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嫌われすぎたら好感度255になったので、学園TOP5を攻略します

作者: 双葉からす
掲載日:2026/02/24

◇ 第一章 ◇


 ある朝、目を覚ましたら世界が変わっていた。


 ――正確には、変わったのは世界じゃない。俺の目だ。


 朝六時四十分。スマホのアラームを止めて、リビングに降りた。母さんが味噌汁を作っている。父さんが新聞を読んでいる。妹のカズサが食パンにジャムを塗っている。


 いつも通りの朝の風景。


 ただひとつだけ違うのは、家族の頭上に数字が浮かんでいた。


 母さん:83

 父さん:71


「……なんだ、これ」


 小さく呟いた。母さんが振り向く。


「どうしたの、ユウト」


「いや……なんでもない」


 味噌汁を飲む。白い湯気の向こうに、母さんの83が揺れている。数字は母さんの頭上三十センチくらいのところに浮いていて、半透明で、よく見ないと気づかないくらいの薄さだ。でも一度見えたら、もう見えないふりはできない。


 カズサの44が妙に気になった。


「ユウト兄、こっち見んな。キモい」


「……見てねーよ」


 44。なんだろう、この数字。


 学校に行くと、数字は全員に見えた。


 教室に入った瞬間、三十人分の数字が一斉に目に飛び込んできて、一瞬くらっとした。


 目を慣らしながら、ひとりひとりの数字を確認する。


 親友のタケシ:65

 ヒロキ:48

 コウイチ:52


 仲のいいやつが高い。そうでもないやつはそこそこ。好感度?なんとなくそんな気がする。


 次に女子。


 田中さん:22

 佐藤さん:15

 鈴木さん:28

 高橋さん:11


 全体的に低い。男子の半分以下だ。


 なんで女子だけこんなに低いんだ、と考えて、すぐに答えが出た。


 ──罰ゲーム。


 半年前の文化祭の打ち上げで、罰ゲームとして学園一の美少女・氷室レイナに告白する羽目になった。「好きです、付き合ってください」と言った瞬間のレイナの冷たい目は今でも夢に出る。


 当然フラれた。しかも廊下でやったせいで目撃者多数。翌日には学年中に広まっていた。「秋山、罰ゲームでレイナに告白したらしいよ」「マジで? 度胸あるね……っていうか引くわ」


 あれ以来、女子からの視線が冷たい。


 ——やっぱりこの数字、俺に対する好感度だ。


 そう考えれば全部辻褄が合う。


 確信したのは、幼馴染を見た時だった。


 隣の席に座っているアオイ。隣の家に住んでいて、小学校からの付き合い。


 アオイ:72


 男子の親友タケシ(65)より高い。


「おはよ」


「おう」


「なに見てんの」


「……別に」


 72。数字が好感度だとすれば、72はかなり高い。でもアオイは別に俺に特別な態度を取らない。いつも通り、隣の席で日焼け止めを塗って、スマホを確認して、チャイムが鳴る三十秒前に教科書を出す。


 72。ふーん。


 翌朝、変化に気づいた。


 母さん:82(昨日83)

 父さん:72(昨日71)

 カズサ:43(昨日44)


 全員、微妙に変わっている。


 カズサは昨日、風呂の順番で俺と揉めたから1下がったのかもしれない。父さんは昨日、俺とキャッチボールしたから1上がった。


 学校で確認すると、タケシが66に上がっていた。昨日の昼休みに一緒にゲームの話で盛り上がったからか。


 つまり——日中の出来事が、翌朝の数値に反映される。


 リアルタイムじゃない。一日一回、寝てる間にリセットされて、朝起きたら最新の値が表示される。


 ログボのリセットみたいだ。



     ◇ 第二章 ◇


 好感度が見えるようになって一週間。


 新しい発見はあったが、使い道は特にない。数字を見ても、何もできないからだ。好感度が高い相手に話しかけると楽だし、低い相手には近づかないようにする——それくらいしか応用がない。



