表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/19

問題のある新入社員10 (SIDE:哲郎)

 音無さんは無表情ながらも焦り、何やら混乱しているように見える。

 ああ、もしかしてその辺りは触れない方が良かったのか。と言っても口に出してしまったものは戻せないしな。とりあえず今のはなかったことにするか。

 向こうがそうしてくれるかはわからないが。


「システム開発課は社内で唯一フレックスタイム制を導入していて服装の規定も特にないから、常識の範囲内で、出勤退勤時刻および服装を個人の裁量で決めて良いことになっている。

 だけど、しばらくは出勤は他の新入社員同様、九時からで良い。従って退勤は十八時となる。デスクワークが多いから長時間座って作業するのに楽な服装で来てくれ。髪型も自由だ」


 俺が切り替えてそう告げると、音無さんはハッと僅かに唇を引き締め真顔でこちらを見つめて──いや、違うな、俺を透過して更に奥の壁に目の焦点が合っているような気がする──ピタリと動かなくなった。


 こちらを向いてはいるが、俺を見ているようで見ていないように見える。

 視線は合ってないけど、一応こちらに集中しているのかな、わかりにくいけど。とりあえず反応見ながら行くか。 


「一応社食もあるし、近くにコンビニや飲食店もあるから、昼休憩に外に食べに行くこともできるけど、総務とかに頼んでデリバリーとかを注文することもできる。

 自宅から弁当持参とかでも良いが、そういったものを利用するなら明日案内するから、どうするか希望を言って貰えればそれに合わせる」


 俺の言葉を聞いて、音無さんが口を開く。


「周囲の立地とか知りたいので回ってみたいですが、社食があって特に問題がなければ、そちらを利用したいです」


 なるほど。頷いて、更に説明を続ける。


「了解。うちの課は基本的に歓迎会とかいった職場絡みの飲み会は一切しないから、慣れるまでは定時になったらすぐ帰宅して良い。

 質問や相談があれば、その都度聞いてくれ。業務時間内にメモを取るのは構わないが、その内容は機密保持のためにも部屋の外には出さないで欲しい。

 明日の朝、大学ノートを手渡すからそれを使って、帰宅時には与えられた机の引き出しなどにしまって、持ち帰らないようにしてくれ。


 私物やコートなどは各自与えられる鍵付きのロッカーにしまって、必要な時以外はなるべく帰宅時まではそこから出さないで。

 ロッカールームは男女別で出入口には監視カメラがあるから、何か問題があれば総務へ相談するように。


 あっ、鍵はIDカードとかハイテクじゃなくてごく普通のだから、なくしたら困る貴重品はできるだけ持参しないか、どうしてもという時は総務部に相談してくれ。

 数は少ないが、個人用の金庫が一応あるらしい。私物のデジタルビデオカメラとかを預けるやつもいるから、大きさは普通のコインロッカーの半分くらいのものだ」


 俺の話す言葉とは微妙に合わないタイミングで音無さんが時折頷く。うん、聞いてるんだよ、な? 彼女の表情や瞳の動きなどから確実にそうだと言えるものは見えないけれど。


「ところで音無さんは、システム開発課といって何をする部署なのかわかる?」


「……わかりません。初めて聞きました。不勉強ですみません」


 一応聞いているか心配になって試しに質問してみると、即座に反応する。謝る音無さんに、俺は大きく首を左右に振る。


「いや、新卒なら皆だいたいそんなもんだ。システム開発っていうのは、一言で言い表すなら、その会社の業務を円滑に遂行するための道具を作ったり、それらの管理・保全をしたりする部門だ。

 もっと簡単に言うと、会社内で生じるコンピューター全般のトラブル対応やサポート、ヘルプが我々の仕事だな。


 で、俺達『システム開発課』の仕事は、同じ会社の社員達が、PC(パソコン)やタブレット、スマートフォンなどを使って、彼らの仕事をより楽に便利に効率化できるよう、そのための下準備とフォローとバックアップをすることが主な職務だ。


