第九話 てつ
空を見れば宵の口。
多少日の落ちてきたうっすらと紫がかった空に木刀を持つ娘の姿が一つ見える。私を入れると小さな小娘二人だが。
三つ編みの髪を揺らし、彼女は木刀を握る。
その構えはまるでバットを握っているかのよう。
八双の構えと呼べば聞こえは良いが彼女の其れはまさしく今にもホームランを撃ち出さんかのごとく。
呼吸も大きい。
肩が揺れ、息を吸うのと息を吐くのが見て取れる。
対して私は正眼にとっている。
微動だにせず、剣先に蝶々がとまっても此処が木刀の上かと気づくかどうか。
まぁしかし、昨日の今日始めたにしては良くやっていると思った。
昨日の夕暮れのあの後、あはれにも首と胴体が泣き別れた男の処理もアンと一緒に帰路に着く際に、隠れていた金髪殿下に目線を送って処理を任せて帰った。
金髪殿下は結局アンに姿を晒さなかった。
あの状況で意気揚々と出って来られるのも困るが。
アンはローブを拭き裂かれていたので、帰る前に適当なローブを買ってやりアンに着せてやった。
帰った後、いつものようにアルの部屋でアルとアンと私の三人で晩飯を食ったがアンが「先ほどの一件は秘密にしてください」と言うのでアルには話していない。
アンが私の事を「先生」と呼ぶのでアルは不思議に思ってか何故先生と呼んでいるのかと聞いたが、アンは先生だから先生なんですとしか言わなかった。
私にも聞いてきたが唯、笑顔を返してやったのみである。
その日の夜、いつものようにアンの部屋で教授をした後、ではおやすみと別れようと思ったら、アンは一緒に寝てくださいと言うので一緒に寝た。
女の子と枕を並べるのは初めてであったので少々恥ずかしかったが、アンがにこにこしていたので頭を撫でてやりながらすごした。
寝る前に、実は明日に革命を目論む同志の集まりがあるらしく私に招待が来ているんだがアンも一緒に来るか?と問うたら二つ返事で「行きます」と言う事だったので、アンも連れて行ってやることにした。
朝、目覚めたらアンが私の腕に引っ付いて中々離れず困ったもんだと思っていたらアルが起こしに来て、私とアンが何故一緒に寝ているのかとか何とか言って羨ましそうにしていた。
朝食を食っていたらそういえばサシュワルから手紙があるといってアルが丸めた羊皮紙を渡してきたので、朝食の後読んだら
「夜に俺の部屋で」
と書いてあったので、おそらく今日の集まりのことだろうと思い、アンにも伝えて私は昼過ぎくらいまでいつもどおりアルの助手として過ごした。
昼過ぎになって、仕事も落ち着いたところでアンが、剣術を教えて欲しいとのことだったのでその辺の木を削って木刀を二本、私の物とアンの物とを作ってやった。
昨日、えせ日本刀をアンにあげた所であったのでこの機会にまともに使えるように教えてやっても良いかもなと思ったので、まずは基礎からと簡単に足捌きやら柄の握り方、西洋剣術(この世界の剣術のことだが、便宜上そう呼ぶ)との違いやらを教えた。
暫くすると、実際に打ち合ってみたいと言うので、まだ危ないからよせと言ったのだが、どうしても昨日の私の動きが見たいからと言うので、まぁこの機会に彼女の力量を見るのも良いだろうと思って、居住区の宿舎の裏に移動して現在に至る。
始めてから3分ほど経ったろうか。
いまだにどちらも動かず、はたからみれば何をやっているのかと言われるだろう。
彼女の手も震えてきている。
ちょいと可哀想だなと思って私は一歩踏み出すと共に右脇に構えた。
すると彼女は跳躍して切り込んできた。
その速度は中々のものだが、いかんせん呼吸が分かりやすい。
剣道においても剣術においても相手の呼吸を知ることは重要である。
息を吸っている間は急速な動きは出来ない。
対して息を吐いている間は咄嗟の動きも可能である。
神速を以って打ち込みたい場合は腹の中の息を瞬時に一気に出すような感覚で吐く。
熟練してくると相手に悟られずに打ち込めるのだが、アンはまだまだのようだ。
跳躍する前に、大きく息を吸った。
これを見て私は右後ろに下がる。
彼女の剣はいわば怒りの剣。
力任せに斬り込んでいる。
気持ちは分かる。
だが、焦ってはだめだ。
敵と相対した際に必要なのは、礼と志と義
憎しみだけで振ろう剣に何が斬れようか。
一時だけならばその剣は強い。
しかし、それは己の為に振るう剣。