 氷室レイナの好感度は、【3】だった。


 ほぼゼロ。学年で最低値。レイナと廊下ですれ違うたびに、頭上の3が俺を見下ろしてくる。「あんたなんか眼中にないわ」という宣言みたいな数字だ。


 その3が、ゼロになった日のことだ。


 昼休みの学食。混雑するカウンター前で、トレーを持って振り返ったら——レイナがすぐ後ろにいた。


 トレーが傾き、味噌汁がレイナのスカートに直撃した。


「うわ、ごめっ——」


「……最悪」


 レイナの目が、絶対零度になった。


 学食中の視線が集まる。「秋山くんまたやった」「前の告白のやつじゃん」「ストーカーじゃないの」


 慌ててハンカチを差し出した。


「触らないで」


 じゃあせめて弁償を。


「クリーニング代、払います」


「お金でどうにかなると思ってるの?」


 完璧な悪循環。


 放課後にはもう、レイナと目すら合わなくなった。


 翌朝。


 いつものように数字を確認しながら学校に向かう。教室に入って、レイナの頭を見た。


 ゼロになってるだろうな。


 いや——


 ゼロじゃなかった。


【255】


「……は?」


 思わず声が出た。タケシが横から覗き込む。


「どした? 寝ぼけてんの?」


「いや……なんでもない」


 255。


 昨日まで3だった。さらに下がって0のはずだ。なのに255。


「……255」


 口の中で転がす。


 255。ゲームで見覚えのある数字だ。


 昔のゲームのステータス上限。255。8ビットの最大値。


 つまり好感度が0を割って——理論上MAX値の255になったのか?



 英語の授業中、ちらりとレイナを見た。


 信じられない光景だった。


 レイナが、こっちを見ていた。


 目が合った瞬間、レイナは慌てて前を向いた。耳が赤い。鏡餅みたいに白い肌が、耳の先だけ桜色に染まっている。


 休み時間。レイナが自分の席でノートを整理している横を通りかかった時、小さな声が聞こえた。


「……昨日のハンカチ、洗って返すから」


 渡してない。「触らないで」って払い除けたはずだ。


 好感度255のレイナには、昨日の記憶が書き換わっているらしい。


 255。好感度MAX。


 嫌われすぎて、反転した。


 俺の頭の中で、回路が繋がり始める。


 この世界の好感度は0〜255。昔のゲームと同じ8ビット管理。


 下に突き抜ければ、上限に巻き戻る。




     ◇ 第三章 ◇


 255に反転したレイナは凄かった。


 弁当を二つ作ってくる(「作りすぎただけ」と言い張る)。

 放課後、下駄箱で偶然を装って待っている。

 交換もしてないメッセが届く。しかも、返事が異常に速い(既読1秒)。


 レイナは元々クールな性格だから、好感度255でもデレ方が不器用で、むしろそれが可愛かった。


 最高の一日だった。


 ——翌朝。


 レイナの頭上の数字。


【3】


「……は?」


 昨日まで255だったのに、3。元に戻ってる。


 レイナの態度も元通りだ。目を合わせない。弁当なんか影もない。まるで昨日の一日がなかったかのように。


 何が起きた?


 考えろ。255の状態で、レイナは俺に対してめちゃくちゃ好意的だった。弁当作って、メッセ即レスして、放課後待ってた。あれだけ好意を向けられたら、好感度はさらに上がるだろう。


 255から、さらに上がる。


 256。イコール0。


 255を超えたら、0に戻る。オーバーフロー。


 アンダーフローと逆だ。下に突き抜けたら255に跳ぶ。上に溢れたら0に落ちる。


 つまり255は「最強」じゃなくて「限界」だったのか。


 全てのルールが繋がった。


 0を下回れば、255に反転する。

 255を超えれば、0に墜落する。

 好感度には上限も下限もない——ただし、溢れたら消える。


 なら、255で維持する方法はないのか?


