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問題のある新入社員8 (SIDE:哲郎)

 八時半過ぎた辺りからちらほら新入社員の姿が見えるようになった。しかし俺が入り口付近にいると幾人かが怯えたように距離を取る姿を見て、移動することにした。


「あれ~、鴻、受付手伝いに来てくれたの?」


 受付近くで椅子に腰掛け原稿か何かを確認していた田上に、声を掛けられた。


「違う、俺を見て怯える新入社員を見掛けたから逃げてきた。裏方手伝うから人目につかないところにいさせてくれ」


「……鴻も難儀だねぇ」


 田上はちょっと呆れた顔で肩をすくめて立ち上がった。


「こっち来て。クロークの手伝いならパーティションに隠れられるから。でもパーティションは二mしかないから一部はみ出すんだよね。

 まぁ、髪の一部だけならずいぶんデカイのがいるなで済むよね」


「うるせぇ、無駄にデカくて悪かったな」


「そんなに気にするならしゃがめば良いじゃないか。さすがの鴻も座高は二m超えないでしょ」


「座高二m超えとか奈良の大仏とかいった人工物以外は有り得ないだろう。田上は一言多いんだよ。そんなこと言われたら、素直に有り難うって言いにくくなるからやめてくれ」


「え~ 鴻は良くも悪くも自分に素直でしょ。余ってる椅子があそこにあるから必要なら使って。表側にお茶と冷水のサーバー設置したけどいる?」


「いや、いらない。悪いな、田上」


「別に~。いつもただでこき使ってるし」


「へぇ、こき使ってる自覚はあったんだ」


「そりゃね~、当たり前じゃない。どっちつかずのコウモリやるには、人の機微に聡く立ち回り上手くやらないと、後ろから刺されかねないからね~。

 僕は自分の身が可愛いから、そりゃもう周囲に気を配りまくるよね~」


「その気配りは俺にはないようだが」


「え~? 鴻みたいなニブイやつはこっちがどんなに気を配ったり丁重に扱ったとしても、結局最後は自分の気の向くままあらぬ方へと突っ走るんだから、配慮とかするだけムダだよね~」


「何だよ、田上。お前、さっきの根に持ってるのか?」


「そういうわけじゃないよ~。どうせ鴻はそう言うって最初からわかってたしね~。全く予想通りだったから本当バカだなぁとは思うけども、それだけだよ~。

 鴻が賢く聡く小器用に立ち回れる男だったら、たぶん僕は友達やってないし~」


「そうなのか?」


「そうだよ~。自分のライバルもしくは敵になり得る存在と友情築くのは到底無理でしょ~。利害関係で争う必要がないから、友達やれるんじゃない~」


 ……こいつと来たら。思わず眉間に深い皺が寄るのを自覚した。


「お前、友達作るのに利害関係がどうとか考えるのかよ?」


「そうだよ? 当たり前じゃない。僕は自分の保身が第一だからね。自分が損しそうなことはなるべく避けるし控えるよ?

 損して得取れがイケそうな時は別だけど」


「お前はまたそういうことを言う。あのなぁ、そういう偽悪的なことばっかり吹いてると、余計に敵を作るだろうが。

 田上は折角、人に脅えられない容姿に生まれたんだから、両親に感謝して人に喜ばれる生き方しろよ。そっちのがお前自身も幸せになれると思うぞ」


「いや~ん、鴻くんったらイケメン~。僕が女だったら絶対惚れてるよ~」


 裏声で言われて全身ゾワッとした寒気を覚えた。


「うるさい、黙れ。気色悪いことを気色悪い声で言うな」


 だいたい俺より明らかに一般受けする容姿でそれを言われるのは厭味というより他にない。なんかどうでも良い男の声で『モテない男の僻み』がどうたらという声が記憶から甦って、イラッとした。

 今更だけど、いかにもモテそうな自信たっぷりなチャラ男に面と向かってそんなこと言われたら、どんな聖人君子でもそりゃムカつくわ。喧嘩になって当然だ。


 世の中には心の中で思っていても絶対口にしてはいけない言葉というものがあるのだ。それは人によってそれぞれ違うが、だいたい根本的なところは同じだ。

 そいつの劣等感や引け目、弱点となり得るところは絶対に攻撃してはならない、ということ。


 しかもそれが、生まれ変わらないとどうにもならないレベルの事なら、尚更である。そんなことをわざわざ取り上げて偉そうに上から目線でぶちまけられたら、誰だって切れたり苛つくに決まっている。


