第8話 降りしきる雨の中で
土曜日。
空は重たく曇っていて、天気予報どおりの雨が降りはじめていた。
放課後の約束なんてない。
学校は休みだし、部活もなし。
でも、今日は決めていた。
咲良に、ちゃんと伝えるって。
昨日、LINEで送った「俺の気持ちを伝えたい」って言葉。
既読はついた。でも、返信はなかった。
そのまま一晩が過ぎた。
たぶん、咲良はもう“終わり”にしてる。
気持ちが冷めたわけじゃなくて、「これ以上期待して傷つきたくない」って、心を閉じようとしてる。
でも俺は、諦めるつもりはない。
ここで動かなきゃ、一生後悔する。
それだけは絶対にダメだ。
傘も持たずに、外に出た。
行き先は、咲良の家。
体が濡れるのも、靴の中に水がしみるのもどうでもよかった。
ただ会って、目を見て話したい。それだけだった。
******
咲良の家の前に着いたのは、昼すぎだった。
傘も差さずに立ってる俺を見た近所のおばさんが、ちょっと不審げな目を向けてきたが、気にしない。
インターホンは押さなかった。
咲良が外に出てくるまで、何時間でも待つつもりだった。
待ってる間、いろんなことを考えてた。
それは今までの自分への戒めでもあるのか、自分でも分からなかったけどそういう気分だった。
おかげでゆっくり自分の気持ちを整理することが出来た。
「俺は咲良のことが好きだ」って、簡単な言葉のはずなのに、なんでこんなに難しいんだろうって。
でも、難しいからこそ、本物なんだって思えた。
スマホはポケットにしまったまま。
もうメールでなんかじゃなくて、直接言う。
そう決めたんだ。
15分、1時間……時間がどれだけ経ったのかもわからなくなった頃。
玄関のドアが開いた。
「……直くん?」
咲良だった。
部屋着にパーカー姿。髪は無造作に結んでいて、片手にタオル。
俺を見るなり、目を見開いた。
「何してんの……傘もささないで、バカじゃないの!?」
「バカだよ」
「風邪引くよ……」
「いいよ、それでも。今日は、それくらいのバカになりたかったから」
咲良が一歩近づいてくる。
でも、その顔は怒っているというより、困ってるみたいだった。
「……なんで、来たの」
その問いに、迷わず答えた。
「話したいことがあるって言っただろ。だから来た」
「……返信しなかったのに?」
「既読はついてた」
「それだけで、来たの?」
「それだけで十分だった」
咲良は、何かを言いかけて口をつぐんだ。
その瞳が揺れているのがわかる。
「ほんとは、もう終わりにしようかと思ってた」
「……」
「待ってるの、疲れちゃってさ。“もう、これ以上何も望まなければ楽になれるかも”って思ったの。なのに、直くんはさ、最後の最後で、ちゃんと来るんだもん……ずるいよ」
「ずるいのは俺じゃない。お前だよ」
咲良が目を見開く。
「俺がどれだけお前のこと見てたと思ってんだ。言いたくて言えなくて、でもどっかで“待ってれば大丈夫”って甘えてた。でも、お前が前に進んでて、俺がその場に立ち止まってることに気づいて、……めちゃくちゃ怖くなった」
「……うん」
「でも、それでも。ちゃんと伝えたい。“好きだ”って言葉を、勝ち負けじゃなくて、俺の意志として伝えたい」
咲良は黙って聞いていた。
冷たい雨の中、濡れてるのも気にせずに、ただまっすぐ俺を見ていた。
その目を見て、ようやく言葉が形になった。
「咲良。俺は、お前を——」
「……待って」
小さな声だった。
でも、はっきりとした意志がこもっていた。
「今は、まだ聞きたくない」
「……なんで?」
「直くんがちゃんと“私を見て”くれてるのはわかってる。
でも、私……“好き”って言葉を、受け取る準備がまだできてない。……なんか、怖いの」
咲良は、少しだけ俯いて言葉を続けた。
「今日来てくれたの、すごく嬉しかった。でも、私の中でまだ整理できてない。だから……もう少しだけ時間が欲しい」
その声に、嘘はなかった。
今ここで無理やり伝えたら、たぶん壊れる。
俺の気持ちも、咲良の気持ちも。
だったら、待つよ。
「……わかった」
俺は静かに答えた。
「次、ちゃんと会ってくれる時。俺、全部言うから」
「……うん」
咲良が小さくうなずいた。
その目はさっきよりも、少しだけまっすぐだった。
「風邪ひくから、ほんとにもう帰って。ていうか、タオル持ってって」
「わかったよ」
タオルを受け取り、玄関を離れる。
背を向けた瞬間、胸がじんわり熱くなった。
ようやく“伝えるための場所”に、立てた気がした。
******
その日の夜。
スマホの通知がひとつだけ届いた。
咲良からだった。
「来週の土曜日、空いてる?」
たったそれだけのメッセージ。
だけど、すべてが詰まっていた。
俺の返事は、即答だった。
「ああ。行く」