大儀や旗の為に振るう剣に出会えばたちまち、折れる。
もっと実践的な事を言うと、平常心を保てなければ負ける。
相手の呼吸、
目線、
足、腕の震え、
それらを落ち着いて見渡せる、余裕がなければ負けるのだ。
昨日の魔法剣士に勝ったゆえんも此処にある。
彼は魔法がアルコールに引火したことに驚嘆し、一寸平常心を失った。
私はそこに飛び込んだだけである。
もっとも、彼が日本剣術の特徴である「跳躍」を知らなかったと言うことも関係してはいるが。
ハッと吐く息にあわせてアンは大きく跳んで、袈裟懸けに打ち込んだが、虚しくもその木刀は空を斬り、大地を削る。
アンの腕を見る。
――刀の持ち方がなっていない。
右腕と左腕の間隔――手幅が拳半分位の距離を以っているのは良い。
しかし彼女は柄をハンマーグリップで握っている。
また、腕の角度が良くない。
彼女は柄を左右から引っつかんだような格好で握っている。
右手も力みすぎである。
右手は添えるだけ、位の感覚でかまわない。
これでは斬るのは無理だ。
仮に斬ったとしても、刀身と標的とが垂直にならないので、刃筋が狂い刀が曲がるだろう。
最初はきちんと教えたとおりに持てていたのだが、疲れから握りが甘くなったのだろう。
また上半身と下半身の呼吸も合っていない。
故に、次の行動が読み取れる。
左足を前に押し出さんとしている。
手首を返えし切り上げようとしているのだろう。
――左足を前に押し出し、燕返しの要領で打ち込む。
アンは腕の力を主にして振っている。
だが木刀、竹刀、日本刀然り、薙刀しかり、日本における武器はどれも腕の力で振るうのではない。
足、腰で斬るといっても良いかもしれない。
例えば腰の動きに連動して胴が動き、それに連動して腕が動くと言ったような。
私は此れに応じ、右足で地を蹴り、左足を前へ押し出すと共に、脇に構えた木刀を半円を描くように打つ。
所謂、逆風で斬る。
予想通り、彼女はえせ燕返しで切り込んだ。
だが、遅い。
私はアンの股に当たる直前に右手に力を入れて、剣を止めた。
剣の速度を緩めるには右手にちょいと力を入れれば大丈夫である。
、がこのまま残身をしていてはアンの切り上げてくる木刀に右太ももが直撃するので、体重を左足から右足へ移し、体を起こすと同時にアンの木刀に自らの木刀を、ひよいっとぶつけてやり剣を止める。
互いに数歩下がり、木刀を血ぶるい。
左手に収める。
礼。
例えどのような相手であっても、礼を怠ってはいけない。
そう教えている。
「参りました。」
アンがどっと疲れた様子で言う。
見ると汗のせいか髪が頬にくっついている。
私は水とタオルを渡してやり、打ち合っていたときに思った事などを述べた。
「初めてにしてはうまかったと思うよ。特に打ちが強くて良いね。いきなり小手先の技を使うよりも、思い切って斬り込んだのは良い。技に憂いが無い。まぁまだ技とは言えるような物ではないけども。」
「先生は、凄いです。」
そんなことはないさと返す。
先生は凄い。
このことを言うと拗ねられるかも知れないが、背が低くて私と同い年くらいに見える。
実際には年上だが。
ともかく、兄よりは年下ではあろう。
だが、どこか落ち着いていて、女の子では無いような気さえする。
もちろん体は女だ。昨日の夜一緒に寝たからわかる。
しかし、なんだろうか。口調のせいもあるかもしれないが。
頭を撫でてくれた時に、母親のそれとは違う、言うならばお父さんの様な……
違うか。ともかく抱きしめてもらったり頭を撫でてもらったりした時に不思議な感覚を覚える。
それに何故か凄い知識を持っている。
わたしはこの世界の仕組みを教わった。
私たちが貧しいわけ、魔術師達が汗を流さなくてすむわけ。
それらを可能にしている機構を教えてもらった。
そしてそれらを変える方法も話してくれた。
算術も政治も教えてくれた。
それだけでなく、知識だけを持っていてそれをひけらかすような事もしない。
知性もある。
女なら男と付き合うときはかくあるべし等と言うことも教えてもらった。
最初はそれだけだと思っていた。
しかし、昨日の夕方。
――あの魔術士を斃したのだ
魔術師は貴族主義者だ。
資本家だ。
圧制者だ。
わたしはあの時自分の無力を嘆いた。
あの憎き魔術師に心の声で言ってやった。
「群集が毒の杯を置いた。
飲め、呪われしものよ!
