第八話 あかいろ
わたしは目を覚ました。
視界がぼやけていたものから確かに輪郭を把握するものへと変わる。
わたしはアランカザンダッカの花畑にきていた。
そこでヒットレルさんが「宿題」だと言って、考えておくようにと言ったことを羊皮紙とペンを手に考えていた。
どういう宿題か、それは
「この世界は資本が利益を生む。
利益とはつまり剰余価値、労働力から生み出される付加価値であり、奴隷経済主義はこの剰余価値をより多く得ることも目的としている。
奴隷が魔術師ーつまり資本家に売っているのは労働力だ。
例えば労働者は一日、此処の鍛冶区で言えば一日の給金は20オウラと教えてくれたね。
だから例として、労働者の一日の労賃を20Gとしよう。
そこで例として、一日20G貰って商品2個を作れば、その商品1個作るのに必要な労働力、つまり必要労働力の価値は10Gというわけだ。
そして商品を作る道具、例えば熔鉱炉やハンマーの維持費が必要だ。
この街では必要な道具や原料を一括して一つの街で補っているので、本当は160Gとするところだが、少なく見積もって40Gとしておこう。
なぜなら、他所から仕入れる必要が無いからね。
でその道具は使えば当然痛んでくるので、使用が出来る回数を4回だとしよう。
4回使えると考えれば商品一個生産するのに40Gかかるのはわかるね
そして商品1個辺りの原材料費も必要だ。
先ほどと同じ理由で、一個当たり40Gかかるとしよう。
商品1個を例えば2時間で作る場合のコストを考えてみよう。
一日の労賃 20G
原料 40G
商品を作る道具の維持費40G
とすれば商品一個の交換価値は100Gと言うわけだ。
商品をつくるコストに100Gかかったのなら、此れを売っても利益はでない。
ではどうすれば利益を出せるか考えてみてね。
私はアルと仕事があるから、落ち着いたら答えを言うよ。それまでちょいと考えておいてね。所謂、宿題だね。
ヒントは、
労働者の「一日の給金は20G」
であるということと、
貨幣がG
商品がWだとして
G―W―G´
G´=G+⊿G
⊿G=剰余価値
とだけ教えておこう。
」
と、言うことだった。
わたしはうんうん頭を捻っていたら、何やら人が近づいてきた。
ヒットレルさんかと思って見て見たら、ローブを着てはいたが、どうやら魔術師のようだ。
何故ここにいるんだ!
私は気絶させられ、現在に至る。
周りを見れば森の中だった。
しかし、ちょっとした空間があり、私はそこの大木のそばに倒れていた。
空を見ればもう夕暮れである。
体を起こして前方を望むと、例の魔術師がいた。
「何故わたしを此処に連れ去ったんですか。」
「奴隷に教える義理は無い。大人しくしていれば良いのだ。」
「あなたがわたしの自由を束縛する権利の説明をしてください。」
「わからんやつだな。我々は魔術師であり魔法は唯一神によって与えられた偉大なる力!そしてお前らの様な奴隷の雇い主だ。我々は金をやっている以上、お前らを好きにする権利があるのだ。」
「何という退廃的な宗教的、貴族主義、商業主義的な思想か!あなたたちの地位と生活は凡てわたしたちから搾取することによって成り立っています!
無産の労働者階級を虐げる貴族主義者はいずれ労働者の鎚と鎌によって打倒されるでしょう!」
「貴様!貴様も愚弄するか!そうかあの黒髪のせいか!あの黒髪が全ての元凶か!奴隷はだまって我々の言うことをきいていればいいのだ!
我々を打ち倒す?どうやって倒すのだ?何の力も持たないお前に何が出来よう!」
「あなた達はみんなそうですね。論では勝てないと見込んですぐに力を行使することに走るとは……、ヒットレルさんの言うとおり、あなたたちは自己の正当性も説明できないほどに堕落している。崩壊しているのです。
すなわち、あなたの言う体制はもはや瀕死、金と権力に媚びる哀れな魔術師は駆逐される運命です。」
「はは、説明できないだと?それは違う。力が証明するのだ。
力なくして正義は語れず。力なくして何も得られず。力なくして何も護れず。
その力とは魔法。
魔法こそ神によって統治者たる我々に与えられた、我々を統治者たる者であるという証明だ。」
「貴族主義の豚が!」
「言いたいことはそれだけか、私はお前を好きに出来る。この状況を分かって発言していたのか?
