12 美しい夕暮れ
二人の間にしばらく沈黙が漂った。そして光夫は静かに話し始めた。
「最初の策略は何というかユーモラスだし、北条さんの異動のことは社長としての権力を個人的な思惑に利用したということで、一般的には好ましくないんだろうけど。」
「でしょうね。じゃ、もうこんな女には会いたくないでしょ?」
「あなたが私のことをそこまで過激なことをしてまで思ってくれたという事実に感動したし、嬉しいよ。だからこれからもここにくるし、社長さんとしてではなくてカオリちゃんとしてのあなたと話がしたいな。」
その時カフェカレンジュラの中央に飾ってある鮮やかなオレンジ色や黄色のカレンジュラの花のところから音楽が流れてきた。ヴァイオリンとピアノによる生演奏だ。
「この店では週に一度、音楽家を呼んでクラシックやジャズを演奏してもらってるの。今日がその日というわけ。」
「クロードドビュッシーの「美しい夕暮れ」だね。」
「えっ、よく知ってるわね。」
「私は趣味でヴァイオリンをやってるからね。
まあ、週に一回レッスンを受けて毎日少しずつ家で練習しているというだけであんまり上手くないんだけどね。今取り組んでいるマックスブルッフの曲が完成したらやってみたいと思っている曲なんだ。編曲はすごいヴァイオリニストだよ。当ててみて。」
「すごいヴァイオリニスト?そうね、パガニーニとかクライスラーあたり?」
「いい線いってるけど、違うんだ。確かに二人とも天才ヴァイオリニストだよね。悪魔に魂を売って技術を身につけたと言われているパガニーニ、人好きのする人柄で人気のクライスラー、どちらも凄かったらしいけど、もっと凄かったのがハイフェッツなんだって。そのハイフェッツが編曲してるんだよ。」
「この曲をやるんだ。いいね。でもマックスブルッフにしてもクロードドビュッシーにしてもヴァイオリンだけじゃ寂しいんじゃない?」
「そりゃ、それぞれピアノと一緒に演奏する曲だからね。」
「私、ピアノ弾けるのよ。実は音大のピアノ科卒だからかなりなものよ。ピアノつきのスタジオとか借りて一緒にやらない?」
「それはいいね。」
二人が楽しく語らっている時、「美しい夕暮れ」が静かに流れていた。