天然のマリア
「はい?」
マリアの声のトーンに、オレはぎくっとした。どうやら、とぼけている様子ではないらしい。イヤな予感がした。
「貴女の、前世の話です」
彼女は露骨に困った表情をする。
「前世って、なんです。アタシの過去のことですか?」
ダメだこりゃ、話が通じない。いつの間に彼女はここまで「進行」してしまったのか……。彼女はオレより先にこの世界へ転生してきた。そして、オレより先に、さらに多くのことを忘れてしまったらしい。
いずれにせよ彼女と話す必要があった。おなじ屋根の下に暮らしているというのに、ずいぶん久しぶりな気がした。
「いや過去ではなくて、生まれる以前の話です」
「生まれる前のことは、おぼえてません」
彼女が真剣な顔で言ったので、オレは思わず吹き出した。
「ちょっとー、なんですかあ……」
顔を紅潮させて抗議する彼女をオレはなだめた。
「……すみません。あまり真っ正直に答えるものだから」
必死に笑いを堪えるオレを、マリアが白い目で見ている。
「もー、今日のヨハネさん、少し変ですよ?」
「ごめんなさい」
言いながらオレは目の辺りをこすった。どう切り出すか考えていた。
「想像してください、マリア。まだ生まれる前、自分はどんな人間だったと思います?」
「えー……そんなこと、考えたこともないです」
眉間にしわを寄せたまま彼女は黙ってしまった。
「じゃあ逆に、オレらは死んだあと、どこへ行くと思います?」
「それは、」一瞬だけ彼女は間をおいた。「神の御国に入れたらいいなー、なんて」
残念だが、これではっきりした。彼女にはもはや日本人的な死生観は通じない。輪廻転生だっけ?
ここでは、死んだら神の御国に迎えられると信じられている。御国は永遠のもので、だから、そこで終了なのだ。
「なぜ急に、そんな話を?」
「あはは、たしかにそうですね。……記憶を失してからこっち、ときどき妙な考えが浮かぶんです。頭でも打ったかな」
自嘲しながらオレは考えていた。この記憶喪失というシチュエーションは、そもそもマリアがこしらえたものだ。ここ最近の彼女の記憶は、どうなっているのだろう。
「オレが記憶を失したときの状況、おぼえてます?」
彼女は力なく首を振った。
「あのときは、イエス様も昇天されたばかりで、立て込んでいたものですから……。でもヨハネさんに異変が起こるだろうことは、覚悟してました」
「ああ……主が予言されていたんでしたね」
オレはそう言って、しばし黙った。
違うんだよマリア、オレが転生したばかりで右も左もわからなかったとき、この世界で生きやすいように貴女がアレンジしてくれたんじゃないか。
どれだけオレがそう言いたかったことか。でも、やめた。彼女はたぶん、つぎのステージに進んだのだ。そしてたぶん、いや間違いなく、オレもおなじ道を辿るのだ。
「いやー……はは、変な話をして、すみませんでした」
「ちょっとお」彼女はオレが逃げるのを阻止した。「めっちゃ気になるじゃないですか」
たしかに、これではマリアに失礼だ。が、なんて伝えたらいい……。
「べつに深い意味はないんですよ? ちょっとした雑談です。そのつもりで聞いてください」
うっわ、我ながら不自然な導入だなと思う。
「雑談ですね、わかりました」
彼女は鼻息が荒い。なんか前世でもそんな天然キャラだった気がするよ貴女は。ああ、名前が出てこないのが、もどかしい!
「もし貴女とオレが、生まれるまえから知り合いだったとしたら、どうします?」
「ありえません」
ええーーっ! そこは乗るところじゃ、ないんですか……。




