第七話 わかさ
私は刀を納刀した後、ニヤニヤしてゐた。
とんでもない風圧で吹き飛ばされたのは魔法なのだらうか。
腹が立つたから一つ説教を呉れてやろうとしたら奴は劍を拔いてきたので、なんだとこんちくしようと人を一人殺しておいて何の責任も無いと思つたら大間違ひだと叩きのめしてやらうとした所で金髮少年に止められた。
斬る事は叶はなかつたが、奴にとつてはこの上ない屈辱であるといふことが見て取れる。さらに無産階級は魔術師を恐れないと啓蒙することもできたので、良しとしよう。
例の退廃的な魔術師が、何故止めるのかのやうな事を言つてゐた。最後に殿下と附いてゐる 。
「殿下、労働力もただではありませんぞ、労働力は一日使用すれば消費されます。その労働力を回復させるための手立てとして我々は安くない給金を奴隷どもに払っているのです。それなのにその奴隷――もとい労働者が我々に労働力を売っておきながら労働を放棄する事、すなわち奴は詐欺師なのです」
「黙りたまえ。お前の雇い主――商会に金を貸してやったのは誰だ?領主たる余が金を貸したからこそ起業できたのだろう。他の商会もそうだが、余が『オウラ』を貸してやったから土地を買い、労働者を雇える訳だが、その労働者は商会が返済が出来ぬ場合の担保にもなっている。すなわち、労働者を殺めるということは余に対しての担保をお前が盗んだということだ」
勝手なことを云ふものである。
勞働力だとか勞働者がとか云ひ囘しは結構な物だが結局勞働者は奴隸扱ひではないか。
貴族や資本家にもなると勞働者は生産手段にしか見えないのだらう。
領主は銀行か何か。
見たところ勞働者諸君は自由氣ままに仕事に就いてゐると思つたら割り當てられてゐたのか。
と云ふより農業區にしろ鍛冶區にしろ土地や機材の所有者は夫々違つてゐたのか。
まあだとしてもどれも同じやうなもんだらう。
ぽけーと二人のやり取りを見てゐたら暫くの後、魔術師は何やら言つて退散した。
殿下と呼ばれた少年は、いつか話がしたいと云ふ類のことを云つて歸つていつた。
いつか話をしたいと云つたつて貴族主義者と話すことなど無いぞと思つてゐたら、退廃的な魔術師が去る時に私をぎろりと睨んできたもんだから私もぎろりと睨み返してやつたら金髮殿下が笑つてゐた。
こつちは眞劍にやつてるのに笑ふとは何事だと思つたが、ワーと云ふ鬨の聲でうやむやになつた。
と云ふのも金髮殿下と退廃的な魔術師が退散した後、ワーと鬨の聲が上がり、筋肉質のおつちやん達が私を胴上げしてきたからである。
煤やらにまみれながら盛んに胴上げをして呉れるので、又むさ苦しいおつちやんらに頭を撫でられるのだから堪らない。
これあ堪らんとうまい工合に拔け出したが、おつちやんらの煤の所爲で服も私の白い肌も所々黒く汚れてゐる。
最後はうやむやであつたが私は一つ目的を果たした。
もう少し後になるかと思つたが、好機を逃せなかつた。
革命を企てる組織があるのならば良し。無ければ自ら作るとしても、大衆が其れらの活動を知らねば意味がない。
部屋でこそこそと話し合つてゐるだけでは大義は成し得ない。
大衆から存在に氣づかれない、無視されてゐる革命家など唯の勘違ひ野郎、勘違ひの勘太郎だ。
早すぎたかもしれないが、この奴隸區で地下活動をする団体があるのならば、近いうちに出會ふ事になるだらう。
ならば早いほど良い。
今囘の一件の噂は近いうちに彼らの耳に入るだらう。
そしてこの件で体制側はより、我々に對して嚴しくするだらう。
この世界は農奴制よりかは甘い。
体制が我々を限界まで彈壓せねば私の理想はかなはぬ。
どうにも私は体制を敵にすると燃えあがつてしまふな。
