嫌われすぎたら好感度255になったので、学園TOP5を攻略します
◇ 第一章 ◇
ある朝、目を覚ましたら世界が変わっていた。
――正確には、変わったのは世界じゃない。俺の目だ。
朝六時四十分。スマホのアラームを止めて、リビングに降りた。母さんが味噌汁を作っている。父さんが新聞を読んでいる。妹のカズサが食パンにジャムを塗っている。
いつも通りの朝の風景。
ただひとつだけ違うのは、家族の頭上に数字が浮かんでいた。
母さん:83
父さん:71
「……なんだ、これ」
小さく呟いた。母さんが振り向く。
「どうしたの、ユウト」
「いや……なんでもない」
味噌汁を飲む。白い湯気の向こうに、母さんの83が揺れている。数字は母さんの頭上三十センチくらいのところに浮いていて、半透明で、よく見ないと気づかないくらいの薄さだ。でも一度見えたら、もう見えないふりはできない。
カズサの44が妙に気になった。
「ユウト兄、こっち見んな。キモい」
「……見てねーよ」
44。なんだろう、この数字。
学校に行くと、数字は全員に見えた。
教室に入った瞬間、三十人分の数字が一斉に目に飛び込んできて、一瞬くらっとした。
目を慣らしながら、ひとりひとりの数字を確認する。
親友のタケシ:65
ヒロキ:48
コウイチ:52
仲のいいやつが高い。そうでもないやつはそこそこ。好感度?なんとなくそんな気がする。
次に女子。
田中さん:22
佐藤さん:15
鈴木さん:28
高橋さん:11
全体的に低い。男子の半分以下だ。
なんで女子だけこんなに低いんだ、と考えて、すぐに答えが出た。
──罰ゲーム。
半年前の文化祭の打ち上げで、罰ゲームとして学園一の美少女・氷室レイナに告白する羽目になった。「好きです、付き合ってください」と言った瞬間のレイナの冷たい目は今でも夢に出る。
当然フラれた。しかも廊下でやったせいで目撃者多数。翌日には学年中に広まっていた。「秋山、罰ゲームでレイナに告白したらしいよ」「マジで? 度胸あるね……っていうか引くわ」
あれ以来、女子からの視線が冷たい。
——やっぱりこの数字、俺に対する好感度だ。
そう考えれば全部辻褄が合う。
確信したのは、幼馴染を見た時だった。
隣の席に座っているアオイ。隣の家に住んでいて、小学校からの付き合い。
アオイ:72
男子の親友タケシ(65)より高い。
「おはよ」
「おう」
「なに見てんの」
「……別に」
72。数字が好感度だとすれば、72はかなり高い。でもアオイは別に俺に特別な態度を取らない。いつも通り、隣の席で日焼け止めを塗って、スマホを確認して、チャイムが鳴る三十秒前に教科書を出す。
72。ふーん。
翌朝、変化に気づいた。
母さん:82(昨日83)
父さん:72(昨日71)
カズサ:43(昨日44)
全員、微妙に変わっている。
カズサは昨日、風呂の順番で俺と揉めたから1下がったのかもしれない。父さんは昨日、俺とキャッチボールしたから1上がった。
学校で確認すると、タケシが66に上がっていた。昨日の昼休みに一緒にゲームの話で盛り上がったからか。
つまり——日中の出来事が、翌朝の数値に反映される。
リアルタイムじゃない。一日一回、寝てる間にリセットされて、朝起きたら最新の値が表示される。
ログボのリセットみたいだ。
◇ 第二章 ◇
好感度が見えるようになって一週間。
新しい発見はあったが、使い道は特にない。数字を見ても、何もできないからだ。好感度が高い相手に話しかけると楽だし、低い相手には近づかないようにする——それくらいしか応用がない。
氷室レイナの好感度は、【3】だった。
ほぼゼロ。学年で最低値。レイナと廊下ですれ違うたびに、頭上の3が俺を見下ろしてくる。「あんたなんか眼中にないわ」という宣言みたいな数字だ。
その3が、ゼロになった日のことだ。
昼休みの学食。混雑するカウンター前で、トレーを持って振り返ったら——レイナがすぐ後ろにいた。
トレーが傾き、味噌汁がレイナのスカートに直撃した。
「うわ、ごめっ——」
「……最悪」
レイナの目が、絶対零度になった。
学食中の視線が集まる。「秋山くんまたやった」「前の告白のやつじゃん」「ストーカーじゃないの」
慌ててハンカチを差し出した。
「触らないで」
じゃあせめて弁償を。
「クリーニング代、払います」
「お金でどうにかなると思ってるの?」
完璧な悪循環。
放課後にはもう、レイナと目すら合わなくなった。
翌朝。
いつものように数字を確認しながら学校に向かう。教室に入って、レイナの頭を見た。
ゼロになってるだろうな。
いや——
ゼロじゃなかった。
【255】
「……は?」
思わず声が出た。タケシが横から覗き込む。
「どした? 寝ぼけてんの?」
「いや……なんでもない」
255。
昨日まで3だった。さらに下がって0のはずだ。なのに255。
「……255」
口の中で転がす。
255。ゲームで見覚えのある数字だ。
昔のゲームのステータス上限。255。8ビットの最大値。
つまり好感度が0を割って——理論上MAX値の255になったのか?
