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先生  作者: 鈴虫
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16/20

第四話 せゝらぎ

此處(ここ)は夢の中であらうか。

昨夜三人で飯を食つた後、寢たのだが。

主はわからぬが聲が聞こえる。


――驚き覺えたることならむ。(驚いている事であろう)

貴樣の好ましくするに良し。 (貴様の好きにすると良い)

此の地にて靜かに明かし暮らしても良し。 (この地にて静かに過ごしても良い))

惡行の限り盡くし、此の世が灼熱地獄へと落とさんや良し。 (悪行の限りを尽くしてこの世を灼熱地獄に落としても良い)


此處なるは國産みて忘り去なれき奇形兒也。(此処は国産みによって生まれた奇形児)

何人も目向かれけれどらなかりき、水へ流されき忌み嫌はれし子なり。 (誰も目を向けない水へ流された忌み嫌われし子)


貴樣は國育てき。ゆゑに此處へ連れて來き。(貴様は我が国を育てた)

水に流されども生き永らゑ、耐へがたき苦痛の時ば生くる此の子に掛けそ樂なりてきるやもしられず。(水に流されても生きながらえた耐えがたき苦痛の時を生きるこの子も貴様なら楽に出来るかも知れぬ)


此は本來、餘により解決せしめるべきことなり。(之は本来余によって解決する問題である)

ゆゑに、絶對にして呉とは言はず。 (故に、絶対にして呉とは云わない))

我子育てゝくれし禮なるに思ひ、好ましく來世生け。 (わが子を育ててくれた例だと思い、隙に来世を生きよ)



此れはカイゼル髭の聲だらうか。



私は目を()ます。

夢だつたのか。

そんなやんごとなきお方だつたとは思はなかつたな。

彼は私に大層なお願ひをしたかつたやうだ。

絶對にして呉とはいはぬとは、して呉れと言ふことか。

まあ、良い。好きに生きよとのたまひ給うたのだ。折角の來世だ。おもひきり樂しませてもらはう。


桶に入つた水で顏を洗ひ、髮を整へる。


前世との背丈の違ひも一夜明ければかなり慣れるものだ。


水面に移る自らの顏を眺める。


色は乳のやうに白く美しい。

髮はみどりの黒髮にて、髮癖もなく綺麗に眞つ直ぐに降りる髮を肩の邊りで切りそろへ、前髮は眉のあたりで切りそろへてある。


目は一重であり目蓋の間から覗く瞳は、うるしのやうに黒き瞳である。


唇は薄い櫻色である。


笑ふと頬のふつくらとするのが可愛らしい。


うむ、今日も可愛いものであると『彼女』を()める。


白裝束を上に着てゐるのもどうかと思ひ、昨夜の食事の後着る物はないかと問うたら、松の木肌色のローブを呉れたので白裝束の上に其れを着込んだ。


下着はアンのを借りた。(アンジュルペナと言ふ名前は長いので、食事中『アン』と呼んだら恥づかしさうにしつゝも特に不快に思つていなささうだつたので、これからはさう呼ぶことにする。)



軍刀はさげようと思つたが、冷靜になつて止めておいた。

昨夜の食事の後、この(けん)とよく分からないもの(南部)は貴女のだらうと返して呉れた。

奴隸が帶劍(たいけん)するのは禁止されてゐると言ふ話だつたが、持つてゐる理由を聞かないで呉れたのは有難かつた。


黒髮は珍しいとの事で面倒ごとを避けるためフードを被り、朝食代にと貰つた金を持ち部屋を出て配食所へ向かつた。


奴隸は皆輕裝で、ローブなど着ないが、醫者(いしゃ)などは簡易治療具を懐に入れておくのと、外傷を防ぐ理由等から着る事もあるらしい。

もつとも、一番の理由は醫者であると言ふ事を一目で分からせる事で監視員からあらぬ誤解を受けないやうにすること、醫者であることは奴隸達の仲でも稀少な存在らしいので、先に醫者であると言ふことを誇示して他の者とのトラブルを避けることが目的ださうだが。

