【8】
【8】
カレンが現れたのはやや勾配になっている道の先。そこは話にあった、滝の裏だった。
岩場に抉られたように出来ている通路の外側には、おびただしい量の水が音。白く速い流れが、ごうごうと吠えるように落ちていく。足元の岩場は、滝から零れ落ちる飛沫で濡れていた。
カレンは、少し離れた場所にいるダンテを傾斜の上から見下すようにして立っている。
ルーウィンは動けなかった。何が起こっているのか、まったく理解できずにいた。
今さっき、ならず者どもをダンテが倒して事態は一件落着をみた。事の子細をダンテに問いただされそうになったところにカレンが現れ、ルーウィンは思わずカレンに駆け寄った。
そこまではいい。
なぜカレンが自分の喉元にナイフを突きつけているのか。ルーウィンが理解できないのはそこだった。
今はまだ冷やりとした感覚だけであるが、刃物は刃物。カレンの力加減で時折ちくりと刃先の感覚が伝わる。
しかし、感覚はあれども、ルーウィンはその実感がまったく湧かずにいた。
先ほど男に傷つけられた左腕から、じわじわと出血している。傷口が疼く。そのせいだろうか、ドクン、ドクンと脈打つ音がやけに耳障りに頭の中に響く。口の中が乾いて、反射的に身体が緊張しているのだとわかる。
カレンの顔は、ルーウィンのすぐ横にあった。しかし、その表情を窺い知ることはできなかった。
カレンがいったいどんな顔をして自分に刃を向けているのか、ルーウィンにはわからない。
自分はなにかやってしまったのだろうか。何かカレンを怒らせるようなことをしただろうか。ひょっとすると、自分が冗談で言っていた言葉の一つ一つにカレンは傷ついていたのだろうか。
そうであれば、今この場で謝って修復して、また関係を築けるだろうか。
また友達として、ルーウィンに接してくれるだろうか。
色々なことを考えた。
しかし、本当はルーウィンにもわかっていた。
こういう状況に陥るのはよくあることだ。ダンテに近づきたいがために、悪意を持ってルーウィンに接触してくる大人もいた。そんな下心のある輩は子供ながらにすぐに見抜くことが出来たし、騙されることもなかった。この手の悪意を持つ人間を嗅ぎ分ける術を、幼くしてルーウィンは身につけていた。
しかしそれは、大人に限ったことではなかった。
ルーウィンの頭に不穏な影が蠢いた。
そんな、まさか、最初から。
最初から、こうするつもりで?
「……カレン?」
ルーウィンは友人の名を呟いた。自分の口から出たとは思えないほど、弱々しい声だった。
しかし、カレンは何も答えない。
「とんだ茶番劇だったなあ。お嬢さん」
ダンテがカレンに向かって言った。なんでもないような口調だが、ダンテがわずかに焦っているのをルーウィンは感じ取った。
ルーウィンのすぐ耳元で、カレンは答えた。
「ええ、本当にね。あんな腕前で前金要求するなんて、さしでがましいにもほどがあるわ。あなたもそう思うでしょ、ルーウィン」
冷たい声だった。
いつもころころと笑っている彼女のものとは、違う。甘さやかわいらしさを一切含まない、知らない女性の声だった。ルーウィンが来るたびにお菓子を焼いて待っていてくれる少女は、そこにはいない。 底の見えない暗い瞳に険悪な光を宿らせ、ダンテとルーウィンに悪意を向ける女が、そこにいた。
ルーウィンは未だ信じられないまま、放心したように呟いた。
「カレン……どうして」
「どうして、ですって? そんなこと、訊かなくったってわかっているでしょう?」
そうだ、わかっている。ルーウィンはわかっていた。
自分がダンテの弟子だから、カレンは刃を向けている。
ダンテに復讐をするため、カレンはここにいるのだ。
「万能薬の薬草なんて、こんな貧相な村にあるわけないでしょ。頭が悪いわね、最初から気づきなさいよ」
そう吐き捨てたカレンは、ルーウィンの知っているカレンではなかった。ルーウィンは混乱していた。
カレンと約束した。薬草を持って帰ると。カレンの父親の具合を良くしたいと。カレンは笑ってくれたはずだ。あんなに嬉しそうに、笑ったはずだ。
カレンはルーウィンの思考を置いてきぼりにして、ダンテに向かって言った。
「あたしのこと、あなたはわからないでしょうね。わたしの父は冒険者だった。数年前、あなたにギルドを潰されて信用はガタ落ち。身体を負傷して、今じゃ仕事もなくなって廃人同然。母さんは愛想つかして出て行ったわ、わたしも残して。
よくある話でしょ? あなたの身の回りには、あなたには身に覚えもない話を語って、襲い掛かってくる人間がいくらでもいるでしょう? そしてわたしも、その中の一人にすぎない」
ダンテは何も言わなかった。いや、言えなかった。
