【2】
【2】
この南大陸には、多くの冒険者が存在する。
世に言う「旅人」と「冒険者」との境界は曖昧だ。
しかし一般的には、「旅人」は読んで字の如く、旅をしている者。「冒険者」とは、それなりの武装をし、モンスターやならず者から身を守る術を身に着けている者を指す。
冒険者には各地を渡り歩く根無し草も居れば、一つのギルドを拠点として腰を落ち着ける者もいる。 しかし仕事の依頼や収入が不安定なため、盗賊に身を落とす者も多い。モンスターや盗賊などの危険から身を護る手段として重宝される一方で、体力だけが取り得の粗忽者が多いことから、村人から毛嫌いされることもしばしばある。
冒険者を勇敢な護衛と見なすか、定職に就かない放浪者と見なすかは、地域や個人の考え方で大きな差があるといっていい。
そしてギルドとは、職業組合、すなわち冒険者組合のことである。
各街に冒険者ギルドが設けられ、冒険者たちの交流の場となり、情報交換やパーティの勧誘などがなされる。
モンスターに生活がおびやかされるこの大陸では、冒険者の存在はごく当たり前で、必要不可欠なものだ。冒険者はギルドにて依頼を受け、仕事を請け負うことで生計を立てるのが一般的である。
人々の村から村への移動の際に護衛をしたり、村やその周辺に住むモンスターを追い払ったりと、その仕事内容は様々だがいずれも危険が伴うものが多い。
そしてその冒険者ギルドを襲うのが「ギルド潰し」である。
ギルド潰しがギルド所属の冒険者に見事勝利してしまえば、そのギルドは面子を保てなくなり、信用を失う。潰している方は負けても失うものは何も無いが、ギルドのほうはそうはいかない。
ギルド潰しの方のメリットはというと、単に略奪であったり、売名行為であったり、愉快犯であることが多い。しかし所詮は守るものなど何一つ無いろくでなしのすることだ。
ギルド潰しが成功することなどまずなく、ほとんどが返り討ちに遭うのが定石だった。
しかしただ一人、大陸にその名を響かせるギルド潰しがいた。
それが『ギルド潰しのダンテ』である。
今ではギルド潰しといえば、ほとんどがダンテ一人のことを指すと言ってもいいほど、その名は南大陸に定着しつつあった。
「おい、ルーウィン」
ルーウィンと呼ばれた少女は、薪の上にかけられた小さな鍋から椀にスープを注いでいる最中だった。芋とニンジンとドテカボチャが入っただけの質素なものだったが、彼女なりに満足な仕上がりだ。
ルーウィンはピンク色の髪を一つに結い、大きな緑色の瞳を持つ少女だった。同じ年頃の子供よりやや小柄だが、自分より体の大きな男の子にちょっかいを出されても、平気で五六人はやっつけてしまう。
「おい、指。スープの中入ってるぞ」
「大丈夫よ。熱くないから。はい」
「……そういう問題じゃないんだが」
ダンテから指摘を受けるが、彼女はそれを受け流して椀を手渡した。
ルーウィンは物心つくよりも前から、このダンテという男と二人で南大陸を旅している。
赤ん坊の頃に北大陸でダンテに拾われたという話だった。人は彼を『ギルド潰しのダンテ』と呼ぶ。
その異名をダンテが自ら名乗ったことはなかった。
あくまで他称であり、気がついたらそう呼ばれていたのだという。
「ちょっとくらいいいじゃない。おおざっぱなくせに、へんなとこうるさいわね」
その稀代のギルド潰しを、ルーウィンは適当にあしらった。
彼女がメインディッシュの鳥の丸焼きを目の前にし、目をらんらんと輝かせているのを見てダンテもそれ以上言うのを諦めた。
二人で手を合わせて、本日の夕食にとびつく。ダンテはもごもごと口を動かした。
「それにしても、お前の今日の調子、良かったぞ。もうすっかり一人前だな。狩だけならおれより上を行くかもしれん」
ルーウィンも負けじと小さな口で大きな肉に噛り付く。
「毎日ばかみたいに射ってりゃ、嫌でも身につくわよ。もう何年もやってるんだし」
それを聞いて、ダンテはふと手の動きを止めた。
「お前も、もう十になるんだなあ」
ダンテは感慨深くため息をついた。ルーウィンは、それを聞いて視線だけを上げる。
「わかんないじゃない。あたしの本当の歳なんて」
「拾ってすぐに世話の仕方を教えてくれたご婦人が、まあ生まれて一年も経っていないだろうと言っていたんだ。そうか、もうそんなにもなるか」
「コブ付きになってから」
ルーウィンの言葉に、ダンテは顔をしかめた。
「お前、一体どこでそんな言葉を覚えてくるんだ。可愛げのないやつだな」
「かわいくなくて結構よ」
ルーウィンはダンテの話などお構いなしに肉とスープとを交互に食べ続けた。