色が茶色なのは治療の際に附着した血を一々洗つてゐるのは手間なので目立たないやうな色といふことださうだ。


食事は金を使ふ。金は勞働の對價(たいか)として支拂はれる。

但し、金の量はすくないらしい。實際にその勞働の現場を見ないと其れが妥當かどうかは判別できないが。


奴隸達は皆寢泊りはこの場所と同じやうな、石材と木でできた建物ですると言ふことだ。收容棟はアルが擔當してゐる區域(くいき)だけでも124棟ある。

一般には一部屋6人ほどで寢るさうだが、一部の者、丁度アルのやうな醫者は治療等の爲に個室が与へられる。診斷室兼手術室兼私室世言ふことだが、彼は患者が多いといふことで他にも六つほど治療用として部屋の使用を申請してゐるさうだ。

今囘の私に對する厚遇も、必要以上に申請してゐるからださうである。


しかし、これだけの數、少なくともアルが担當する區域の人口は一萬人を超えるはずだが、奴隸の主もこれだけの數の奴隸を管理するのは非常に困難なはずだ。

6人部屋とはいへ、自由な寢牀がある所を見ると、古代ローマの奴隸制度の樣な感じかと考察する。



食事を貰はうと竝んでゐたらやけに視線が飛んできて痛い程であつたので早足で部屋に戻らうと足を飜して部屋へ向かふ。フード越しから見ても可愛いさがわかるのだらうか。困つたさんばかりである。

己の身であるが己の身でないやうな不思議な感覺(かんかく)に陷つた。

ネットゲームで譬へるとネカマといふ奴の感覺であらうか。

てくてくと歩いていくと部屋の前にアンがゐたのでアルを交へて三人で食はうと言ふ事になつた。


窓からさしこむ太陽の光が炻器でできたコップの中に入つた水を照らす。


昨夜は薄暗い中であつたので良くわからなかつたが、アルは赤い髮の短髮で眉毛は中々に濃い。

肌の色は江戸茶色である。

昭和の日本男兒を思はせる。


アンの背丈は150cmほどだらう。

瞳に彼女の猩々緋色の髮が映る。

髮は腰ほどの長さにして、後ろで三つ編みで一つに束ねてゐる。

若干、髮の癖がありウヱヽブがかかつてゐる。

顏は西洋人らしい深さは無く、かと云つて亞細亞人らしい平坦さもなく、

だがどこか日本人らしさもあり、

笑ふと口元に現れる小さな皺が可愛らしい。

彼女の瞳は赤色、紅色と云つて良い。

小さな唇は薄紅梅色である。


朝食で貰つたのが黒パンであつた。

黒パンは硬くて不味ひ。

水につけてふやかしてから食ふのである。

米が食ひたくてしやうがない等と思ひつゝ顎の運動をする。


黒パンを食つてゐたら、アンが如何してこのパンは3オウラ(この國の通貨らしい)もするのかとつぶやいたので、カールマルクス著「資本論」から使用價値と交換價値とを、説明してやつたら、理解したのかどうかは知らぬが何やら納得した樣子であつた。

十二、三歳の少女に理解できたのかは不明である。


おかずの代はりにとアルにこの街について簡單に説明して貰つたが、目の前のアンの顏ばかり見つめてゐたから彼の話は右から耳に入つて左の耳から拔けた。


アルに()いてゐるかと問はれたので聽いてゐなかつたと云つたら困つた顏をしてもう一度説明してくれたが、話の途中にふとアンの方をみると、何やらブスーと頬を膨らませてゐたのでしてゐたので、女子は笑顏が一番であるので笑顏のはうが素敵だと云つてやつた。


なんだか妹が出來たやうである。

どうせなら私の理想の女の子になつてもらひたいものである。

光源氏に許されて私に許されない道理はあるものか。

ついでに言葉は言ノ葉と言つては自らの心を冩すんだ、的なことを話してやつたら、これまた感心した樣子で、どこでそんな智識を得るのかと聞いてきたので、本を讀むことだと云つてやつた。