しかし實際のところ、魔法と言ふのがそれほど理解できてゐない段階であつたので、とても肝を冷やした。
と、ここで本來の目的を思ひ出し、ちよいとばかり鐵パイプか何か無いかなどと聞かうと思つたが、今更鬨の聲を上げてゐる連中の所へ突貫するのもどうかと思つて思案する。
すると、さつきの肉附きの良い赤鉢卷の兄ちやんがきよろきよろと群集の中から外れて何やら探しものをしてゐた樣なので、「おい、赤鉢卷」と呼んだら此方に來た。
彼は何やら私を賞賛してゐたが、「よく魔術師と喧嘩する勇気があるな」とか何とか云ふのには呆れた。
こちとら命がけで鬪爭したのに喧嘩とは何だ。
赤鉢卷やろうの頭をぽかりと殴つてやらうと思つたが、いかんせん背丈が足らないので赤鉢卷やろうに「何してるんだい」と笑はれる始末。
恥づかしいので、さつさと吸入器の材料はないか聽かうと思ひ、これこれこいう云ふものはないかと尋ねたら、あるから後で屆けると云つた。
私の部屋は分かるかと問うたら、アルヘルワのとこだらう、わかるとの事だつたので、それぢや頼むと云つてその場を去つた。
歸る前に耐熱グローブとおぼしきものと小瓶とを持つて歸つた。
部屋に戻つたら、アルに借りた藥草圖鑑で前世で見た喘息に效くと云ふ代物に含まれてゐた物に似たものは無いかなどと探してゐたら、丁度アンの部屋のたくさんある花の一つに其れを見つけたのでひとつ貰つていつた。
藥草をランプと小瓶を使つて茹でて煎じてゐると、件の肉附きの良い兄ちやんが眞鍮製のパイプと銅製の板をいくつか持つて來た。
眞鍮は赤鉢卷がくすねて來た物なので數がないが、妹を治してくれるならと云つてゐた。
私は氣になつて、妹とは誰かと問うたら、サウサンのことだつたらしい。
なるほど、彼が件の兄か。
名前を聞けばサタハフと云ふらしい。
君も大變だらうと云つてやつたら妹の爲ならと云つてゐた。
なるほど此處にも妹思ひの兄さんがゐるものである。
正直云つて、失敗するかもしれないぞと云つたが、それでも手を盡くしてくれるのは感謝してもしきれないとの事だつた。
拔け出してきたので直ぐに戻らなくてはとのことだつたので、お禮を言つて見送つた。
アルは今、件のサウサンの樣子を診た後、いくつか患者を診て囘つてゐるさうだ。
パイプやら鐵の板やらを組み合はせて吸入器をつくつてやつた。
持つてきてもらつた時點で既に言つた通りの長さや穴が開けられてゐたので助かつた。
部屋で寢てゐたアンを起こしにいつた。
いいものをやろうと云つて吸入器(こいつが結構重いのだ)を机の上にほひた。
「これはだな、吸入器と云つて、この噴霧管をはづして、釜の口にこの漏斗と呼ばれるものを使つて水を入れる。
下に於てあるアルコールランプに火をつけて暫し待たう」
使ひ方を、蒸氣が收まつたらタオルなどで前を覆つて云々、霧口から十センチほど離れて云々、この小瓶に煎じた藥草を入れて、藥液ビンの藥がなくなるまでゆつくり吸ひ込むんだ。
などと説明して、此れを一箇月もやればよくなるだらう。
私からのただ飯のお禮だ」と云つて置いた。
最初は戸惑つてゐたが、蒸氣を吸ひ込むのに快感を覺えたのか氣持ちよささうにしてゐた。
暫くアンと話をしてゐたら、アルが歸つてきた。
歸つてくるなり、鍛冶區の件で噂にになつてゐると言つてきた。
何故あんなことをしたのかと問ひ詰められ、アンにも理由は何かと問はれたので、
「たとへばー人間の勞働があらゆる富の源泉であり、資本家ーつまり言ふところの魔術師は、勞働力を買ひ入れて勞働者を働かせ、新たな價値の附加された商品を販賣することによつて利益をあげ、資本を吸收する。