 それが、例えば社内ネットワークの構築や管理・保全だったり、サーバ管理だったり、社員達が利用する専用アプリケーションの製作やその改善や保守管理だったり、その他各種コンピュータートラブルの解決だったりするわけだ。


 もちろん市販のものや外部企業などで安く賄えるものは、システム開発課でわざわざ作るまでもなく購入する場合がほとんどだ。

 だけどその内、一般に販売されているものでは十分ではなかったり、これぞという機能がなかったりして満足がいかないけれど、外部に発注すると高くついたり、セキュリティその他の問題で委託しづらいといった問題が出来たりする。


 そういったものを我々が社員の要望に応じて製作し、フィードバックを受け改良を加えつつ補完し、より良い業務の遂行、効率化を目指して支援する、というのが主な業務だ。


 ここまででわからないこととか、質問はあるかな?」


 ざっくりと業務内容について説明すると、彼女の眉が心持ち下がった。あれ?


「……あの、私はこれまで大学で生物学、主に日本国内に生息するトカゲについて研究をしておりましてその関係で必要に迫られてPCを扱うようになり、日本各地を歩き回って収集した情報を分析するためにプログラミングを覚えました。

 なのでコンピューターおよびプログラミングについてはほぼ独学であり、それらを専門的に学んだことは一度もありません。


 大学にあったのはMacintosh(マッキントッシュ) (テン)というOSがインストールされたPCで、私が個人的に購入したノートPCはWindows(ウィンドウズ)(セブン)でしたので、一応両方を使うことができますが、どちらも精通しているとは言い難いです」


 それを聞いて、しまったと気付いた。もしかして俺の想定以上にPCやIT関連の知識に疎いのかもしれない。

 となると、先に作った業務説明マニュアルは丸ごと破棄して作り直した方が良いだろうか。


「あー、なるほど……まぁ、一般的な使い方はできるってことで良い、か?」


 音無さんに確認するよう尋ねる。とりあえずどの程度の知識があるのかを聞いておかないと、これからどう指導するかを考えることすらできない。


「一般的な使い方という定義が良くわかりませんが、少なくともPCを使って文書を作成したりPCを使って研究を分析したり、資料となる論文などを検索し閲覧してそれらを元に論文を記述したりレポートを書いたりすることはできます。


 あと、在学中に(マイクロソフト)(オフィス)(スペシャリスト)検定のWordとExcelの現行バージョンのスペシャリストレベルと、日本語ワープロ検定の2級を取得しました。

 また覚えたプログラミング言語はVisual(ビジュアル)Basic(ベーシック)(ドット)NET(ネット)Java(ジャバ)とC言語です。

 大学で最初に使ったツールが先輩の作ったもので、C言語で書かれていたので」


 前半についてはPCやIT分野について学んだことのない一般的な普通の学生ならそんなものかな。

 MOSやワープロ検定なんかも事務的な仕事などを想定して就職活動する学生であれば、取得することが多いものだろう。

 彼女が修得したというプログラミング言語もごく一般的だ。VB.NETはプログラミング初心者の登竜門と言って良いだろうし、そこからJavaやC言語などに興味を持つのは良くあることだ。

 C言語が本来のC言語を差しているのか、C++などの派生言語を差しているのかは追々確認しようかな。


「プログラミングは独学で覚えたって話だけど、具体的にはどうやって覚えた?」


「最初は先輩が作成したプログラミングの記述をノートに手書きで書き写して、それを大学の図書館で見つけたC言語の解説本で解析するところから始めました」


「……え?」


 何だかすごく変なことを聞いた気がする。そもそも既に入力済みのプログラムがあるなら、そのデータを複製すれば、いや自分のPCがない状況か。そんなことは考えたことがない。


 そもそもC言語というのは知らない者がいないというくらい超有名なプログラミング言語で、歴史が古く汎用性が広く、おそらくC言語でプログラミングしたいと誰もが一度は考えたことがあるであろう言語の一つだが、完全に習得したと言える者が非常に少ない、超高難易度のプログラミング言語である。


