ツレテッチャウヨ?
とたとたとたとた…
ひたひたひたひた…
とたとたとたとたとたとた…
ひたひたひたひたひたひた…
僕が誰かって?
主人公に決まってるじゃないか。
川畑明人。
独り暮らし。
社会人三年目。
借り住まい。
…いいとこなしの男。自覚有。
毎日毎日朝起きて痛勤快速(苦笑)で会社へ行き、上司にへこへこしながらノルマをこなし、夜遅く帰って、寝る。
いたって普通だと思っていた。
いたって普通の会社員だと思っていた。
普通の社畜だと思っていた。
なんで僕はこういう運命になっちゃったんだろうね?
あいつは、電車のなかにも、オフィスにも、アパートにもいたのに。
なんできづけなかったんだろうね?
僕の後ろにずうっといたのにね。ね。
つまりは、あいつは、ストーカーだったわけだ。
平日にガンガン働いて、休日はもう立ち上がる気力もないような僕にね。付きまとうやつなんているんだな。
上司にへこへこしながら働いてた僕にね。
一駅でも座れないかと、つねにキョロキョロしてた僕にね。
ノルマとにらめっこしていた僕にね。
疲労困憊の僕にね。
こんな僕に付きまとうやつなんているんだな。
こんな僕だから、かも知れないけど。
そのお陰でこうなったんだからな。
嬉しいような悲しいような。
まあ、残念だったというわけだ。
そんな軽い話じゃないけどね…まあいいや。
とたとたとたとたとたとたとたとた…
ひたひたひたひたひたひた…
とたとたとたとた…
ひたひたひたひた…
住んでいたのは、ちょっと古めの、とある団地の一部屋。
なんか訳ありで安く借りれた。
0LDK、つまりリビングダイニングキッチンと風呂、玄関以外部屋なし。狭かったけど安かった。庶民の味方。
同じ団地には、他にも同世代の奴がけっこういた。
会社へいくときも、会社から帰るときも、かならず誰かと一緒だった。
痛勤快速(苦笑)の中にも、顔見知りがいた。
朝、一本乗り遅れても、同志が数人いた。
苦笑いを交わしていた。
朝帰りでも、顔見知りが誰かいた。
なんやかんやで、一人暮らしも気が紛れた。
駅歩二分だったから、団地の階段までも一緒のやつもけっこういた。
互いに相手の足音を聞いて帰ることは、もはや普通だった。
会社へ着いたら、いつも「遅いねえ、君は。余裕かなぁ?」とか皮肉られた。出社時刻よりかなり早いのに。
仕事は山と積まれ、文句は言われ、皮肉られ、時々誉められては仕事を増やされる。
期限は出来るだけ早く、締切は今日明日中。あるいは今すぐ。
昨日の仕事の残りだってあるのに。
ノルマをこなさなければどやされ、大幅に上回ると仕事が増やされる。
ノルマぴったりを狙おうと思っていた。
同志はかなりいたようだった。
ブラックな仕事だった。うん。
「なんかあの人過労死したらしいよ」「へえ」「冗談冗談」
こんな会話が普通だった。
「疲れた」なんて言えない。
ひたひたひたひたひたひた…
とたとたとたとたとたとた…
ひたひたひたひた…
とたとたとたとた…
格安賃貸の訳を、最近知った。
前の住民は、過労死したらしい。社畜だったとか。南無三。
この団地の大半の部屋はそういう意味で曰く付きということらしい。
無念だねえ。
人のことを笑えるのか微妙な立ち位置ではあるのだが。
僕、普通の社畜だから。使われる駒だから。世界は誰かの社畜のような働きでできているんだよ。
頑張っても報われない。
自分の手柄は上司の手柄、上司の失敗は僕の失敗。
上司のために頑張る。自分は下働きだから。
上司は手柄をとって昇進、僕は変化なし。
辞めたいけど、生活が大変だから辞められない。
どことなく沸いてくる義務感。
働かされていることから目をそらしたいがあまりの、謎の義務感。
とたとたとたとたとたとたとたとたとたとた…
ひたひたひたひたひたひたひたひた…
とたとたとたとたとたとたとたとた…
