第7話 距離を取るのは優しさじゃない
「――明日からさ、登校、別々にしよっか」
放課後、校門を出てすぐのところで、咲良が唐突にそう言った。
足が止まった。
その声には笑いも照れもなかった。ただ、真っ直ぐで、静かで。
「……え?」
「ちょっとだけ、距離置いた方がいいかなって思って。いろいろ、ごちゃごちゃしてるし」
「“ごちゃごちゃ”って、俺、なんかした?」
「そういうのじゃない。……ただ、少しだけひとりになりたいの」
怒ってるわけでも、嫌ってるわけでもない。
でもその穏やかさが、逆に突き放されたように感じた。
それでも俺は、感情でぶつかるのをやめた。
「……わかった」
無理に追いすがるより、彼女の言葉を受け止めるほうが、今の俺には正しいと思えたから。
だけど——怖かった。
このまま、本当に“終わる”かもしれないって予感が、ずっと胸の奥で警鐘を鳴らしていた。
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次の日。
咲良はいなかった。
家を出て、通学路を歩いて、角を曲がっても、あの“いつもの後ろ姿”はどこにもなかった。
当然だ。自分で了承してしまったのだから。
でも、あまりにも空気が違った。
たった1人いないだけで、こんなに世界が変わるのかと、歩きながら思った。
通学路の右側、咲良がいつも歩く位置。
誰もいないのに、無意識にスペースを空けて歩いていた自分が、少し情けなかった。
教室に入っても、咲良はいつも通り席に座っていた。
ノートを読みながら、落ち着いた顔をしている。
でも俺が来ても、目を上げることはなかった。
(……本気で、距離を置こうとしてるんだな)
目に見えない一枚の壁。
手を伸ばせば届く距離にいても、越えられない距離が確かにあった。
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昼休み。
席に座って、弁当の包みを広げようとしたが、無意識に咲良の方を見てしまった。
彼女は女子のグループに囲まれて、笑いながら話していた。
でも、こっちには一度も目を向けなかった。
わざとだってことは、すぐにわかった。
(……気づいてるのに、気づかないふりか)
今までは、ゲームだった。
ふざけてたし、笑ってたし、軽口も言えた。
でも、もうそれだけじゃ済まない。
“好き”は本気の感情で、それをお互いに自覚してしまった今——
黙っているだけで、相手を傷つける。
そういう段階まで来てるってことだ。
俺は弁当を閉じて、無言のまま立ち上がった。
食欲なんて、なかった。
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放課後。
靴を履いていると、竹中が横に来た。
「……咲良ちゃん、先に帰ったぞ」
「ああ、見てた」
「で、話したのか?」
「まだだ」
「……お前さ」
竹中が珍しく真面目な顔をして、俺のほうをじっと見た。
「言っとくけど、“言わないまま守ろうとする優しさ”って、場合によっちゃ最悪の裏切りになるぞ」
「……それ、どっかで聞いたことあるセリフか?」
「アニメだ。けどな、今のお前にはちょうどいい」
こいつ、普段ふざけたことしか言わないくせに、たまに妙に刺さることを言う。
でも、俺はもう決めてる。
「わかってる。言うよ。ちゃんと、俺の言葉で」
言葉にした瞬間、自分の中でひとつ踏み込んだ感覚があった。
怖い? そりゃ怖い。
でも、怖さから逃げるのが一番ダサいってことも、今ならちゃんとわかる。
その夜、スマホを握りながら咲良の名前をタップする。
メールの文の入力画面を開いて、指が止まる。
「明日、少しだけ時間もらっていいか。話したいことがある」
そう打って、しばらく画面を見つめたあと、そっと送信を押した。
もう、逃げない。
明日、咲良にちゃんと話す。
“好き”って言葉を。
この関係を、次に進めるために。
ゲームじゃない。勝ち負けでもない。
これは、俺の本気の気持ちだ。