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習作

作者: quiet

 


 古語辞典の裏に隠したスマホでゲームするのにも飽きて、教室でうつ伏せになってる頭の数を数えていたら、ベランダ近くの棚の上で、花が萎れかけていることに気が付いた。


 あんなのあったっけ。

 入試問題がぎゅうぎゅうに敷き詰められた棚の上に、歴史漫画と混じって花瓶が置かれている。白くてすべすべで、だから埃を被ってるのが丸わかりの花瓶。


 教室の掃除はもちろんされてるはずなんだけど、汚れっぽく見える。ああいう水物、割れ物って掃除するのに躊躇うから、それが理由かもしれない。


 そもそも、ああいうのって造花じゃないんだ。

 造花じゃないやつ……生花?って世話に手間がかかりそうだし、教室みたいなところには置かないイメージだった。


 実際、今はその世話がサボられてるのか、名前も知らない花が哀れっぽく頭を垂れている。


 窓辺には、薄黄ばんだカーテンを白く光らせるような、西寄りの太陽が照り付けていて、くっきりとその花のかたちを映している。

 教壇からは、春の夜の闇はあやなし~、なんて聞こえてくるけど、もうそんなに綺麗に咲いてるわけでもないのに、スポットライトだけ当てられている花は、何か可哀想に思えた。


 でも、ずっと前から枯れてたわけじゃなかったと思うし。

 そのうち、新しい花に取り替えられるのかな。


 そんなことを思いながら、何となくその教室の花に注目し続けて数日。


 それは未だに取り替えられたりせずに、着々と枯れ続けていた。

 花びらはしわしわで、腐ったみたいにところどころが茶色になり始めている。


 誰もそれに気付いてる風じゃなかった。

 わたしだって、古文の時間によっぽど暇してなかったら、気付かなかったと思う。腐臭が漂ってるわけでもないし。


 でも、気付いちゃったものはまあまあ気になってくるわけで。


 放課後。

 ちょうど土曜の課外授業の後は、いつもの居残り自習組もいなくなって、誰の目もなくなる。


 友達が軒並み午後の部活やら、駅前のファミレスやらに旅立っていくのを見送ったあと、わたしはその花瓶を、間近で観察してみた。

 具体的に言うと、その口を覗き込んでみた。


 羽虫が浮いてる。


 うえー。インパクト大。

 しかもそれだけじゃない。水は濁ってるし、ぽろぽろと器用に細い口から入り込んだらしい抜けた葉や花びらが、茶色く、ていうか完全に腐って浮いている。


 生老病死って感じ。


 見るんじゃなかったなあ。


 でも、見ちゃったものはしょうがない。

 このまま放っておいても誰も掃除したりはしなそうだし、放っておいたらどんどん手が付けられなくなるくらい汚くなるのはわかってるし。


 でもなあ。

 うえー。


 わたしはもう、汚いものを持つときの手つきそのままで、花瓶をつまんだ。

 間違っても制服につけたりしないように、できるだけ遠目に持ちながら、トイレ近くの掃除用の水道に向かう。


 ここはここで汚いんだよなあ。

 誰も真面目に掃除してないんじゃないんだろうか。水垢とかすごいし、丸まってるホースはどこで何に使ったのかよくわからないし。


 花の首元を持って片手で抜いて、もう片方の手でフラスコから塩酸を捨てるみたいに花瓶の水を捨てる。どごごごご。うわ、すごい音。ステンレスの台が細い水の線に揺らされた。


 ちょーっと、水を入れる。それを零さないように中で回して、捨てる。濁った水。もう一度やって。


 うぎゃあ、手にかかった!


 三秒くらいためらって。

 もう知るか、と。どぼどぼ花瓶を洗い始めた。

 こうなったらもうどうなっても同じだ。花の茎だって素手で触ってやる。うわ、ぬめってる。超ぬめってる。気持ち悪いよー。


 それでも何とか、めげずに洗いきった。

 花瓶の口は細くて、中までスポンジで洗うとか、そういうことはできなかったけど、とりあえず水でじゃぶじゃぶ洗った。これでダメならもう知らん。


 そういう気持ちで、もう一度水を入れて、教室に戻しておいた。


 これはいい人ポイントが高いんじゃないか、と思いながらやったことだったけど、終わってみて残ったのは、単なる掃除後のすっきり感だけだった。


 しかしまあ、案外こういうことは上手くいかないもので、月曜日にわたしが見たのは、小奇麗に枯れ始めている花だけだった。


 白い花瓶が陽の光を受けて輝きながら、その上ではしおしおと花が枯れている。

 そして教室の誰も、その水が取り替えられたことに気付いていない。わたしもわざわざ声に出しては言わない。わたし昨日それの掃除したんだけどえらくない?って、冗談めかして友達に言っちゃおうかと思ったけど、ほんとにいい人のやることみたいだったから恥ずかしくて言えなかった。


