第八話 夕日 前
紅葉が散り雪が降る季節である。
その雪の降る夜に、労働者を搾取する貴族の家へ忍び寄る影二つ。
その影の主らはタール樽をその家に撒く後に火をつける。
その影は二寸ばかりの雪の積もる市街地の石畳を駆けて闇夜に消ゆる。
街の北側の市街地中央に位置する城では治安の悪化に頭を悩ます。
この街「ナジュム」では、放火、殺人はもちろんの事、魔術師に対しての反乱が相次いでいる。
犯人は労働者の誰か、いや複数のグループであることは彼らにとっては自明であった。
しかし労働者は八万人居る。彼らには犯人探しなどする人的余裕は無い。
給金の引き下げ、労働時間の延長や無差別の検挙をはじめ労働者に対する弾圧を行うも、破壊活動やテロは続くばかり。
この破壊活動を行う者達には労働者の中でも賛同の声が多い。
もちろん表立っては云わぬ。
しかし人々は破壊活動者の云う「貴族重商主義の打倒」には一寸の希望を抱く。
だが、街の治安は悪化する。
奴隷区のみならず貴族、魔術師の生活する市街地までも放火等の騒ぎが多発する。
奴隷区ではこの機に乗じた下種達による、労働者同士での押し込みや追いはぎ、強姦、辻斬りは日常茶飯事になった。
領主ハリックス・サラノフは労働者に対する締め付けが騒動の原因だとして、労働者の自由を拡大する案を打ち出した。
しかし之に反対する一派が存在した。仮に反ハリックス派としておこう。
反ハリックス派は、彼が革新派とするのならこの一派は保守派であろう。
とは云うが前皇帝の封土改革により恩恵を受けた者たちの集まりである彼らは己の既得権益の保守の為に活動しているので真の保守派とは云えないだろう。
彼らは領主ハリックスの労働者改革案に真っ向から反対し、彼の権限の縮小や側近の左遷工作に躍起になっていた。
それにより、ハリックス派と反ハリックス派の権力闘争によりなんら具体的な対応策がとれず、街の治安は悪化する一方である。
諸生産活動については反乱への警戒の為魔法剣士の監視が増えることにより効率が悪化し、街の生産能力は以前の八割ほどまで低下した。
之については他の街においても同じ事が云えるだろう。
何故急にこうなったのか。
誰もが云うのは黒髪少女による鍛冶区事件が引き金だと云うこと。
だが調べにより、先導しているのは彼女では無いということは城に篭る貴族らは把握している。
二月ほど前に「ルカスヤプラウダ」(真実の声)と云う冊子が世に出回った。
いづこかの奴隷区にて石版印刷によって大量に印刷され、何らかの方法によってその街の奴隷区から他の街の奴隷区、村へまでばら撒かれた薄い本である。
徴発した魔術師が読む所によると、労働者の自由と権利を得るためには闘争せよと云う内容であったという。
しかし労働者は識字率が低く、大衆は理解し得なかった。
元々、小規模であったが反体制勢力はどの街の奴隷区内にも存在した。
彼らは互いに反体制勢力は自分たちだけだと思っていた。
つまり、労働者の解放の為に立ち上がる者同士で連絡手段が無く、互いに存在を知らなかったのだ。
しかしその冊子により、同志は自分たちだけでは無いと知った反体制勢力は過激に活動し始めたのだ。
彼らはヒットレルの云う所のブルジョア革命を目論んでいたが、偶然にも、しかし必然性を持って新たな本が出回った。
題は「共産党宣言」である。
著者はレーニンと云う名であった。
この本により一部の過激な扇動者達は自身の革命の意義に悩むことになり一寸地下に潜んだ。
しかしその本はここ「ナジュム」の石版印刷を行う総合区にて版が魔術師によって発見され、これ以上刷る事はできなくなった。
魔術師はすぐに「レーニン」と云う名の労働者を探したが見つからなかった。
版は厳重管理の城で保管されている。
とは言え反乱、破壊活動は一向に止まぬ。
城の貴族達、主に反はリックス派は見せしめを欲した。
誰かを見せしめにして革命の芽を摘もうとしたのだ。
しかしその辺の者では見せしめにならぬ。
何か象徴の様な者は居ないかと思ったら、ヒットレルが居たのである。
彼女を殺そうと志願者を募ったが誰も手を挙げぬ。
貴族にとってこう云う賞金稼ぎまがいの行為は嫌われるのである。
しかし一人の魔術師に、ヒットレル暗殺を企てる反ハリックス派は暗殺を命じた。