其れの後にアルの話をせがんだら、彼は落ち込んでゐた。


朝食も食ひ終はつた所でアルが、今日は酷い發熱をしてゐる者が居て、其の子の診察等に行くので着いて來て欲しいとの事であつたので、もちろん快諾した。


アルの指示で鋸やら針、藥草やらアルコールやらを鞄へ詰め込んでゆく。

どのやうな醫學を持つてゐるのか、高を括つて醫學の嗜みがあるとは言つたつたものゝ、近代竝みの技術であつたならどうするか等と思案してゐたが、杞憂だつたやうだ。

道具やらから、ルネサンス期のヨーロッパ及びイスラム圈が少し入つた竝みの醫療技術であることが伺へる。

これならば私でも何とかなりさうだと安堵する。


さうしてアルと共に行くことになつたのだが、アンは留守番らしく、不滿さうにしてゐた。

アル曰く、呼吸に關する病で寢かせておくださうだ。さういへばそこまで酷くは無いが咳をしてゐた氣がする。後で診てやるかと思つた。



外に出てみると、太陽がまぶしい。

ずつと部屋で寢てゐた譯であるから、目が明るさに慣れるまで少し掛かつた。

目が慣れてくると、建物が視界に入つた。


壁を石材で造り、傾斜がついた天井は木でできてゐる。一定の間隔で乾燥させた糞と(ふんとわら)を混ぜ合はせたのを塗られてゐる所がある。

30メートルほどで長い一階建。

建物の脇には横約30センチ幅に石材を敷き詰めた水道と思しき物が掘られてをり、遠くのはうまで水が流れてゐる。それらは汚水のやうだ。

なるほど、公衆衞生には氣を使つてゐるやうだ。

カサブランカが水道に沿つて植ゑられてゐる。


私が花を見てゐたら、

「綺麗で良い匂いの花でしょう?タタラアルバイダという花でね。汚水道ができてから匂いがくさいって言うんで、私らが良い匂いの花を植えたのよ。」

と見知らぬ白髪女が話しかけてきた。

一體誰だらうと思ひ、アルに聞くに、農業區(のうぎょうく)勞働者どれいの「ゼアニ」と云ふさうだ。見た目は二十歳そこそこのグラマアな姉ちやんである。


「あなた、アルのとこに運ばれた黒髪さんでしょう?随分酷い目にあったんだね、男が信じれなくなるかもしれないけど、見たところアルは大丈夫そうね。」

と餘分な同情を受け苦笑しつつも何故私の事を知つてゐるのか聞いた。

「そりゃ、担架でアルのところに血を流しながら運ばれてく女の子がいて、さらには黒髪の別嬪さんっていうんで少なくともこの区はみんな知ってるよ。」

これはフードを被る意味はなささうである。黒髮は珍しいさうなのだからもう少し隱匿して運んでもらひたかつたものだ。

それでグラマア姉ちやんとアルを交へて、これからどうするのかと云ふ話を少しした後、時間だと云ふことで我々の歩む先と反對方向へ歩いていつた。


所で農業區とは何かとアルに問うたら、先ほどの食事で説明したぢやないかと云はれたが聽いてゐないものは聽いてゐないのである。

私が惡いのだが。

聽くに、

「この街は魔術師達の住む市街と我々労働者どれいが住んで働く奴隷区に分けられます。

市街についてはまた今度お話しましょう。

奴隷区は様々な区に分かれています。

我々の住む居住区が五区、

鉄や銅や魔法石を採掘、製鉄し刀剣類や道具に加工するのが鍛冶区、彫金もここで行われます、

農作物や薬草、木材などの生産から酪農、牧畜などを行う農業区、

土器、炻器、陶器などの生産をする工芸区、布などの生産もここで行われます、

その他区を設けるまでも無い中小規模の物を生産をする総合区

に分かれていて、それら奴隷区は長大な城壁で囲まれています。

出入り口は北門と南門と西門のみで、それらは生産したものを運び出したり、監視員が巡回にでたり、新たな奴隷が入ってくるとき以外は開かれません。

ちなみに北門は市街と直通で一番警備が厳しいです。

ただ、鍛冶区の一部と農業区はとても広大なので、城壁でカバーしきれていませんが、街の外には追いはぎやらがウロウロしてるので、運よく脱出してもすぐに殺されます。

なので最近では脱出を企てる人は少ないです。」


などて長い説明をされたので農業區のところだけ摘んで覺えておく。


では此處は居住區と云ふことである。

道は舖裝はされてをらず、歩くたびに土ぼこりが立つ。

歩幅が前世よりも若干小さいので歩くのに一寸ばかり苦勞する。

フードは要らないと思ひ、被らずに歩いてゐたら先々で、おお黒髮だの、可愛いだの、ちつちやひ子だなだのと云はれて、視線もいやなので收容棟(勞働者どれいたちは宿舎とよぶさうだ)を4つ行つた所で被つてやつた。可愛いのも困りものである。ふとアルが殘念さうにした。