英語の授業中、ちらりとレイナを見た。
信じられない光景だった。
レイナが、こっちを見ていた。
目が合った瞬間、レイナは慌てて前を向いた。耳が赤い。鏡餅みたいに白い肌が、耳の先だけ桜色に染まっている。
休み時間。レイナが自分の席でノートを整理している横を通りかかった時、小さな声が聞こえた。
「……昨日のハンカチ、洗って返すから」
渡してない。「触らないで」って払い除けたはずだ。
好感度255のレイナには、昨日の記憶が書き換わっているらしい。
255。好感度MAX。
嫌われすぎて、反転した。
俺の頭の中で、回路が繋がり始める。
この世界の好感度は0〜255。昔のゲームと同じ8ビット管理。
下に突き抜ければ、上限に巻き戻る。
◇ 第三章 ◇
255に反転したレイナは凄かった。
弁当を二つ作ってくる(「作りすぎただけ」と言い張る)。
放課後、下駄箱で偶然を装って待っている。
交換もしてないメッセが届く。しかも、返事が異常に速い(既読1秒)。
レイナは元々クールな性格だから、好感度255でもデレ方が不器用で、むしろそれが可愛かった。
最高の一日だった。
——翌朝。
レイナの頭上の数字。
【3】
「……は?」
昨日まで255だったのに、3。元に戻ってる。
レイナの態度も元通りだ。目を合わせない。弁当なんか影もない。まるで昨日の一日がなかったかのように。
何が起きた?
考えろ。255の状態で、レイナは俺に対してめちゃくちゃ好意的だった。弁当作って、メッセ即レスして、放課後待ってた。あれだけ好意を向けられたら、好感度はさらに上がるだろう。
255から、さらに上がる。
256。イコール0。
255を超えたら、0に戻る。オーバーフロー。
アンダーフローと逆だ。下に突き抜けたら255に跳ぶ。上に溢れたら0に落ちる。
つまり255は「最強」じゃなくて「限界」だったのか。
全てのルールが繋がった。
0を下回れば、255に反転する。
255を超えれば、0に墜落する。
好感度には上限も下限もない——ただし、溢れたら消える。
なら、255で維持する方法はないのか?