成功すれば金をやると。
その魔術師は同僚達から軽蔑の目を向けられていた。
鍛冶区事件でヒットレルと闘争したあの魔法剣士である。
事態を収拾できない城の魔術師らは、あの時の不手際で反体制勢力が息巻いたのだと八つ当たりまがいに彼に責任を求めた。
彼自身はこの国において当然の行いをしたに過ぎなかったのだが、何時の世も腹を斬るのは下の者である。
彼はもはや出世の道は絶たれたも同義。
だからこの機会に金を手に入れねばならない。
彼はは魔法剣士である。魔法剣士は魔術師の中でも下のほうの位に位置する。
唯単に魔法の出来が悪いことだけではなく、家もほかと比べると裕福ではない。
魔法剣士は資本家になり損ねた貴族である。
貴族の多くは前皇帝の政策により封土を有力な貴族の下へ吸収させられた。
しかしその為に多額の金を手当てとして受け取った。
その金を資本にうまく使ったのが今の資本家である。
しかし、世の中器用な者ばかりではない。
不器用だった者が魔法剣士である。
この魔法剣士は金を欲した。
欲の為ではない。
家族の為だ。
彼の妻は病気を患っていた。
戦場仕込みの生半可な魔法では治療できなかった。
しかし本職の治癒魔法術師に治療を頼もうにも金が無い。
彼は資金集めに奔走した。
資本家になり損ねた魔術師ほど惨めな者は無い。
家の周りの水も、浄化魔法を掛ける費用がなかった。
自分で掛けてみたが、効果は薄く、専門家には全くかなわなかった。
細君は最後まで、悲しむな、子を頼むと云う。
やがて彼の妻は死んだ。
彼は悲しみに打ちひしがれた。
二人で描いてきた絵が引き裂かれ燃やされた思いだった。
彼の唯一の希望は、妻の残した一人息子であった。
この息子の為にも金が要る。
可愛い息子よ。
年は数えで十歳ほど。
剣の覚えもよい。
将来は彼と親子で仕事をすることになるだろうか。
だからこそ彼は反ハリックス派の命令を甘んじて受け入れたのだ。
とは云え、彼の個人的な憎しみが無いということは無かった。
彼からしてみれば生意気な黒髪奴隷が労働契約を放棄していようとしていたのを、彼の「仕事」として指導しようとしただけである。
何も罪を犯したわけではない。
商品を購入する際に金を支払うのと同じ事で、この社会において正しい事をしたのだ。
何ら犯罪的な事はない。
あるのならば反革命罪。
とは云えこの罪が適用されるのはもっと後の事であるが。
彼はあの黒髪の少女を殺さねばならぬ。
鍛冶区では彼は彼女に遅れを取った。
額から鼻までを斬られたのだ。
――だが同じ技は通用せぬ。
彼は己の腕の程に自信を持った。
自信がなくては息子を養えぬ。
幾ら奴隷とは云え、まだまだ若い女である。
殺すのに躊躇いがある――わけがない。
彼女は憎き仇だ。
いわば彼女の所為で出世の道が断たれたと云っても過言では無いだろう。
彼の心は溶岩のようであった。
しかしその心のどこかに、今の季節の様な紅葉が散り雪の降るような物もあった。
だが彼自身は己の心には最早溶岩しか存在せぬと思っていた。
妻は死に、残るは息子一人。
その息子の為に細々と働いてきたが凡てがたった一分間ほどで消え去った。
――あの黒髪の女の所為である。
今や彼は、自信の仇の為に剣を振るうのか、息子の為に剣を振るうのか、国の為に剣を振るうのか、判別することはできなかった。
数日の後、彼は奴隷区へ向かう。
天気は晴れである。
外を歩けば寒く、日の光を浴びようとも雪も溶ける気配は無い。
彼は裏が毛皮のコートを羽織り、奴隷区を歩く。
腰にはレイピアを挿す。
物騒な時世だ。
魔術師とて不意打ちされれば辻斬りや革命勢力により殺されるかも知れぬ。
彼は己の横を通り過ぎる背負子を背負う労働者やらに憎悪と警戒心を以って視て歩く。
この労働者たちは武装をしている。
だが、特段不思議ではい。
これだけ治安が悪いのだ。
自衛の為の武器も必要である。
それに所持しているのも実用性の無い「ショートソード」や「フリントロックピストル」である。
今、彼に向かって振り向き様に斬り付けたり、ピストルの火打石を鳴らそうとも、先に命を落とすのは彼ではないであろう。
さてやがて彼はヒットレルの居ると云う部屋のある棟の前へ辿り着いた。