最初はその食い意地の酷さに眉根を寄せていたダンテだったが、やがてその表情は穏やかになった。頬にいっぱいにして食事を頬張る癖は、女の子としてはあまりよろしいものではなかったが、子供としては微笑ましい光景ではあった。
しばらくルーウィンのその様子を眺めていたダンテは、おもむろに肉を皿へと戻した。
「なあ、カタギに戻りたいとは思わないのか?」
「あんたが? 今更?」
口元にパンくずをつけたまま、ルーウィンが顔をあげた。
「ばか。この話の流れでどうしてそうなる。お前がだよ、ルーウィン」
「なんであたし?」
「手を休めろ。椀を置け、ルーウィン」
ルーウィンはぶつぶつ文句を言い、しぶしぶながら持っていた椀を置いた。中身が冷めるのが嫌で返事も短くしていたというのに。
しかしダンテがこう言い出したときには、なにか話そうとしている時の合図だということもわかっていた。
仕方がなく、ルーウィンは言われるとおりに話を聞く体勢を整えた。
ダンテは片手で頭を抑えると嘆いた。
「まったく、どうしてこうも食い意地の張ったやつになったんだか」
「あんたに似たんでしょ」
「頭は悪いくせに、口だけ達者で」
「そういうところも似たんでしょ」
いちいち一言多いルーウィンにダンテは苛立ったようだが、それもばからしいと考えたのだろう、息を深く吐いて気持ちを落ち着かせたようだった。
ルーウィンはそんなダンテを見、どうせまたいつもの説教だろうと思った。
さっさと終わらせて、肉の続きに取り掛かりたい。
「話を戻すぞ。お前ももう十だ、そろそろ将来のことを真剣に考えにゃならん」
ルーウィンに言わせてみれば「まだ十」だ。
突然将来のことといわれても、漠然としすぎている。
旅をすることしか知らないのだ、これからだって旅をしていくに決まっている。かわいいお嫁さんやお花屋さんや菓子屋さんになる予定は、今のところまったくない。きっとこれからもないだろう。
そんなルーウィンの心中はおかまいなしに、ダンテは話を続けた。
「いつまでもこんな生活を続けるわけにもいかないだろう。どこかに腰を落ち着けて、田畑を耕すなり静かに生きていく方法ならいくらでもある」
「引退したいの? なんでまた急に」
ダンテの口からそのような話が出たのはこれが初めてで、ルーウィンは眉根を寄せた。
「急にじゃない。前から考えてはいたんだ。ただ頼るアテもないしな、どうしたもんかと思っていたら古い知人にばったり会ったんだ。お前のことを話したら興味があると言ってくれてな。その人は子供もないし、面倒をみてくれてもいいと言ってくれた。わかるか?」
そこまで言われて、ルーウィンにはやっと話が見えた。
ダンテが旅をやめるわけではない。
「つまり、あたしを置いていくってことね」
ルーウィンは酷く真面目にダンテを見つめた。
睨んでいる、といった方が正しいかもしれない。
ダンテはその視線から目を逸らすことなく受け止めた。逆に黒い目を見開いて、ルーウィンの瞳に訴えかける。
「わかるだろう? おれみたいなおっさんとは違って、お前は女の子だ。いつまでも土ぼこりにまみれて、浮浪者みたいにふらふらしているわけにもいかないだろう。せめてお前には普通の暮らしをして、人並みの幸せを掴んでほしい。おれはそう思ってる」
ルーウィンは視線を逸らした。
「ごちそうさま」
ルーウィンはそう言うと、食べかけの肉やらパンやらスープの椀やらを持ったまま、ダンテの前からいなくなった。
「ありゃりゃ。予想通りの反応だな」
薪の前に一人取り残されたダンテは、まいったなあと頭を掻いた。
「別れ話を切り出されたあ?」
村娘のカレンは糸紡ぎの手を止めた。そして、ぷぷぷ、ふふっと笑い出し、しまいには大笑いして腹を抱える有様だった。
そんなカレンを見て、ルーウィンはぶすっとしていた。テーブルの上に顎を乗せて、大笑いするカレンを恨めしそうに睨む。
「笑わないでよ、本気なんだから」
ルーウィンの声を聞いて、カレンは目の端に浮かんだ涙を拭った。
「ごめんごめん。だってあなたたち、親子みたいなものでしょう? それを別れ話、なんていうものだから。恋人みたいだと思っておかしくて」
「あんなやつが父親なんて嫌よ。恋人なんてもってのほか! あたしとあいつはシテイカンケイ、っていうの。もう、そんなに笑うならいいよ、帰る」
椅子から立ち上がったルーウィンを、カレンは腕を掴んで引き止めた。
「やだ、待ってってば。ごめんなさい、少し酷かったわ。今日もクッキー焼いてあるのよ、食べないの?」
「……食べる」
ルーウィンは腑に落ちない顔をしながらも、席についてもぐもぐとクッキーを頬張り始めた。
カレンは久しぶりにできた年の近い友達だった。美しい黒髪を背中に流した、上品な顔立ちの少女だ。とはいっても、カレンの方がルーウィンより三つほど年上で落ち着きもあった。
