ウォーキング部
なにがツラいと言って、毎日ひたすら歩き続けなくちゃならないことだった。この時代、クルマや電車は走っていない。
ロバにすら乗ってはいけないのだ。なにここ、ウォーキング部? 日に二〇キロとか歩かされるのは、ざらだった。
正確に距離を測ったわけではないが四、五時間もぶっ通しで歩けば、それくらい歩いた計算になる。
なぜ歩き続けるのか。むろん生きていくためだ。が、べつに歩くことが仕事ではない。あくまで移動の手段だ……あと布教?
そう、布教活動がオレたちの仕事だった。イエスの教えを説き、彼が起こした奇跡を伝えるのがオレたち弟子の使命だ。
地理的な移動には「教えの伝播」以外にも重要な意味があった。そもそもオレらは無制限に拡大しているわけじゃない。
実際は逆で、おなじ行程を往ったり来たりしている。むろん意味があってのことだ。
この辺りで最もデカい都市はエルサレムだ。できるだけ都市の周辺で活動したいと思うのは、宗教家に限らずどんな職業の人でもおなじだろう。
ただし都市というやつは、人が多くて活気がある代わりに敵も多い。ここエルサレムにはイエスを否定し弾圧し、死に追いやったユダヤ僧たちがウヨウヨいる。
彼らがイエスの弟子であるオレらを、よく思っているわけがない。いつどんな因縁をふっかけられるか、わかったものじゃない。
だから都市部で布教活動はするが、あまり長居しないことが肝要だった。それでオレらはエルサレムへの出入りを繰り返した。
エルサレムを出ると、オレらはきまってガリラヤの地へ戻った。そこにはイエスやその母マリアが暮らしたナザレという村がある。いわばオレらのホームグラウンドだ。
そのナザレがまた、めっちゃ遠い。歩いて余裕で三日はかかる。三日かけてエルサレムへ行き、ナザレへまた戻るということを繰り返した。もちろん布教活動をしつつ、である。
基本的におなじ道程を辿った。ローラー作戦のようなオレらの活動に、この周辺の人たちはまたか、と思っているかもしれない。
疎まれることもあったし、歓迎されることもあった。施しを受けたり宿の世話をしてもらったりもした。それがないとオレらは生きられなかった。
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途中、サマリアという土地をきまって通る。北のナザレと南のエルサレムの、ちょうど中間地点にあたる。
サマリアはガリラヤ人にとって、かつてアウェーの土地だったらしい。それをひとりのガリラヤ人が、ぐっと心理的な距離を縮めることに成功したという。わが師イエスの功績である。
イエスがここでどんな言動をとったか、具体的なことをオレは知らない。オレはこの世界に途中から転生してきた身で、いまは記憶喪失という設定になっている。
ペテロのおっさんにくっついて、いろいろと教えてもらっている最中だった。だが、当然すべてを一遍にというわけにはいかないし、彼もオレの進捗状況をすべて把握しきれているわけではない。伝達漏れも起こりえた。
その日、オレとペテロはサマリアにいた。いつもどおり伝道の旅の途中だった。
ふたりで町を歩いていると、急に男が話しかけてきた。ペテロがこれに応対し、彼はすっかり話に捕まってしまった。話の内容はむろん、イエスが起こした奇跡(復活)についてだ。ふたりで熱く語り合っている。
オレはちょっと手持ち無沙汰だった。まだ会話に入っていけるほど、この世界の事情に詳しくない。それと喉が渇いていた。
ペテロにかるく合図して、オレは水を飲むためその場を離れた。