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多々木さんの受難  作者: 大原英一
第三章 勧誘しまっしょい
19/25

あなたにここでスベってほしい

 翌日、オレはド緊張のなか、教会へ足を運んでくれた人びとのために説法をすることになった。説法デビューだ。

 シナリオとも言うべき教典の抜粋箇所は穴が開くほど読み返した。ほぼ丸暗記だった。が、オレを悩ませたのは人前で話すことそれ自体じゃない。

 なんか笑いを取れみたいな、変なプレッシャーをペテロがかけてくるのだ。あのおっさんめ……。

 しかも、ネタは鉄板だよ? みたいに彼は自信満々だ。オレは逆にスベる気満々だ。

 ガチガチに緊張していて笑いなど取れるわけがない。じゃあ覚悟してハッチャければいいのか……。ここが演芸場だったらそうするよ? 哀しいけど教会なのよね、ここ。


 けっきょく肚を決めるしかなかった。ぼそぼそ喋ったり、シナリオ棒読みなんてのは、聴いてくれている人たちに対して最も失礼だ。明るく元気よく、をモットーに決めた!

 聴衆の前に立つと、早くもこそこそと呟きが聞こえた。「今日ははじめての先生だな」「いや見たことあるよ、マリアさんの助手の人だ」「なんだよ、マリアさんがよかったなオレ」

 オレはひとつ深呼吸した。そして。

「皆さん、こんにちは。オレはヨハネと言います。いつもマリアのうしろで教典をめくっている、助手の人です」

 いきなりドッと笑いが起こった。おー、いいじゃん。

「じつはオレ、こう見えて主の弟子のなかでナンバーツーなんです。それがどうしていつもマリアのかげに隠れているかと言いますと……」

 おい、なんだこれ。口が勝手に動いて止まらない。

「記憶喪失になったんで、しかし」

 場は大爆笑だった。いや、ここ笑うところじゃないから。実話だから。



 無我夢中のまま話して、気づいたら終わっていた。

 無性に喉が渇いていた。オレはサマリアでの一件を思い出した。喉の渇きによって幻覚を見たり、人格の入れ替わりが起こっていた可能性がある。

 目の前にマリアがいて、水の入った器を差し出してくれた。彼女はちょっと困ったような顔をしている。あー、やっちゃったかなオレ……。

「ヨハネさん、もしかして記憶が」

「いや、戻ってません」オレは大げさに手を振った。「ただときどき、自分でも制御できない思考や行動が出るみたいです」

 少し間をおいてオレは聞いた。

「オレって、もともとこんなキャラだったんです?」

 マリアがくすっと笑う。

「そうですね、お弟子さんのなかでもとくにヤンチャでした」

 やっぱり、そうか……。主はどうもパンチのあるキャラを好まれるようだ。ちなみに一番濃いのはペテロのおっさんだからね!

 水をガブ飲みするオレにマリアが言う。

「落ち着いたら、ペテロさんがお話をって」

 あーあ、絶対怒られるよこれ……。


「調子に乗って、すみませんでした」

 先制攻撃でオレはおっさんに謝った。

「え、なんで謝るの? めちゃくちゃ面白かったじゃない」

 オレは面食らった。怒られるんじゃなかったのか……でも油断は禁物だ。

「元気よくやろうと、それだけを考えていました。それが途中からセーブが効かなくなりまして」

「以前のきみを思い出すよ。記憶は戻らなくても、本質的なキャラは変わらないんだね」

「このキャラでいい、ってことですか。それとも……」

 すると、おっさんは小さく笑った。

「本当はね、私はきみにスベって欲しかったんだ」


 思わず言葉を失った。逆にこっちがキレそうだ。

「ヒドいっすよ。ネタは鉄板だって言ったじゃないですか」

「鉄板さ。教典に書かれていることは、すべて鉄板なんだ。我われが主とともに体験したことだからね。ときにヨハネ、」

 おっさんは、あらたまって言った。

「例の居眠りのエピソードなんだが、きみ、端折らなかったかい?」

「え、」オレは絶句した。「……すみません、無我夢中で憶えていません」

 くくくっ、とおっさんが笑う。

「きみはたぶん、心のうちではあのエピソードを面白くないと思っているんじゃないかな」

 図星だった。あれで笑いを取るなんて、ムリだ。

「そうかも、しれません」

 オレはひかえめに肯定した。

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