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男の人

作者: せきひらく
掲載日:2014/11/20

「男の人に電話してもらおう」と彼女は言った。

 昼間、仕事場で雑談していたときのこと。新聞がなかなか解約できず困っているという話で、我も我もと盛り上がっていたときのことだ。

 雑談のなかで、ぼくはモルモン教徒によく勧誘されると言った。そういう時は、「うちはサイエントロジーです、トム・クルーズが好きなので」と断ることにきめているとも言った。モルモン教にトム・クルーズはいないから。

 とくに笑いはとれなかった。

 もちろん作り話だ。都のはじっこのどんづまりの辺境の田園地帯にかろうじてべったりへばりついて建っている古づくりの我が家を訪ねてくるのは、せいぜいが通学途中で便意の不意打ちに見舞われた冷や汗でぴかぴかの小学生ぐらいである。それもふた月に一度程度のことにすぎない。そうしょっちゅうあってくれても困るけど。

 小学生というのは、不可避の生理現象をすら心から恥じる高潔な生き物だ。門戸に立って事情を語る彼らは切腹直前の武士のように思い詰めた表情をしている。

 職場でのぼくは、どちらかというと大学生より小学生なのかもしれない。トイレが近いのも長いのも、できれば避けたいと考えている。しかし中学生よりは大学生に近い。下ネタは極力控えている。でも高校生よりは幼稚園児に近いのかもしれない。彼女のことが好きだいうことにまる一年気がつかなかった。

 ともあれ、少ないトイレを済ました後には必ず手を洗うようになったし、くしゃみだって握り拳に納めるようになった。歯も朝夕磨くようにしているし、出かける前には新聞に目を通して、風呂も毎日はいる。それも夜ではなく朝に入浴しているから、結果的に早起きにもなった。同居している祖母とどっこいの時間に起きる。なにを朝っぱらからと訝られたので、朝シャン族というのだと教えた。祖母は「あしゃしゃんじょく?」と首を傾げていた。いまのぼくはディズニーもののキリギリスみたいに小ぎれいで、これ以上ないほど健康的だ。前夜に取り組んだおひとりさまの楽しみに引きずられて授業中居眠りするようなこともなくなった。恋とはどんなものかしら? ケルビーノ君、恋とは健康になることだよ。

 彼女も健康的だ。すみずみまで朗らかだ。彼女の肌は烏骨鶏卵のように照り輝いている。笑い声はまるで小鳥のさえずりのようだ。『肩胛骨は翼のなごり』という本があるらしいが、彼女には翼そのものがあってもおかしくない。それもルネサンスの壁画に描かれるような無垢で小振りな赤ん坊天使の羽。朝チュンのチュンが彼女のものならその日の午後には後悔なく死ねる自信があるほどに、彼女のすべては健やかで魅力的だ。

 その彼女が健康的な声で言った。「男の人に電話してもらおう」と。ぼくのすがすがしかった精神がいちどきに病に墜してしまったことは言うまでもない。

 死に至る病。

 スタンダールは『恋愛論』で「恋の再結晶作用」について触れているけれど、今日わかった。あの本は糞である。ドアミラーに着弾したヒヨドリ飛行隊謹製の臭洟弾である。ぼくの恋心がふたたび力を得、のみならず深化するなどとはとても思えない。てめえは雨ざらしのガラスの上で勝手に汚く再結晶していやがれ。

 Q.恋とはどんなものかしら?

 A.恋とはウェルテル効果の主成分です。

 それが今日の顛末であり、ぼくはいま鼻紙をゴミ箱にぶちこんで鬱憤ばらしを終えたところである。

 すっかり疲れて眠くなったので、今日のところは寝ることにする。


   *   *


 恋愛において冷却期間をおくことは大切だそうだが、どうやらそれは前恋愛的な生活においても同じらしい。いろいろ冷まして考え直してみると、これはどうやら、早とちりというやつかもしれない。

 今日は早番だった。そして木曜の早番は幸いなことに彼女とふたりである。この場合幸いというのはすこしおかしいかもしれない。それなりの苦労をして手に入れたシフトなのだから。

 ともかく、彼女は今日もにこやかだった。オフィスには深紫のワンピースを着た一房のアジサイが咲いていた。職場にはもうひとり男子学生がいるが、咲きこぼれるこの笑顔を彼女がそいつに見せたことは一度もない。書類の整理をしているときうっかり手の甲どうしが触れてしまったが、特に気にしたふうではなかった。ラックに紙束を片づけようときびすを返したときの彼女の残り香はいつもどおりにとても美味しい。