ひたひたひたひたひたひた…
毎日毎日仕事に明け暮れ、休日は一日寝て、食事はする気力すらない。
休日の団地は驚くほど静かだった。
休日出勤もかなりの頻度。残業代はなし、休日手当てはほんのちょっと。
休日に仕事をもって帰り、一週間の帳尻合わせ。
光熱費は驚くほど少ない。
家にあまりいなかったから。
いや、あそこは、家じゃない。ただの宿泊所だ。
ひたひたひたひたひたひたひたひた…
とたとた…
ひたひた…
夢と希望は、昇進。
そんなの無理だとわかっているけど。
どうせただの社畜さ。
どうせ。
ひたひたひたひた…
とたとたとたとた…
ひたひたひたひた…
交通費は自分持ち、コピー代も自分持ち、外回りは出勤時間とも見なさない。
搾取。
できが悪いと怒られ、助言を求めたら怒られ、理不尽に怒られ、どやされる。
訳がわからない。
こうやってどやされた社員が上に立つから、いつまでもこれが続くんだよ、全く。
歴史の再生産ってやつだな。
まあ僕はどうせ上には立てないだろうけど。
憂鬱。
ひたひたひたひた…
とたとたとたとた…
ひたひた…
とたとた…
栄養ドリンクは、心の友。やる気の源。
栄養食品は、体の友。空腹をまぎらわせる。
スティックシュガーは、主食。手っ取り早い糖分補給。
糖分そのものだからね。お腹にたまります。
とたとたとたとたとたとたとたとたとたとた…
ひたひたひたひたひたひたひたひた…
とたとたとたとたとたとた…
ひたひたひたひた…
「遅い」
「申し訳ございません」
「早すぎる」
「申し訳ございません」
「てきぱきやれ」
「申し訳ございません」
「精度より速さを」
「申し訳ございません」
「ミスが多い」
「申し訳ございません」
「速く」
「申し訳ございません」
「遅い」
「申し訳ございません」
「ミスなく」
「申し訳ございません」
「もうできたよね?」
「申し訳ございません」
「全てに優先して」
「申し訳ございません」
「あとでいいから出来るだけ早く」
「申し訳ございません」
「はよせい」
「申し訳ございません」
「ゆっくりでも構わんよ、君が望むなら」
「申し訳ございません」
「頑張れよ」
「申し訳ございません」
「急げ」
「申し訳ございません」
「なんでこんなこともわからないんだ」
「申し訳ございません」
「白線の内側までお下がりください」
「申し訳ございません」
「ドアが閉まります。ご注意ください」
「申し訳ございません」
「早く降りろ」
「申し訳ございません」
「さっさと完成させろ」
「申し訳ございません」
「あとは任せた」
「申し訳ございません」
ひたひたひたひたひたひた…
とたとたとたとたとたとた…
ひたひたひたひたひたひた…
とたとたとたとたとたとた…
今日、僕は終電にはじめて乗り遅れた。
隣の駅まで歩こうとした。
外に出たら、目の前の街灯だけが、消えていた。
夜空には月が怪しく光っていた。この鈍い光も好きだから、悪いとは思わないけど。
この前、昼間に歩いた道。
交通費は出さんと言われて歩いた道。
正しい道を歩いているはずだったのに。
ここを左に。
三つ目を右に。
あとは直進。
周囲が薄暗くなった。
前を見る気力もなく下を向いていたら、急になんだか周囲が薄暗くなった。
ふとみたら知らない住宅街だった。
後ろから足音もしていたし、大丈夫だと思っていた。
同志がいると思っていた。
いつものように。
もう少し行けば見覚えのある道に出るんじゃないか。
もう少し進んで見よう。
目の前の急坂を上ったところで、気づいた。やはり見覚えのない場所にいると。
そして、後ろの足音が止まった。
背筋のすぐ後ろで。
ひたひた…ひたっ
すぐ後ろで声がした。
「ツレテッチャウヨ?」
これでおしまい。
君の後ろは本当にダイジョウブ?
次は君の番かもしれないよ?