんざいに、犬でも追い払うようにヒラヒラと手を振られた。


「わかりました、浦谷先輩。行ってきます」


 一礼して退出した。



   ◇◇◇◇◇



 それから三日後。


 金曜の十八時。あれ以降、特にこれといった問題はなく日は過ぎたが、少し気になることがあって、帰り支度をしている音無さんに声を掛けることにした。


「音無さん、今日で入社から五日経ったけど、調子はどうかな?」


 おっと、この質問の仕方ではいけないんだった。


「何か困ったこととか、わからないこととかないか? あれば教えてくれ。あ、課内のことは勿論だけど、課の外のこと──例えば高坂先輩のこととか」


 そう続けると納得したのか音無さんは眉を一瞬震わせ、返答する。


「いえ、今のところ特に問題ありません」


「そうか、それなら良かった。いや彼、ここ最近は定時帰宅が多くてそのくせ直帰が一度もないものだから、もしかしたらと思ったけど、何もないようなら安心した」


 あまり良くないことだとは思うが、少し気になって最近の高坂の勤怠状況や今月に入ってからの業績について確認したところ、違和感を覚えたのだ。


「それは何か問題があるのですか?」


 音無さんの質問に、一般的な知識やこれまでの彼の勤怠状況や業績などから推測できることを話すことにした。

 いざという事態を考慮した場合、彼女も知っておいた方が良いだろうと思ったからだ。


「彼は営業だから、取引先に行った帰りに一緒に飲みに行ったりすることが多いんだ。そうすると、終わってから会社に戻ると遅くなる。

 出先で直帰することにしてスマホで退勤処理をすれば戻らなくても定時帰宅扱いにできるけど、今週は定時帰宅できるように社に戻ってデスクワークをした後、定時で帰宅しているようなんだ。


 そのくせ売り上げはこれまでと比較しても同じくらいで、落ちていない。新規の取引先の開拓とかはしていないようだから、下がってはいないけど上がってもいないというわけだ。

 これまでの彼の業績などを考えると消極的で、何かあったのかと心配になったんだ」


 俺の言葉に音無さんは不思議そうに首を傾げた。どうやら彼女の様子を見る限り、俺の思い過ごしだったらしい。良かった。

 俺は思わず苦笑し、首をゆっくり左右に振った。


「俺の考え過ぎで何もないなら良いんだ。悪かったな、邪魔して。

 そういえば音無さんは就職して初めての休日だけど、週末は何か予定とかあるのか? ああ、答えたくなければ答えなくて良いから」


「友人の勤めている店へ行く予定です」


「へぇ、音無さんの友達って、ショップ店員とかなの?」


「いえ、エステティックサロンです。業務に則したこと以外にも悩み相談とかも聞いてくれて友人・知人が多いので、頼めば美容・ファッション関係の人を紹介してくれます。

 紹介してもらったことはないけど、インテリアコーディネーターや弁護士や医者もいるそうです」


 エステティックサロンというのは名称は聞いたことがあるが、正直実際に何をするのかさっぱりわからない業種だ。女性が行くところというイメージがあるが、昨今はそうとは言い難いらしい。


 でも、僅かに唇を緩めて微笑んでいるように見える音無さんを見るに、とても仲の良い大切な友人なのだろうなと感じた。

 滅多に見る事のない彼女の貴重な笑顔だ。俺もほっこりした気分になった。


「そうなのか。良い友達なんだな」


「はい」


「俺はしばらく休出は免除されているから、休みは犬と散歩するか書店へ行くくらいしか外に出る予定はないんだよな」


「……そういえば借りた書籍は、全て鴻先輩の私物ですよね」


「ああ、元はそうなんだが他の連中も読みたがったから回し読みしてたら、課長にレシートか領収書を出してうちの課の資料にしろと言われて、今はシステム開発課の所有になっているんだ。

 こういう解説本って、読み終わって内容を理解した後で読み返すことは滅多にないから有り難いことではあるんだが、最初からそうするのなら書き込んだり付箋付けたりしなかったのにという後悔はしている」


