【9】
【9】
ダンテはルーウィンを背負って、滝の裏の洞窟を出た。
いつもなら、こんな歳でおんぶは恥ずかしいと散々暴れまわるはずのルーウィンだったが、この日は黙ってダンテの背中に身体を預けていた。頬をダンテの背中にくっつけて、人形のように大人しく背負われている。
「地面が濡れてら。一雨きてたんだな」
色が濃くなっている地面を見て、ダンテが呟いた。
ダンテはしばらく黙々と歩いた。ルーウィンも何も言わなかった。
なにも考えたくはなかったが、ぼうっとした頭の中では、勝手に色々な思いが巡っていた。今までで一番危ない目に遭った。腕の深い切り傷に、腹部の数え切れない打撲。あれだけ好き勝手やられて骨が折れていないのは驚きだった。瞼は青く腫上がり、唇も切れている。
しかし何よりも考えなければならないことは、別にあった。
カレンのこと。そして今回のことはすべて、ルーウィンの油断によるものだということ。
結果的にカレンが鬼になりきれず、復讐を見合わせたことで二人は無事だった。しかしこれが、もっと用意周到な大人であったら? 情のない人間であったら?
ダンテとルーウィンの命はなかっただろう。
ルーウィンはカレンに、まんまと利用されたのだ。
つまりは、ダンテの足手まといもいいところだった。
もともとダンテに置いていかれたくがないためにとった行動が、完全に裏目に出た。
それどころか、ダンテをここまで追い詰めることになった。今までに、たった三人のならず者にダンテがあれだけいたぶられるということはなかった。
ルーウィンが人質にされていたせいだった。
自分のせいで、ダンテはこんなにもぼろぼろになってしまった。
危険に晒してしまった。
「悪かったな。せっかくの友達、台無しにしちまって」
ダンテが不意に口を開いた。ルーウィンはほっとした。
しかし、黙っている間、ダンテも考えていたかもしれない。ルーウィンを置いていくことを。
ルーウィンは心の中で自嘲した。これだけ危ない目にあわせておいて、まだ自分が置いていかれるかどうかを気にしている。
カレンのことも、傷つけたままだ。何一つ解決はしていない。
結局、ダンテのこともカレンのことも考えていない。
自分のことばっかりだ。
最悪な人間だ。
その考えを打ち消すように、ルーウィンは答えた。
「……いいの。あんたのことがなければ、会っていたかもわからないし」
それは本当のことだった。ダンテのことがなければ、カレンは自分になど見向きもしなかっただろう。ダンテは一度足を止めて、ルーウィンを負ぶり直した。
「……軽蔑したか?」
「ケーベツ?」
ルーウィンは聞き返した。ダンテの声に元気がなく、聞き取りづらかったせいもあった。
「あぁ、悪い。がっかりしたかってことだ。久々にかっこ悪いところ見せちまったな」
「それって、ドゲザしたこと?」
負ぶられているので、ダンテの表情は読み取れない。ダンテは深くため息をついた。
ダンテの胸から深く深く息が抜けていくのが、背中にいるルーウィンにも伝わってきた。
「言葉に出して言ってくれるな。まさかこの年で、あんな子供相手に地べたに額つかにゃならん日が来るとはな。なんだかんだ言っても、おれにもプライドってもんはあるらしい。あの時は必死で、何も考えられなかったが、今思い返すと……」
「プライド?」
ルーウィンは再び訊ねた。ダンテは答える。
「プライドってのはな、男の意地だ。いや、女性にもあるんだが。こいつがあるから人生やっかいなんだが、ないとふにゃふにゃになって生きていけない。りんごの芯みたいなもんだ」
「よくわからないけど、ようするにダンテは、あたしにかっこ悪いって思われていないかが心配なわけ?」
ダンテは答えなかったが、しばらくしてから少しだけ首を前に傾けた。
大人しいダンテを目の前にして、ルーウィンは不思議な気分だった。
「正直、ちょっとびっくりした。あんな必死なダンテ、初めて見たから。まあ、確かにかっこいいもんじゃないけどさ」
ダンテはその言葉を聞きながら歩いている。
「でもあたしのために、あそこまでしてくれたんだもんね。かっこ良かったよ」
するとダンテは、両手が使えないのでこつんとルーウィンに頭をぶつけた。
「だれが嘘つけって言った、このガキ。うそつきはドロボウの始まりだぞ」
「いてっ」
あたしのために、ではない。あたしのせいで、だ。
それを思い出して、ルーウィンは大人しくなった。しばらく黙った。
そしてダンテの背中に再び顔をうずめた。急に静かになったルーウィンに気がつき、ダンテは慌てた。
「どうした、そんなに強く頭突いたつもりはないぞ?」
「ごめん、ダンテ。あたしの、せいで。あんなに……追い詰められた……」
言葉にすると、もう止まらなかった。
ルーウィンは堰が切れたように、みるみるうちに涙を流し始めた。
「死んじゃう……とこ、だった……!」
