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落下症候群  作者: 冬風
2/3

樹上着地



 体感時間にして小一時間ほどだろうか。


 初めて見上げた空に出ていた太陽は姿を消し、今は静かな光を放つ月が輝いている。


 そんな幻想的な光景の中で、瑞穂は高い木の上で重苦しい緊張に胃を痛くしていた。


 遥か下の方では息を荒げた狼達が木の上に逃げた獲物に向かって叫びを上げている。



 「どうしてこうなった…ッ」



 木の上に居る「獲物」こと瑞穂はうっすらと浮かび上がってくる涙を飲み込んで頭を抱えていた。



  ◆  ◆  ◆  ◆



 そもそも何が切っ掛けで彼等に追われる様な嵌めに陥ったのか。


 まずはそこから説明しよう。



 彼女はまず安全な水を探しに歩き出した。


 迷子になると危険なため、そこら辺に落ちていた木の枝を失敬して、通った道が分かるように大きな木に番号をつけて歩いていた。


 目に見える範囲内に「5」と言う数字を見つけたら今度は「4」もしくはそれ以下の数字を探す。


 そうすれば自然と元居た場所に戻れるという印だ。


 まぁ、実際に暗い森の中で見つけられるかといえば難しい物があるだろうが。


 それでも無いよりはマシだ。



 幸いな事に水飲み場はすぐに見つかった。


 苔で覆われた窪地くぼに綺麗な水が湧いているのを偶然見つける事が出来たのだ。


 ためしに少しだけ口に含んでみたが、苦味も臭みも無く普通に飲める水だった。



 「出来れば水場の傍で過ごしたいけど…」



 そういって高い木の上を見上げ、ガックリと肩を落とす。



 「やっぱり登るしか無いよね…はぁ…」



 食料が無くとも水があれば生きていける。


 だが、その逆は無いのだ。


 かなり厳しい選択ではあるが、見知らぬ土地と言う名の森に居る現在。


 出来得る事と言えば(飲み水を見つけた以外で、だ)安全そうな木の上に登るくらいな物だろう。


 運がいいことに水場を囲うようにしてそびえ立つ木には何本もの太い蔦が絡まっている。


 これを伝っていけば上の方までは登れるだろう。


 まぁ、木の上に人間を食べるような化け物が居ないとは限らないが、此処は自分を信じて行くしかないだろう。



 飲み水を大量に腹に流し込んだせいで腹は重たいが、眠ってしまえば気にもならないだろう。


 空腹感は…ある程度は水で誤魔化せたようだ。


 痛いほど感じていた感覚は消え、今は全身が気だるい。


 手持ちの品で水を持ち運べるような物が無い以上、無理やりにでも水分を取ったのが吉と出るか。凶と出るか。



 「…森の中で人の気配もないし…いや、気配なんて知りようがないんだけれども…」



 悶々とした感覚が脳裏を占めていくが、蔦を掴む手は休まない。


 痩せているとは言いがたい体型の瑞穂ではあるが、木を登るのには苦労しない程度に筋力が付いている。


 何よりも手荷物が無いのが良かったのかもしれない。


 物を持っていれば「落とさないように」だとか「零さないように」だとかを考えて動きが緩慢になってしまったかもしれない。


 そう考えると身一つで放り出されたのは瑞穂にとっては良い方向に動いたと言える。


 だが…。



 「尿意だけは我慢できないよねぇ…」



 人間の生理現象として避けては通れない道だ。


 仮に便意は我慢できたとしても尿意はかなり苦しい。


 普通の人間ならば是が非でも我慢を通す所だろうが、残念な事に彼女は一般常識とはかけ離れたところに居たようだ。



 「ま。誰も居なさそうだし木の上ですればいいか」



 そうじゃないだろう?!


 女性云々の前に人として恥かしくはないのだろうか。


 しかし現実は残酷であり、非情だ。


 何時来るか分からない誰かの視線を気にしていては生きていない。


 瑞穂は(きっと、たぶん、おそらく)そう考えたのだろう。



 「そんな物を我慢してて死んだ時の姿が汚かったら嫌だし。突然何かに出くわして失禁でもしたらそれこそ恥かしいよね、うん」



 独り言をぶつぶつ呟きながら瑞穂は足元を見下ろし、小さく息を吐く。


 先ほどまでは大きく思えていた水飲み場がひどく小さく見えるのだ。


 それほどの高さまで登って来てしまった事に心臓が縮み上がったが、逆に言えばそれだけ安全な距離まで登れたと言う事でもある。


 地面から離れていれば居るほど瑞穂の安全は一応であるが確保される。


 空中を飛び回る肉食獣でも居れば意味は無いが、ここまで登ってくる間に獣の姿は一度も見ていない。


 おそらくは居ないと仮定していいだろう。



 「まぁ、降りれるかどうかは別問題だけどさ」



 ちょうどいい太さの枝に腰を落ち着ける。


 広い枝の上に身体を横たえると程よく茂った苔がひんやりとしていて心地良い。


 瑞穂が寝返りをうっても大丈夫じゃないか。そう思えるほどに太い枝だ。


 年季を感じる枝に身体を預け、瑞穂は軽く目を瞑った。


 まだ寝るには早い気もするが食べる物がない以上、無駄に起きている必要は無いだろうと考えたのだ。


 しばらく目を閉じていれば眠気は自然とやって来た。



 だが、思い返せばこれが失敗だったのだ。


 木の上で寝ようなどと考えたのが間違いだったのかもしれない。



 月が煌々と暗闇を照らし出し、獣達が獲物を探して動き出した頃。


 木の上で図太い事に爆睡していた瑞穂は急激な尿意を催した。


 …遮る物がほとんど無い木の上で寝ているのだから当然と言えばそれまでだ。


 膀胱を押し上げるような圧迫感と切なさに必死に寝続けようとしていた瑞穂も流石に根を上げた。


 生理現象は押さえが利かない。


 木の上で下半身を晒すと言う事に恥かしさを覚えたのもはじめのうちだけ。


 段々と痛くなってくる下腹部の叫びを無視できず、彼女は顔を真っ赤にしながらも用を足すことにした。



 「……うぅ~…」



 今なら恥かしさだけで死ねそうだった。


 下に人が居たら、と思うと気が気ではなかったがどうにか用を足し終えた。


 拭く物も(トイレットペーパーなどと言う便利な物は無いので)近くに生えていた葉で代用した。


 不安定な足場を気にしながらも素早くズボンを履き、寝床にしていた枝元に戻った。


 用を足し終えた事で再び眠気が襲ってきたが、それを打ち破るかのように狼の遠吠えが響いた。


 ……彼女の居る気のすぐ近くで。



 「…嘘でしょ…?」



 そして冒頭に戻る。


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