 ある。好感度を上げすぎなければいい。


 つまり——ちょっとだけ嫌われればいい。


 レイナをもう一度アンダーフローさせるのは簡単だった。好感度3からさらに嫌われれば0を割る。学食で軽くぶつかったら翌日0→255に戻った。


 問題はここからだ。


 255のまま放置すればまたオーバーフローする。だから好感度を「下げて」安定させなければならない。


 わざとメッセの返事を遅らせてみた。


 翌日:251。下がった。いい感じだ。


 次の日、他の女子と話しているところをさりげなく見せた。


 翌日:255。


 上がってる。


「忙しいのに返事くれたんだ。嬉しい」

「他の子にも優しいんだね。そういうとこ、好き」


 好感度が高すぎると、嫌われる行動すら好意的に解釈される。ムカツク行為を「ツンデレ」に変換される。


 まずい。このままだとまたオーバーフローする。


 もっと直接的に嫌われないとダメだ。


 レイナの消しゴムをわざと借りて返さなかった。翌日:248。いいぞ。


 次の日、レイナが話しかけてきたのにスマホを見ながら適当に返事した。翌日:240。


 コツがわかってきた。「ちょっとだけ」嫌われる。消しゴム返さない、プリント渡し忘れる、テキトーに返事をする。小さな失礼の積み重ね。


 一週間の試行錯誤を経て、レイナの好感度は230で安定した。


 230。「すごく好き」の領域。弁当は二日に一回くらい。放課後は待ってるけど「まあ来なくてもいいけど」という温度感。ちょうどいい。


 俺はノートに記録した。


  ルール整理:

  ・安全圏は200〜230。好かれてるけどオーバーフローしない。

  ・255付近は危険。翌日に溢れる可能性がある。

  ・上げすぎたら微調整。下げすぎたら戻す。


 このシステムは攻略できる。



     ◇ 第四章◇


 目標を決めた。


 学園TOP5。


 男子の間でひっそりと語り継がれる、学年の五大美少女。


 ① 氷室レイナ(お嬢様系クール美人)好感度:230 ← オーバーフロー済

 ② 桐生ミサキ(委員長・才女)好感度:18

 ③ 天野リン(バスケ部エース)好感度:25

 ④ 白川ヒナ(図書委員・読書少女)好感度:12

 ⑤ 月城ルナ(転校生・天然系)好感度:50


 全員落として、この学園でハーレムを築く。


 ……我ながら完璧な計画だと思う。でも好感度が数字で見えるようになった以上、使わない手はない。


 まず攻略ノートを作った。


 攻略方法:

 → まず嫌われて好感度を0以下にする

 → アンダーフローで255に反転させる

 → そこから適度に「ちょい嫌われ」で数値を下げて安全圏に収める

 → 230で安定させれば最高のハーレムライフをキープできる


 下げる方法:

 → 消しゴム借りて返さない

 → プリント渡し忘れる

 → テキトーに返事をする

  あくまで微調整。


 ミサキ。好感度18。真面目な委員長。


 ミサキは正義感が強いので、「嫌われる」のハードルが低い。掃除をサボったら一発で10下がった。プリントを配る順番を間違えたら5下がった。一週間で0を割り、255に反転。


 ただ問題は反転後だ。ミサキは真面目だから、好感度の上昇速度が速い。一度「いい人」と認識すると、どんどん数値が上がる。油断するとすぐオーバーフローをしてしまう。


「秋山くん、今日の日直の記録、すごく丁寧ですね」


「あ、ありがとう」


「ふふ、意外。もっと雑な人だと思ってました」


 翌朝の好感度が15も上がっていた。まずい。


 慌てて翌日、わざとミサキの消しゴムを借りたまま忘れた。好感度が6下がった。セーフ。


 三人目、リン。バスケ部のエース。好感度25。


 サバサバした性格で、感情の振れ幅がでかい。体育の時間にバスケの試合でわざとボール回さなかったら一発で15下がった。逆に、試合後に「ナイスシュートだったな」と声をかけたら翌日10上がった。


 振れ幅がでかいということはオーバーフローのリスクも高い。1日で+30とか動くから、管理が難しい。


 四人目、ヒナ。図書委員。好感度12。存在感が薄すぎて、名前を呼ぶだけで好感度が動く。


「白川さん」


「……はい」


 翌日:好感度14。名前を呼んだだけで2上がった。


 ただし感情変動が小さすぎて、0に落とすのに時間がかかった。嫌われようとしても「別に……」で流される。根気よくマイナスイベントを積み重ねて二週間かけてようやく0を突破。


