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短編一般

アリとナキイナゴ

作者: 水野 真二

 まだ夏の太陽が盛りを見せる日のこと、ナキイナゴは今日もオオムギの葉をかじっていた。

 ひねもす午後の昼下がり、うだる様な暑さはいくぶんやわらいだものの、強烈な太陽の光があたりの麦畑を照らしていた。空には雄大な入道雲が立ち、青い空にくっきりと白くありつづけていた。そんな雲を、ナキイナゴは食事を続けながら眺めていた。果たしていつか、あの大きな雲まで飛んでいけだろうか。だが、こう暑くてはやっていられない。にわか雨の一つでも降って、あたりが湿ったら飛んでいってみようか。

 そんなことを考えながらオオムギの茎に足を絡めていると、遥か下の地面を通る、二匹のアリが見えた。ここらでよく見るクロナガアリの連中だった。

「精が出ますな」

 一声かけるとアリ達はナキイナゴに気がついたようで、触覚をぴくぴくと動かしながら上を見上げた。

「やあ、イナゴさん。こんにちは」

 挨拶したほうのアリは、もう一方のアリに何かを伝えると、一匹だけでオオムギの茎を昇ってきた。残ったほうはそれを見守る余裕もないように、せかせかとどこかへ行ってしまった。

「お忙しいようで」

 ナキイナゴの言葉に、ようやく近くの葉まで昇ってきたアリは、「ええ」と応えた。わざわざ茎を昇ってきたアリの行動に、ナキイナゴは少し驚いた。ただ、クロナガアリもナキイナゴと同じくオオムギを食べる。ナキイナゴと違うのは、彼らが主食としているのは実のほうだった。この時期、オオムギはまだ実をつけていない。ナキイナゴは、クロナガアリ達は別の食べ物を探していると思った。自分の頭上にあるオオムギの穂を見上げても、まだその実は青い状態だった。そのことを伝えると、アリは頷いた。

「ええ、そうですよ。いまは木の実なんかを貯め込んでいるところです。オオムギはもうしばらくしてからですね」

 では一体、なんの用でこんな葉の上まできたのか。

「臭いを嗅ぐ為ですよ。ここからなら、遠くの臭いもよくわかる」

 そう言うとクロナガアリは触覚を回して何かを感じ取っているようだった。ナキイナゴはそれを物珍しげに見守っていた。


 風の方向を読んでいたクロナガアリが、ふと現実へ立ち戻りナキイナゴへ問いかけた。

「イナゴさんはなぜ働かないのですか」

 突然質問されて、ナキイナゴは返答に窮した。ナキイナゴにはそもそも、働くという考えが無かった。

「そりゃ、俺はイナゴだ。食って寝るのが商売みたいなもんだ。俺達にしてみれば、なんであんたらがそこまで働くのかがわからんよ。そこいらに食べ物はいくらでもあるのに、なんで貯め込む必要がある」

 ナキイナゴは逆にアリに問うた。アリはすぐに答えた。

「そりゃ、冬がくるからですよ。冬になったら食べるものがなくなってしまう。その間の食料にするのです。いま蓄えているのは秋の分です。秋にいま蓄えている木の実が腐ってようやく食べられるようになる。それを食べながら、今度はオオムギを蓄えるんです。オオムギなら一冬もちますしね。私達は計画を立てて、それに基づいて動いているのです」

 そこで一旦、アリは区切った。少し考えてからアリは続けた。

「イナゴさんは冬の間どうされるんですか。いつ見ても羽と足を擦り合わせて遊んでいるようにしか見えませんが、蓄え等はされていないんですか」

 随分とおせっかいなアリだな、とナキイナゴは思った。だがそれは口にしなかった。

「お前さんにはあれが遊んでいるように見えるのか。まあいい。確かに俺らは、あんたらのように蓄えたりはしてないよ。ただ食うだけさ」

 ナキイナゴはそう言うと、続きを言うべきか言わざるべきか迷った。ただ、アリのほうはイナゴの答えには満足いかない様子だった。

「それは賢いやり方とは思えませんよ。いずれ来る事態に対処するために、もっと頭を使うべきです」

 そしてアリは、生きとし生ける昆虫はすべからく知恵をつけるべきだと主張した。ナキイナゴはそれに、あいまいに同意した。

「では私はそろそろ行きます。向こうの林から仲間の合図の匂いがしましたので」

 クロナガアリはそう言うと、そそくさと茎を降りていった。後に残されたナキイナゴは「お達者で」と声をかけたものの、返事は聞こえなかった。


 クロナガアリが行ってしまったあと、ナキイナゴはオオムギの葉を咀嚼そしゃくしながらつらつらと考えた。果たして、夏に溜め込んだ木の実を腐らせて秋に食べるのが一番良い方法なのか。クロナガアリはオオムギの実を、どのように巣の中に蓄えるのだろうか。

 葉の青々とした部分を食べ終え、ナキイナゴはここでしばらく休んでいこうかと逡巡した。だがすぐに考え直し、次の葉へ移ることにした。

 自分はいずれ死ぬ。次の秋のどこかで、冬を前に寿命は尽きるだろう。この身体もどこかの小さな虫達に、あるいはあのアリ達の餌となるはずだ。ならば、いまここで自分が葉を食べることが、それこそ彼らの言う蓄えという奴なのではないか。

 だがそれが何になる――そう愚痴て、ナキイナゴは腿節にためた力を解放した。高く、大きな跳躍だった。しがみついていた茎が大きく揺れた。

 夕立を誘う雲は、まだ青い空の遥か彼方にあった。



(古代ギリシャ寓話『アリとセミ』より改編)

ナキイナゴはバッタの仲間だそうです。

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