 人は誰かに攻撃されると傷付き悲しむか、翻って怒りや憎悪になるものだ。愛と怒りは表裏一体で、怒りと悲しみは近しい感情だと思う。

 そして、それが歯牙にも掛けない相手から言われたものであればそう気にもしないが、親しみだったり広義の意味での愛情──友情や親愛も含む──を感じている相手だったりすれば、覚える感情もひとしおである。


「あれ、鴻、かなり本気でイラッときてる?」


 能天気な声色でそう言われて、ハッと気を取り直す。


「いや、今のはお前に対してじゃないから安心しろ。ちょっと嫌なこと思い出しただけだ」


「それって僕が聞いても良い内容?」


 そう尋ねられて、いやと首を左右に振った。


「そういうわけじゃないな。正直、たいしたことじゃないんだけど」


 そう前置きして、新人研修会最終日に会社から出ようとした時に遭遇した二人組と、偶然耳にしたその諍い内容についてざっくり話した。


「ねぇ、鴻。それって落とすだの何だの言われた対象、例のあの子なんでしょ? それって実際そいつらが何かしでかしたらヤバイんじゃないの?」


 そう言われてハッとした。


「なぁ、田上。俺、生まれてこの方ナンパとか口説いたりとかした経験一度もないんだが、そういうことする時って具体的には何をどうするものなんだ?」


「え~、そんなこと聞かれてもそんなもの人によるし相手にもよるよ~。でもさぁ、その子ってASDなんでしょ? ってことはそれ結構マズイよ。

 あのね、鴻も参考書籍に目を通したのならわかるだろうけど、ASDって個人差や特徴はそれぞれで色々あるけど、たいていは冗談とか建前とか比喩とかが理解できないんだよ」


「それはまぁ読んだけど、いやでも普通は嫌なものは嫌だってことくらいは言えるだろう?」


「鴻、それ全然理解できてないよね。あのね、例え冗談でも誰かに『断るのは禁止』とか『俺の言うことを聞かなきゃダメだ』とか言われたら、それを真に受けたりするんだ。

 そうするとどうなるかわかる?」


「はぁ? えっ、そんなバカな、いや冗談だよな?」


「そんなわけないじゃない。僕は嘘や冗談を良く言うけど、こういったことでは言わないよ。真面目な話、ASDの人は悪意や害意を持って近付く人間にとっては、獲物(カモ)にしやすいタイプが多いんだよ。

 だから、状況や環境とかにもよるけど被害者意識が強くなったり人間不信になったり引き籠もりになることも多いんだ。

 何よりASDは生まれつきコミュニケーション能力が致命的なまでに低く、対人トラブルも起こしやすいからいじめられたり、人に嫌われ敬遠されるケースが非常に多い。


 ASDは上手く行けば天才とか秀才となって社会で活躍できる存在になれる可能性もあるけど、その逆に内に引きこもって出て来られなくなったり、周囲を無差別でトゲで攻撃するヤマアラシ状態になったりする可能性も大いにある。

 だから彼らの扱いは難しくて、何が彼らの怒りや憎悪のきっかけになるかASDではない僕らには全く理解できないから、ASDの人達は知能・身体能力その他には全く問題なくてもコミュニティ障害と呼ばれる場合がとても多いんだ」


「えっ?」


 あれ、俺は今後、そういう女の子の面倒をこれから見なくちゃいけないんだよな。本を読んで一通りわかったようなつもりでいたけど、実は全然理解できていなかったのではないだろうか。


「目配せや表情を理解することが苦手で婉曲表現が苦手。正面から向き合っていて二人しかいない状況でも、自分の名前を呼ばれないと相手が誰に対して発言をしているのかわからない。

 周囲の状況判断が困難で、教えられたことをそのままそっくり真似ることはできても状況に応じて臨機応変に対処することが苦手。


 長期記憶能力に長けてはいるものの短期記憶に関しては弱く、高い集中力を持つものの興味のある事柄以外に対しては無頓着で無関心。

 何か好きなことをやらせると、途中で誰かが声を掛けても全く気付かないほどに熱中してしまう。曖昧なことを理解できず、事細かに指示・説明しないと理解できない。


 いわゆる『文学的表現』なんてものは埒外で、比喩表現などの婉曲表現を完全に廃した直接的な表現でなければ理解できないとくれば、普通に口説き文句なんてものの大半は理解できないものの筆頭ってことになるよね」