ある。好感度を上げすぎなければいい。
つまり——ちょっとだけ嫌われればいい。
レイナをもう一度アンダーフローさせるのは簡単だった。好感度3からさらに嫌われれば0を割る。学食で軽くぶつかったら翌日0→255に戻った。
問題はここからだ。
255のまま放置すればまたオーバーフローする。だから好感度を「下げて」安定させなければならない。
わざとメッセの返事を遅らせてみた。
翌日:251。下がった。いい感じだ。
次の日、他の女子と話しているところをさりげなく見せた。
翌日:255。
上がってる。
「忙しいのに返事くれたんだ。嬉しい」
「他の子にも優しいんだね。そういうとこ、好き」
好感度が高すぎると、嫌われる行動すら好意的に解釈される。ムカツク行為を「ツンデレ」に変換される。
まずい。このままだとまたオーバーフローする。
もっと直接的に嫌われないとダメだ。
レイナの消しゴムをわざと借りて返さなかった。翌日:248。いいぞ。
次の日、レイナが話しかけてきたのにスマホを見ながら適当に返事した。翌日:240。
コツがわかってきた。「ちょっとだけ」嫌われる。消しゴム返さない、プリント渡し忘れる、テキトーに返事をする。小さな失礼の積み重ね。
一週間の試行錯誤を経て、レイナの好感度は230で安定した。
230。「すごく好き」の領域。弁当は二日に一回くらい。放課後は待ってるけど「まあ来なくてもいいけど」という温度感。ちょうどいい。
俺はノートに記録した。
ルール整理:
・安全圏は200〜230。好かれてるけどオーバーフローしない。
・255付近は危険。翌日に溢れる可能性がある。
・上げすぎたら微調整。下げすぎたら戻す。
このシステムは攻略できる。
◇ 第四章◇
目標を決めた。
学園TOP5。
男子の間でひっそりと語り継がれる、学年の五大美少女。
① 氷室レイナ(お嬢様系クール美人)好感度:230 ← オーバーフロー済
② 桐生ミサキ(委員長・才女)好感度:18
③ 天野リン(バスケ部エース)好感度:25
④ 白川ヒナ(図書委員・読書少女)好感度:12
⑤ 月城ルナ(転校生・天然系)好感度:50
全員落として、この学園でハーレムを築く。
……我ながら完璧な計画だと思う。でも好感度が数字で見えるようになった以上、使わない手はない。
まず攻略ノートを作った。
攻略方法:
→ まず嫌われて好感度を0以下にする
→ アンダーフローで255に反転させる
→ そこから適度に「ちょい嫌われ」で数値を下げて安全圏に収める
→ 230で安定させれば最高のハーレムライフをキープできる
下げる方法:
→ 消しゴム借りて返さない
→ プリント渡し忘れる
→ テキトーに返事をする
あくまで微調整。
ミサキ。好感度18。真面目な委員長。
ミサキは正義感が強いので、「嫌われる」のハードルが低い。掃除をサボったら一発で10下がった。プリントを配る順番を間違えたら5下がった。一週間で0を割り、255に反転。
ただ問題は反転後だ。ミサキは真面目だから、好感度の上昇速度が速い。一度「いい人」と認識すると、どんどん数値が上がる。油断するとすぐオーバーフローをしてしまう。
「秋山くん、今日の日直の記録、すごく丁寧ですね」
「あ、ありがとう」
「ふふ、意外。もっと雑な人だと思ってました」
翌朝の好感度が15も上がっていた。まずい。
慌てて翌日、わざとミサキの消しゴムを借りたまま忘れた。好感度が6下がった。セーフ。
三人目、リン。バスケ部のエース。好感度25。
サバサバした性格で、感情の振れ幅がでかい。体育の時間にバスケの試合でわざとボール回さなかったら一発で15下がった。逆に、試合後に「ナイスシュートだったな」と声をかけたら翌日10上がった。
振れ幅がでかいということはオーバーフローのリスクも高い。1日で+30とか動くから、管理が難しい。