 なのでC言語でプログラミングすることができるというのは、ある種のステータスのようなものではあるがそれがどの程度のものであるのか、自己申告だけではわからない。


 C言語に限らずプログラミングは、その言語や知識をどれだけ理解できているかよりも、それを使用してどのようなプログラムが作れるかが重要である。

 更にいうなら、ユーザーインターフェイスやユーザビリティなどに加えて、そのプログラムの行程をできるだけ効率化して処理速度を上げ、PCへの負荷を下げ、いかに利用者が快適に使えるツールを作ることができるかが重要だ。


「その頃はPCをまだ購入していなかったので、手書きするしかなかったんです。大学のPCは誰かが使っている時は使えなかったので」


 何だろう。何かがすごくズレている。


「その、私の当時の知識や読解力では解説本をそのまま読んでも、あまり内容を理解できなかったので、実際に動いているプログラムを解析してそれを理解できれば、何故そこにその記述があるかとか、それがどのように動作するのかがわかるのではないかと思ったので。


 で、そうやってだいたいのところを何とか時間を掛けて読み解いていたら、先輩にPCを購入してVisualBasic.NETの勉強から始めた方が良いんじゃないかと助言を受けたので、そちらの勉強を並行して始めました。

 それからはネット検索で解説サイトを見つけて、実際にプログラミングして試行錯誤しながら進めていきました。その後、同じ先輩にJavaも覚えておくと良いよと言われて、それも」


 そう聞いてホッとした。なんだ、具体的に教えてくれた先輩がいたのか。だよな、さすがにそんなやり方でプログラミングを修得するのはほぼ無理というか困難だよな。


「ああ、なるほど。うん、わかった」


 俺は苦笑しながら頷いた。


「それで、その先輩に色々教えて貰ったのか」


 良かった。少し安心した。


「そう、ですね」


 とりあえず彼女のプログラミング技術その他については、後日簡単な例題を出して実際に作ってもらうことにしよう。

 フローチャートくらいまで書いておけば、たぶんきっと問題なく作れるよな。


 問題はそれ以外の日常的な業務についてだ。


「ところで音無さん、君はPCの基本的な知識はあるってことで良いのか? IT系の知識はどのくらいある?」


「IT系の知識に関しては独学も含めて学んだことがないので、たぶん疎いと思います。購入したPCの初期設定やインターネット接続のための設定などは、マニュアルを見ながらであれば可能ですが」


 彼女の返答に、思わず自分の顔を手で覆ってしまった。

 もしかして彼女の知識レベルの想定は、プライベートではネットの検索・閲覧とメールくらいしかしない文系新卒の子辺りまで落とした方が良いのだろうか。

 そうするともっと簡易で簡単なマニュアルを作って、慣れてきたら先に作ったマニュアルへ移行するようにした方が良いのか。


 それにしても彼女の配属先にうちを指名した専務、もしくはそれを勧めた人間はいったい何を考えていたのだろうか。


 大川専務には機械音痴で老眼の彼が裸眼でも読める大きな文字と少ない文字数、できるだけわかりやすい図解表などを駆使したが、具体的で詳細な業務内容については省いた。解説しても彼には理解できないだろうと踏んだからだ。


 しかし、うちに配属される音無さんについてはそうはいかない。業務に携わる人間が、業務内容を理解できないのでは色々差し障りがあるだろう。


「……あー……プログラミングができるなら、コンピューターの基本的な知識は十分あると判断したのかな……いったい何をどこから教えれば良いんだろう……」


 資料用に中高年層向けの解説本を手に入れて参考にしてみるか。

 必須とも言える用語などに関しては丸暗記して貰うことになりそうだが、仕組みについてはある程度理解して貰えなければ、話にならない。


「あの、必要ならこれから勉強します。何を勉強すれば良いか、教えていただければすぐにでも」


「ああ、勿論それはそうなんだが、社内ネットワークとか有線LANとか無線LANとかWi-Fi(ワイファイ)はわかる?」


 まず本人にいくつか質問して、どの程度の知識があるのかを探るか。


「LANとWi-Fiは聞いたことがあります」


「社内ネットワークっていうのは、例えば有線LANなら同じ会社のPCを、それぞれのグループ毎にハブを経由してLANケーブルで繋いで、それらを更に社内限定で共有するサーバー、つまりデータを保管するコンピューターに繋ぐことで、社員皆で共通のデータを扱えるようにするということだ。