 そして五人目。ルナ。


 初期好感度50。転校生だから罰ゲーム告白の噂を知らないのか、偏見なしのフラットな数値。


 こいつが、唯一の攻略失敗だった。


 嫌われようとして、わざとルナの椅子を引いた(古典的すぎるが他に手段がなかった)。


「あ」


「ごめん」


「ふーん。大丈夫」


 翌日:好感度49。1しか下がってない。


 次の日、ルナの筆箱を間違えて持っていった(ように見せかけた)。


「月城さん、ごめん。これ間違えて持ってった」


「あ、うん。ありがと」


 翌日:好感度50。戻った。


 その後も試したが、何をやっても±1〜2の範囲でしか動かない。50→48→49→50→51→50。永遠にフラット。


 こいつ、鈍感にもほどがある。


 感情の起伏がなさすぎて、好感度という数値のシステム自体が機能していない。


「……こいつは無理だ。パス」


 結果、攻略対象は4人に絞られた。レイナ、ミサキ、リン、ヒナ。


 全員のアンダーフローに成功し、255から安全圏の200程度に下ろすまでに約一ヶ月。


 毎朝ノートに4人の好感度を記録する生活が始まった。



     ◇ 第五章◇


 4人同時管理は、地獄だった。


 まず、連鎖反応が起きる。


 ある日の昼休み。ミサキの好感度が248に達していたから、わざと素っ気ない態度を取った。


「あ、ミサキ。今忙しいから後でいい?」


「……そう。わかりました」


 よし、これで明日は240くらいに下がるはず。


 と思ったら、その場面をリンが見ていた。俺がミサキに冷たくしたのが「他の女に興味ない→自分に集中してる」と解釈されたらしく、翌日リンの好感度が12も上がって253になっていた。