一寸間を空けたところでアルが、君は本當に可憐だからそのうち云ひ寄つてくる者があるかもと云ふので、私は君しか見てゐないよと冗談を云つてやつたら、それからもごもごして何も云はなくなつた。春いやつめ。


そんな笑談(じょうだん)を言つてゐたら、目的地に着いたさうで、148號棟の前でとまる。

中に入ると靜かなものだ。皆出拂つてゐるやうだ。


牀の軋む音とブーツのヒールが鳴らす足音とを聞きながら歩くと、件の病人の部屋に着いた。


アルがノックをすると誰何(すいか)が歸つてきた。若い娘の聲であつた。

あれこれで來た何某(なにがし)だと答へるとドアが空いて中に入つた。

すると白髮の強面の髭おやぢがゐた。儚げな少女を期待してゐたら、かう云ふ目に嬉しくないものが飛び込んできたので落膽(らくたん)する。


お孃ちやんが例の黒髮さんかなどと自己紹介もそこそこに髭の話を聞く。

話に聞けば髭の娘さんが三夜ほど熱が下がらないさうだ。

その強面に似合はず小さくなつて泣きさうにしてゐる所を見ると、よほど娘が心配らしい。今日は勞働もすつぽかし、代はりに息子に自分の分までやらせるさうだ。


今更ながらベッドのはうを見ると長い白髮が汗で肌にくつ付いてゐる少女がゐた。中々に整つた顏立ちをしてゐる。

アンもさうだが、この世界の病弱系少女は皆可憐であるな。


白髮少女は此方に首をむけ、 目を細めて云つた。

「あゝ、アルヘルワさん……よろしくお願いします。」

と挨拶した。

一寸のうち、私に氣がついたのか新しいお醫者樣かと聞いてくるのでアルの助手であると答へた。


アルは、では失禮しますと首に手を當て脈をみた。

其の後、白髮少女の心臟の鼓動を聞くためか、服をはだけさせ、胸に耳を當てようとした。


にしても此の子は私の前世と同年代ほどに見える。

同年代の女の子の裸を見るのは初めてであるので自然と緊張して背筋が伸びる。

自分の體も女の子であるが言ふならば其れはネカマのやうな感覺であり、本物の女の子とは云へない。

ついぞ女子を抱くことなく黄泉の國へ行つた身としては何やらコロンブスのやうな氣持ち。


此のままでは刺戟が強いと、アルに一寸待てと言つて木の筒を其の邊で調達して此れで聽いたはうが正確だと云つて渡した。


當初、不思議さうな顏をしたアルと髭と白髮少女であるが、直ぐにアルが此れはすごいと云つて、一同驚歎する。髭も自ら試してみて驚く。

君は何故こんなことを思ひついたのかと云つてゐたので、

なに、科學(化學)のおかげだと云つておいた。


アルは熱を冷ますために氷水の入つた袋を額に乘せておいたらよいとしたが、念の爲私からも少し診させてもらはう。

「ところでお孃さんの名前は何であつたか。」と問うたら

「サウサンって言います。」との事だった。

「良い綺麗な名前だね。では、サウサンさん……?」

サン、さんと來て呼びづらいなと思つてゐたら、

「どうか……サウサンと呼びください」

「ヱえと、では、サウサン。熱のほかに何か變はつた事は無いだらうか。さう、例へば頭痛や間接の痛みや黄色い液を吐いたり、腹痛がする、なんて事はあるだらうか。」

「えっと……お腹が痛いのとさっき……は、吐いちゃいましたです。」

なるほど、少しお腹を觸診するかと思ひ、其の旨をアルに話した。

アルは承諾したが、觸つて痛がつた場合にあの髭が騒ぐといかんので髭に先にあれ此れかう云ふことをしますと傳へた。


みぞおち邊りから下腹部を押してゆくと、右下の腹部を押した際に強く痛がつた。

附け燒刄智識だが此れは盲腸ではないか?