四人目、ヒナ。図書委員。好感度12。存在感が薄すぎて、名前を呼ぶだけで好感度が動く。
「白川さん」
「……はい」
翌日:好感度14。名前を呼んだだけで2上がった。
ただし感情変動が小さすぎて、0に落とすのに時間がかかった。嫌われようとしても「別に……」で流される。根気よくマイナスイベントを積み重ねて二週間かけてようやく0を突破。
そして五人目。ルナ。
初期好感度50。転校生だから罰ゲーム告白の噂を知らないのか、偏見なしのフラットな数値。
こいつが、唯一の攻略失敗だった。
嫌われようとして、わざとルナの椅子を引いた(古典的すぎるが他に手段がなかった)。
「あ」
「ごめん」
「ふーん。大丈夫」
翌日:好感度49。1しか下がってない。
次の日、ルナの筆箱を間違えて持っていった(ように見せかけた)。
「月城さん、ごめん。これ間違えて持ってった」
「あ、うん。ありがと」
翌日:好感度50。戻った。
その後も試したが、何をやっても±1〜2の範囲でしか動かない。50→48→49→50→51→50。永遠にフラット。
こいつ、鈍感にもほどがある。
感情の起伏がなさすぎて、好感度という数値のシステム自体が機能していない。
「……こいつは無理だ。パス」
結果、攻略対象は4人に絞られた。レイナ、ミサキ、リン、ヒナ。
全員のアンダーフローに成功し、255から安全圏の200程度に下ろすまでに約一ヶ月。
毎朝ノートに4人の好感度を記録する生活が始まった。
◇ 第五章◇
4人同時管理は、地獄だった。
まず、連鎖反応が起きる。
ある日の昼休み。ミサキの好感度が248に達していたから、わざと素っ気ない態度を取った。
「あ、ミサキ。今忙しいから後でいい?」
「……そう。わかりました」
よし、これで明日は240くらいに下がるはず。
と思ったら、その場面をリンが見ていた。俺がミサキに冷たくしたのが「他の女に興味ない→自分に集中してる」と解釈されたらしく、翌日リンの好感度が12も上がって253になっていた。
慌ててリンの好感度を下げようと、体育の授業でわざとリンにパスを出さなかった。
「おい秋山! なんで今の出さねーんだよ!」
「ごめん、見えなかった」
「嘘つけ! 目が合ったろ!」
翌日:リンの好感度は240に下がった。セーフ。
と思ったら、その喧嘩を見ていたヒナの好感度が6上がっていた。「秋山くんってリンちゃん相手でも引かないんだ……」と思われたらしい。
モグラ叩きだ。一人を叩くと別の一人が上がる。
攻略を始めて二ヶ月。秋が深まり、学園祭が近づいてきた。
4人の好感度はこうだ。
レイナ:218
ミサキ:225
リン:210
ヒナ:232
全員200代。ハーレム状態な上に安全圏。
完璧だ。
――のはずだった。
◇ 第六章◇
秋の学園祭。三日間の最終日の夜。
校庭の中央に組まれた櫓に火が入り、炎が夜空を焦がす。この炎の前で告白すると結ばれる——という学園の伝説。毎年、この夜に何組ものカップルが誕生する。
恥ずかしい伝統だと思っていた。去年までは。
今年は違う。
管理は完璧。ついに今夜、俺のハーレムが完成する。
キャンプファイヤーの炎が最大になったとき、人混みの中から4つの影が近づいてきた。
レイナが右から。
ミサキが左から。
リンが正面から。
ヒナが、少し離れた後ろから。
4人が——全員揃って——俺の前に来た。
火の粉が舞う中、レイナが口を開いた。
「秋山くん。話があるの」
ミサキが続く。
「私も、です」
リンが腕を組んで。
「あたしも」
ヒナは無言で、俯いたまま後ろに立っている。
4人同時。全員がこの夜を選んだ。しかも全員が同じ場所にいる。
心臓が工事現場みたいに騒いでいた。
レイナが一歩前に出た。炎に照らされた横顔が、いつものクールな仮面を外していた。
「秋山くん。……好き。付き合って」
短く、真っ直ぐ。レイナらしい告白だった。
返事をする前に、ミサキが割り込んだ。