 慌ててリンの好感度を下げようと、体育の授業でわざとリンにパスを出さなかった。


「おい秋山! なんで今の出さねーんだよ!」


「ごめん、見えなかった」


「嘘つけ! 目が合ったろ!」


 翌日:リンの好感度は240に下がった。セーフ。


 と思ったら、その喧嘩を見ていたヒナの好感度が6上がっていた。「秋山くんってリンちゃん相手でも引かないんだ……」と思われたらしい。


 モグラ叩きだ。一人を叩くと別の一人が上がる。


 攻略を始めて二ヶ月。秋が深まり、学園祭が近づいてきた。


 4人の好感度はこうだ。


 レイナ:218

 ミサキ:225

 リン:210

 ヒナ:232


 全員200代。ハーレム状態な上に安全圏。


 完璧だ。


 ――のはずだった。



     ◇ 第六章◇


 秋の学園祭。三日間の最終日の夜。


 校庭の中央に組まれた櫓に火が入り、炎が夜空を焦がす。この炎の前で告白すると結ばれる——という学園の伝説。毎年、この夜に何組ものカップルが誕生する。


 恥ずかしい伝統だと思っていた。去年までは。


 今年は違う。


 管理は完璧。ついに今夜、俺のハーレムが完成する。


 キャンプファイヤーの炎が最大になったとき、人混みの中から4つの影が近づいてきた。


 レイナが右から。

 ミサキが左から。

 リンが正面から。

 ヒナが、少し離れた後ろから。


 4人が——全員揃って——俺の前に来た。


 火の粉が舞う中、レイナが口を開いた。


「秋山くん。話があるの」


 ミサキが続く。


「私も、です」


 リンが腕を組んで。


「あたしも」


 ヒナは無言で、俯いたまま後ろに立っている。


 4人同時。全員がこの夜を選んだ。しかも全員が同じ場所にいる。


 心臓が工事現場みたいに騒いでいた。


 レイナが一歩前に出た。炎に照らされた横顔が、いつものクールな仮面を外していた。


「秋山くん。……好き。付き合って」


 短く、真っ直ぐ。レイナらしい告白だった。


 返事をする前に、ミサキが割り込んだ。


「私も……秋山くんのこと、好きです。ずっと言えなくて」


 眼鏡の奥の目が潤んでいる。


「ちょっと待てよ! あたしが先だろ!」


 リンが前に出る。顔が真っ赤だ。


「あたしも……好き。ばーか」


 ヒナだけが何も言わない。俯いたまま、俺の袖をそっと掴んだ。それが答えだった。


 4人全員からの告白。好感度200超えなら、こうなるのは計算通りだ。


 俺は——全員に「うん」と言った。


 レイナが息を吐いた。安心したように、ほんの少しだけ笑った。


 ミサキが「よかった……」と眼鏡を押さえて俯いた。泣いている。


 リンが「ったりめーだろ!」とガッツポーズして、すぐに恥ずかしそうに手を下ろした。


 ヒナが俺の袖をきゅっと握った。何も言わない。でも指先が震えていた。


 キャンプファイヤーの炎の前で。伝説通りに。


 4人と付き合うことになった。




     ◇ 第七章 ◇


 翌朝。


 スマホのアラームで目を覚ます。六時四十分。


 体が軽い。昨夜の余韻がまだ残っている。


 顔を洗って、リビングに降りた。母さんが味噌汁を作っている。


 母さん:82。いつも通り。


 学校に着いた。


 教室のドアを開ける。いつもの朝。


 席に着いて、何気なく前を見る。


 レイナの席。


 頭上の数字。


【5】


「————」


 息が止まった。


 5。


 昨日は218だったはずだ。


 慌てて他の3人を探す。


 ミサキ:3

 リン:2

 ヒナ:1


 全員一桁。


 嘘だろ。


 手が震えて、鞄から攻略ノートを取り出せなかった。


 昨夜の告白。全員から「好き」と言われ、全員に「うん」と返した。その瞬間、全員の好感度が一気に天井を突き破った。


 4人全員が、同時にオーバーフローした。


 255を超えて、0に巻き戻った。


 うまくやりすぎた。


 好かれすぎた。


 全員が告白して、全員に「うん」と言った。その「うん」が、好感度を溢れさせた。


 一時間目が始まる。


 レイナがすぐ前の席に座っている。いつもの癖で頭上の数字を確認してしまう。5。あの赤い耳も、不器用なデレも、全部消えている。


 昼休み。


 ミサキが廊下でプリントを配っていた。俺が通りかかっても目を合わせない。


「桐生さん」


「はい? あ、秋山くん。プリントどうぞ」


 事務的な声だった。好感度3の声。俺が誰かも覚えてないような声。


 放課後。


 リンが体育館でシュート練習をしていた。入口から声をかけた。


「天野」


 リンが振り向いた。一瞬、何か言いかけて。


「……誰だっけ。ああ、同じクラスの。なんか用?」


 好感度2。目が合っても何も起きない。


 ヒナは、もっと酷かった。図書室で本を読んでいるヒナに近づいたら、本を閉じて席を立って、図書室から出ていった。好感度1。近づいただけで離れていく。


 昨夜。あの手が、俺の袖を握ったのに。


 教室に戻ると、ルナが窓際で英単語帳をめくっていた。


 ルナ:50


 変わらず。あいつだけ何も変わらず。鈍感って最強かもしれない。


 俺は席を立てなかった。


 攻略ノートを開く。好感度の推移を記録したページが並んでいる。


 数字、数字、数字。


 レイナ:3→0→255→3→255→……→218→5

 ミサキ:18→0→255→……→225→3

 リン:25→0→255→……→210→2

 ヒナ:12→0→255→……→232→1


 きれいな波形を描いて、全部ゼロに収束している。


 何やってたんだ、俺は。


 数字を追いかけて、数字を操作して、数字に一喜一憂して。


 一度でも、数字の向こう側にいる「人間」を見たか?


 レイナが弁当を作ってくれた時、美味しいと思ったか? それとも「好感度が上がりすぎないか」を計算していたか?


 ミサキが「意外と丁寧ですね」と笑った時、嬉しかったか? それとも「15上がったのはまずい」と焦っていたか?


 リンが「ばーか」と肩を叩いた時、照れただろ? でもその直後に「リンの好感度は振れ幅がでかいから管理が」とか考えてた。


 ヒナが手を握った時。あの小さな手の温度を、覚えているか?