「それって絶対マズイだろう!」


「だからそう言ってるんだよ」


 田上にバカなの?と言わんばかりに眉を顰められ、全身冷たい汗が噴き出した。


「……どうすれば良いと思う?」


「どうすればって言われても、僕だって困るよ。だって知識としては知っているけど、これまでASDの人と付き合ったことなんて一度もないし、従来の僕であれば絶対そういう人とは係わらないからね。

 だって僕は自分の保身が第一で面倒事に係わるのなんて仕事で必須とあれば諦めるけど、プライベートでは絶対NGだから。

 そんな対策なんて考えたことがない」


 ……マジか。いや、これは俺が考えなきゃいけないことだよな。田上にばかり頼っていちゃ駄目だ。俺が彼女の教育係としてこれから付き合っていくことになるのだから。


「とりあえず、会場へ行く」


「行ってどうするんだ、鴻」


「考えてもわからないから、状況に応じて臨機応変に対処するに決まっているだろう」


 俺がそう答えると、田上は困ったような顔で苦笑した。


「実に鴻らしいね。まぁ、大変だとは思うけど頑張って」


「これは俺に与えられた役割の一つだからな。それができないなら、教育係は辞退・返上すべきだ」


「僕は広報の佐々(ささき)さんと組んで司会進行やるから、式が始まったら動きが取れなくなるから当てにはしないでね」


 お前はこういう時に、そういうことを言うなよな。ふぅと溜息をつき、肩をすくめた。


「大丈夫、これは俺の仕事だから気にするな。お前はお前の仕事に集中しろ」


「あははっ、鴻ってば男前~。あと一応言っておこうかな。そこまで言うなら僕の仕事の邪魔はしないでね? 式の最中に事が起こったら速やかに、他に影響が出る前に片付けてくれると有り難いな」


 こっちが発破掛けたら、向こうから掛け返された。ニヤリと笑って親指を立てて見せる。


「了解。じゃ、こっちのことは心配するな。無理矢理にでも何とかする」


「はーい。鴻がそう言うなら間違いないと思って何かあってもスルーするから。わざわざ大川専務の気を引いてフォローしようとしたりしないから安心して」


 ……それは安心して良いのだろうか。まぁ、いいや。そんなものが必要にならないようにすれば良いだけのことだし。

 しかし、たぶんきっと高坂は知らないんだろうな、音無さんが大川専務のコネ入社だって。



   ◇◇◇◇◇



 音無さんは八時四十分過ぎに現れた。ピンク色のスーツが可愛くて似合ってる──じゃなくて、彼女の動向を見守っていると、一番後ろの右端の椅子に腰を下ろした。

 高坂や富永は右端の中程にいて、他の第二営業課の連中と何か話をしていた。こちらに背を向けているため表情は読めない。


 音無さんが会場に現れた瞬間から息を殺して注意深く見守っていたが何事もなく式が始まり、やや油断しかけた時に高坂が動いた。

 ……考えていた以上にバカなんだろうか、あいつ。素早く大川専務がいる方へ視線を走らせたが、ちょうど総務部長や営業部長らと談笑中で、こちらには全く気が付いていない。


 とりあえず一安心だが、気は抜けない。できるだけ音を立てずに近付いた。

 しかし音無さんには完全に無視されているのに、しつこく何度も声を掛け徐々に距離を詰めていっているとは、どれだけ厚顔なんだ。

 やはりイケメンだからか。自分に自信があって、自身が拒否されることなど思いも寄らないからか。

 この世の全てのイケメンがそうだとは思っていないが、俺KAKKEEEE的なことを本気で信じて揺るがないイケメンは滅びてしまえ。


「──ねぇ、さっき目が合ったよね? どうして気付かないフリをするの?」


 そう声を掛け続ける高坂に、ピクリと肩を僅かに震わせる音無さん。


「高坂先輩、そこまでにして下さい」


 そう告げて背後から高坂の肩をグイと掴み、彼女から引き剥がすよう壁側に無理矢理押し寄せ、睨み付けた。


 高坂は突然の事に状況が掴めないのか、呆気に取られたようにポカンとした顔になっている。


 俺はそんな彼の様子に構わず、畳み掛けるように説き聞かせる。


「高坂先輩、今は業務時間中です。ナンパがしたければ、時間外に社外で行って下さい。あと、今は新入社員のために総務部他の多くの社員が多くの時間と労力を掛けて準備した、記念すべき入社式です。