資本家の際限の無い、競爭は生産を破綻させ、勞働者は生活が困窮する。
他人との團結の仕方を學び、組織的な行動ができるやうになると、やがて革命を起こして、貴族重商主義、奴隸經濟主義を顛覆させる。さう云ふことだ。」
と答へておいた。
アルは口をへの字にして納得いかないやうすだつたが、アンは瞳を輝かせ、しきりに凄いです!すごいです!とかなんとか云つてゐた。
それにしてもアルにも「魔術師と喧嘩云々」と云ふ工合に聞かれたので、アルめの頭をぽかりと殴つた。
つもりであつたが、己の背丈の低い事を忘れてゐたので、拳は見當違ひの所を飛んで云つた。
アンに何をしてゐるのかと笑はれた。
背丈の低いのがこんな所で裏目に出たのである。
まだ前世の感覺で振るつてゐたので、こいつは早くこの背丈にもつと慣れねばと思つた。
そんなこんなで食事の後アルに吸入器を見せて、アンの喘息もこれで幾分か和らぐだらうと云つてやつたら、への字から滿面の笑顏になつた。面白い奴だ。
食事の後、またもやアンに部屋へ誘はれたので、貨幣の資本への轉化に就いて話をしてやつた。
昨夜のやうに氣がついたら朝だつた、と云ふことをすると、アルがうるさいので適當な時間で一つ區切りを置いて、今日はここまでとした。
アンはもつと聞きたがつてゐたが、體が着いていかないのかベットにねつころぶなりすぐに寢息を立ててしまつた。可愛いなと思ひながら暫く髮を撫でて遊んでゐた。
*
二日か三日後くらゐに爆發事故と云ふことで鍛冶區へ向かつた。
アンはまたしてもお留守番である。
おそらく喘息だつたやうで、私お手製の吸入器によりちよいと樂になつてきてゐるやうだが、アルはまだまだ安靜にして貰ひたいやうだ。
なのでアルと鍛冶區の前まで行つた。
道中やたらと挨拶された。
さて到着してみるとなるほど坑道からもくもくと煙が上がつてゐる。
おほかた爆藥の量を誤つたか粉塵爆發だらう。
さういへば黒色火藥は發見されてゐるらしい。
しかし、魔術師は爆藥など使はぬとも爆破できるので、主に勞働者によつて鍛冶區やらで使はれてゐる。
聞けば火繩銃らしきものがあるとかも耳にしたが本當かどうかは知らぬ。
さて、これは生存者は少ないなと思ひながら、鍛冶區のまとめ役のやうな男に何があつたか話を聞く。
この男、中年の樣な感じがするが、鐵兜を被りいつもゴーグルをしてゐるので人相が分からぬ。
赤髮が冑とゴーグルの間からちらちらと見えるくらゐである。
だが、氣さくな奴のやうだ。
そしてべらんめえ調である。
こんちくしようめまた坑道で爆發が起こりやがつた魔術師が魔法でもつかつてゐるぢやあないかと云ふのでまあ落ち着けと話を聞く。
どうやら聞いた話しによると粉塵爆發の樣な氣がした。
「氣がした」といふのは私の付け焼き場の智識で判斷したからである。
何はともあれ、負傷者を診てやらねばならぬ。
いざ坑道へ飛び込まうとしたら、鐵兜に危險なので若いモンを行かせて運んでくるから待つてゐて呉れればよいと云はれた。
横に居たアルの顏を見上げたら、どうやら毎囘このやうにしてゐるらしい、此處で待つてゐると云ふ風だつた。
私はその態度に腹が立つて、
之で醫者が務まるかい。
男なら危險な所に飛び込んででも助けたらどうだ。
女みたいに怖がつて後ろに下がりやがつて。
と云ひ放ち、坑道に突貫しようとしたら、アルはぎやあぎやあ喧しく騒いで私を止めてきた。
この臆病者め。
赤軍を組織したら最前列に立たせてやろう。
なよなよした根性を叩きのめしてくれる。
「君はそこで待つてゐると良い。私は行くよ」
「待ってくれ。危険だ。素人が行くんじゃない」
「何が危險だ。素人もクソもあるかい。男だつたら眞つ先に飛び込むくらゐの意氣込みが欲しいね」