 ちょっとインターネットで調べてみたら、切り花の寿命は十日くらいらしかった。

 いつ頃からあの花が花瓶に挿してあったのか知らないけど、初めて見たときに萎れてたから、そのときもう三日か四日は経ってたんじゃないかな。


 そう考えると、わたしが一昨日綺麗にしようとしなかろうと、大してその寿命に変わりはなかったわけで。


 生老病死って感じ。


 努力なんて気まぐれにやっても無駄なもんだな、と思春期らしいことを考えたりしながら、その日の放課後も水を替えてみたりした。インターネットで調べたときに、うっかり水は毎日替えましょうなんてアドバイスを見てしまったからだ。


 土曜日のぬめぬめと比べればなんてことなかった。

 しゅぱっと洗って、ささっと挿して、教室に戻して終わり。月曜日だから多少教室に残って勉強してるクラスメイトもいたけど、誰もわたしが何してるかなんて気にしてなかった。友達でもなければそんなもんだ。


 ついでに、わたしは他の教室を外からきょろきょろ眺めてみた。八クラス中五クラスの花が枯れ切ってるのを確認したわたしは、まんざら無駄したわけではないらしいぞ、と自分を慰めた。


 そんなことをしていたら、バスの時間を逃したので、そのままふらふら校舎内の花瓶を見回ってみたりする。お花大好きふわふわガールみたいなだな、と自分で思った。


 今までは意識してみなかったから気付かなかったけど、意外に色んな場所に花は挿してあった。

 教室を初めとして、階段前の廊下、職員室や資料室の近く。特別棟の奥深く、年に十回も使われないような調理室の前、電気すら点いてない場所にぽつん、と置いてあるのは、正直なところホラー映画みたいな構図だと思った。


 そして気付いたのは、その挿してある花が、全部同じ花だったってことだ。萎れ具合は様々だったけど。

 その名前は知らなくて、薄桃色の花。クラスの誰だったら知ってるかな、なんて考えていたら、ちょうど国語科資料室の前で、わたしが普段散々サボってスマホを弄らせていただいているところの古文教官が花瓶を手に取っていた。


 古文教官は、アラサー眼鏡の、おじさんとお兄さんの境目くらいに立ってるみたいな人で、国語教師の例に漏れず、いかにも道端の花を見ては有名な和歌を頭の中で引いてそうな顔をしている。


 せっかくだから訊いてみようか、と思ったところで、おおっ、と目を引かれる。

 その手にある花はぴんぴんしていた。まだまだ寿命半ばを折り返したところだよ、って感じ。人間で言えば四十歳くらい。敦盛で言えば二十五歳くらい。


 ひょっとして、この古文教官は、毎日甲斐甲斐しくもこの花の世話をしてたのだろうか。


 話しかけてみる。

 別に仲良しでも、仲悪しでもないので、普通に答えてもらえる。


 先生、その花。ちょんと指差してみると、古文教官は、ああ、と頷く。

 貰いものだそうだ。教師陣のうちの一人が、貰った花束の処分に困って、学校に持ってきたらしい。それで、切り花にして空いた花瓶に挿していたのだそうだ。


 ちょっと納得した。

 あんなのあったっけ、って最初にわたしが思ったのは、別に間違いじゃなかったのだ。これまでずっとなかったものがある日突然現れて、で、それがいかにも前からあってもおかしくなさそうだったから、あんなのあったっけ、ってなったわけ。


 こういうのって結構あるんですか、と訊くと、古文教官はまあまあ、と答えた。そして、さらーっ、と話から離脱していった。たぶん、トイレ前の水道に向かったんだと思う。


 あ、と気付いたときにはもう遅い。

 花の名前を訊き忘れていた。


 まあいっか。

 そんな気持ちだったから、追いかけることもしなくて、そのあと、友達に聞いたりもしなかった。一瞬だけ、『花 ピンク』とかで検索してみたりもしたけど、どれがどれだかわからなかった。


 結局、水を取り替えながらも、二日後にその花は静かに枯れてしまった。

 そして、次の日にはゴミ箱に捨てられていた。


 春の花の世話は甲斐なし~、なんて思ったりして、そういえばあの花、匂いも嗅いでなかったな、なんて思ったり。


 花が捨てられた日、ほかのクラスを回ってみたら、まだ花の枯れていないのが一クラスだけ残っていた。例の古文教官が担任のクラス。そして国語科資料室の前の花も、もう少しくらいは咲いてられますよ、みたいな顔をして、そこにあった。


 別に花がそんなに好きなわけじゃない。

 いい人でもなければ、ファンシーな女の子ってわけでもない。


 でもわたしは、それ以来、毎朝教室に入ってくるたびに、そこに花が増えてないか気にしてる。

 きっと、誰も気付かないだろう花が、そこにないかを探してる。


 次は、わたしの教室の花が一番長持ちするように。

 誰も、古文教官すら気にしないだろうけど、そんなこと計画を立てながら。



 今日も、古文の時間にスマホを弄って、寝こけてるクラスメイトの頭を数えて、たまに、花を詠んでる和歌を聞いている。





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