「そうですか? 簡単な補足説明とか他の参考書籍名とページ数とか書いてあって、それも含めて参考になると思います」


「そうか、なら良かった。音無さんも何かうちの課で使えそうな資料本買ったらレシートは捨てずに取っておいて、駄目元で課長に見せると良いよ。

 許可が出れば、IT系でもビジネス本でも経費出るから。私物ではなくなるから必要ない時は、この部屋か資料を置いてる書庫で保管になるけど。

 その時は『システム開発課』『各種資料マニュアル』フォルダに『資料用書籍リスト』っていう○xcelのファイルがあるから、そこに追記しておいて」


「わかりました」


 彼女は手早く的確に机の上の書類や書籍、ノートなどを片付け、一礼する。


「では、お先に失礼します」


「ああ、お疲れさま。気を付けて帰ってね、音無さん。あと体調に気を付けて」


 そう声を掛けるとやっぱりいつもの通り、不思議そうな顔をされた。しかし、何も言わずに退出していく。


 いったい何を気にしているのかな、何を疑問に思っているのだろうか。知りたいけど迂闊に聞けない。俺と彼女はただの同僚で、教育係と指導を受ける研修中の新入社員だ。


 親睦を深めるために一緒に食事でも、なんていうのは男と女では言い出しにくい。これまでの後輩なら気兼ねなく連れ出して、酒でも何でも行けたのになぁ。

 女の子相手だと色々気を遣う。それに彼女もそういったことは望まないだろうしなと思えば、余計に近付きにくい。


 それに何より、彼女に対して下心が全くないかと問われれば、返答に困る自信がある。

 これで良いのか、本当にこれで間違いないのかと手探りしつつ、しかし思うような反応が得られず、悩むことも多々あるものの、真面目で一生懸命で良い子だなぁといった印象は終始変わらない。


 見た目が可愛くない女の子相手でもそう思うのか、などと問われれば、『真面目で一生懸命で良い子』であるという一点においては間違いないと断言する。

 ただそれに加えて、可愛いな、触れてみたいな、もっと会話してみたい──などという雑念が時折交じるのが、すごく困る。


 うん、それマジでやったら、俺、絶対通報される。通報や警察へ相談とかまでは行かなくとも、セクハラ案件で総務に相談とかされかねない。


 雑念が表に噴出しそうになった時は、大川専務の顔を思い浮かべることにしている。今まで嫌いだったけど、今はとても感謝している。

 本当に大川専務、有り難う。あなたのおかげで心許ない自制心を保つことができます。以前はあなたに感謝することがあるとは到底思えませんでしたが、今はあなたの存在が心底必要です。


「鴻、お前、ああいうクーデレ系が好みだったの?」


「クーデレ?」


 石田は時折不思議な呪文のような言葉を発することがある。本人はなるべくそういう話題は職場でしないようにしているようなのだが、実は結構ダダ漏れで独り言も多いのだが、全く自覚はないようである。


「実際本当にデレることがあるかどうかは知らないけど、普段はクールでお堅いイメージで取っつきにくいけど、意中の相手の前ではデレデレする、普段は無表情で無口もしくは寡黙とか、感情表現が苦手とかそういう感じのギャップ萌えテンプレの一つだよ。

 テンプレ通りなら相手を好きになったら人一倍で一途って設定だけど、三次元でそれが通用するかどうかは謎だなぁ」


 たまに石田の言葉が謎言語に聞こえてしまう。


「お前は何を言ってるんだ、石田。そんなことより、買い出し行って来ようと思うけど、今日は何が食べたい?」


「豚骨ラーメンか塩ラーメンが食べたい」


「それは買い出しじゃなくて、出前を取れば良い話じゃないか?」


「でなきゃピザとか、何か味の濃い脂っこいものが食べたい」


 ああ、そういうことか。そう言えば、ここ最近俺が買ってきたものと言えば、サンドイッチとかおにぎりとか総菜パンとかハンバーガー|(ただしポテトや照り焼きなどは手が汚れるため無し)とかだった。


「手が汚れそうなものや箸やフォークが必要なものは避けてたんだが、余計なことだったか?」


「せめて電子レンジやポットがあれば、もっと色々選択肢があるんだろうけど、このスペースでそんな物置ける余裕ないし、かといって二階の社食まで降りるのは面倒だし、不便だよな。

 今日はピザのデリバリー取るから、鴻はもう帰って良いよ。皆もそれで良いよね」


 石田がそう言うと「賛成」だの「了解」だの「OK」だの「かしこまりー」だのといった台詞がバラバラに返ってきた。


「わかった、じゃあ俺はもう帰宅するから」


 眉間に皺を寄せて何かを考え込んでいる浦谷先輩を気にしながらそう言うと、


「おう、気を付けて帰れ」


 と言われた。無駄に居残ってかえって皆に気を遣わせるのは気まずいので、早々に帰宅することにした。


 俺も少しで良いから手伝いたかったな、という気持ちはある。だけど事前に課長には新入社員教育に専念しろと言われているわけで、俺もそれを了承している。

 今更覆らないだろうし、それは俺自身も納得している。


 当初思っていたより、音無さんは手が掛からない。うっかり数時間ほど彼女を放置してしまっても気にせず渡した資料に没頭しているのに気付いて、内心焦ったこともある。


 俺はちゃんと教育係やれているのだろうか。反応がとてもわかりにくいので、本当に彼女が理解できているのか確かな手応えを感じられなくて、自信が持てない。

 とりあえず、休み中に簡単な小テスト的なものをいくつか作って、それでこれまでの成果が出ているかどうかを確認してみるか。その結果次第で、今後の指導要領を考えよう。


 あと、白を存分にモフって癒やされることにしよう。リフレッシュと気分転換は必要だ。

以下修正


×俺

○おれ


×きくい

○にくい

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