などと云つてゐる間に、この間の赤鉢卷をはじめ、體格の良い兄ちやん達が怪我人を運んできた。
擔がれてゐる者の中には腸が飛び出してゐる者も居る。
それみたことか無理に動かすから餘計に重傷になつたぢやないかと思ひながら手當てしてやつた。
處置が終はつたら太陽は西の方で朱く輝いてゐた。
夕暮れである。
腕や足を鋸で切斷された者の呻き聲を餘所に鍛冶區のまとめ役らしき鐵兜に談判を開いた。
粉塵爆發の對策はしてゐるかと問うたら、そもそも粉塵何たらとは何だ、と返つてきたので適當な工合に説明してやつた。
取り敢へず坑道をもつと廣くした方が良いと云ふことで決着した。
その間、アルは呻き聲を上げる者に酒を飮ませてゐた。
鉄兜は私に「お嬢ちゃんは博識だね。それでいて何だか男勝りな口だね」などと云ふので「失敬な、何處が男勝りか」と問うた。
「此間の魔術師の一件もそうだけど、漢らしいってんだよ」
と云つて來た。
確かに中身は男であるのだが、外見は女である。
そして小柄で可憐な少女である。
できれば大和撫子のやうに振舞ひたいのである。
「鐵兜のおじちやん、ひどい」
と、うるうると泣いた振りをしてうづくまつてやつた。
私がさかんに泣くので赤鉢卷も怪我人も周りの者も私を見た後、鐵兜を見る。
そして鐵兜に悲しい視線が送られる。
鉄兜は狼狽して、「ごめんごめん、わあーった。金属なら好きな物作ってやる。それで勘弁してくれ。」
と云ふので、私はぐずぐずと泣きながら、それなら日本刀作つて呉れと云つた。
日本刀とは何だと問ふので、字は讀めるさうなので適當な紙にスケッチと製法を書いて渡した。
「なんでい剣か。労働者が持ったらいけないんだぞ」と云いつゝも、作って呉れるさうだ。
どこまで日本刀になるのか判らぬが、どうやらこの鐵兜、何本も武器を作つてゐるらしい。
似非日本刀位にはなるだらう。期待しておかう。
有難うと云つたら、何、感謝するのはこつちだと云つてゐた。
話のわかる良いやつだ。
歸りの道中、アルに聞いたら、あの鐵兜は奴隸區内のならず者に武器を提供する惡い奴だと云ふ。
なんだそんなけしからん奴だつたのかと思つたが、堂々としてゐるのは良い。
多分鐵兜に面と向かつて、君はならず者に武器を渡す惡い奴だ。と云つても堂々と、さうだ、と云ふだらう。
私は惡くてもその惡い事を分かつて居て、指摘しても誤魔化さない奴は好きだ。
とは云へ、襃めるつもりはなく、大義はあるかと問うて、無いやうであれば斬り捨ててくれようが。
その大義が私の思ふところと一致する所があれば、何もとがめない。
鍛冶區から居住區へ行くのには工藝區の前を通るのが近道である。
なので二人して今は工藝區を歩いてゐる。
黄昏時にも關らず、各建物からは、布を縫ひ、ろくろを囘し、窯に粘土で作つた器を詰めてゐる姿が見える。
すると何やら作業をしてゐる子供の姿を見たが、子供の前に跪いてゐる女性が居た。
何をしてゐるのかと横切る際にちらと見た。
どうやら子供が立つて機織機を動かしてゐるが、その子供に女性が飯を食はせてゐた。
何も機織機を動かしながら食はせないでも、飯ぐらゐ坐つて食へばよからうと思ひ彼女らにさう云つたら、何を云つてゐるのかと云ふ目で見られた。
ああ、さうか考へが足らなかつた。
彼らは此處から「動けない」のだ。
するとどこからか叫び聲が聞こえた。
「暴動だ!反乱だ!」
止さうとしきりに云ふアルの手を引つ張つて叫び聲のする方へ行く。
何人かが揉めてゐた。
鉈や鎌を持つた男が六人ほど。
對して魔術師と思しき青地に赤の裝飾のあるローブを羽織つた男が二人。
