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多々木さんの受難  作者: 大原英一
第二章 聖書的なものを作りまっしょい
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ヤコブ兄さん

 ヤコブ兄さんと会ったのは、オレがこの世界に転生してきて、しばらく経ってからのことだった。

 彼はオレの兄で、この世界で唯一の肉親ということらしかったが、ぜんぜん親近感が湧かなかった。むしろ、オレはちょっと苦手だった。

「記憶はまだ戻らないのか」

 はじめて会ったときも、こんな感じだった。この大事なときに記憶喪失なんかに、なりやがって……と、そんな目で彼はオレを見た。

 ヤコブ兄さんを苦手としていたのは、どうもオレだけではなかったらしい。ペテロのおっさんもまた然りのようだ。彼はヤコブ兄さんの前では、たじたじだった。

 おいおい、あんたナンバーワンの兄弟子だろう、しっかりしてくれよ……。


「主の復活という奇跡は、急速に人びとの心をとらえている。教典の編纂、教会の設立はわれわれにとって急務だ」

 ヤコブ兄さんが言った。ペテロは、そのとおりだ、と返した。目が泳いでいる。

「私はこれからエルサレムへ行き、教会を作るための準備にかかる。教典の草案は、あなたに任せたぞ」

 そう言い放ち、ヤコブ兄さんは勇んでドアへと向かった。

「……あ、ちょっとヤコブ」

「なんです」

 呼び止められてヤコブ兄さんは不快感をあらわにした。ペテロが聞く。

「その、教典にこれだけは載せておきたいっていう……リクエストみたいなものは、あるかな?」

 冷たい目でペテロを見るヤコブ兄さんだったが、突然なにかを思い出したように口元を緩めた。

「主の予言は必須だろうな。とくにペテロ、あなたが三度、主を知らぬと言った事件は目玉にしてもいい」

「ああっ、それを言われると私は、どうしていいか……」

 ペテロのおっさんがその場にくずおれた。涙を流しながら、がたがたと震えている。

 ヤコブ兄さんはなんのケアもせずに出て行った。さすがにヒドくね?


「大丈夫ですか、ペテロさん」

 オレはおっさんの肩に手を遣った。

「……ありがとう」

 少し落ち着きを取り戻すと、彼は自ら身体を起こして椅子に座りなおした。オレにも椅子をすすめる。

「きみにはまだ話していなかったが、私は……」

「主を三度知らぬと言ったんですね。よほどの事情があったのでしょう?」

 オレは気をつかって先回りした。うんうん、とペテロが頷く。

 やがて彼はそのときの状況を話してくれた。

 イエスがユダヤ人たちに捕まったとき、ひどい暴力を受けたらしい。その様子をペテロは、ただ静観するしかなかった。周りには野次馬がごまんといた。そのうちの誰かがペテロを指して言ったのだ。「こいつは、イエスの仲間だ」、と。


「それは、でも仕方ないですよ。下手したらペテロさんまでが捕まって、ボコボコにされるかもしれない状況でしょう」

「私は、弱い人間だ」

 おっさんは俯いてそう言った。オレはなんだか、妙に納得したのだった。

「ペテロさん、あなたを弟子たちのリーダーに据えられた主は、やはり偉大だったと思います。いちばん弱くて人間らしいあなただからこそ、だとオレは思いますよ?」

「そうかな、ふふっ」おっさんは照れ笑いした。ちょっとキモかわいい。「でも、三回は言い過ぎじゃない?」

 オレも笑ってしまった。

「そうですね、一回だけならまだしも……あ、でもそうすると主の予言と違ってしまう。やはりあなたは、律儀な方だ」

「コイツう」

 おっさんは、すっかり気持ちよくなってしまったようだ。でも安心した。


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