 始業までの半時間ほど、作業をしながら無駄話に興じた。仕事中はコンピュータの扱いで質問もされた。電子機器について彼女はいつも真っ先にぼくに相談する。

「男の人に電話してもらおう」という言葉は、たしかに「新聞屋に代わりに電話してくれる男がいる」ということを意味しうる。しかし、こうも考えられるのではないか。なんの気なしに話の流れで口にした合いの手に過ぎないと。あるいはこうも考えられる。つまり、「新聞屋に代わりに電話してくれる男を必要としている」と。

 だいたい、彼女に特定の男がいたらぼくはあきらめるのだろうか。難しい問題である。

 遠藤周作は『恋愛とは何か』で次のように書いている。「エロス(性の世界)とはそれ自身でかなしい」

 遠藤周作をふまえて、もっと遠慮も修辞も身も蓋もなく言い換えるとこうなる。つまり、ぼくはイタしたいだけなのだろうか?

 たとえば、彼女に特定の男がいると仮定する。それが彼女にとって善いことであれば、ぼくは彼女を恋していて、彼女の幸せを願うものである以上、現状に甘んじるべきではないのか。なぜ彼女に相手がいるかもしれないというだけで望みを絶たれたと感じるのか。いや、そもそも「望みを絶たれた」という表現自体がおかしいだろう。彼女を占有することが目的化しているときにしか、この言葉は意味をなさない。たとえば、その男の方がぼくよりも彼女の幸福に資するのであれば、利己的な理由によって以外にぼくは絶望することができない。そしていま、仮に特定の男が彼女にいたとしても、ぼくはその男の実力を知る由がないのだから、これもまた安易に絶望するのは理にかなってはいない。必要なのはその男の力量の吟味のはずである。ぼくが絶望することができるのは、彼女に特定の男がおり、その男がぼくよりも劣っていることが明白で、かつその男を彼女が選びとることがはっきりしているときだけのはずだ。

 いや、ほんとうにそうなのだろうか。今書いたことはまるで『国家』におけるソクラテスのようにユートピア的すぎはしないか。愛の語り手、プラトン対話篇唯ひとりのあの女哲学者だったら、どう応えてみせるだろうか。

 もしも恋がそのようにしか正当化されないなら、ぼくは永遠に誰とも恋愛することができなくなるかもしれない。というのは、一人の人間の視点からあらゆる同性をランク付けしてそのうちの一人がある異性とつりあうということを証明するのは現実的に不可能だからである。しかし、ぼくが彼女に対して、彼女を恋しているがゆえに、つまり彼女の幸せを願うがゆえに、誠実であろうとすればするほど、その証明が存在しない恋愛への働きかけは正当化され得ない。なぜなら、より彼女に適した人間がいるかもしれないという可能性を排除できていないにもかかわらず、あたかもその可能性をないものとして扱って、彼女をだますことになるからだ。これは誠実性の要求に反する。また、その逆もありえてしまう。仮にそのようにしか恋愛が正当化され得ないなら、もしぼくに彼女よりふさわしい女性がいたとすると、ぼくは彼女と恋愛してはならないことになる。そもそも、ふさわしいとは何か。たとえば、金貨と銀貨と銅貨があって、ぼくは銀貨を好んだとする。しかし仮にぼくが高貴な生まれであったとし、そうであるからという理由だけで銀貨ではなく金貨しか選んでならないというのであれば、それは人間としての生を生きていることにはならないのではないか。

 そもそも、もしかしたらぼくを突き動かす情念はそんな上等なものではないかもしれない。生成変化消滅そのものであり、永遠不変とは縁遠いものかもしれない。さんざん悪事を働いたあげく、清らかな妹を生粋のサディストとたちと共謀して喝采のもとに雷雨の野原へ追いやり、雷火に貫かれて死んだその体を前に「みずから手なぐさみにふけっ」てしまうあの女のように、やましいことに快感を覚えるのかもしれない。悪徳の栄えをこそ求めているのかもしれない。

 ぼくはそれを否定したい。そんなことはないと、彼女のことが好きなのは決して彼女をものにしたいからではないと。だからぼくは動じてはいけない。だってまだ彼女に男がいると決まった訳ではない。そして男がいたからといって、絶望していいわけでも、あきらめていいわけでもない。なにもまだ決まってはいないのだから、絶望してよいはずはない。理想主義的ではなく、かといって利己的ではなく、彼女との関係を整理する方法があるはずだ。そう信じるのは、悪いことではないだろう。

 と、書いてぼくは昔読んだフロイトの短い論文に思い至る。「否定」と題されたそれの中で、世紀のエロおやじは書いていた。「否定は、抑圧されたものを認識するための一種の方法である」。