これがおまえの運命だ!
お前の真実や天の声など
わたし達にはいらぬ!」
――そこに先生が現れたのだ。
勝てないと思った。
先生も又、わたしの様に辱めを受けて殺されるのではないかと。
しかし勝った。
小瓶を投げて魔法を負かし、
見た事の無い剣術で。
魔法のことを考えずに単純に考えても、先生のほうが魔術師の男よりも断然小さかった。
なのに勝った。
小さい者が大きな者に勝ったのだ。
今日の昼過ぎ、先生が兄さんの手伝いも一段落ついたということで、あの剣術を教えてもらおうと頼んだ。
先生はわかったと言って、何やら木の棒を探しに行った。
暫くすると拾ってきた木を削って、何やら作り出した。
渡されたのは両手で握る木剣だった。
形が昨日頂いた日本刀に似ている。
先生曰く「木刀」と言うそうだ。
なるほど、木でできた「刀」だから木刀か。良いネエミングだと思った。
剣術を先生に教えてもらったが、私が以前徴兵されて戦争に行った事があるおじさんから聞いたような剣術とは大分違う。
足裁きという、足の動かし方も特殊だ。
まずは基礎を、と教えてもらっていたが実際にあの剣を見てみたくなった。
先生と打ち合ってみたくなった。
実際に魔術師を斃した剣と戦ってみたくなった。
最初はやめておけと言っていたが、わたしがどうしてもとお願いしたらわかったと言ってくれた。
先生とわたしで打ち合おうと言うことになった。
結果は見事、先生に斬られた。
その後もっとこうした方がよい、とかここは良かったなどと指導してもらった。
わたしはもっと学ばなくては。
この剣術もそうだが、皆をまとめて社会を変える術も学ばなくては。
ともかく、夕食の後に何やら社会を変える為に活動している組織の人達と会うらしい。
わたしも連れて行ってくれるそうだ。
それにしてもこの街でそんな組織があるなんて始めて聞いた。
一体今まで誰が何処で何をしてきたのだろう。
晩飯も食い終わった後、アンと例の集会に出かけた。
アルは晩飯の後は何やら本を書いているようなので、アンと一寸出かけて来るといって出てきた。
何処へ行くのかと問はれたので「なに、農業区へ花と月を見に行くだけさ」と言っておいた。
アルはそいなら一緒に行こうなどと行っていたが、アンが「先生と二人きりがいいんです。」とか言ったら不満そうな顔をしていたが、やることがあるらしく部屋にもどっていった。
だが上目遣いで、ごめんなさい、と言ってやったら機嫌が良くなったようだ。
サシュワルの部屋へ向かうまでの道中、アンにあげた刀の名前をつけてやろうと言う話になった。
ちなみに私もアンも昨日の一件のこともあり、帯刀している。
私は九十四式軍刀を、アンはえせ日本刀を帯刀している。
とは言っても、ローブの下の服に吊るして、上からローブを着ているので傍目からはわからないだろう。
帯刀の仕方も唯帯びに指すというわけではなく、帝国陸軍の帯刀の仕方を参考に、地面と垂直になるように帯刀しているのでなおさらである。
いつまでも「えせ日本刀」では可哀想だろうと言うことで、歩きながら二人で考えた結果、「共生花」とか言う案が出たが、結局「外刀」というのにした。
単純でよい名前である。
アンも喜んでいたし、よろしい。
サシュワルの部屋のある棟に入り、二人分の床の軋む音とブーツの音とを聞きながら、部屋のドアの前に来た。
ノックをすると男の声で誰何が返ってきた。
自らの名前を名乗るとドアを開けてくれた。
アンと共に部屋の中に入った。
わたしは両親の死を最大のきっかけに
凡ての人間への
温かい感情は消えた
しかし先生と出会ってから、
先生は私の石の様な心を和らげてくれた。
わたしは先生を神と崇拝する。
先生の後ろを歩けば、温かい世界が待っているんじゃ無いだろうか。
いや、先生と一緒ならこの世界を変えられる気がする。
魔術師のいない世界。
それは誰も搾取する者がいない世界。
皆が幸福、笑顔な世界。
だれも不幸な者のいない世界。
先生は不幸な人のいない社会体制を共産主義と言った。
先生について行こう。
このドアの先にも、戦場にも、地獄にも、
この理想を、先生を邪魔する者には粛清を。
共産主義の勝利の為に!
ちょいといつもより短いですが、次回の長さとかを考えると区切りが良いのでここで。
レエニンとスタアリンの関係って悲しいですよね。