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【1】

【プロローグ 北の廃墟群にて】


 酷いものだと、男は鼻を覆った。

 目の前に広がる惨状はなにも初めての経験ではない。こういうことは以前にも何度かあった。慣れたくはないと、男は思う。

 曇天の下に広がる、なにもかもが終わってしまった光景。

 しかし忘れてはならないのは、この場所で確かに人々が暮らしていたということ。そして理不尽な理由で、その生命を奪われたということだった。


 家々は爛れ落ち、黒々とした炭の塊と化している。火の手はもうなく、なにもかもが焼けてしまった。

 生存者の有無など子供でもわかる。


 男は廃墟に足を踏み入れた。


 歩くたびに足元で炭が砕ける。もとは茶色い皮のブーツが、いまは真っ黒になってしまった。崩れた屋根の下に伸びる細長いものを見つけた。


 焦げた腕だった。その手はなにかを求め、必死に差し伸ばされている。男はその焼け焦げた腕を見つめた。その手は救いを求めるように、天に向かって伸ばされている。


 自分の無力さに腹が立った。


 足元をとられ反射的に焼け落ちた柱を掴んだ。キノコがびっしりと生えたような墨の固まりに、思わず鳥肌が立つ。悪態をつき、男は近くの炭を蹴った。かすかな音を立て、その炭は砕け散る。


 そのとき、声が聞こえた。


 まさかと思って、男は辺りを見回す。確かに聞こえる、命の声。男は必死になって瓦礫を退かした。あっという間に男は煤だらけになった。

 そしてついに、声の主を見つけた。


 最初は花かと思った。あまりにも鮮やかな色をしていたからだ。花弁かと見間違えたそれは、柔らかい頭皮にわずかに生えた髪の毛だった。しかし他の箇所は煤だらけだ。

 男は迷わず手を伸ばす。


 赤子だった。


 赤子は泣いていた。不衛生極まりない衣服を引き剥がし、荷物の中から数少ない清潔そうな布を巻きつけてやる。水筒を取りだし、一気に咽に流し込まないよう気を付けながら水を与えた。赤子はすぐに吸いついた。


 無心に水筒にくっついている姿を見ていると、さすがの男も愛情を感じざるを得なかった。男はグローブを外し、煤で真っ黒な顔を手でぬぐってやる。すると赤子は顔を歪めて泣き出した。どうやら男の手が角張っていて痛かったらしい。


 男は赤子の両脇に手を入れ、高く高く掲げた。上げたり下げたりを繰り返しても赤子は泣き止まない。

 困り果てて水筒を渡すと、赤子は再び吸いついた。水で腹を膨らませるのも体に悪いと思い、男は荷物を探る。

 男の一人旅というのは、なんとも気の利かないものだと改めて思った。ろくなものがない。

 底のほうにあったなんとか無事なビスケットを見つけ、小さく砕いて口の中に入れてやった。赤子はすぐに食べた。驚くことに、まだ歯も生えていないのに自分から袋に手を伸ばして全て食べてしまった。


 男は笑った。

 元気な赤子だった。














【少女とギルド潰し】

【1】


 それは南大陸の小さな街の近隣の、森の中でのやり取りだった。


「そこまでだな、ダンテ」


 下卑た笑いを立てて、いかにも悪そうな細面の男が得意そうに腕を組んだ。この辺りを私有地化している金持ちの子息で、残虐な趣味を持つ人物として知られている。

 いい服を着ているだけで、やっていることはそこらの盗賊と何一つ変わらない。


「いいのかねえ。いいとこのぼっちゃんが、こんな過激な狩りなんかして」


 成金男は明らかに「ぼっちゃん」という歳ではない。

 しかしダンテと呼ばれた男は、敢えてそう言ってみせた。成金男は一瞬額に青筋を浮かべたが、それもすぐに不気味な笑いへと変わる。

 それもそのはず、ダンテは無様にも目の前の木を背にして手下に追い詰められているのだ。


 成金男の手下たちは槍を持ってぐるりとダンテを取り囲んでいる。所詮は負け犬の戯言にすぎないと、成金男は余裕を取り戻す。


「わたしの愉しみを台無しにした罪は重いぞ。ギルド潰し風情がふざけたマネをしおって」

「柵の中に村人とモンスターを一緒に放り込んで楽しいか? まったく性根が腐ってやがるなぁ」


 他称、『ギルド潰しのダンテ』は無抵抗の意思を伝えるために両手を頭の後ろで組んでいた。

 周りには圧制と恐怖で眼窩が落ち窪んだ村人たちが、事の成り行きをおどおどしながら見守っている。見ているばかりで、誰もダンテを助けようなどとはしない。否、村人の誰にも彼を助けるなどということは出来なかった。


「おい、お前。そこにいるのはわかってるんだ。隠れてないで出て来るがいい」


 成金男が声を上げる。

 するとダンテが追い詰められた木の後ろから、子供が姿を現した。まだ十になるかならないかくらいの、年端も行かぬ小さな少女だ。あまり見かけないピンク色の髪を一つに束ねている。