 ……覚えてない。


 数値を記録することに必死で、感情を記憶していない。


 ノートを閉じた。


 閉じて、机に突っ伏した。


「なんだよ、これ」


 泣いているのか笑っているのか、自分でもわからなかった。


 数字がぼやけた。


 そのとき、教室のドアが開いた。


「ユウト」


 アオイが立っていた。


 手に、購買のメロンパンを二つ持って。


「放課後なのにまだ教室にいるし。……また何か変なことして凹んでんの?」


 アオイの頭上の数字。


【72】


 変わっていない。


 昨日も今日も明日も、ずっと72。


 レイナの218も、ミサキの225も、リンの210も、ヒナの232も、全部消えた。


 アオイの72だけが、最初から一度も変わっていない。


「……なんでお前、ずっと72なんだよ」


「は? 何が72?」


「……いや。なんでもない」


 アオイがメロンパンを投げてよこした。反射的にキャッチする。


「とりあえず食え。腹減ると思考がネガティブになるって、カズサが言ってた」


「あいつ何歳だよ」


「中一にしちゃ大人だよね」


 メロンパンをかじった。甘かった。それだけだった。


 でもその「それだけ」が、255の弁当よりずっとまともな味がした。



     ◇ 第八章 ◇


 キャンプファイヤーの夜から三日が経った。


 4人の好感度は一桁のまま微動だにしない。話しかければ多少は上がるだろうが、もう数値を操作する気は起きなかった。


 俺は数字を見るのをやめようとした。


 でも無理だった。見えてしまう。人の頭上に浮かぶ数字が、勝手に目に入る。意識して視線を逸らしても、視界の端で揺れている。


 ただ、ひとつだけ。


 アオイの72は見ても平気だった。


 あの数字だけは安心する。変わらないから。操作していないから。バグが起きないから。


 72は「好き」の領域じゃない。「嫌い」でもない。


 友達以上、恋愛未満——というのとも違う。


 幼馴染として、隣の家の子として、毎朝一緒に登校して毎日一緒に帰っていた関係が、自然に積み上がった数値。


 意図も計算も裏技もない、ただの72。


 255に比べたらずっと低い。



 金曜日の放課後。


 下駄箱にアオイがいた。


 スマホを見ながらスニーカーを履き替えている。俺に気づいて顔を上げた。


「あ。……一緒に帰る?」


「……いいの?」


「は? 前はいつも一緒に帰ってたじゃん」


 そうだった。


 数字が見えるようになる前は、毎日アオイと帰っていた。


 攻略に夢中になって、「放課後は用事がある」と言い続けて、いつの間にか一人で帰るようになっていた。アオイを置いて。


 「前は」、と過去形で言われたことが、胸に引っかかった。


「……そうだったな」


「何、改まって。キモい」


「お前すぐキモいって言うな」


「キモいことするから」


 二人で校門を出た。


 いつもの帰り道。商店街の角を曲がって、コンビニの前を通って、住宅街に入る。


「コンビニ寄る?」


「いい。腹減ってない」


「あ、そ」


 特別な会話は何もなかった。


 今日寒いな。明日テストだっけ。カズサが最近生意気だ。

 タケシが彼女できたらしい。マジで。あいつ65のくせに。


 ……65ってなんだよ。


 またやってる。数字で考えてる。


 頭を振って、アオイの横顔を見た。数字は見ない。


 西日が射している。アオイの髪が少しだけオレンジに光っている。


 こういう瞬間を、俺は二ヶ月間ずっと見逃していたのか。


「なに見てんの」


「別に」


「なんか最近のユウト、前のユウトに戻った感じ」


「前の?」


「なんか夏頃からずっと変だったじゃん。きょろきょろして、ノートにぶつぶつ書いて、急にモテ始めたと思ったら急にフラれて」


「……全部バレてたんだな」


「隣の席だし」


 アオイが笑った。


「でもまあ、今日のユウトは普通。普通が一番いいよ」


 家に着いた。隣同士の玄関。


「じゃあね」


「おう」


「また月曜」


「ああ」


 それだけだった。


 手も握らない。告白もしない。「好きだ」とも言わない。


 ただ一緒に帰っただけ。


 翌朝。


 土曜日。目が覚めて、天井を見た。


 もう数字を見る必要はない。見たくない。


 でも体がいつものクセで動いてしまう。窓を開けて、外を見る。


 隣の家のドアが開いた。


 アオイがゴミ袋を持って出てきた。土曜の朝のゴミ出し。


 寝癖のついた髪。だぼだぼのパーカー。サンダル。


 頭上の数字。


【73】


 呼吸が止まった。


 73。


 昨日まで、ずっと72だった。数字が見えるようになってから一度も動かなかった72。


 1、上がっている。


 一緒に帰っただけ。たったそれだけで。


 255じゃない。100でもない。


 72から73へ。たったの1。


 でもその1は、アンダーフローで得た255とは違う。


 操作していない。バグを使っていない。「嫌われる」ことも「計画的に好かれる」こともしていない。


 ただ一緒に帰っただけの、たった1。


 本物の1だ。


 アオイがゴミ捨て場に歩いていく。こっちに気づいて、軽く手を上げた。


「あ、ユウト。おはよ。……なに窓から見てんの。キモい」


 俺は笑った。泣きそうだったけど、笑った。


「おう。おはよ」


 255は消えた。


 操作した数字は、全部消えた。


 でも操作しなかった72が、73になった。


 たった1だけ。


 それがどれだけのことか、俺はようやくわかった。



(了)

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