 まぁ厳密にはちょっと違って、それぞれ個々にどのフォルダのデータをどこまで扱えるかっていう権限が決められていて、それらを設定するのも俺達の仕事なんだが、そういったものを設定することで、皆が円滑に業務を行えるような環境を整える。


 これについては実際にPCに触れて体験した方が早いけど、一般的にはそれらを行うためには個々に異なる『アカウント』を与えるわけだ。

 利用者側は作成されたアカウントとそれに付属するパスワードを入力して、サーバーにアクセスする。


 音無さんはネット通販とか、インターネット上の何らかのWebサービスは利用したことがある?」


「はい、あります」


「ならユーザー登録はしたことあるよな? 良くサイトの端っこや上部にある『新規登録』ってやつでアカウントとパスワードを作成するだろう?

 あれはユーザー、つまり顧客を登録されたアカウント毎に区別したり、データを蓄積したりしてまとめて管理するためというのもあるけど、そうやってアカウントを作成することで、そのサイトで提供する各種サービスを利用する権限を付与しているんだ。


 登録するだけで無料で利用できるサービスと、有料で利用できるようになるサービスは、そうやってアカウント毎に利用できるか否かを判断する。

 つまり所定の手続きを行って何らかの形で利用料金を決済しないと、有料サービスは利用することはできない。


 インターネット上にある各種サービスはそんな感じで提供されているけど、社内ネットワークでは我々システム開発課が管理者もしくはそれに準ずる者として、個々人に付与されるアカウントを作成し、それぞれのアクセス権限を設定する。

 セキュリティおよび機密保護のため、管理者権限を持つ一部の者以外は基本的に、閲覧したり読み出し・書き出しできるファイルやフォルダに制限を掛ける。


 俺達が日常的に行う業務は主に、内部のみで繋がる社内ネットワーク用と外部と繋がるインターネット用のサーバーをそれぞれ監視し、定期的に出力されるログやエラーメッセージなどを確認し、それぞれのアカウントやファイルなどが不正に利用されたり、何か異常な現象が起きていないか確認して、もし何かおかしなことがあればその原因を調べて対処し、何も異常がなければ何かあった時のために、その正常なデータのバックアップを取って保管するというものだ。


 バックアップの具体的なやり方は後日、業務時間中に教える。ここまでで質問はある?」


 口頭でつらつら説明してみたが、音無さんが固まっている。……駄目だったか。

 できるだけわかりやすく懇切丁寧に解説したつもりだったが、やはり図解などビジュアル的な解説も必要かな。先日自分で書いて課長に駄目出しというか、軽く揶揄されたわけだが。


「すみません、メモまたは音声記録を取ってもよろしいですか?」


 音無さんが慌ててスマホを取り出して謝るのに、こちらも頭を下げた。


「ごめん、こんなところでする話じゃなかったな。悪い、直前までどういう子が来るのか詳しく聞いていなかったから、こっちも準備不足で。

 明日までに参考になりそうな資料やマニュアルを用意する。詳しいことはその時に話そう」


 とりあえず市販の初心者向けの解説本でつないでその間に、大川専務用に作った資料を元に新しくマニュアルを作ろう。そうすれば、音無さんの知識レベルや習熟度も反映できるし。


「いえ、こちらこそ不勉強ですみません」


 音無さんも深々と頭を下げて謝罪する。それを見て、こちらも申し訳ない気分になる。彼女の適性を考慮しないでうちに配属を決めたのは、彼女自身には何ら責任のないことだ。

 彼女には、できるだけ嫌な思いや居心地の悪さを覚えたりしないよう、可能な限り配慮しよう。それがきっと教育係として最低限の義務だと思うし。

以下修正


×処理速度やPCへの負荷を下げ

○処理速度を上げ、PCへの負荷を下げ


×業務内容に携わる人間が

○業務に携わる人間が

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