お前に自分を護る力はあるのか。
わたしは今ここでお前を犯すことも殺すことも出来るのだぞ。」
「……犯したければ犯せばよいでしょう!殺したければ殺せばよいでしょう!
しかし、わたしは屈しません。この性根の腐った貴族主義者の豚野郎!」
「口先だけでは何も得られぬ。何も護れんことを身をもって知れ。そして自らの立場を再確認するんだな!」
魔術師の男はわたしの服を引き裂く。
わたしの両手を拘束し大木の根元へ押し倒す。
わたしは赤い花を散らした。
草木を握り締め、この屈辱に耐える。
やはり魔術師にわたし達が勝つことは出来ないのか。
男は乱れた服を整え、一点を見つめている。
わたしは虚ろな目で男の視線の先を見た。
何故、ヒットレルさんがいるのか。
ヒットレルさんがわたしを探しに着たのか。
しかし、だめだ、魔術師には勝てない。
やめて!逃げてください!そう叫ぶ。
金髪殿下には隠れてもらって、私はその開けた木々の間に出た。
私は魔術師の男を睨む。
なるほど、確かにあの時の魔法剣つかいか。
視線の端には服も乱れたアンの姿が見える。
男は何やらあの件のせいで自分がどんな目に云々と言っている。
決まって言うのは私の所為で云々ということ。
して、自らの立場を分からせるためにアンに卑劣なことをしたとか。
男は言う
「お前を待っていた。
お前の所為でわたしは出世の道を絶たれた。
わたしはお前を生かしておけぬ。
お前を殺す、殺さねば気がすまぬ!」
――何という外道。
――何という鬼畜。
私と死合いたいのなら堂々と来れば良いものを。
何故アンを巻き込んだのだ!
アンに対してよくも!
金と権力に酔いしれた底辺が!
私は汗で濡れた両の手をローブの裾で拭いた。
ローブの中からアルコールの入った小瓶を袖に入れた。
そしてローブを脱ぎ捨て、白装束の姿になった。
布で巻いた棒を握る。
その時、アンが逃げろと言った。
其れを合図に、男は抜刀し間合いを詰めてきた。
私と男の距離は5歩ほどまで縮まる。
私は棒を構える。
棒の丁度端の方を柄頭と見立て構える、もう一方の端は男の方を指す。
男の得物はショートソード
両刃、刃渡り60cmほど。
対して此方の得物は布で覆った棒。
剣道の竹刀袋を思わせる。
袋の中は硬く、鉄製。
全長100cmほど。
男は剣を右手に持ち、左手が前に来るように体を斜めにした。
対して私は中段構え、刀を右上にずらし正眼にとった。
右足を前に出し、左足を折り踵を少し浮かせる。
足を小刻みに擦り動かし、間合いを計る。
相手は片手で下段に構え、尚且つ剣を後ろ、左手を前にとっている。
相手との距離――五歩
剣道ならば、此れは有効射程。踏み込めば届く。
しかし今の得物は竹刀と違い、重い。
2、3キロはあるかもしれない。
そして、相手は魔法という未知の技を使う。
前回鍛冶区で相対したが、ほんの一部しか見れていない。
はたして彼の使う魔法とは如何な攻撃なのか。
だから、まだ打ち込めない。
今の得物の重さ、未知なる攻撃。
――まだ動けん。
しかし、負ける気は、しない。
男の剣は、欲の剣。
大儀も旗もなく。ただの私利私欲の為。憂さ晴らしの為の剣。
そのような剣が勝つことなど、無い。
対して私の剣は、義の為。
大切な者の為の、想いの為の剣。
復讐の為の剣。
アンへ辱めを受けさせた者への天誅を与えん為の剣。
――ならば、なぜこの剣が相手に劣ろうか。
彼奴目を殺してやる。
名誉や義理の為ではなく、自らの欲の為に殺す。
わかっている。だが、魔術師たる誇りなど、今は関係がない。
あの黒髪の女、
相手はわたしよりも随分と小柄だ。
単純に力勝負ならばわたしが勝つことは明々白々。
そしてあの女は魔法を使えない。
勝機は――充分だ。
見ると女がローブを脱いだ。
すると真っ白な、見たことの無い形の服を着ている。
一寸、黒い髪と相まって、美しく思ってしまった。
いかん。何を今から殺さんとする奴に向かって思っているのだ。
ふと、女は持っていた布を巻いた(布袋をかぶせた?)棒を構えた。
なるほど、あくまで戦おうというのか。
並みの奴隷なら、魔法剣士と相対して勝てるはずが無いと逃げ出すか、諦めるか、無謀にも諦めの表情を浮かべながら突貫してくるか。
しかし、目の前の女は真っ直ぐと此方を見ている。
全く負けるとは思っていないのか。
見た事の無い構えをした。
何を考えている?