長い間街に滞在しなければ、同じ歳くらいの、しかも気の合う子供と遊べる機会などなかなかない。 カレンはどちらかというと身体が丈夫なほうではなく、外で遊びまわったりはしない性格だったが、ルーウィンが旅の話を聞かせてやるとすぐに意気投合したのだ。
「で、その肝心のダンテさんは、今日はどこ?」
「仕事。しばらくここで路銀稼ぐって言ってた。今日は多分、村の北のほうでモンスター追っ払うって言ってた気がする」
「で、ルーウィンはスネてお留守番、ってわけね」
「わかってるくせに言うんだもんな。カレンの意地悪」
ふくれっ面をしているルーウィンを見て、カレンはまた笑った。
「熱心ね。あなたたちみたいな冒険者がたまに来てくれると助かるわ。村の人間は農作で手一杯で、モンスターまで手が回らないもの。みんな戦う方法も持ち合わせてないし」
カレンはルーウィンにミルクのおかわりを注いでやった。
ルーウィンは喉を鳴らしてミルクを一気に飲み干す。コン、と勢いよくカップをテーブルに打ち付けた。
「もう、飲んだくれのおじさんじゃないんだから」
「……ねえ、どうしたらいいかな」
ルーウィンは再びテーブルに突っ伏した。
「どうしたら置いていかれなくてすむかな」
ルーウィンは下を向いていたのでその表情はわからなかった。しかしその声音から、この事態を彼女がいかに重く考えているかを、カレンは悟った。
出会ってまだ数日しか経たないが、いつも何事にもあっけらかんとしているルーウィンが、初めて見せた姿だった。
その様子をカレンはしばらく黙って見つめていた。
「だったら、ルーウィンの必要性をアピールすればいいのよ」
「ひつようせい?」
ルーウィンはカレンのほうにごろんと頭の向きを変えた。
「要するに、ルーウィンがいなきゃ困る状況にダンテさんを追い込めばいいわけ。そこで、ああ、やっぱりルーウィンがいないと困るなあって思わせるのよ。そうしたらこれからも一緒に旅を続けられるじゃない?」
「えー、そんなの無理」
だいたい、ルーウィンが居ないことでダンテが困る図など想像もつかなかった。
一見まともにひげも剃らないようなものぐさに見えるが、実はあれで結構几帳面であることをルーウィンは知っていた。今こうしてルーウィンが一通りの料理や洗濯、繕い物にとどまらず狩ができるのは、他の誰でもないダンテがそう仕込んだからである。
普段ダンテがなにもしようとしないのは、なにかとルーウィンから進んで何でもやってしまうからだ。ルーウィンがいなくなったところで、ダンテの生活にはなんの支障もないだろう。
そこまで考えて、ルーウィンは再び下を向いて突っ伏し、カレンは慌てる。
「ど、どうしたのルーウィン。落ち込まないで」
「ごめん。案外なんでも器用にできるやつだから、困ってる場面が想像付かなくて」
カレンは唸って次の言葉を考えた。
「そうよ、彼、弱点とかはないの?」
ルーウィンはしばしの沈黙の後、答えた。
「酒と女に目がないくらいかな」
「それ、最悪じゃない」
カレンは思春期の少女らしい反応を示した。
「じゃあ、こういうのはどう? ダンテさんが悪いやつらに絡まれて、それをルーウィンが颯爽と現れて助けるの!」
茶番劇の提案、というわけだ。ルーウィンはちょっと想像してみたが、首を横に振った。
「あたしが出てくる前に、あいつなら簡単にやっつけちゃうわよ」
「とびっきり腕のいい人を雇って、上手いことやられないようにしてもらうのよ」
「そんなに上手くいかないよ」
カレンは自分の思いつきに気分が高揚してきたらしく、ルーウィンのあしらいにもめげなかった。
「じゃあ! あたしが悪い人に捕まる、っていうのはどう? それでルーウィンがかっこよく現れて、わたしを助けるの。でね、ダンテさんに、やっぱりルーウィンは頼りになるなあって思わせるの」
「でもそれじゃあ、あたしがダンテに必要だとは思わせられないんじゃないの?」
そこまで言って、今度はカレンが頬をふくらませた。友人のためを思って色々考えているのに、結局本人がそれを否定するのでは意味が無い。
「ルーウィンのばか。ああ言えばこう言う! せっかく人が案を出してるのに」
「それはまた考える。クッキーおいしかった、ごちそうさま」
ルーウィンは席を立った。小屋から出て行くルーウィンに、カレンは扉から少し顔を覗かせて叫んだ。
「明日はフルーツケーキ焼くけど、ルーウィンなんかにはあげないんだから!」
「はいはい、明日もまた来るわ」
後ろを向いたまま手をひらひらと振ってみせるルーウィンに、カレンは「もう!」と言いながらあっかんべえをした。