この手の「復讐者」が最も性質が悪いことを、ルーウィンは知っていた。ダンテに負けたことを屈辱に思い、その恨みを晴らそうとする大人はまだいい。大人のくせに泣き言を言うなと言って、なんの躊躇いもなく返り討ちにすればいい。
しかしダンテが「ギルド潰し」を行ったことで、職にあぶれ、暮らせなくなった家族からの恨みほど厄介なものはない。
しかもそれが無力な「子供」からの訴えであればなおさらだ。
ルーウィンは今までにも、ダンテがそういった子供たちから泣きつかれたり、恨み言を叫ばれたりするのを見ていた。決まってダンテは、しばらく何も言えず黙り込む。そんな時は同じ子供という立場であるルーウィンが、その子供に言い返すのだった。
子供であることを理由に、泣きついてどうにかなると思ったら大間違いだと。
弱いくせに吠えるなと。
悔しかったら仕返しすればいいと。
しかし、今回のようなことは初めてだった。恨みを抱く子供が自ら力に訴え、あろうことか人質に取られているのがルーウィン自身などとは。
ダンテが何も言えないことに気分を良くしたカレンは、言葉を続けた。
「頭のない連中は可哀相よね。数を揃えればあなたに勝てると思ってる。おめでたい人たちだわ」
「……痛っ」
カレンはルーウィンを乱暴に引き寄せた。ルーウィンの頬にナイフを押し付ける。
ダンテが拳を強く握り締めた。
「いかに強く、稀代のギルド潰しと言われているあなたでも、所詮は人間。人間には必ず弱点がある。肉体的な問題じゃないわ、中身の話よ。そしてあなたの一番大切なものは、今私の手の中にある」
これが十五にも満たない少女の言う言葉だろうか。
おそらく彼女は、何度も何度も思い描いたのだろう。この瞬間を、この光景を。
ダンテに復讐を遂げられるこの時を、入念に、何度も何度も。
憔悴しきっている上に心理的ショックの大きいルーウィンではあったが、それでもただの子供に捕まれば逃げ出すくらいのことは出来る。しかし、カレンにはまったくその隙がなかった。身体の捕まえ方も、ナイフの角度も。
これは一度で出来ることではない。その機会が来ることを夢見て、たった一度きりのチャンスをふいにしないよう、彼女は待ち構えていたのだ。
いつか自分の村の近くにやって来るかもしれない、ダンテを陥れるために。
いつやって来るかもわからない、ダンテに復讐をするために。
カレンがどれほどの強い思い入れでこの復讐に望んでいるか、ダンテも痛いほどわかっているようだった。それゆえに、動くことが出来ない。
もちろん、力づくでカレンを捕えること自体は容易だ。しかしそれには、ルーウィンにかかるリスクがある。
カレンは先ほどの男のように油断はしない。傲慢さもない。それゆえに隙もない。
おまけにダンテもルーウィンもかなり弱っている。
静かに微笑んでみせるカレンに、ダンテは慎重に言葉を選んでいるようだった。
そして、口を開いた。
「なにがお望みだい、お嬢さん」
ダンテはおもむろに弓矢を地面に置いた。そして、ゆっくりと一歩を踏み出した。
カレンはそれを見て腕の力を強め、ルーウィンは首を締め付けられて咽込んだ。
「こっちに来ないで」
しかしダンテは、その歩みを止めない。
「おれの不幸か? いまはまあ、どっちかっていうとそうじゃないから期待には添えない。でも考えてもみなさいよ、お嬢さん。こんな男だぞ? ロクな死に方はしない。あんたの望みはいずれ叶う」
「来ないで」
カレンは一歩後ずさった。ルーウィンも引きずられるように後ろに下がる。
「親父さんにならおれはいくらでも謝る。心から悪いと思ってる、本当だ」
「だから、来ないで! この子を刺すわ!」
カレンは叫んだ。
「……それは困る」
ダンテはそこで歩みを止めた。お互い表情がなんとか読み取れる位置になり、ダンテはカレンに向き直った。
ダンテは低い声で言う。
「このままおれを憎み続けてくれても、おれは一向に構わない。しかしな、こんな薄汚れた男を憎んで一生を棒に振るのはどうかと思うぞ。おれとしちゃ、こんな可憐なお嬢さんに思われ続けるのはまんざらでもないんだが」
「ふざけないで! わたしの人生がどうとか関係ない! わたしのものだもの、どう生きるかなんて自分で決めるわ。あなたはただ許されたいだけじゃないの。少しでも自分の負う責任を軽くしたいだけなんだわ!」
それは悲鳴だった。
カレンの、こころの中の、悲痛な叫びだった。
「生かしておけばいいとでも思っているの! 腕や脚を傷つけられて、それを生業として、生きがいとして生きていた人たちはどうしたらいいの! 廃人になって、でも生きているからいいだろうなんて、そんなバカな話があるもんですか!