其の旨を話し合ふため、いつたんアルと廊下に出た。髭が心配さうにつぶらな瞳で此方を上目遣ひで見てゐたが、大丈夫ですよとだけ言つて出てきた。


「少し自信が無いのだが、彼女は盲腸ー蟲垂炎かも知れん」

「それは何ですか?」

「む、えと説明するとだな……」


私は教科書どほりの事を説明した。然しよくもまあそんなスラスラと出て來るもんだと自分でも感心した。


「むむ、腹を開くんですか……」

「うむ、澁る理由はわかる。切開時の痛みと、周圍の衞生が保てないから開腹時の菌の侵入が心配なのだらう。」

「何か手が……?」

「ない。痛みは少し心當たりがあるが、衞生に就いては魔法でも使つて周りを覆ふ、殺菌のできた空間が作れればよいのだが」

私は死んだ時分はまだ高校生である。BJ先生のやうな道具も無ければ、流石にそんな智識も經驗も無い。あるのは讀んだ本の中のことだけである。



「體内に入つた金屬片やらを取り除く事はした事があるか。」

「あります。此処じゃしょっちゅうですからね。」

「其のときは切開などはどうしてるか。」

「急を要するので痛みだとか細菌だとかはお構いなしですね。酒を飲ませながら切り口に強い酒をぶっ掛けてやりながらやるしかないですね。」

「流石にあの子に其れは酷かな?」

「ま、まぁ、そう思います。」

「ところで私の腹を縫つたときはどうしたんだい?」

「ぐぬ、え、えっとだね……自分の、だ」

「聞かないでおくよ。まあ殺菌はしやうがない。酒をぶつ掛けよう。」

「痛みはどうすんです?まさか何もせずに斬ったら悶絶しますよ。」

「其れなんだが……なんて云ふか知らないが、アヘンだとかタイマだとかつて聞いた事あるか。」

「アヘン?来たこと無いですね。」

どうやら言葉は通じても、一寸した名稱等は通じないやうだ。カサブランカ=タタラアルバイダの樣に名前はうまく傳はらないやうだ。

ふと、私は繪を描いてみようと思つた。

羊皮紙とペン、インクを鞄の中に入れてきてゐたのでスケッチを描いて見せた。

「うーん、見たことあるような無いような……農業区の連中に聞いてみればわかるかもしれません。ちょいと朝出会ったゼアニに聞いてみましょう。」


と云ふことで今日は一旦引き上げて、農業區やらを囘る乍らゼアニを訪ねるついでに歩きがてら話さうと云ふことに成つた。

歸り間際に髭が土下坐をしてきてアルが大層困つてゐた。

今更だが髭の名前はサシュワルと云ふ事を思ひ出した。


宿舎(收容棟)を出たとき、水のせせらぎの音が聞こえた。

目で見ると汚水其のものだが、目を瞑ると小川のやうな氣がして、心が安らぐ。

意図したのかは分からないが夜寢るときに落ち着くのは此れのおかげか。


目を瞑り、小川のせせらぎの音が體に滲透する。

祖國日本の原風景がまぶたに浮かぶ。

ふと懐かしく思ふ。

あのころには氣がつかなかつた音に今氣づく。


まだほんの僅かな時しか經つてゐないのに、何故だか何年か經つてゐるやうな氣がした。


少し先に歩んでゐたアルが私が水道をみてボーッとしてゐるのに氣がつき、歩みを止めて此方に振り向く。

私の事を呼んでゐた。


我にかへり、謝辭を述べて三歩後ろからついて行つてやつた。

元、男である私が一番望んでゐたシチエイションである。出來れば前世であの子にかうして貰ひ度かつた。

なので自分がさう振舞つて、少しでも滿足感を得る。少し樂しい。



アルを覗くと、其の微妙な距離感の所爲かアルは頬を染めてゐた。











せせらぎや 百合の匂ひに 誘われて












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