あなたにここでスベってほしい
翌日、オレはド緊張のなか、教会へ足を運んでくれた人びとのために説法をすることになった。説法デビューだ。
シナリオとも言うべき教典の抜粋箇所は穴が開くほど読み返した。ほぼ丸暗記だった。が、オレを悩ませたのは人前で話すことそれ自体じゃない。
なんか笑いを取れみたいな、変なプレッシャーをペテロがかけてくるのだ。あのおっさんめ……。
しかも、ネタは鉄板だよ? みたいに彼は自信満々だ。オレは逆にスベる気満々だ。
ガチガチに緊張していて笑いなど取れるわけがない。じゃあ覚悟してハッチャければいいのか……。ここが演芸場だったらそうするよ? 哀しいけど教会なのよね、ここ。
けっきょく肚を決めるしかなかった。ぼそぼそ喋ったり、シナリオ棒読みなんてのは、聴いてくれている人たちに対して最も失礼だ。明るく元気よく、をモットーに決めた!
聴衆の前に立つと、早くもこそこそと呟きが聞こえた。「今日ははじめての先生だな」「いや見たことあるよ、マリアさんの助手の人だ」「なんだよ、マリアさんがよかったなオレ」
オレはひとつ深呼吸した。そして。
「皆さん、こんにちは。オレはヨハネと言います。いつもマリアのうしろで教典をめくっている、助手の人です」
いきなりドッと笑いが起こった。おー、いいじゃん。
「じつはオレ、こう見えて主の弟子のなかでナンバーツーなんです。それがどうしていつもマリアのかげに隠れているかと言いますと……」
おい、なんだこれ。口が勝手に動いて止まらない。
「記憶喪失になったんで、しかし」
場は大爆笑だった。いや、ここ笑うところじゃないから。実話だから。
†
無我夢中のまま話して、気づいたら終わっていた。
無性に喉が渇いていた。オレはサマリアでの一件を思い出した。喉の渇きによって幻覚を見たり、人格の入れ替わりが起こっていた可能性がある。
目の前にマリアがいて、水の入った器を差し出してくれた。彼女はちょっと困ったような顔をしている。あー、やっちゃったかなオレ……。
「ヨハネさん、もしかして記憶が」
「いや、戻ってません」オレは大げさに手を振った。「ただときどき、自分でも制御できない思考や行動が出るみたいです」
少し間をおいてオレは聞いた。
「オレって、もともとこんなキャラだったんです?」
マリアがくすっと笑う。
「そうですね、お弟子さんのなかでもとくにヤンチャでした」
やっぱり、そうか……。主はどうもパンチのあるキャラを好まれるようだ。ちなみに一番濃いのはペテロのおっさんだからね!
水をガブ飲みするオレにマリアが言う。
「落ち着いたら、ペテロさんがお話をって」
あーあ、絶対怒られるよこれ……。
「調子に乗って、すみませんでした」
先制攻撃でオレはおっさんに謝った。
「え、なんで謝るの? めちゃくちゃ面白かったじゃない」
オレは面食らった。怒られるんじゃなかったのか……でも油断は禁物だ。
「元気よくやろうと、それだけを考えていました。それが途中からセーブが効かなくなりまして」
「以前のきみを思い出すよ。記憶は戻らなくても、本質的なキャラは変わらないんだね」
「このキャラでいい、ってことですか。それとも……」
すると、おっさんは小さく笑った。
「本当はね、私はきみにスベって欲しかったんだ」
思わず言葉を失った。逆にこっちがキレそうだ。
「ヒドいっすよ。ネタは鉄板だって言ったじゃないですか」
「鉄板さ。教典に書かれていることは、すべて鉄板なんだ。我われが主とともに体験したことだからね。ときにヨハネ、」
おっさんは、あらたまって言った。
「例の居眠りのエピソードなんだが、きみ、端折らなかったかい?」
「え、」オレは絶句した。「……すみません、無我夢中で憶えていません」
くくくっ、とおっさんが笑う。
「きみはたぶん、心のうちではあのエピソードを面白くないと思っているんじゃないかな」
図星だった。あれで笑いを取るなんて、ムリだ。
「そうかも、しれません」
オレはひかえめに肯定した。