彼はそこで赤髪を三つ編みした少女を視界にみとめた。
年は十四くらいであろう。
この少女はヒットレルによくくっ付いている少女だ。
何やら紙の束やら羊皮紙やらとインク、ペンとを持って出掛ける様だ。
彼女はヒットレルを師と崇め、資本論をはじめ経済学、革命論や薬学、地政学等を教えてもらっている。
「無法者のアナーキストの所為で益々住みづらくなる」
少女は横目で水路に植えられた枯れた百合の花を見つめつつ、呆れた様な態で呟く。
彼女は反体制派、破壊活動をする者達、過激派を無法者で無政府主義者の莫迦であると断じていた。
彼女は暴力革命に対して信用していなかった。
そもそも反体制派の活動と云っても革命の本質を弁えない集団でありテロリズムにおいてもせこい放火などを繰り返すのみであり、魔術師に勝つことができないのならば暴力革命はそもそも成功しえないという思考である。
魔法剣士は少女が腰にフリントロックピストルを挿すのをみとめた後、横を通り過ぎる。
その時後ろで話し声が彼の耳に触った。
振り返るともじゃもじゃ髭と少女が話をしていた。
会話の内容から彼が得たのは、件の黒髪少女ヒットレルが後でこの少女と合流して何時ものように勉強会を行うなどと云う話であった。
――これは使える。
幾らなんでも公衆の面前で真昼間から斬り捨てるのは如何なものか。
辻斬りと云えども昼間に白刃を輝かせて人を斬るようなことはしない。
そう思った矢先であった。
彼の口元は釣りあがる。
人目につかぬ所へ行くのなら、尚良い。
赤髪少女はコートを着ると移動するようで歩き出し、魔法剣士の彼は後ろからこそこそと憑けてゆく。
怪しまれぬ様にと思ったか、彼は露店をやっている労働者からローブを徴発して着こんで後を憑ける。
惨めさを感じつつも他に術が無い己の情けなさに彼は鳩尾が痛くなるのを感じた。
二人はやがて魔術師らの云う所の奴隷の花が大量に生えている場所についた。
奴隷の花とは彼岸花のことである。
彼岸花は水辺に人の手が加わったところに多く群生する。
労働者達は水路を作り、治水を行う。
魔術師はそのようなことはしない。
故に労働者(奴隷)が生活する地域にのみ咲く花である。
唯、この彼岸花、枯れないと云うのが不思議であったが、誰も気にするものは居なかった。
赤髪少女ヒットレルなる黒髪の少女とよく出かけては色々な話をする。
彼女とヒットレルはよく農業区へいった。
彼岸花を見たり、川の底を泳ぐ鮮やかな魚などを面白いと思って眺めたりした。
彼女達はよくそこらで適当な岩を見つけて、腰を下ろして、ヒットレルは本を広げ、赤髪少女は紙か羊皮紙を広げた。
ヒットレルが読んだ本は、薬草学だとかこの世界の神学だったり奴隷経済についてだったりした。
彼女はいつも紙、羊皮紙とペンとインクを持ち歩いていた。
ヒットレルが本を読みながら、労働についてだとか、資本についてだとかを話すのを、しきりに書き留めているようだった。
ある日、ふとヒットレルが、絵は描くか、と問うたら彼女は、無い、とのことだったので、
「ぢゃあスケッチをしよう」
と云って彼女達は絵を描いた。
赤髪少女は絵ではなくて、経済に付いての方が知りたいと云う。
其れを聞いたヒットレルは「幾ら好きでも学問ばかりでは体に毒だ。玉には息抜きも必要だらう」と云うと赤髪少女、わかりましたと素直に応じる。
川を泳ぐ青魚や、その辺の野草などを描いていた。
彼女にとってヒットレルの云う事は凡て正しく、一言一句が学ぶべき物である。
従順に彼女は従う。
兄や他の者では己の知識への欲を満たす事叶わない故、ヒットレルの云ふに間違いは無いと信じているのだから。
餓鬼の様に彼女が求めるは「知識」
誰が為と云ふ訳でもなし。
果てなく求める其れは両親への弔いの炎か、不正義を許さぬ仕合せなる世を築かん大義か。
否。
彼女が内は義など忘れたりけむ。
されど暴力によっての革命は本懐に非ず。
彼女は資本主義――といっても現状は貴族重商主義と資本主義が交わった貴族資本主義である――経済における社会に大きな疑問を持つ。
この世界は資本が利益を生む。
利益とはつまり剰余価値、労働力から生み出される付加価値であり、奴隷経済主義はこの剰余価値をより多く得ることも目的としている。