 だめだ。どうどうめぐりだ。今日はもう寝よう。


   *   *


 三日ぶりの日記である。いま、職場のパソコンで書いている。いわゆるサボりというやつだ。語源であるフランス語のサボタージュが、ラッダイト運動と意味上さしてかわらないことはあまり知られていない。まあ、備品を叩き壊したりしないだけぼくは優秀な労働者なのだろう。

 今日も職場は明るい。それぞれにいろいろな事情を抱えてはいるけれど、それにしてもここはいい職場だ。この数日でそう思えるようになった。

 実は一昨日、小学生が我が家に来訪した。これは月曜日のことで、ぼくは授業も仕事もなく家にいた。ところがこの月曜日は、父はもちろん出勤、祖母は朝からゲートボール、母も数キロ離れたスーパーのパートで通学時間帯にはみんな出払っており、家にはぼくひとりだったのだ。

 正直に言って、寝ていた。横になっていたし、二度寝の二度寝で図らずも彼女を思い浮かべて不摂生にも微睡んでいた。いつも職場でそうであるように裸足のままで涼しげな膝下をさらしている彼女が、薄手のワンピースをゆっくりたくしあげながら、消え入りそうな声で、ごめんください、と言った。脱ぐときのかけ声にしては妙だと思っていると、すこし大きな、しかしややせっぱ詰まったスタッカートで、ごめんくださいっ、と聞こえた。ワンピースの淵からもうすこしで足の付け根が見えそうというところでそう聞こえたものだから、不思議に思って夢のなかで彼女の顔に目を向けた。するとその顔がはっきりとは思い出せず、ああこれは夢だと気がついて、

「ご、ごめんくださあいっ!」

 失礼極まりないことに、地元小学生の間で我が家は「うんこハウス」と呼ばれているそうだ。畑のどまんなかにぽつんとあるのが、緊急時の駆け込み先にちょうどよいらしい。ヤバいときトイレ使わしてくれるから、と声がわりさ中のしゃがれ声で少年が言っていた。

 とびおきたぼくは、やましい妄想を頭から字義通り振り払い、スウェット姿で玄関に走った。がたがた音をたてて年季の入った引き戸を開けると、門柱のところに小さい影がふたつ立っている。一つは黒が勝っていて、ひとつは赤が勝っていた。赤と黒というわけだ。これでうちが寺かなにかだったら運命的だが、さすがにそこまで世の中はご都合主義的にできていない。我が家はふつうの小松菜農家である。

 ところで、いかな夢うつつのぼくでも、恋するひとが男子の声音で話しだしたら一発目でおかしいと気がついていただろう。礼儀正しく敷地の外から声をはりあげていたのは、一緒にいた女の子のほうだった。梅雨どきに珍しい晴れ日のさわやかな薄い光線のもと、男児のほうは俯き気味で固まっている。わかるぞ少年、本当にヤバいときは、一歩も動きたくないし声もだしたくないよな。

 とかく事情を察したぼくはなにも聞かずに我が家の便所へ少年を案内した。ご多分に漏れず和式だが、そこは現代っ子にもがまんしてもらうしかない。ランドセルを放って少年が特急で便所に消えると、廊下のすぐさきにある食堂で、仕舞ってあった饅頭を女の子に出した。

 はじめは兄妹かと思っていた。つまり、女の子は、声変わりの始まる兄がいてもいいほど背が低かった。小さな鼻は少し上向きで、あたりの匂いの変化を逃さないぞとでもいうように、ときおりひくひく震える。おかっぱにちかいショートで、長ズボンにボーダーシャツを身に着けていた。中学にあがって制服を着るまでスカートとは縁がないタイプの女の子だ。

 兄妹かと聞こうとして、机上に横たえられたランドセルの側面のフック、俗に給食着下げと言われる鉤から名札がぶら下がっているのに目が止まった。名刺サイズの札を包んだプラスチックの小袋は、黄色をしている。黒いランドセルの名札入れも同じ色だった。あの小学校がぼくの通っていたころから方式を変えていないなら、このふたりは同じ学年カラーを共有する同級生だ。 

「5年生?」

「6年生」

「時間だいじょうぶ?」

「遅刻だわ」

 少女は饅頭をかじりながらやや不機嫌そうに答えた。少年はまだトイレからでてこない。

 どう会話を継ごうか思案してしていると、少女の方から口火を切った。

「友達です。幼なじみなの。幼稚園からずっとおなじ。で、毎年この時期の朝におなかを壊すのも幼稚園からずっとそう。おじさんところに最初におじゃましたのもケンスケだったんじゃないかな。あ、あいつケンスケ、コウノケンスケ。あたしはイトウチカです。トーチカって呼ばれてる。傭兵みたいな女だからって。ひどくない? あいつらがヒンジャクなだけなのよ。カエルの死体投げたぐらいでビビっちゃって。あ、おじさん名前教えてくれますか」