あんたは父さんを殺してはいない。でもね、あなたは父さんの心を壊した! 殺したのよ! わたしの幸せもなにもかも!」
カレンの瞳孔は開き、口元は苦しそうに歪んでいる。
「なにが望みかですって? 同じ目に遭わせてやる! 大事なものを奪われる苦しみを、あんたにも味あわせてやる! 父さんがどれだけ辛い思いをしたか、母さんが、わたしが! どれだけ辛く苦しかったか、この子を殺されてあんたも思い知るといいわ!」
カレンは勢いよくナイフを持った腕を振り上げた。
ルーウィンは目を瞑った。
しかし、いくら経っても痛みはやってこなかった。
恐る恐る目を開けると、ナイフはルーウィンのすぐそこで光っていた。カレンの腕はガタガタと震えている。
それは振り下ろされることなく、宙に停滞している。
「……どこを刺せばいいのか、わからないだろう」
ルーウィンの頚動脈は、振り上げたナイフのすぐ下にある。そのまま刺せば、ルーウィンは大量の血を流して、死ぬ。
ただ、腕を下すだけ。それだけでルーウィンの命は絶たれる。
カレンの望みは叶う。
しかしカレンは、動けずにいた。
ダンテは口を開いた。
「目的はおれを苦しめることだろうが、ルーウィンを殺せばお嬢さん、あんたはもっと辛い目に遭うことになる」
「うるさい!」
カレンはルーウィンの腕に目をやった。先ほど男に切り付けられた傷は、思っていたより深かった。 じわじわと血が溢れ出して、ルーウィンの腕を伝い、赤い雫が地面に滴り落ちている。
カレンの腕の中で、ルーウィンが不意にふらついた。カレンはルーウィンを見た。その顔は青白く、額には嫌な汗が浮かんでいる。緊張状態が長く続いているためと、失血による貧血だった。
ルーウィンはうつろな目で、カレンを見返した。
「……やっと、目が、あった」
ルーウィンは少し笑った。恐らく、顔が少し歪んだだけだろうが。
カレンの表情もまた歪んでいた。憎しみでいっぱいだった。
二人の少女は、互いの歪んだ表情をまじまじと見つめた。ルーウィンの顔は腫上がり、瞼にうっ血した重みで今にも目を閉じてしまいそうだった。それでもルーウィンは、カレンから目を逸らすまいと、細くなった目を必死に開いた。
「カレン……刺しても、いいよ」
肩で息をするルーウィンは消え入りそうな声で呟く。
カレンは目を見開いた。
「あなた、何を言って」
「……それでカレンの気が済むなら、いい。お父さんが……あんなふうになって、辛かったね。あたしもきっと……ダンテが同じようになったら、辛いもの」
ルーウィンは一つ二つ、浅い呼吸を繰り返した。
「今のカレンは、あたしの知ってる、……カレンじゃない。そんなふうに……怖い顔をさせているのは、きっとダンテと、あたしのせい、だから」
違うのだ。
カレンは元々、こういう子だったわけではない。
ルーウィンの前で見せてくれた笑顔は、偽物などではなかった。小さく貧しいこの村で、それでも平和に暮らしていたはずなのだ。親子水入らずで、つつましく、笑顔の絶えぬ明るい家庭を持っていたはずなのだ。
それを、ダンテが壊した。
元はといえば、ダンテが招いた事態なのだ。こんな風になるとは思わなかった、カレンを苦しめるつもりはなかったと言っても、それは通用しない。それはダンテと、ルーウィンが一番良くわかっている。どんなに言い訳をしたところで、やってきたことを無かったことにはできない。
そしてダンテの所業を止めないルーウィンにも、その業は平等に降りかかる。
ルーウィンはそこから逃げようなどとは思わなかった。一緒に、背負うまでだ。
稀代のギルド潰しと呼ばれる男に、なにも考えずついてきたわけではない。傷つけられる覚悟も、共に背負う覚悟も、とうの昔にできていた。
優しくしてくれた友人の顔が、憎しみで歪んでいる。