「私も……秋山くんのこと、好きです。ずっと言えなくて」
眼鏡の奥の目が潤んでいる。
「ちょっと待てよ! あたしが先だろ!」
リンが前に出る。顔が真っ赤だ。
「あたしも……好き。ばーか」
ヒナだけが何も言わない。俯いたまま、俺の袖をそっと掴んだ。それが答えだった。
4人全員からの告白。好感度200超えなら、こうなるのは計算通りだ。
俺は——全員に「うん」と言った。
レイナが息を吐いた。安心したように、ほんの少しだけ笑った。
ミサキが「よかった……」と眼鏡を押さえて俯いた。泣いている。
リンが「ったりめーだろ!」とガッツポーズして、すぐに恥ずかしそうに手を下ろした。
ヒナが俺の袖をきゅっと握った。何も言わない。でも指先が震えていた。
キャンプファイヤーの炎の前で。伝説通りに。
4人と付き合うことになった。
◇ 第七章 ◇
翌朝。
スマホのアラームで目を覚ます。六時四十分。
体が軽い。昨夜の余韻がまだ残っている。
顔を洗って、リビングに降りた。母さんが味噌汁を作っている。
母さん:82。いつも通り。
学校に着いた。
教室のドアを開ける。いつもの朝。
席に着いて、何気なく前を見る。
レイナの席。
頭上の数字。
【5】
「————」
息が止まった。
5。
昨日は218だったはずだ。
慌てて他の3人を探す。
ミサキ:3
リン:2
ヒナ:1
全員一桁。
嘘だろ。
手が震えて、鞄から攻略ノートを取り出せなかった。
昨夜の告白。全員から「好き」と言われ、全員に「うん」と返した。その瞬間、全員の好感度が一気に天井を突き破った。
4人全員が、同時にオーバーフローした。
255を超えて、0に巻き戻った。
うまくやりすぎた。
好かれすぎた。
全員が告白して、全員に「うん」と言った。その「うん」が、好感度を溢れさせた。
一時間目が始まる。
レイナがすぐ前の席に座っている。いつもの癖で頭上の数字を確認してしまう。5。あの赤い耳も、不器用なデレも、全部消えている。
昼休み。
ミサキが廊下でプリントを配っていた。俺が通りかかっても目を合わせない。
「桐生さん」
「はい? あ、秋山くん。プリントどうぞ」
事務的な声だった。好感度3の声。俺が誰かも覚えてないような声。
放課後。
リンが体育館でシュート練習をしていた。入口から声をかけた。
「天野」
リンが振り向いた。一瞬、何か言いかけて。
「……誰だっけ。ああ、同じクラスの。なんか用?」
好感度2。目が合っても何も起きない。
ヒナは、もっと酷かった。図書室で本を読んでいるヒナに近づいたら、本を閉じて席を立って、図書室から出ていった。好感度1。近づいただけで離れていく。
昨夜。あの手が、俺の袖を握ったのに。
教室に戻ると、ルナが窓際で英単語帳をめくっていた。
ルナ:50
変わらず。あいつだけ何も変わらず。鈍感って最強かもしれない。
俺は席を立てなかった。
攻略ノートを開く。好感度の推移を記録したページが並んでいる。
数字、数字、数字。
レイナ:3→0→255→3→255→……→218→5
ミサキ:18→0→255→……→225→3
リン:25→0→255→……→210→2
ヒナ:12→0→255→……→232→1
きれいな波形を描いて、全部ゼロに収束している。
何やってたんだ、俺は。
数字を追いかけて、数字を操作して、数字に一喜一憂して。
一度でも、数字の向こう側にいる「人間」を見たか?
レイナが弁当を作ってくれた時、美味しいと思ったか? それとも「好感度が上がりすぎないか」を計算していたか?
ミサキが「意外と丁寧ですね」と笑った時、嬉しかったか? それとも「15上がったのはまずい」と焦っていたか?
リンが「ばーか」と肩を叩いた時、照れただろ? でもその直後に「リンの好感度は振れ幅がでかいから管理が」とか考えてた。
ヒナが手を握った時。あの小さな手の温度を、覚えているか?