 あなたにとっては年中行事の一つかもしれませんが、そうではない者もいることを念頭に置いて、軽はずみな言動で周囲に迷惑を掛けぬよう、先達として我が社の規範となるよう心掛けていただきたい」


 己の感情が抑制しきれているとは少々言い難い声音となった。俺も精進が足りない。だが、これで萎縮し脅えてくれるような相手であれば幸いなのだが、


「……何だお前、急に出て来て偉そうに……っ、『システム開発課』の(おおとり)か。お前に先輩と呼ばれる筋合いはない」


 なんて反応が返ってきた。ほう、そうか。そう来たか。なのでこちらはこう返答する。


「所属する部署は異なるとはいえ一応キャリアは一年上ですし、年齢的には自分より三つ上ですから先輩で間違いはない筈ですが、『第二営業課』の期待の星、高坂先輩(・・・・)


 俺に先輩とは呼ばれたくないというなら、是非とも先輩先輩と連呼してやろう。この体格差で、俺に喧嘩売り返すなんて良い度胸じゃないか。


「わかっているなら話は早い。そもそもシステム開発課ごときに指図されるいわれはない。お前らは指示されたことをやって、俺達営業を影ながら支えるのが職務だろう?

 だいたい、入社式にお前らのやる仕事なんて無いはずだ。それとも何か? その無駄に大きい肉体を使って雑用するために借り出されたのか?」


 そりゃ雑用はしたけど、そんなものは物のついでだ。この男には誰かに何かをして貰って感謝するという気持ちはないのだろうか。

 うん、やっぱり俺、こいつのこと嫌いだ、すごく大嫌いだ。まぁ、その方がやりやすいな。自分の感情をそれほど抑制する必要がない。


 無論、怒りや憎悪に任せて無意味な暴力または暴言をぶちかます気などは毛頭ないが、売られた喧嘩は買ってやる。

 俺は彼の両肩を圧迫するよう少し強めに両手を置いて、問答無用とばかりに力尽くで引き掴み、ニヤリと笑いながら宣告した。


「……どうやらお疲れのようですね、先輩。ちょっと休憩しましょう」


 正直、相手の言い分や言い訳などを聞くのは面倒になった。大川専務らに気付かれる前に、連れ出してしまおう。文句があるなら会場の外で聞いてやる。

 ヤバイ、怒りや苛立ちは留まるところを知らないのに、何故だか唇が緩むのを止められない。


 そのまま力業で高坂を会場出入り口のドアへと向かって押し進める。

 そうなってから高坂は慌てて抵抗しようとしたが、相手は標準身長・標準体重だ。二百十cm・体重百三kgは伊達じゃない。筋力は少々落ちたものの、完全に衰えたわけではない。


 筋力と体格差に任せて肩の上へ担ぎ上げ、そのまま俵運びで会場外へと運搬する。

 誰に声を掛けられてもニッコリ笑顔で「どうやら熱中症みたいで」とか「どうやら無理をされていたらしくて」などと返せば、納得してくれた。


 本当に相手が納得してくれたかどうかなど知らない。今更気にする外聞・体面なんてものはないし、出世する気も皆無なので、気心知れたやつ以外にどう思われようが知ったことじゃない。

 俺としては可及的速やかに解決できれば良いので、相手がこちらの心情を(・・・・・・・・・・)理解してくれれば(・・・・・・・・)それで良い。


 俺相手に喧嘩売るだけならまだしも、システム開発課を嘲るようなことを言ってくれたのだから、丁重におもてなしして、うちの課の必要性と重要性について彼が納得行くまで説得をしてやろうと思う。

 それくらいは覚悟して発言してくれたんだろうから、期待には是非応えてあげないといけないよな。

前々話で専務の年齢が十歳間違っているのにそのまま書いていたので修正しました。

デジタル・アナログの設定メモが混在しており、テキストの情報に誤りがありました。

大変申し訳ありません。


あと、登場人物一覧に、重役陣他脇役達の名前を追記しました。

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