しかし、まだ彼女の剣は射程外だろう。
もちろん、此方の剣も射程外だ。
しかし、わたしに在って相手にないもの、それは魔法だ。
ふと相手の足が小刻みに動いているのが見えた。
なんだ、震えているじゃないか。
やはり、女の今の心は恐怖に襲われているのだろう。
それもそうだ。
魔法剣士に奴隷が勝てるわけが無いのだから。
そして、己が敗北したとき、待っているのは、わたしの後ろで小さくなっている小娘と同じ末路。
女にとっての辱めだ。
そこの小娘と違うのは、その後自らの骸が原っぱに捨てられるということだ。
これは確実に勝てるな。
わたしは自らの剣に炎をまとわせた。
そして火の玉を左手に作り出し、女へ向かって突進した。
相手が動いた。此方に駆けてくる。
相手の剣は炎につつまれ、左手には火の玉が在る。
私は左手で右袖の中の小瓶をつかんだ。
相手との距離――4歩
男が自らの周りに火の玉を三つほど浮かべた。
そして、二つは左手の火の玉に吸収され、左手の火の玉は大きくなった。
男は左手を振り上げた。
同時に、私は小瓶を相手に向かって投擲する。
男は左手を振り下ろしたと同時に、火の玉を「射出」した。
私は口を小さくあけ、腹の中の酸素を一瞬にして吐き出すように息をはいて、跳躍した。
なんだ?あの女は何やら小瓶を投げた。
ちょこざいな、こんな事で集中は切れんは!
射出した火の玉が小瓶を包む。
同時に、小瓶が破裂したかと思うと、炎が液体のように辺りに飛び散った。
――なんだ!どういうことだ。
魔法が無効化されたのか?
いやいやいや、落ち着け。
過去にそんな例はない。
聞いたことも無い。
飛び散った炎が自らの周りに展開していた火の玉にあたる。
すると、炎が落ちるかのように、わたしの足元へかかる。
クソ、何てことだ。自らの魔法で火傷をするとは!
いかん、相手をみていなかった。
相手は……何処だ?
何故だ!何故こんなに早くわたしの目の前に居るのか!
まだ射程外のはずだ!
わたしが炎に意識を捉われたのは、ほんの一瞬。
一瞬のうちに何故この距離に?!
駆けても後2歩はないと射程ではないはずだ!
相手の男は、投げた小瓶のアルコールに引火した炎に驚いて、一寸、視線をずらした。
――勝機。
わたしは、左足で跳躍した。
右足は前へ、棒を同時に振り上げる。
男が此方を向くと、驚嘆の目を向ける。
男の剣はいまだ、だらんと垂れたまま。
もはや右手に持ったショートソードでは防げまい。
腰が引っ張られるような感覚を覚えつゝ相手の方へ飛ぶ。
棒を持つ両手を振り下ろす。
右足で着地。ブーツが土を削る。同時に棒が男の頭部へ直撃する。
――面。
左足が右足に引っ張られて地に足をつけ、
打ち込んだ棒を頭の弾性を以って反動で上に上げる。
男がのけぞりつゝ、間合いを遠のく。
男に合わせ、一足一刀の距離をとる。
息を吸う。
息を吐く。
息を吸う。
男は額から流れる血も拭かず、剣を地面とは水平に中段の高さで切っ先が男から見て左側になるように構えた。
私は中段構え、正眼で構えなおす。
男は打ち込んできた。
剣を天に向け、しかし剣道の様な速さはなく、ただ駆けて打ち込んできた。
わたしは、跳躍すると共に、振り下ろしてくる剣を棒の先で下から掬い上げていなし、楕円を描くような軌道で棒先を一回転させた。
同時に右足で大地を踏む。
――小手。
棒で叩かれた右腕は、恐らく骨が折れたか、亀裂が入ったのだろう。
男の剣が下に向く。
そのまゝ、打ち込んだ棒を上に上げ、引っ張られた左足が地面に着地したと同時に直ぐ右足を踏み込む。
同時に、腹から息を一気に吐き出す。
上に上げた棒を振り下ろす。
――面。
この面は男に打撃を与えなかった。
振り上げた高さが低く、打撃力は少ない。
しかし、この面は本命ではない。
男は顔面を護ろうと、反射的に自らの剣を頭へ持っていった。
剣道ならば、この後は胴が望ましい。
私も其れを予定していた。
しかし、相手の喉元が開く。