 その大きな瞳には、誰が見ても明らかな敵意が宿っていた。少女を見て、成金男はさらに高らかに声を上げた。


「隠し子連れてギルド潰しとは、世も末よのう」

「俺のガキじゃねえ。そいつは俺の愛弟子だ」


 ダンテは相変わらず口が減らない。しかし成金男はそれを無視し、彼の興味は出てきたばかりの少女に移った。


「ほう、なかなかいい面構えだ。怯えるどころか、このわたしにそんな目を向けるとはな」


 少女は成金男を睨み続けた。村人たちはどよめく。この成金男を不快にさせるようなマネをすれば、命の保障はない。金と力に物を言わせて、畑や家を壊されるのが常だった。

 村人たちはすでに反抗する勇気も気力もなく、少女を黙って見守るしかなかった。


「どうだダンテ。お前は弓を持っていたな、ちょっとした余興に参加してみんか。この子供をここに立たせて、頭の上に乗せたリンゴを射る、というのはどうかね」

「ほう、そいつは面白いな。なんなら目隠ししてやってもいいんだぜ」


 受けて立つというダンテの返答が気に入らなかったらしく、成金男は鼻を鳴らした。


「フン、生意気な。ではそこのガキ、お前が射て。ダンテの頭のリンゴを射て見せよ」


 それを聞いて、少女は何も言わず、さらに成金男を睨み付けた。

 その反抗的な態度に、成金男はにやりと笑う。


「それだけでは簡単すぎるか。ならば左右の肩にもう一つずつ、そうだな、首のすぐ横に一つずつ追加するか」


「そんなのひどい!」

「上手くいくわけないじゃないか!」

「外したら首に刺さっちまうよ!」


 あまりのことに村人たちは口々に叫んだ。成金男は蓄えた口ひげをわざとらしく整える。


「外野が少々うるさいようだな。お前らの子供をブタのように飼って、わたしの車を牽かせてもいいのだぞ」


 その言葉に、村人たちは一瞬で静まり返った。


「リンゴを射抜け。さすればこの無礼な愚か者を助けよう。ただし、的外れな場所に射れば、その時もお前たちの命はない。心してかかるように」


 ダンテは成金男の手下によって木に胴と脚をぐるぐるに縛りつけられ、まったく身動きの取れない状態にされた。そして頭の上と、首の左右にリンゴを置かれる。

 その光景を見て成金男はにやにやと笑いを浮かべ、村人たちは固唾を呑んで様子を伺った。


「さあ、ガキよ。弓を持て。お前のたいそうな師匠とやらを、その手で射止めてみせるがいいわ」


 手下の男たちは、少女の肩に手を掛けた。旅の道連れに矢を射掛けなければならない運命にある少女を、的であるダンテの前に引きずり出すために。

 親代わりの男を自分の手で射殺してしまう恐怖に、さすがの少女も恐れおののき、泣き叫ぶに違いない。その引きずられて行く様子を見るのはさぞ楽しかろうと、思わず成金男は口元を歪めた。


 しかし、少女は何も言わず手下の手を払いのけた。そして促されるまでもなく、少女はすたすたとダンテの目の前に立った。

 その距離は伸びきったセコイアの木の丈以上で、弓を射るのにはかなりの距離がある。遠巻きに見ている村人たちは思わず目を覆った。

 こんな遠くから、こんな子供が矢を射掛けては、的の男は確実に死んでしまう。それとも見当違いな場所へ飛んでいって、手下たちに酷い目に遭わされるか。

 いずれにしろ、少女に残された道は、残酷なものしかない。


 少女は弓を構えた。

 流れるような、自然な動作。


 右手が定位置に下がってきた瞬間に少女は矢を射た。

 狙いを定めるのに時間を取ることもなく、最初はダンテの首の右、そして左、最後に頭の上と、少女の放った矢は次々にリンゴを粉砕していく。

 ただ小気味の好い、スパンという音が三回したと思ったら、ダンテはリンゴまみれになっていた。

 あまりにも一瞬の出来事で、成金男も村人も何が起こったのかわからなかった。


 少女は見事、三つのリンゴだけを射抜いたのだ。


 リンゴまみれになったダンテは、ひゅうと口笛を吹いて少女の健闘を称えた。

 少女は小さな口を開くと、けだるげな声を出した。


「あーあ。おいしそうだったのに、もったいない」


 少女は弓を持ったまま成金男に向き直り、一瞬で矢を構える。突然のことに驚いた成金男は、無様にも腰を抜かしてしりもちをついた。

 弓は確実に成金男の脳天を狙っている。


「別に動いてもいいけどさあ。でもそうしたら、あたしの手も滑っちゃうかもね」


 妙に大人びた台詞だった。とても十かそこらの少女から発せられた言葉とは思えない。

 彼女のその言葉は、奇妙な倦怠感を帯びていた。

 まるで、この台詞を吐くのはこの日が初めてではないかのような。

 何度も何度も同じ台詞を吐き捨て、いい加減飽き飽きしているような。


 成金男は、瞬時に悟った。そして冷たい汗が背を伝う。

 この少女は、躊躇いなく、自分を打ち殺す。


 少女はかわいらしい造作に似合わない残酷な表情で、矢を番えたまま首をかしげた。


「なんなら、あんたも今のリンゴみたいに粉々にしてやろうか?」






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