それが悲しくて悲しくて仕方なくて、ルーウィンの導き出した愚かな答えが、それだった。
「カレンがそれで、また、笑えるなら……気の済むまで……」
「ルーウィン!」
ダンテは怒鳴った。ルーウィンの発言に対する、怒りだった。
ルーウィンはそれを聞いて、口元を緩めた。バカなことを言っているのはわかっている。ダンテがそれを怒ってくれたのが、少し嬉しかった。
回らなくなった頭で、ルーウィンはそんなことを思った。
「……できない」
カレンは呟いた。ルーウィンの目を見ずに。
カレンは唇を噛んだ。
しかしその瞳は、燃えていた。怒りに、憎しみに。
「確かに、わたしにこの子は刺せない」
カレンは冷たい声で言った。
「でも、ここから突き落とすくらいはできる」
それはカレンにとって苦渋の決断だった。
ルーウィンを殺したくはない。しかしそれでは、ギルド潰しを苦しめることは出来ない。今更やめるわけにはいかなかった。カレンの中で復讐はもう始まり、取り返しのつかないところまできてしまったのだ。
ルーウィンはカレンの言葉を、まるで遠くの方から聞こえた音のように感じていた。
カレンは自分を、滝壷へ突き落とす。
そうか、と思った。これから自分の身に降りかかる出来事が、まるで人事のようだった。ルーウィンはそれほどまでに、もうろうとしていた。
不意に、頬に水滴を感じた。冷たいような、温かいような。
天井から露でも垂れたのかと思ったが、違った。
カレンは泣いていた。嗚咽が出るのを、唇を噛んで必死にこらえている。
そうか、カレンもつらいのだと、ルーウィンは思った。
復讐は、自分の恨みや辛みを晴らす手段だという。終わった後はさぞかし晴れ晴れとした気分になれることだろう。しかし、それだけではないはずだ。
だって、カレンはこんなにも辛い顔をしている。辛いならやめればいいのにと、いつものルーウィンなら言うだろう。
やめられないからこそ、カレンは辛いのだ。
ダンテが動いた。
それにカレンも気がつく。
おかしな動きがあればすぐにでもルーウィンを突き落とそうと、カレンは身構えた。しかし、今度はカレンとの距離を縮めることはしなかった。
その場に膝を突き、腕を揃え、ダンテは深々と頭を下げた。
そしてダンテはその額を、地面に打ち付けた。
「見逃してくれ! 後生だ、この通り!」
ルーウィンは霞がかった意識の中で、その光景をぼんやりと見ていた。
ダンテが誰かに許しを乞うところなど、今までに見たことがなかった。敵に向かって頭を地面につけて許しを請うなど、最も愚かな行為の一つだ。身動きがとれず、相手の動きも読めない。何より急所である首根が相手に丸見えになる。
土下座というのは、相手に自分が敵意のないことを証明する姿勢だ。
追い詰められ、手も足も出なくなった人間が最後に辿り着く手段。
相手の情をほだせるか、否か。
それは酷く、愚かな行為だ。
「お嬢さん、頼む。そいつを放してやってくれ! もう立っているので精一杯なはずだ。その代わり、おれはここから、この格好のまま何があっても動かない。それを突き立てるなら、おれにしてくれ。頼む!」
ダンテは首だけ上げ、カレンの目を見て哀願した。カレンは黙って、ダンテを見下ろす。
憎い仇が、こうして地面にひれ伏している。しかしそれは、思っていたほど痛快な光景ではなかった。
むしろその浅ましさに、苛立ちと吐き気がする。
カレンは、ルーウィンを見た。今の状態のルーウィンを滝に突き落とすのは容易なことだ。
一人では到底動けまい。カレンはルーウィンをその場に捨て置き、ナイフを手に、ダンテに近づいていった。
カレンは足元にうずくまっているダンテを見下した。
「わたしは、こんな情けない男のために」