好機。
スッと息を吸い、
面を打った棒を地面と水平に構えなおし、
ハッと息を吐いてすぐさま、また右足を踏み込む。
水平にとった棒を腹に引き寄せ、右足が前へ出た瞬間に、腕を前へ押し出す。
棒が相手の喉元へ食い込む。
――突き。
男は吹っ飛んで、剣を落とし、アンの横の大木に叩きつけられた。
アンは暫し呆然としていた。
大丈夫か?と声をかけようと近づいたら抱きついてきた。
傍らにあったローブをかけてやる。
目には涙を浮かべている。
私の胸を濡らす。
唯、彼女を抱いて、頭を撫でてやった。
暫くしたら、思い立ったように私の顔を見上げて、
「答えがわかりました」
と言った。
何のことだと思い、問おうとしたら、
「労働者は一日20G貰います
それは、「一日」
というだけで生産すべき数は指定されていません。
だから、2時間で商品が一個作れるのならば、
一日8時間労働させれば商品が4個生産できます。
よって
商品4個を8時間で作る場合のコスト
一日の労賃 20G
原料 160G
商品を作る道具の維持費160G
=商品4個の交換価値は340G
商品1個の交換価値は100Gなので商品4個で400Gの交換価値になります。
しかし、労働者に一日4個作らせたことにより、400Gの交換価値が340Gになり、60G余ります。
資本家は等価交換の原則をまもりつつも、60Gの利益を得ています。
これが余剰価値。
労働者が搾取されているというのは、このことですよね。
」
「そうだ。よくわかったね。」
私はまたアンの頭を撫でてやる。
しばらく私に身を預けていたが、不意に立ち上がったので、私も釣られて立ち上がる。
「先生」
とアンは言った。
アンは私の瞳を見据えて、
真剣なまなざしで、
確かに力強い目で、
私にこう言った。
「先生。わたしに凡てを教えてください。経済もそうです。礼、儀、算術、医学、薬学、建築、戦術、外交、剣術、……凡てです。先生の知っている事を凡て教えてください。」
私はアンの瞳を、唯見つめていた。
少し間をおいて、アンは続けて言った。
「戦う術を教えてください。
この世界を変える術を、
力なき者が打ち勝つ術を、
労働者を護る術を、
家族を護る術を、
搾取されている者を解放する術を、
魔術師を斃す術を、
貴族主義者を倒す術を、
闘争を戦い抜き、打ち勝つ力を、戦う術を教えてください。
」
私は、彼女の目を見つめたまゝ、「わかった。」とだけ返した。
そして、これをやろう、と言って血のついた布に包んでいた棒を取り出した。
棒を布切れから取り出す。
日本刀が姿を見せた。
鞘はまだ仮でハッダードがその辺の木で作った物に過ぎない。柄もまた然り。
見ると先ほどの打撃で少しへこんでいたり、傷がついている所がある。
アンにそれを渡した。
アンが刀を引き抜くと、刀身が赤い光を反射させる。
これはハッダートに口頭で日本刀の作り方を説明して、試しに作って呉れとお願いしたものだ。
故に、純粋に日本刀とは呼べない。
日本刀風の刀というところか。
試しに作ってもらっただけであるので、これから改良を重ね日本刀に近づけようと思っている。
だが、見た目は良い刀だ。
決してナマクラでは無いだろう。
アンと共に大木のそばで動けなくなっている男の元へ近づく。
「アン、彼を君の好きなようにするといい。」
そういって、私は男の体を起こし、首を前に出させた。。
「はい、先生。」
アンは刀を高く振り上げた。
夕焼けに赤く染まるゝ日本刀幾とせ耐へし我が弟子赤き
音も鳴らせず、刀を振り下ろした。
――見事。
男の首と胴体は別れを告げた。
血ぶるいをしていない刀からは赤い血が滴る。
切先から血が滴り落ちて、地に生えていた草を赤く染める。
夕日の所為か血の所為か、赤い刀を持ったまゝ、アンは私の方へ振り返る。
「ヒットレルさん。先生って呼んでもいいですか?」
先生と呼び始めたところです。
書きたくてしょうがなかった剣戟シーン。