……覚えてない。
数値を記録することに必死で、感情を記憶していない。
ノートを閉じた。
閉じて、机に突っ伏した。
「なんだよ、これ」
泣いているのか笑っているのか、自分でもわからなかった。
数字がぼやけた。
そのとき、教室のドアが開いた。
「ユウト」
アオイが立っていた。
手に、購買のメロンパンを二つ持って。
「放課後なのにまだ教室にいるし。……また何か変なことして凹んでんの?」
アオイの頭上の数字。
【72】
変わっていない。
昨日も今日も明日も、ずっと72。
レイナの218も、ミサキの225も、リンの210も、ヒナの232も、全部消えた。
アオイの72だけが、最初から一度も変わっていない。
「……なんでお前、ずっと72なんだよ」
「は? 何が72?」
「……いや。なんでもない」
アオイがメロンパンを投げてよこした。反射的にキャッチする。
「とりあえず食え。腹減ると思考がネガティブになるって、カズサが言ってた」
「あいつ何歳だよ」
「中一にしちゃ大人だよね」
メロンパンをかじった。甘かった。それだけだった。
でもその「それだけ」が、255の弁当よりずっとまともな味がした。
◇ 第八章 ◇
キャンプファイヤーの夜から三日が経った。
4人の好感度は一桁のまま微動だにしない。話しかければ多少は上がるだろうが、もう数値を操作する気は起きなかった。
俺は数字を見るのをやめようとした。
でも無理だった。見えてしまう。人の頭上に浮かぶ数字が、勝手に目に入る。意識して視線を逸らしても、視界の端で揺れている。
ただ、ひとつだけ。
アオイの72は見ても平気だった。
あの数字だけは安心する。変わらないから。操作していないから。バグが起きないから。
72は「好き」の領域じゃない。「嫌い」でもない。
友達以上、恋愛未満——というのとも違う。
幼馴染として、隣の家の子として、毎朝一緒に登校して毎日一緒に帰っていた関係が、自然に積み上がった数値。
意図も計算も裏技もない、ただの72。
255に比べたらずっと低い。
金曜日の放課後。
下駄箱にアオイがいた。
スマホを見ながらスニーカーを履き替えている。俺に気づいて顔を上げた。
「あ。……一緒に帰る?」
「……いいの?」
「は? 前はいつも一緒に帰ってたじゃん」
そうだった。
数字が見えるようになる前は、毎日アオイと帰っていた。
攻略に夢中になって、「放課後は用事がある」と言い続けて、いつの間にか一人で帰るようになっていた。アオイを置いて。
「前は」、と過去形で言われたことが、胸に引っかかった。
「……そうだったな」
「何、改まって。キモい」
「お前すぐキモいって言うな」
「キモいことするから」
二人で校門を出た。
いつもの帰り道。商店街の角を曲がって、コンビニの前を通って、住宅街に入る。
「コンビニ寄る?」
「いい。腹減ってない」
「あ、そ」
特別な会話は何もなかった。
今日寒いな。明日テストだっけ。カズサが最近生意気だ。
タケシが彼女できたらしい。マジで。あいつ65のくせに。
……65ってなんだよ。
またやってる。数字で考えてる。
頭を振って、アオイの横顔を見た。数字は見ない。
西日が射している。アオイの髪が少しだけオレンジに光っている。
こういう瞬間を、俺は二ヶ月間ずっと見逃していたのか。
「なに見てんの」
「別に」
「なんか最近のユウト、前のユウトに戻った感じ」
「前の?」
「なんか夏頃からずっと変だったじゃん。きょろきょろして、ノートにぶつぶつ書いて、急にモテ始めたと思ったら急にフラれて」
「……全部バレてたんだな」
「隣の席だし」
アオイが笑った。
「でもまあ、今日のユウトは普通。普通が一番いいよ」
家に着いた。隣同士の玄関。
「じゃあね」
「おう」
「また月曜」
「ああ」
それだけだった。
手も握らない。告白もしない。「好きだ」とも言わない。
ただ一緒に帰っただけ。
翌朝。
土曜日。目が覚めて、天井を見た。
もう数字を見る必要はない。見たくない。
でも体がいつものクセで動いてしまう。窓を開けて、外を見る。
隣の家のドアが開いた。
アオイがゴミ袋を持って出てきた。土曜の朝のゴミ出し。
寝癖のついた髪。だぼだぼのパーカー。サンダル。
頭上の数字。
【73】
呼吸が止まった。
73。
昨日まで、ずっと72だった。数字が見えるようになってから一度も動かなかった72。
1、上がっている。
一緒に帰っただけ。たったそれだけで。
255じゃない。100でもない。
72から73へ。たったの1。
でもその1は、アンダーフローで得た255とは違う。
操作していない。バグを使っていない。「嫌われる」ことも「計画的に好かれる」こともしていない。
ただ一緒に帰っただけの、たった1。
本物の1だ。
アオイがゴミ捨て場に歩いていく。こっちに気づいて、軽く手を上げた。
「あ、ユウト。おはよ。……なに窓から見てんの。キモい」
俺は笑った。泣きそうだったけど、笑った。
「おう。おはよ」
255は消えた。
操作した数字は、全部消えた。
でも操作しなかった72が、73になった。
たった1だけ。
それがどれだけのことか、俺はようやくわかった。
(了)