奴隷が魔術師ーつまり資本家に売っているのは労働力だ。
彼女は今朝の朝食の後に、彼女の兄と共に何処かへ出掛けるヒットレルに、教えを乞うた。
ヒットレル、それならばと
「例へば労働者は一日、此処の鍛冶区ならば一日の給金は20オウラ。
例として、労働者の一日の労賃を20Gとす。
さて、一日20G貰ひて商品2個を作らば、其のの商品1個作れど必要なる労働力、つまり必要労働力の価値は10Gと云ふ具合だらう。
そして商品を作る道具、例えば熔鉱炉やハンマーの維持費が必要なり。
この街には必要なる道具や原料を一括して一つの街に補ひたれば、本当は160Gとするところなるが、少なく見積り、40Gとしておかむ。
何故ならば、他所より仕入るゝ必要の無かるかしば。
其にその道具は使用せば当然、老朽化、劣化すれば、使用耐久回数を4回なるとせむ。
4回使へると考へば商品一個を生産に40G必要である。
そして商品1個辺りの原材料費も必要なり。
先ほどと同じやうに、一個当たり40G必要なるとせむ。
商品1個を例へば2時間にて作る場合の『コスト』を考える。
一日の労賃 20G
原料 40G
商品を作る道具の維持費40G
とせば商品一個の交換価値は100Gと云ふ訳なり。
商品をつくるコストに100Gかゝりせば、此れを売りても利益は出でず。
さすれば如何にして利益を弾き出すか、思案すると良いだらう。
後に答えを云はむ。
労働者の「一日の給金は20G」
貨幣がG
商品がWなるとして
G―W―G´
G´=G+⊿G
⊿G=剰余価値
とだけ教へて置く。
」
彼女は喘息持ちであった。
ヒットレルのおかげか大分良くなったが、
始終ぜいぜいひゅうひゅう云っている。
今日も彼岸花の花畑まで行って、今朝の『宿題』をうんうん頭を捻りながら、ぜいぜいひゅうひゅう云って考えていた。
ヒットレルさんはまだ来ないか、夕方くらいかなどと彼岸花を眺めつつ呟くのを、影から覗いていた魔法剣士は聞いてしめたと思った。
――なんと運の良いことか!日々誠実に過ごしていた甲斐があった!
彼に好機と見て赤髪少女に近づいた。
少女は己の背後より雪をさくさくと踏みしめ近づく男を、振り返って見た。
少女は警戒し、腰のフリントロックピストルを構へる。
辻斬り、かっぱらいは日常になっていたので、見知らぬものが背後より近づくに警戒をするのは至極当然である。
すると男が右手より魔法陣を浮かばせるのを見て、彼は魔術師であり少女に対して敵意があるとみとめた。
彼女は己の経験と知識からまづいと判断し、ピストルの火打ち石をおこす。
しかし慌てたのかもたつく。距離は十歩ほどである。
いざ、火打ち石を打ち下ろさんと云う時に、彼の魔法により少女のフリントロックピストルは弾き飛ばされる。
さて、少女は魔法剣士に気絶させられ、ひっ捕らえられた。
彼は少女を担いで足跡を深く残して森の中へと進む。
森の中ならば巡回する他の魔法剣士やらに見られまいと踏んだのだろう。
又、大胆にヒットレルに仕掛けても、魔法を使用してしまえば「魔法の痕跡」が残る。
痕跡を辿られれば誰の使用した魔法かは明白である。
殿下に彼が殺したと知られれば益々彼の立場は危うくなり、息子を養うどころか、彼は処刑され息子は何処かへ追放だろう。
しかし、今この街は無法地帯と化している。
誰が何某に斬られても不思議ではない。
街の外には追いはぎがうろうろしている。
この農業区は城壁でカバーできていない。ならばこの森で殺した後、死体を城壁の外の原っぱにほかっておけば、かっぱらいや強姦魔に殺された後外に放り出されたのだ、脱走を企てたが追いはぎに殺されたのだ、どうとでも云える。
屹度彼女は、少女を足跡を追って来るだろう。
ちょっと開けていて、尚且つ目立たず、足跡が残りやすい場所まで行き、赤髪少女を気絶させ、彼は彼女が来るのを待った。
改稿を始めて、やっとこさっとこ本編開始だぜと云う段です。
しかしこの時期は天手古舞なので更新は一週間おきくらいかもしれません。
文中の文語体はちょいちょい間違っているかも知れません。
平生文語など使って筆をとらないので、粗が露呈しますね。
回を重ねる毎に正しい(?)文語になってゆけばよいです。