本格的に声を上げて泣き出しそうになるルーウィンに、ダンテはあやすように背中を揺らした。
「わかったわかった。いいから泣くな。おれの背中を鼻水まみれにするんじゃない」
「う……っく。子供あつかい、するなあ!」
どんなにならず者に痛めつけられようと、カレンに裏切られようと、ルーウィンは泣かなかった。
しかし自分のせいでダンテが傷ついたことを思い出して、もうどうしようもなくなった。
「お前が無事なら、おれはそれでいい。もう終わったことだ、気にするな。お前は無防備なおれを、体を張って護ってくれたじゃないか。内心お前に何かあったらどうしようとヒヤヒヤしてたが、嬉しかったぞ」
ダンテがそう言うと、ルーウィンはますます声を上げて泣き始めた。
真後ろでわんわん泣かれ、我慢できなくなったダンテは大声を上げた。
「だから泣くなって! お前一度泣き出すとキリないんだもんなあ。ほら、見ろよルーウィン」
ダンテは少し獣道を外れると、足を止めた。
視界が少し開けたそこからは、地平線にとろけそうな夕日が今まさに沈んでいくところだった。
その壮大さに、神々しさに、おもわずルーウィンも泣くのを止めた。
ダンテもしばらくそれに見とれているようだった。
ダンテは背中を上下させた。
「ほらー、夕日がきれいだぞー。今日もいい色だなぁ。ほら、見えてるか。あ痛っ」
ルーウィンは鼻水をすすって、ダンテを殴った。
「……ガキじゃあるまいし、あやすな。夕日なんて、毎日見てるじゃない」
よっこいしょと、ダンテはルーウィンを背負いなおした。
「一生懸命生きた日は、いつもよりもっときれいに見えるだろ? だから今日の夕日は格別だ。このオレンジ色の光が、たまらんよなあ。お疲れ様ってねぎらってくれてるみたいな、優しい色をしてる気がしないか?」
「……なんでそういう恥ずかしいことが平気で言えるのよ」
「おれはこの時間が一日で一番好きだな。なあ、ルーウィン」
大声を出して泣いたせいか、ルーウィンもすっきりしていつもの調子を取り戻していた。
泣いたことが悔やまれる。最近大人ぶって偉そうなことを言っていただけに、泣いてしまうと途端にいたたまれなくなるのだった。
「さてと。夕日に元気付けられたことだし、いつまでも本題を逸らしてちゃいけないな」
ダンテは腰を低くした。降りろという合図だということに気がつき、ルーウィンは大人しく従う。
ダンテは立ち膝をして、ルーウィンと視線を合わせた。
夕日に照らされて、ダンテの顔はオレンジ色に染まっていた。よく見知った、優しい顔だ。
力強い意思の表れている太い眉と、中年の癖に長い睫と、その奥の黒い瞳。大きくて力があって。
ルーウィンがダンテの顔をじっと見つめたように、ダンテもルーウィンを見つめていた。
おそらくルーウィンの顔は、傷だらけになって不細工に潰れているだろう。
ダンテはルーウィンの腫れあがった頬に手を置いた。
大きな手だった。温かい。
ルーウィンは小さな手でダンテの手に触れた。ダンテは治癒術など出来るわけもないのだが、そうやって触れられているだけでじわじわと温かくなるような感覚があった。治るはずがないのだが、傷が癒えていくような、そんな気がした。
不意に、ダンテの黒い瞳が潤んだような気がした。
しかしそれを確かめる間も無く、ルーウィンはダンテにきつく抱きしめられた。
「護ってやれなくて、ごめんな」
ダンテの広い肩の上に、ルーウィンは小さな顎を乗せた。ダンテもルーウィンの細い肩に、その頭を預けた。ダンテの重みと、熱を感じる。広い背中が、少し震えている。息遣いで、歯を食いしばっているのがわかる。
泣いているのかとは、聞けなかった。聞けばルーウィンもまた泣いているのに気づかれてしまう。
ルーウィンも唇を噛み締めて、泣くのをこらえた。しかし涙は頬と顎を伝って、ダンテのシャツの肩にじわりと広がる。
ダンテは強くルーウィンを抱きしめると、一度身体を離して涙をぬぐった。
そして鼻の先を赤くしながら、ルーウィンと目を合わせて言った。
「なあ、おれはお前が大事なんだ。今日のことでもわかっただろう。おれは色んな人間に恨まれている。その全ての悪意から、お前を完璧に護ることは出来ない。ルーウィン、お前にはもっと安全な場所からおれを見ていて欲しいんだ。わかるだろう?」
ダンテの言いたいことはわかっていた。
元はといえば、今回の騒動の発端だ。
「もう一度、考えてくれないか。大事なことなんだ」
ルーウィンは何も言えなかった。黙って、頷いた。
「よし、いい子だな。ルーウィン」
ダンテは頬を濡らしたまま、歯を見せて無理に笑った。
ダンテと別れるか、否か。
ルーウィンは、選択を迫られていた。
泥まみれのまま、二人は腹の虫を泣かせながら宿屋へと帰っていった。
全9話ということでしたが、次で最後になります。
もうすこしお付き合いいただけますよう、よろしくお願い致します。