 おじさんじゃないことと、名前を告げた。

「ふうん、でもおにいさんって感じもあんまりしないわね。……あ、ごめんなさい。わたし正直だから、思ったことどんどん口に出して言っちゃうの。悪い癖です。でもケンスケは反対で嘘ばっかり。苦手なものはもちろん好きなものまで嘘言うのよ。なんの意地張ってんのかしらないけどさ、あほみたい。そう思いません? 部屋のどこにエロ本隠してるかだってあたし知ってるし、お兄ちゃんのお下がりの『いちご100%』。そのやせがまんで今日だってぎりぎりまでトイレ行かないっていって、結局ここにお世話になってる」

 饅頭の包装紙がテーブルに複雑な陰影を描いている。七分晴れの雲間がちょうど開けたのか、システムキッチンの正面から差し込む光線が強くなって、逆光の少女の顔が色濃い影で塗りつぶされる。包装紙の陰影は輪郭線が際だって、いまや象徴的な紋様に見える。

「きみはケンスケくんのことが好きなのかな?」

「わかりません。でも、ケンスケはあたしのことを好きになる、間違いなく」

「きみはそのとき、ケンスケくんを受け入れる?」

「わからないわ、そんなのそのときになってみないと」

「もしケンスケくんよりいいひとがいなかったら?」

「世界にふたりしかいなかったらってこと? それでもわからない。だって、世界にふたりしかいないなんてこと、実際にはありえないでしょう? あたしはあたし、あいつはあいつ。あたしはケンスケのエロ本のありかを知ってるけど、それはケンスケのことを知ってることにならないわ。ケンスケがあたしを好きになって、なにかをあたしに望むなら、そのときケンスケはあたしに知ってもらおうとしなきゃならない。はなしはそれからだ思います」

「しっかりした意見が言えるんだね」

「意見だけなら誰でも言えます。それを言わないのはできることをしてないってことでしょう。怠けてるだけ」

「すると、きみはケンスケくんの幼なじみでありながら、ケンスケくんのことはぜんぜんわからないと言うんだね」

「おにいさんは、あたしのこと、なにかひとつでもわかったと思うんですか。あたしがわからせようとしたこともないのに? ふつうに生きてる限り、それはどれだけ長くつきあっていても同じことだと思います」

 雲間が閉じて、すべてがまた翳りだす。陰影が和らぐのと一緒に、時間がまた流れ出したようだった。ぼくらはすこしの間無言で見つめあっていた。

 時間に続いて水洗便所の水が流れる音。傾いで固くなった扉を開ける乱暴な響き。少女とぼくは無意識に立ち上がっていた。擦りガラスの障子戸の影から、いくぶん表情の軽くなったスポーツ刈の少年が姿を現した。少女と同じテーブルにつかせて、少しの間様子見を兼ねて休ませた。包装紙は風にとばされたのかどこにも見あたらなかった。「うんこハウス」発言はその間に話した四方山のひとつだ。

 少年の様子が落ち着いて学校に送り出す頃には、始業時刻を30分も回っていた。出すものを出すとけろっとして腕白を見せ始めたコウノケンスケ少年は、やっべえと叫んでいち早く玄関から駆けでてゆき、来たときと同じ門柱のわきで、見違えるようなエネルギーを体中から立ち上らせてイトウチカ嬢のことを待っていた。早くしねえと置いてくぞ。

 やれやれ、という顔をして見せて、チカ嬢はとんとんとかかとを直すと、玄関先に二三歩進んだところで立ち止まり振り返った。まるでサービスだとでもいうように、顎を突き出して上向きの鼻をさらに上向かせたしたり顔で、

「あたし、こう見えてワンピース嫌いじゃないんです」

 それだけ言い放つと、さよならも言わずに、ふたりで垣根の向こうへそよ風のように消えていった。


 いま、これを書きつけているこのディスプレイのむこう側に彼女がいる。名前を呼べば、ひょっこり顔をのぞかせてくれるはずだ。その彼女がどこかの垣根の向こうに消えてしまうまえに、一度ぐらいは声をかけてみよう。あきらめがつかなければ、二度でも、三度でも。そのたびにどこかがよくなってゆけばよいのだ。三度でも、四度でも。

 ただの男の人から、新聞屋に断りの電話を入れる男の人に、それぐらいなら、たいへんな飛躍ではないだろうから。


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