カレンは唇を噛んだ。先ほどの男たちにやられた傷で、ダンテもぼろぼろになっていた。こんなに張り合いのない男のために、自分たちの家族はバラバラにされたのか。
そう思って、カレンの瞳に再び憎しみが沸き起こる。
「あなたが、全部、悪いのよ。自分のしたことを、せいぜいあの世で後悔することね」
カレンは静かにナイフを振り上げた。
「だめ!」
いつの間にか、置いてきたはずのルーウィンが飛び出してきた。最後の力を振り絞っての乱入だった。ルーウィンは転げ落ちるようにダンテの首の上に覆いかぶさる。
カレンは髪を逆立てて、大声で怒鳴った。
「退いてルーウィン! でないとわたし、あなたごと」
「お願い! ダンテを見逃して! お願いだから!」
カレンは顔を歪めた。
鬼のような形相だった。
「今更そんなこと! 出来るわけないわ!」
「お願い! お願い、見逃して」
振りかざされた刃を視界に入れないよう、ルーウィンは下を向いたまま叫んだ。殺意と得物の両方を持つ人間の前に立ちはだかるなど、頭が悪くなければ出来なかった。
さっきも腕を深く男に刺されたばかりだ。背中からブスリと突き立てられることを考えると、怖かった。
それでも、ここから退くわけにはいかない。
ダンテの肩を掴んだ自分の手は、みっともないほどに力が入って震えている。カレンの手の中でぎらつく、背後の刃を意識せずにはいられない。
それでもルーウィンは、ダンテから離れようとはしなかった。
ダンテの頭を抱え込むようにして、ルーウィンはその場にうずくまった。
「ルーウィン、退け」
ダンテが地の底から響くような低い声で、ルーウィンに言った。
ルーウィンは首を横に振った。
「いや」
ダンテは顔を伏せたまま怒鳴った。
「いいから退け! これはおれの問題なんだ!」
「いや! ダンテが死ぬなんて、絶対にいや!」
ルーウィンは叫んだ。
「二人揃って……ふざけるのも大概にして! そんなに死にたきゃ、二人とも死ねばいい!」
カレンは叫んでナイフを振り上げた。ルーウィンは目を強く瞑った。
ダンテはその直前で、身体を素早く起こしルーウィンを無理やり自分の胴の下に入れようとした。そして勢いよく振り下ろされるナイフの切っ先を見た。ルーウィンを丸めて抱え込んで、ダンテは両手を組んだ。
そして、覚悟を決めて目を瞑った。
振り下ろされたナイフは、そのまま地面に叩きつけられた。
カン、カランという乾いた音が洞内に響いた。そしてナイフはそのまま、暗闇に向かって滑り落ちていった。
カレンは、うずくまる二人の横を通り過ぎた。
震える拳を強く握って、呟いた。
「……もう二度と、姿を見せないで」
カレンはもう、なにも言わなかった。
カレンの気配が消えるまで、二人はずっとそうしたままだった。
二人揃って、ばかみたいに頭を地面につけていた。
「さて」
ダンテはむくりと大きな身体を起こした。
身体は痛んだが、致命傷はどこにもなかった。ただルーウィンを人質に取られるという失態を許した自分が情けなく、それと同時に大きな脱力感を感じていた。自分の胴の下には、無理やり押し込んだルーウィンがぐったりと横たわっている。
ほっとしたのか、目は開いていたが今にも閉じてしまいそうだった。ダンテは黙ってルーウィンの手当てを始めた。
失血が激しかったが、止血さえしてしまえば命に別状はないだろう。何度も殴られていたので、頭部の内出血が心配だったが、今はどうすることも出来ない。あとは食事をして睡眠をとって、血を増やせば事足りるだろうと、そう信じるしかなかった。
手当ての間、ルーウィンも黙っていた。疲れて何も言えなかった。
ダンテもルーウィンも服はぼろぼろの水浸しで、顔や頭やあちこちに土や泥がついていた。
見事な完敗だった。
しかし、それはカレンも同じかもしれなかった。