鎌を持つ男は云ふ。「俺とお前らは同じ人間だろう。」
魔術師が云ふ。「いや、違う。お前は奴隷で我々は貴族である。」
鉈を持つ男が叫ぶ。 「何だと!」
燕尾服の樣な青色の服を着たタイツの髭親父が出てきて云つた。「お前達奴隷は労働力が唯一の収入源だ。だがしかしその労働力は我々が買わねば価値は生まれぬ。いわば我々のおかげで生きている意味ができるという事に感謝して貰いたいものだな」
周りの勞働者達は作業をしつつも横目でしきりにその樣子を眺める。
あるものは手を止めて見つめる者もゐた。
「だが、俺達が労働者でお前らが貴族である理由は何だ?働かなくても良い理由は何だ?」
「単純明快、魔法が使えるからだ」
「違う。金があるからだ。金さえあれば俺らがお前達を従える階級になるだろう!」
「何を!確かに我々は金がある。それは事実だ。だが、お前達が金を得る術は何だ?体を売るのだろう。現にお前の妻もまさに今、どこぞの魔術師に文字通り体を売っているかもな」
武裝した六人の勞働者は云ふ。 「ヒットレルなる少女は云った。この街に居る八万の労働者よ団結せよと!皆!いまこそ決起せよ!自由な社会をつくろうではないか。魔術師におびえ、飯すら食う時間もない生活に耐えられるか!自由な社会を作るのだ!皆が団結すれば魔術師など敵ではない!」
――愚か者め
あいつらは心意氣は立派だが莫迦だ。
革命には階級社會の打倒をめざし勞働者階級を先導する指導的な「前衞黨」が必要である。
指導者なしに武裝蜂起など、決起などできるか。
あわよくば今は熱氣に押され、決起できたとしよう。
しかし、其れは長くは續かぬ。
すぐに鎭圧されよう。
私があの時、演説かまして鬪爭をしたのは啓蒙と煽動のためだ。
あの時決起などしても成功は無い。
だから「団結せよ」と云つたのだ。まだ「決起せよ」とは云つてをらぬ。
そもそもこの勞働者の云ふのは唯の無政府主義ではないか。
アナーキストめ、勘違ひして私の名前を使ふなど、とんだ阿呆の阿呆介だ。
やはり革命は智識層が先導せねばならないなと思つた。
字も讀めない者が先導しても無理だ。
智識層をどう啓蒙するのかが問題だ。
「何をなすべきか?」やら「資本論」でも執筆してみようかしらと思ふ。
六人の勞働者に加勢する者は居なかつた。
當然だらう。彼らが指導者になりうるわけが無い。
六人の勞働者は、魔術師が何やら口ずさんだ後、火の玉やら、電撃やらが四方から飛んで行つて死んだ。
私は其れを見た後、アルに「歸らう」と云つて歸つた。
その晩の食事は芋であつた。
飯が不味ひ。
その日の夜はアンに夕方の話と「勞働者の自然成長的な經濟鬪爭はそれ自體としてはブルジョア・イデオロギーを超えない。社會主義意識はプロレタリアートの階級鬪爭のなかへ外部から持ち込まれるものであつて、階級鬪爭のなかから自然發生的に生まれて來るものではない」
と教へてやつた。
彼女は「わかってます」と云い、「わたしもヒットレルさんに教えられるだけじゃなくて、自分で勉強して考えてもみるんですよ。」
「階級社会の打倒をめざし、労働者階級を先導する指導的な革命政府なしに革命は成功しないです。だからヒットレルさんが見た夕方の労働者は脳が無いです。」
と胸を張つてゐた。
彼女は良い子だ。
私が「革命の目的は何だ」と問うたら
「貴族階級、ブルジョア階級、労働者階級……凡ての階級と云う概念の打倒です」と答えた。
餘剩價値についても教へてやつて居ないのに大した物だ。
頭を撫でてやつたら嬉しさうにしてゐた。
彼女が私の胸の中で抱かれた。
背丈は微妙に私のはうが小さいので違和感が在つたが、私も仕合せな心持だつた。